黒曜石の眼
初投稿です。
私の母は“麗しの君”と呼ばれる女性で、絹のような銀髪と黒曜石のような眼を持った美女だったらしい。らしい、と言うのも実際に会った事はないからだ。母は私が産まれると同時に息を引き取ったらしい。それは、それは、とても深い悲しみで、国中がその深い悲しみに包まれたらしい。何故国中かと言えば、私の母はその国の王妃だったから。つまり、私はその国の王女になるのだ。
と言っても、その自覚は私には無い。何故なら、産まれてすぐに隣国の、つまりこの国の事なのだが、に嫁に出ているからだ。しかも称号は皇太子妃。隣国とは帝国で、その帝国の十二も離れた皇太子の妃になったわけだ。南無三。
皇帝は何を考えていたのかというと、“麗しの君”の子供ならば勿論“麗しの姫”として産まれてくるだろう、と考えたらしい。――だが実際は違った。
産まれたのは国王に似た姫で、平凡な茶髪で、“麗しの君”の面影はその眼の色ぐらいだった。皇帝は私を取り上げておきながら、酷く落胆したらしい。皇太子妃としておきながらも、皇宮の離宮に隔離されてしまった。夫となる皇太子も会いに来る事無く、見捨てられた姫。
そんな姫にとって楽しみだったのが、一年に一度会いに来てくれる、隣国の国王である父だった。父は優しく頭を撫でて「何か困った事は無いか?」と願いを聞いてくれた。食べ物に困っていたら隣国から持ってこさせ、侍女も用意してくれた。因みに皇帝が用意した侍女などは既にボイコットしている。着る物が少なければ、隣国から用意してくれた。
そんな父の崩御の知らせが届いたのは、今年、私が十三になる前の事だった。
「う、そ」
隣国から来ていた、仲の良かった侍女が帰らなければならないと言ったのは、父が崩御してからすぐの事だった。――理由は金銭が支払われなくなるから。
「なら、私も……」
「姫様は、いえ、皇太子妃殿下は帝国の者でございます。アデーレに居場所はございません」
隣国――アデーレ。父が崩御した後、王の位に就いたのは父の弟にあたる公爵の息子らしい。その国王が私への支援を切ると言ったのだ。理由はただ一つ。自国の者は自国でどうにかしろ、と言う事だった。
「けど、でも、」
「数人は残ると言っておりましたから、殿下はお一人になる事はありません」
俯く侍女に、私は何も言えなかった。
あれから一週間。離宮から多くの人が消えた。五十人程いた人達も、残ったのは五人程度で、どれも下働きの者達だった。仕事の質も悪くなったし、料理の腕も悪くなり、私の世話をする者もいなくなった。残った彼らはただただ、雨風凌ぐ場所が欲しかっただけだった。それが、此処だったという事だけ。
華やかだった離宮は宮に陰が射し、一瞬にして暗闇に包まれた。
これが私、“フィルフィリア・アデル・オールディンス”のこれまでだ。
最初は冗談だと思った。
私がオルディン帝国の皇太子として、立太子した十二の時。皇帝である父が祝いの品として下さった花嫁は、産まれたばかりの赤子だったのだ。しかも、隣国にして同盟国・アデーレの王女だという。私は子供ながらに驚愕した。皇后である母はそれに激怒していた。
「皇子を侮辱するにも程がある!」
と。私も実際そう思った。だが、母が本当に激怒していたのはアデーレの王妃“麗しの君”に父が恋慕していたからだった。その娘を、同盟の結びつきやら何やらで取り上げ、自分の息子の花嫁にしたのだ。結局母は一国の母では無く、そこら辺にいる女どもと変わらなかったのだ。
父は全て私に一任していたが、そんなだったから私は、自分の妃になる少女に見向きもしなかった。見向きもせず、離宮に閉じ込めたのだ。
「お前の妃は息災であるか?」
そう父に言われてから、自分に妃がいる事を思い出したのは二十六の生誕祭を迎えての事だった。
(――忘れていた)
「どうせお前の事だ、会いに行く事もしていないと見える。この会場にも来ていないのだから、大事にしていると思っていたのだがなぁ」
十四年前に比べ貫禄が増した父である皇帝は、伸ばしている髭を撫でながら、呆れたように言ってきた。
「も、申し訳ありません」
「何、良い。祝いの席だ。――この後ぐらい顔を見せに行ってやりなさい」
――そう言われなければ、私は大事な星を亡くすところだった。
