間劇 「ラーメニスト藍那」
西暦2500年 4月4日午前11時の5分前。
「もうすぐ11時かぁ」
私はこの時間が待ち遠しい。
ラーメン屋が開店する5分前、店の前の道路に列を成す豚共の様子が明らかに変わる。
そう、私もその豚の中の1人、否、1匹である。
私の名は藍那。
売れっ子のアイドルであり日本でNo.2の売り上げを持っている。
とは言ってもその実績の殆どは私の側近気分の華美が稼いでくれているのだが。
本当に華美様には頭も上がらんし足を向けて寝れませんわー。
いや同じ2段ベッドで寝てるから物理的に向けられないけど。
自分の容姿はまぁきっと美しいのだろう、広告で見る私の姿はたしかに綺麗だ。
だけどあの写真は全部私以外の人たちの労力によって作られたものだ。
私自身はその素体に過ぎない。
アイドルの基本はスタッフに気遣う事。
彼らの仕事無くして私たちのアイドルの煌めきはありえない。
そう、だからその輝きしか見ないガヤの人は意外と気がつかないのだ。
No.2のアイドルがすっぴんでグラサンかけてこの大スラム街の中にある神保町のラーメン屋のシロウに来ていることなど!!
嗚呼、私はここでは養豚場の豚の1匹だ。
もやしを煮る蒸気とニンニクと豚骨醤油のスープの匂い。
この全てが心を癒す。
アイドルだから1週間に一回しか来れないがアイドルじゃなかったら毎日来ているだろう。
───────アイドルやめようかな?
んー、母さんに怒られるし華美が泣くからやめるのをやめよう。うん、私えらい。
今日は華美の誘いを断ってここにいる。
悪いな華美、今日の私はお姉様じゃなくて1匹の豚なのだよ!!
「えーではすみません前の方から注文をお聞きします」
嗚呼、開店した!!
ここは食券制だが列の長さがえげつなく隣の灰ビルの角を直角に曲がって更に並んでいる! 開店前に注文を聞いておかないと捌き切れないのだ! 食券制の意味は? 知るかそんなもん!
だから私は1時間以上前に並んでるから前の方だがな! 後ろの豚とは違うのだよ!後ろの豚共とは!! まぁ待ち時間としてはそんなに違いはないが、早い時間のうちに食って体から出てしまうニンニク臭をアイドル業本番までに消しておきたいのがある。
それとアレだな。
店の前で1時間以上いる理由としてはイメトレだ。
盛られた野菜と神豚をどういう順番で食すか、麺を先に無難に攻めるか? それとも浸しておいて野菜を先に食して胃の調子を整えるか? この矛盾のパラドクスはきっと永遠に解かれる事はないだろう、私はこの数式に対する絶対的答えを持っているがそれを記すには人生の余白は狭すぎる!!
「小豚です」
トッピングは店内で言う。シロリアンなら常識だよね!?
この時の後ろの豚共との格の違いを知らしめた気分になる、ぶっひぃいい!!
店内に入り店員を裏切る事なく小豚の食券を買って黙って座る。
そうここでは喋るのは禁止だ。
私たちは餌を食う時まで豚であってはいけない、ここでは人間らしく尊厳と店内ルールを守って待つ。
しゃべっていいのは「カラメ野菜マシニンニク少なめ」のみ。
ふ、アイドルさえしていなければもっとえげつない注文をするのだがここは我慢だ。
悲しいものだな、アイドル故の制限というものは。
コト、
早い。もう来たのだ。
ラーメンシロウはできた順にラーメンを運ぶ、そうしないと後ろが詰まるからだ、私の注文はいつも通りだから私の姿を見て準備していたのかもしれない、あとは単純にトッピングが簡単だったからというのもあるだろう。
これがトッピングなしならもっと早いだろうが、トッピングなしのシロウはシロウにあらず!! いざ!! 実食!!!
ずるずる、
私はもちろんわざと音を立てて服に汁が飛び散らないように細心の注意をはらう。
じゃあ音を立てるなって? まぁそうね、いまの日本人はヌードルハラスメントが定着してて昔のようにズルズル食う事は犯罪になりうるわ。
アイドルとしてそれはやってはいけない事。
だからこそ興奮するっ!!!!
嗚呼、私はいまここで豚のようにこの麺を!! オーション (小麦の品種)の香りを!! この店内にすする音を響かせることに快感を覚える!!
これこそ生きているという実感!!
魂の存在の確認!!
嗚呼! 私は今ここに生きているッッ!!!
しゃきしゃき、むしゃむしゃ!!
ずるっずるずるずる!!!
ああ、濃い! 恋?否濃いスープ! ニンニク豚骨、あと醤油! 下品で上品で素晴らしい!
こんな犯罪的な食い物を知って食わない人生などあり得るものか!? いやない!!!
