胡桃と拓哉の場合(後半)
胡桃はいつもの屋上、いつものベンチで、お昼休みに朱里と顔を突き合わせていた。 相談&近況報告会だ。 屋上は今日も誰も居ない。 朱里が口の端をあげて、にやけながら胡桃を見つめている。 胡桃は頭を抱えて項垂れていた。
「んで、能上と付き合う事になったんだ。 良かったじゃん」
「……深く考えないで、流されて返事したんだよ。 あんなキラキラ集団の中に入れない!!」
朱里の胡桃を見る目は、相変わらず残念な子だとありありと現れている。
「いや、別に入らなくてもいいじゃん。 そんなキラキラしてる? あの集団、騒がしいだけじゃん」
朱里は、話はもう終わったとばかりに、制服のネクタイを緩めて、お弁当の蓋を開けた。 海苔弁当なのか、隣から磯の香りが漂ってきて、胡桃の鼻腔を擽る。
今日は、首を傾げたくなる校則のネクタイデーだ。 いつもはしないネクタイが窮屈で、胡桃はもう外して、ベンチの上に置いてある。
普段は、制服のブレザーも着ない。 白いシャツの上は何を着てもいい。 生徒たちは、トレーナー、パーカー、セーターなど自由に着ている。 しかし、月一回くらいは、ちゃんと制服を着ましょうとういう(自由にしておいてどういう了見だ)という校則がある。 変なところでお堅い、日本人らしい校則だと思う。
胡桃は朱里の言葉で顔をあげた。
「えっ! 能上くんイケメンだよね? キラキラして見えるのは私だけ? 眩しくて直視できないんだけど」
「イケメンなのは否定しないけど、眩しくて直視できないとかはないかな。 それは多分、胡桃だけだと思う」
胡桃の喉がゴクッと鳴った。 胡桃は朱里を愕然した顔で見つめる。
「私、何か変なフィルターかかってる?」
「うん、確実にかかってるね。 だから、お試しなんてしなくても、胡桃は能上の事が好きなんだよ」
朱里の『胡桃は能上の事が好きなんだよ』というセリフが胡桃の頭の中を駆け巡って響いた。
(いっいつから?! でも、最初からキラキラしてなかった? という事は最初から? う・そ・だー! 流されたんじゃなくて、返事は『はい』しかなかったって事?)
「だからさ、胡桃が『私も好き』って言えば、万事丸く収まるんだってば」
朱里が両手を顔の前で組んで、可愛らしく瞳をキラキラさせて首を傾げる。 胡桃の肩が僅かに跳ねた。
(絶対に無理!! そんなの恥ずかしくて死ぬ!!)
「そんな可愛らしく言えないし、そもそも可愛くならないし!!」
胡桃は、首がちぎれるんじゃないかってくらい、顔を左右に振った。 髪が鞭のように頬をうって、音が鳴る。 またも朱里に残念な目で見られたのは言うまでもない。
――お昼の終了の鐘が校舎に鳴り響いた。
それから拓哉と何度かお昼をして、放課後は駅まで一緒に下校する。 胡桃はそれら全部、顔も見れず、視線も合わせられず、気まずい空気が流れた。 胡桃はずっと俯いていたので、拓哉がどんな顔で胡桃の事を見ているのか全く気づかなかった。
――お昼の開始の鐘が校舎に鳴り響く。
四階建ての校舎の中央階段を上がると、屋上に続く扉がある。 いつもはきっちりと閉まっている扉が今日は、少し開いている。 締まりが弱かったのか、ちゃんと閉めていないようだ。 扉の隙間から屋上で話し込んでいる少女たちの声が漏れ聞こえてくる。 少女たちは扉が開いている事に気づいていないようだ。
最近は屋上でお昼が当たり前になりつつある今日この頃、胡桃たちはいつものベンチで女子トークを繰り広げていた。 屋上の扉が少し開いてるなんて、思いもしないで話を続ける。 ましてや扉の外に人がいるなんて考えもしていなかった。
「まだ、言ってないの? このままだと能上が可哀そうだよ」
「それは分かってるんだけど……どうしても、直視できなくて……」
胡桃は大きく息を吐きだした。 にわかに扉の外が騒がしくなった。 扉の外から声が聞こえる。
「おい、お前ら! もう、予鈴が鳴るぞ。 教室戻れ」
携帯で時間を確認するともう直ぐ予鈴が鳴る。 いつの間にか、お昼の終了の鐘が鳴っていた。
慌ててお弁当を片付けていると、目の前の扉が重い音を軋ませて開いた。 姿を現したのは、現代文の教師の相葉伊織だ。 その後ろで階段を下りていく拓哉と和真の後ろ姿が見えた。 一瞬だけ視線が重なった、拓哉の瞳が悲しそうに揺れていたように見えた。 伊織が胡桃たちに教室に戻るように促す。
