はじめに
私は、あの集落で過ごした日々を忘れない。
ロッキー山脈を望む、雄大な自然。
夏の星空のように美しく、暖炉の炎のように温かい思い出。
人々は素朴で、皆、とても気持ちのいい人間だった。
そこでの記憶は、今も、宝石のように輝きを放ち続けている。
私は教訓が嫌いだ。
偉そうに物を語る人間を軽蔑する。
それなのに、今、私は教訓じみたことを書き残そうとしている。
私があの集落を離れてから、十年が過ぎた。これまでも、何度か執筆しようとしたが、時間がかかってしまった。
筆をとるたびに、嫌悪と羞恥が私を押し留めた。
いったいそんな必要があるのか?
書いて何になる?
最近になって、そんな疑問はひとまず呑み込もうと思った。
読者にまかせよう。
何を感じ取るかは、人それぞれなのだ。
私の学んだことの1%でも伝われば、あの集落で過ごした日々が、より意味を持つかもしれない。
私はそう思った。
モンタナ州のダイベンは小さな町だった。
そこから数百キロ北にヒッチハイクし、ハイウェイから下りて、未舗装の小路を、森の奥へ向かって二日ほど歩く。ゴツゴツとした岩山。美しい小川や草原が見えてくる。馬が放牧され、小さな畑では綿花や玉蜀黍が栽培されていた。
そこが目的地の集落だ。
ヨセミテのような有名な場所ではない。誰も知らない。住人は百人弱。
彼らはインディアンの伝承的知識を大切に守って生活していた。
そこに皺だらけの酋長がいた。
百歳を超えているように見えたが、正確な年齢は分からない。彼はシャーマンでもあった。
名前は、ドン・フン・ミエルダ。
私は彼を心の師と仰ぐ。
敬意をこめて、ウンコ酋長と呼びたいと思う。
これから記す金玉之言は、すべて師から学んだものである。
あらためて、ウンコ酋長に心から感謝したい。