小豚という名からは考えられない量と質、だからここを知ってるやつは大は選ばない、絶対に食い残すからだ。
食い残すのはしょうがないが知っていてその愚行を重ねるのは愚かだ。
食えるだけを注文してスープ以外は食い切るのが礼儀である。
昔スープまで飲んで丼をひっくり返すというのが礼儀だ、とかいう頭のおかしいデマが流行ったらしいが食器の片付けを一度でもしたことがあればそれが悪意にまみれた嘘だとわかる。
ネットの黎明期とは本当に恐ろしいものだ。
「ごちそうさまでした」
完食。
今日もうまかっちゃん。
お礼の言葉をこの場で言おうとしたらどれだけの時間を費やすことになるだろう?
それは迷惑なので食い終わったことだけを伝えるごちそうさまだけでは感謝の意を表す。
これが礼儀というもんだ。
「ぷひぃ」
ゲップが出そうなのを我慢する。
私はアイドルだから。どこで誰の目にも止まるともわからん。
「お嬢さん」
「ハイ?」
食い終わった私の背後に男がいた。
たった一人の男、しかし雰囲気でわかる、こいつも私と同じ。
ラーメニスト!!
説明しよう!ラーメニストとは単にラーメン大好きな悪いことなど何もしない常識人のことである。評論家の事じゃないよ!
「私、ラーメンシロウの取材をしています雑誌記者です、いやはや声をおかけしたのはあの中で一番美味しそうにラーメンを食べていたのでちょっと取材をしたいなと思いまして」
嗚呼、多分この人は私の正体に気がついている。
まぁ一部では有名な話だしな。
「よくここに来られるのですか? No.1の本店ではなく、この二番手の神保町へ」
No.2、私の正体は知ってるぞという暗喩か? まぁ別にバレてしまっても構わんのだがな。
「ええ、ここは客に出すラーメンを綺麗に盛るから好きなのよ、あと他の系列店とは毛色が違うスープも好きね」
「成る程、たしかにそこら辺は開店からの伝統で他のシロウとは違うと二分された評価をファンから持たれてますね。あと例の災害があった後もここで出店して昔ながらの神保町シロウを続けられる理由はなんだと思います?」
なんだか本当にただの取材みたいだな、ちょっと気構えてたのがアホみたいだ。
「そうね、神豚と称される程の完成度、あとチャーシュー、盛りに盛ったクタクタもやしのタワー、きっと数百年前の人も同じものを食べて感動していたのでしょうね?」
「ほうほう、つまりはその魂がこれだけの行列を作っていると?」
「ふ、記者さん。アンタ何もわかってないわね?」
「はい?」
間抜けヅラを晒す男に私は言ってやる。
「確かに神保町のラーメンは美味いわ、でもね何か大切なことを忘れてないかしら?」
「大切なこと? 満腹感とかですか?」
「惜しいわね、そこまで気がついていて何故答えに辿り着けないのかしら?」
「ええと…………」
宙を見ている。
おそらくウィンドウを起動して情報をかき集めてるのだろう、そんなことをしなくても感じれば一発で答えは出るものを、全くこれだからブン屋は………。
「いい事? 私たちシロリアンが一番気に入ってるのはぁ………………値段よ」
私は指で円を作りゲスっぽく笑ってみせる。余裕の表情だ。
「ね、値段ん?」
「そう、美味い美味いと言いつつ私たちはここの違法ギリギリの化学調味料どっさりのスープを飲んでることに変わりはないわ! そしてそれを上級な素材で味を誤魔化しまくる! それが私たちジャンキーの求めてる味ってもんよ! これは悪口じゃないわ! だってラーメンが一杯一万円だったらこんなに並んではいないもの! 安い! 早い! うんめぇ!! これが私たちが養豚場の豚と呼ばれても並ぶ理由、恥を耐える理由! ラーメンを愛する理由っさね!!!」
嗚呼、白熱して大声で列に並ぶ豚にドン引きの目で見られている。
ちょっとやらかしたですわ。
「な、成る程。アイドルの貴女がここで食べるのは要は、大衆食としてこの神保町シロウが完成されているからだと?」
「ふ、まだわかってないようね? 完成されていたらそれはもうお飾りってもんでしょ? No.1の本店行ったことあるかしら? あそこは創始者のラーメンを忠実に再現してて日によってブレッブレの味のラーメンを出すのよ? まぁだからこそ飽きないんだけどね?」
そう言いながら私は逃げるように記者に背を向ける。
いま正体がバレていると公言してたが知ったことではない。
何故ならば。
「それと私はこの場では養豚場の豚の1匹なのよ、アイドルなんかじゃあないわ」
なんとか誤魔化してその場から逃げた。
記事にされたら後で華美に謝ろう。
最初は小豚でなく小ラーメンで。