「ほら、葉月と沢田も急げ、午後の授業遅れるぞ」
(あれ? 能上くん、何か変だった……? 声掛けられなかった)
さっきの拓哉の瞳が思い出された。 胡桃は目を見開いてある過程に思い至った。
(もしかして、さっきの話が聞こえてて変な風に誤解したんじゃ……)
「朱里、お願いがあるんだけど」
伊織は溜め息を吐いて、さっさと授業の為に階段を下りて行った。 ギリギリで2年生の教室がある階につく、隣のクラスを覗くと拓哉の姿はなかった。 朱里が親指を立てて、作戦成功の合図を送って来た。
朱里に頷いて、自分の教室に入ると授業開始の鐘が鳴った。
――放課後の鐘が鳴る。
いつも、待ち合わせ場所にしている下駄箱で拓哉を待つ。 胡桃は大きく溜息を吐いた。
胡桃の脈拍は、午後からずっと跳ねまくっている。 既に緊張はピークに達していて、目の前にあるガラス戸を勢いよく開けて、駆け出したい気分だった。 校内放送が流れるお知らせ音が、校舎内に鳴り響いた。 次いで伊織の声が響く。 帰宅を促す校内放送かと思ったが、生徒の呼び出しの放送だった。
『2年E組、能上拓哉、至急、職員室まで来い』
胡桃は、その場でしゃがんで項垂れる。 心の中で、現代文の教師の名前を思いっきり叫んだ。
(伊織くんのばか~~!!)
拓哉は午後の伊織の授業をさぼっていた。 きっと、伊織から説教をされて、ここに来るのに時間が掛かるだろうと思われた。 胡桃は、少しほっと息をつく。 不意に影が出来て暗くなった。 目の前に見覚えがある足元がある。 拓哉が好んで履いている革靴だ。 拓哉がしゃがんで目線を合わせてくる。
「メモ読んだ。 話って?……別れたいとか? 屋上で沢田に相談してたの? 俺と居ても楽しそうじゃなかったし……」
拓哉の顔には、諦めに似たような表情が滲んでいた。 胡桃は声もなく顔を左右に振った。
「ごめん、振っても構わないって言ったのに……別れてあげられない」
拓哉の顔がすぐ近くにあった、胡桃の肩が僅かに跳ねる。 拓哉から香水の爽やかな香りが微かにした。 胡桃の目が大きく見開かれる。 身体を強く引かれて、拓哉が肩に顔を乗せてきた。
「違う! あの……能上くんは、キラキラして眩しくて直視できないから、視線を合わせられなくて……その事を相談してただけで……もしかしたら、誤解させたかもって思って……だから、その……」
顔を上げた拓哉は目を大きく見開いて驚いている。
「わ、私も……好き……ですって言おうと思って、不安にさせてごめんなさい」
好きって言葉は小さい声になってしまった。 でも、この距離なのだから拓哉には聞こえているはずだ。
拓哉の方を見ると満面の笑みが浮かんでいた。
(ぎゃ~~! 至近距離は、まじで眩しすぎる。 フィルター掛かり過ぎだから!!)
再び拓哉の顔が近づいて来た所で、大きな影が二人を差した。 上から怒りの声が降ってくる。
「おい、お前らこんな所でイチャつくな!! それと能上、呼び出ししたのに来ないってどういう了見だ!!」
声の正体は伊織だ。 手に分厚い本を持っている。 拓哉は視線を外しながら答えた。
「こっちの方が大事だったから」
伊織はジトっと拓哉を見つめてから、溜め息を吐いて手に持っていた分厚い本を拓哉に渡した。
「今日、俺の授業サボった罰だ。 その本読んで次の授業までに感想文な。 勿論、英文でな」
伊織の厳しい言葉に拓哉は驚愕して何も言えない。 じゃなっと手を挙げて去っていく伊織が、立ち止まって顔だけで振り向いた。
「小さいメモじゃなくて、ちゃんとしたレポート用紙に書けよ。 それと用が無ければ早く帰れ」
伊織はそれだけ言うと職員室がある方へ歩ていった。 隣で本を開いた拓哉が嫌そうに顔を歪めた。
拓哉の視線の先にある文字を追った。 伊織が渡した本は英文の小説だった、そして1行目には、たった1行の短い英文。 『I've always liked you』の言葉から始まる小説だった。
「「伊織くん……こわっ」」
いつから、何処まで、伊織には全て知られているようだ。
それから、拓哉と手を繋いでいつもの駅までの道を歩いて帰る。 でも、まだまだ慣れない。 眩しすぎて顔をあげられない。 拓哉を不安にさせない為に、繋いだ手を恋人繋ぎに変えてみた。
――完
『I've always liked you ~ずっと君が好きだった~』を読んで頂き誠にありがとうございます。
気に入って頂ければ幸いです。