「なんだ……これは」
十二年前に訪れた時より、鬱蒼としている離宮。それを見た時、中には人が居ないのではないか思うほど、ゴーストパレスと化していた。
「殿下、本当にここに人が住んでいるのでしょうか?」
私にはそうは思えません。っと、言ったのは連れてきた側近の一人、アンバート・トレバーズだ。
「私もそう思うよ、アンバート」
そう返事を返したのは、もう一人の側近、護衛騎士のキュレス・ライラー。
「だが、私は此処に彼女を放り入れた」
私の記憶が悪くなければ、代々皇太子妃宮として活用していた翡翠宮に彼女を入れたはずだ。
「護衛は外で待て、中は私たちが行く」
私がそう言うと、付いてきていた近衛騎士団が翡翠宮の周りに展開した。私は側近を連れて中へ入っていく。
「どちら様ですか?」
と、小さめな声が聞こえた。
「何者だ!」
「此処を何処と思っている!」
私が叫べば、アンバートがそれに続く。
「ひぃぃ、お、お許しください! 私は皇太子妃殿下の下女でございます!」
暗がりの中よく見ると、確かに薄汚れてはいるものの、翡翠宮の下女の格好をしていた。
「まて、落ち着け。他の者達はどうした」
「ほ、他の者達は、み、みな、り、隣国に帰りました」
「帰った? 陛下からの侍女はどうした?」
私が問えば、その下女は事の顛末を話してくれた。陛下からの依頼を受けた者達が皆辞めた事。アデーレからの支援で成り立っていた事。もうアデーレからの支援は受けられなく、その為多くの者達が去って行った事。
私には信じられなかった。自分の管轄でそんな事が起こっていたとは。管理不足にも程があると、己を呪った。
「それで、妃殿下はご無事なのですか?」
アンバートがそう問いかけた。すると、下女は唖然とした顔で「あって、くださるのですか?」と問いかけてきた。
「私たちは、妃が無事かを確認しに来たのだ」
「ほ、本当に、姫様に会ってくださるのですね」
そう言うと、下女は涙を一筋流した。「こちらです、こちらにおられます!」と、下女は足早に先に進んで行く。それに、私たちも付いていった。
着いた先は翡翠宮の一番奥、寝室だった。
「姫様! 起きてらっしゃいますか? お客様です!」
下女が扉の前で大きな声を出した。すると、扉が勝手に開いていく。
「なぁに、こんな遅くにそんな大きな声を出して? 人が居ないにしても程があるわよ?」
現れたのは、薄い寝間着を着た小柄な少女だった。冴えない茶髪の髪に、小顔で顔立ちが良く、ふっくらとした唇、そして鋭い“黒曜石のような眼”。色合いを差し引いても美しい少女だと思った。
「姫様に、お客様です! 漸く、日の目を見る日が来たのです!」
下女は嬉しそうに、少女に話しかける。それを見て(そうか、彼女が妃か)と思った。
「何を、寝ぼけているの? 今まで放置していたのだから、今度は捨てられるに決まっているわ」
「違います! この方達を見てください!」
少女の美しい黒曜石の眼が、こちらを捉えた。あぁ、父はこの目に囚われていたのかと、漸く理解した。
「どなた?」
少女の唇が、ゆっくりと音を紡いだ。暗闇の中、華やいだ様な気がした。
私は徐に、彼女の前に跪いた。
「今までの無礼を許して頂きたい」
「貴方は……」
黒曜石の眼を見つめると、自然と言葉が零れた。
「私は、クリスティン・メルヴィス・オールディンス。この国の皇太子にして、許してもらえるのなら、貴方の夫君だ」
私の言葉に、少女は黒曜石の眼を見開いて息をのんだ。
「な、ぜ……」
その言葉の続きは静寂に飲み込まれた。
「失礼ながら、殿下、こんな所じゃ寒いでしょう? 殿下の宮に行かれてはいかがです?」
キュレスは、此処は寒すぎ、と言って、両腕を擦って見せた。
「そうですね、それが良いかもしれません」
アンバートにもそう言われる。私は頷くと、私の妃である少女手を差し伸べた。
「共に来て頂けますか? “フィルフィリア・アデル・オールディンス”」
少女、いやフィルフィリアは固まったままだったが、下女が少女の背中を押して「姫様」と促した。
フィルフィリアはそっと、差し出された手に右手を乗せた。それが答えだった。
――これが私たちの出会い。
お目汚し、失礼しました。