第5話 ㉓[異世界に勝るもの]
「あ、アイナ! お前、本当にアイナなのか?!」
『はい❤︎ 貴女のファンであり憧れていて、誰よりも理解しているアイナです。此度、故あって姉上を裏切りました❤︎』
(姉上? やはりこいつは偽物だ! 今の私はただのシェリー、もう私に敬語など使わない!)
『チョロインである姉上にシェリーなどと呼び捨てをした事を今ここに謝罪します、姉上は私の憧れ、姉上は汚れなき聖女なのですから。だから貴方はもうこちらに、いえ、貴女はもうこれ以上汚れてはいけないのです』
思っていた事を聞かれずに否定され、更には簡潔に自分の動機を告白した。
「ぐの、言うに事欠いてチョロインだと! それは最近流行りの絵付きの本の名単語じゃないか! 何故お前が知っている!?やっぱり偽物じゃないか!」
『…………そこがそんなに気になりますか? どうしても私を偽物だと思い込みたいんですね? いいでしょう、貴女には私の秘密を、というより裏の裏。異世界文化コミュニケーショの話をしましょう!!』
(異世界文化コミュニケーション?? 何の話をしている)
「お前が本物のアイナならそんなことは言わん。あいつは頭が良い、この世界に我々の欲する文化などない事は調査も終わってる」
『裏の裏ですよ、私はそちらの世界に送った戦死者、人間と人間に一番見た目の近いドワーフを送りそちらで自動で生き返らせ、そっちの世界を調査して分かったことが色々あったのです、その一つが姉上の好きなマンガです』
「な!!?」
シェルフは驚愕した。
何故なら彼女は最近自分の世界で突如流行り出した[マンガ]と言う書物の出どころが今いる世界だからだ。
『確かに科学は魔法の紛い物、劣っています。しかしその劣っているとは何を基準に言っているのでしょうか? 私達は何かを見落としています』
「そんなものはない、未だに戦争と言う言葉を使ったただの金儲けをするこの世界。魔法を認めずただ惰眠を貪る様に天国化を食い止めようともしない、こんな世界に価値はなし、見落としなどない」
[天国化]これは良い意味では言っていない。そもそも彼女ら、と言うより異世界の人間に天国と言う概念がない。
彼女らのとって天国というのはキリスト教が弱者に悪い事をしない様に洗脳する為に伝搬した嘘と結論づけている。
そしてその嘘を本当に変えるのが天国化という、魔術的大災害だ。
『天国化、神話の実現、神の降臨、それらは全て神聖勇者の領分。つまり今私たちの世界で起きているダンジョン騒ぎの様な[魔法災害]が起きる、まぁその予兆の小さな事が100年周期で既に3回起きてる様ですけどね、そちらではウェーブと言われてます。魔法の知識のない世界ではきっと人類は絶滅するでしょう』
「そうだ、だが魔王が産まれればそれは食い止められるだろうが。しかしこの世界に生まれた魔王は私が正式な魔王になる前に殺す。過ぎた祈りは呪いとなり死と生の区別がなくなり人型の生物は消え去るだろうな、まぁキリスト教とやらは矜持でそれを受け入れる様に洗脳しているわけだから、きっとキリスト教を作った奴は、人間を恨んでいるんだろう」
『ウェーブが起こる前まではキリスト教は世界人口の半分くらいだったらしいです、しかし今は8割以上が…………これは一神教と言われている人造の宗教では異常です、汚染と言っても良い』
2人の意見が合う。
それは今までの共通意識、知識のすりあわせ。
シェルフにとって一番大事なのは手鏡に映る人物が本当にアイナなのかが確かめたかったのだ。
そして確信した。
「そんな、いや、こんな滅ぶ寸前の世界の文化に何の価値があるんだ? アイナ・ハイン・ツヴェルス」
『やっとお認めになりましたね❤︎ 姉上』
「お前がそんなに私に執心していたとは驚きだよ、てっきりいつも私に敬語を言いながら心根では私の刻席を奪おうとしていると思っていたんだが」
『そういう女が好きなのでしょう❤︎ 貴女は作為的に自分を裏切りそうな危ない人選をしてそばに置く、そういう人間が有能だと知っているから。裏切りも3、4回は許す、ことの程度によるが…………そういう女を籠絡して自分のものにするのが、貴女の性癖。よく知っています、だから私は貴女の好きそうな女の仮面を被っておりました』
「そんな訳があるか私は裏切りなど一度たりとも許さない。もし会うことがあればお前を殺す」
殺されると理解したアイナは歪む。
笑顔が歪む、歪みながら笑う。
仮面を外したアイナはもう隠さない、大好きで大好きな聖女に本性を曝け出し曇った表情が魅たい。
『素敵です❤︎ 貴女と戦い殺される、貴女を騙した罪と罰。素敵な最後です』
歪んだ思想を晒して聖女を曇らせたい。
だが。
聖女の表情は歪まない。
「そういう女は君で3人目だ。そうか私はまた騙されたのか今度は40年も、流石にこれは最長記録だな」
曇らず、ただ少しだけ微笑んで魅せた。
限りなく無表情に近い微笑みだ。
それは、その表情は、アイナが今まで刻城でよく見せられた顔であり。
この裏切りの原因だ。
『ええ、そうです。その顔ですよ? 貴女は気がついていますか? 自分の笑顔が死んでいくことに』
「何の話だ?」
『貴女は王に言われるがまま、戦を起こし、敵を殺し、滅してきた。きっと私と同じ気持ちの人間も何人も居たでしょう? でも貴女はそれを、私の様な女の気持ちを理解できない』
「裏切りに理解など必要ない」
『いいえ理解してもらいます貴女は、姉上は、聖女様はあの時の様に微笑んでいるのが本当の貴女なのですから』
