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幻の満州国 あるいは石原莞爾の見た蜃気楼 legend of empire  あるいは幻の満州帝国 legend of manchuria empire

作者: 舜風人

今この日本においていったいどれだけの人がマンチュリアについて知っているんだろうか?


ああそんな傀儡国家があったな

位は知ってるだろうが、

甘粕正彦

岸信介

石原莞爾

など満州国の立役者の詳細を知る人など今ではおそらく皆無に等しいのだろう。

甘粕正彦がオモテの顔だとしたら


石原莞爾はウラの顔だろうか?


甘粕は石原のことをこういっている


「あいつは明後日の遠い先のことばかりを言っていて地に足はついていない」


逆に石原はこういっている

「あいつは今のことしか考えていない、。明日どうするかは空白だ」と、

まあこういう間柄だから


結局は石原莞爾は追放されてしまうことになるのだ。





日蓮神秘主義とも言うべき思想家が明治以降輩出してきた。


田中智学  国柱会総裁

木村鷹太郎 日蓮を日の神とした、超古代史家

北一輝  「国体論及び純正社会主義」で有名な国家社会主義者、

鷲谷日賢 霊界の統一による世界平和を説いた日蓮僧

井上日召  右翼日蓮主義者、

宮澤賢治 法華文学による世界救済を説いた文学者。

江川忠治 死なう団の首魁。

そして

石原莞爾である。


彼、石原莞爾は欧州戦史を丹念に研究した。

そして勿論熱心な日蓮信者だった。


彼のテーゼは、世界最終戦争論である。

これは近い将来、世界が2大陣営に分かれて最終戦争を行い、それに勝った陣営が、世界を支配するだろうという思想である。


そしてわが日本がもしその最終戦争に勝利すれば、その後世界から戦争はなくなり、

法華経の理想社会「一天四海皆帰妙法」が実現すると説いたのである。


この最終戦争は天皇を信仰するアジア、王道日本と、天皇を信仰しない覇道アメリカとの間で起こると石原は考えた。


もしアメリカが勝てば最終平和は実現しない、しかし、日本が勝てば、八紘一宇の理想世界が実現するとしてそのために「昭和維新」を唱えたのである。


また日、韓、満、中、蒙の5族協和による欧州対抗を説き、「東亜連盟」の重要性を、説いた。

これは満州国の実現で現実味を帯びてきたが、


更に産業革命によって欧州に負けない基礎作りも説いていたのである。


これらの彼の説はほとんどが法華経の予言による、仏説に対するほとんど妄信的な信念でもあった。


「日蓮宗本門の戒壇を日本国に設けて、日本国の国体による世界の統一」というのが彼の最終的な結論でもあった。


彼の夢見た最終戦争後の世界帝国とは、legend of empireでしかなかったのかもしれない。


彼は満州国の運営をめぐって甘粕正彦と齟齬をきたして志半ばで追放されてしまった。


その後は半ば引退状態で終戦を迎えて、昭和24年に没している。


その石原が設計した国が満州国なのである

5族協和というスローガンで立ち上げた理想国家?