2人の間に初めて出会った時の光景が脳裏によぎる。
晴天の心地よい春の始まり、少し肌寒い時。シェルフは戦で死んだ刻席の穴埋めとしてやって来たアイナと刻城の中で出会った。
憧れの聖女に出会った嬉しさを隠せないアイナ、頬を赤らめて目には涙が潤む初々しい頃のアイナ。
そんな自分にはない若々しさに触れ、ただ自然に優しく笑った。
それがアイナを完全に魅了した。
癖になり、囚われた。
まるで呪いの様に心に刻まれた。
だが、彼女は知る。自分の好きなものが王により、民により、世界の平和のために失われていると知った。
聖女は人を知ることにより表情が陰る。
それは興奮できたから良かったが、それは次第に笑顔を消していくことに気がついた。
だからもっと大好きな笑顔が陰り曇り歪むのを見たくて。
『貴女の本当の笑顔が曇るのが好きなのです❤︎ だから貴女を裏切りました』
「そうか、残念だな。別に何とも思わん」
歪んだ告白も聖女を動揺させない。
『そうですか。でもわたし……貴女の笑顔を私は最近見ましたよ? 貴女が10年くらい前、私が写本した異世界のマンガを見た時の、あの思い出し笑い』
その本との出会いは衝撃的だった。
よくあるハートフルなマンガ、反抗期の娘と父親の織りなす異世界系のファンタジー。
しかしその限られた長方形の紙に描かれた特殊な場面展開のコマの形は新鮮で、一目でどういう展開なのかわかりやすく、感情移入しやすく、背景の絵を下手に作り込まずに目が疲れない様に心配りするテンポの良さ。
そしてシェルフ個人の幼き頃の思い出をくすぐられた衝撃。
ただの創作物、しかし100年生きて来て初めてだった。
(そうか、あれらの絵付きの本はマンガというのか。あれを異世界人が?)
『魔法は科学を上回ります、だから私が注目したのは科学ではありません。私がそちらの世界の文化に目をつけたのは魔法がないと信仰されている事です』
「どういう事だ? 言えその本心を」
『はい、曝け出します。そちらの単陽の世界の人間は宗教概念をこちらより受け入れやすいのです、何故ならそちらには神は居ないから。神は世界を作った存在だと騙されている、そして人は無いものを求める性質を持っている。無いものだらけのこの世界の創作物は作者の魂の質が段違いなのです』
「ふむ、それは具体的に何が違う? 比較案件は?」
一瞬でシェルフの顔がビジネスマンの様に真面目なものになる。
資源やエネルギー、文化、それは戦さ場を駆ける戦士の餌の様なものだ。
『魔法、魔術に対する憧れ、そんなものは私たちにはありません。しかしそこの世界の人間はその本質を感じつつも使えないもどかしさから妄想し、無意識に創作物に命をもかける、書き、描き、表現し、狂う、私達が何かを作る時にはすぐ魔術を使う。例えば椅子を魔術で作るのと椅子を考案して作るのは違いますよね?』
「自然の力、職人が魔術無しで作った木工の椅子は高価だな、何故ならそれは今までにない新しい形だからだ、有り体に言ってしまえば魔術で作った物質は模倣品だ、開発するのは職人の仕事だ。だからと言ってこっちの世界の人間が優れているとは思わん、大抵の手製の作品は不必要な機能と機構が多すぎる」
『それですよ、そちらの異世界の人間は好んで必要のないものを作ります。無駄に正方形で高い建物、無駄に層を重ねた日本刀という刃物、無駄に多いゲームの種類、無駄に馬を走らせる為に進化した組織形態を持つ競馬というギャンブル、挙げればキリがない無駄な情熱の数々。それらを単陽の世界の民は『青春』と呼ぶのです、そしてその無駄の極地。小説、マンガ、アニメ!!つまりオタク文化です!!』
「お、オタク文化………何故かとても良い響きだ」
『そうです最近流行りの絵付きの本、そして演劇の様に動く絵の劇場、登場人物の追体験が無駄に凝っている小説、あれら全てがオタク文化です』
小説、演劇などは異世界にも普通にある。
だが絵画や写真などはあまり流行っていない、そんな技術を作らずとも魔術で作れる、そして作っても意味もない、最低限記憶に残れば良い歴史は壁画などに記せば良い。
必要ないものは作らないのは人間だけでなく動物の性質だ。
理想像としては中世ヨーロッパの抽象的な世界が良いそれが必要最低限。
写実的過ぎる絵など無駄と判断した異世界には無駄がない。そう、ないのだ。
何の力を持たない妄想という無駄が生み出す力など、魔法魔術への憧れが作り出す幻想、そんな感覚は異世界の人間の想定外であり想像出来ない。憧れは理解から最も遠い感情なのだから。
「精神の魂の創作物、オタク文化。それがこの世界の価値、成る程、確かに私たちの世界では生まれ得ない文化だな、あの本、マンガを見なければ私はきっと嘲笑していただろう、あれは良いものだった。だがそれが何故お前の裏切りに繋がる?」
『全ては貴女の笑顔のため。貴女はそちらで本場のオタク文化を学ぶのです! そして青春を、本当の貴女を取り戻してください!』
「何っ!!」
『既にそちらのエルフと話は済んでいます! もう魔王の事などどうでも良いです!どうせあの子にこっちの世界を支配する意思などないのですから!安心して異世界スローライフを満喫して下さい』
「…………ちょっと待て、まさかお前、魔王と面識があるのか?!」
『あら? そこは驚くんですね?凄く良い表情です姉上❤︎』
最悪に歪んだアイナの笑顔がそこに写っていた。