まさに磯原にとってのそれは

「王道楽土」となるはずだった。


だが満州国はリットン調査団の報告にもあるように

まさにジャパニーズパペットネーションにすぎなかったのだ。


傀儡国家が盛行したという例を私は寡聞にして知らないが、、


建国時にしてすでに滅亡が見えていた満州国だったと言えるのだ楼。


「目指せ満州、理想の大地」

「満蒙開拓団大募集」

「満州は日本の生命線」



そういう美辞麗句にひかれて満州の渡った日本人の末路は

たとえばなかにし礼の『赤い月』に描かれているような悲惨を舐めることになるわけである。


そして武装解除された関東軍の生き残りは

シベリア抑留というさらに過酷な運命が待っているのである。

「ダモイトウキョウ」

それが合言葉で辛苦に耐えたがソ連共産党による

思想チェックや、洗脳さえ行われたよく慰留生活は過酷を極ま他のである。


さてそういう末路をもたらした満州湖国とは


一体何だったのだろうか>


甘粕正彦の自殺した日


彼の辞世はこうだ


「おおばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」



そもそも満州の地域はロシアがが1860年以降に南下政策で進出してきたことで

ハルビンを拠点にして開けてきたと言えよう」

ハルビンはそういうなんかロシアの一大拠点だったのである。

そしてご存じのようにその後ろ紙は朝鮮への野望をむき出しにして

その結果ア日露戦争が起こるわけである。

これで一時的にロシアの南下を食い問えた日本はロシアから朝鮮を保護するÞラ目に

併合せざるを得なくなるのである。

この勝利で日本はロシアから満鉄の権利を獲得してこれがその後の満州国建国の

足掛かりに案るわけである、

当時アメリカの鉄道王ハリマンからこの鉄道の共同経営を打診されたが

日本は断っている。


もしここ共同経営が成立していたら?


満州国は今も存在したかもしれない?

そういう驚愕の予想もあるのであるが、、歴史にイフはない。


ところで満州の地名の由来であるが

この地の女真族は文殊菩薩の信仰が盛んであり

自らをマンジュシュリー(文殊のサンスクリット名)

の化身と称してそれが

マンジュ  満州となったのである


さて当時の満州はロシア系が多く住んでいて


その中にはロシアの迫害から逃れて比較的緩やかだったハルビン周辺には多数のユダヤ人が住んでいた。

彼らはハルビンユダヤ人協会を設立して代表は

アブラハムカウフマンだった。

彼らは満州国と協約を交わして居住の権利を確保していたのである。


その後みなさんご存知のナチスによるユダヤ人迫害が始まり

欧州からのユダヤ人はシベリア鉄道で一路満州、そして日本目指して逃げ出すもの多数。


杉原千畝のお半死は有名ですよね。

ですが彼が救ったのは3000人ですよね?

所は全く知られていないが

ここ満州では数万人のユダヤ人がナチスから救われていたのです。

その中の象徴的な事件が

「オトポール事件」です


欧州から死べり鉄道で逃げてきた大量のユダヤ人は

満ソ国境の「オトポール」で足止めされて満州国に入国できずにいた。


そこへハルビン特務機関長の樋口李一郎が図らって、

入国させて2万人を救ったという顛末である

これらの中には杉原千畝の救ったユダヤ人たちもMしかしたら交じっていたのかもしれない

彼らはここから日本へ船で渡り、さらに横浜や神戸から中国経由でアメリカへわたっって行ったのである。

杉原がいくらビザを出してもシベリア鉄道から満州縫入国できなければそこで万事ストップだから

樋口の功績のほうが大きい?とさえいえるのではないだろうか?





さて満州国について私ごときがこれ以上語ってみても


所詮


「九牛の一毛」に過ぎまい


というわけで心だオシマイにするが


満州国がもしかしたら?

今も存在したかもしれないと先ほど述べたが、、


それは、、、


その理由は、、、、



アメリカを満州に引きいれなかったことが最大の落度(失敗)だっ たといわれていますね。

アメリか資本とユダヤ資本を参加させれば今も満州国は台湾みたい に存在していたでしょう。


満州国内の鉄道の一部を米国企業に経営させる。

およびユダヤ人租界を建設する。


これをもしあの石原莞爾がおもい付いていたら

満州国は今もあそこに台湾のようにあったでしょう。


しかしそれにしても石原莞爾は日本軍事史上の偉才であることは変わりありません。


今混迷の時代に石原莞爾を再認識するのも必要かもしれません。

ただ彼は熱心な日蓮信者です。いわばカルトです。

再び狂気に導かれないとは言い切れませんが、、、、。


日蓮、彼はわれこそは法華の行者日本一と号して、全てを捨象し去った。

その日蓮の教えから思いついたといわれる、石原の「世界最終戦争論」です。

今これを検証してもタダ誇大妄想狂としか言い用がありませんが。

魅惑的な狂信?であることには変わりませんね。



https://www.youtube.com/watch?v=QQyFqwXeHkg

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