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サリーストクフ

本編に対しての王子視点です

 昔から俺にしつこく言い寄っていたリーランロッテ伯爵令嬢が、屋敷の二階から飛び降りたと側近のルマスから報告を受けたときは、心配よりも何てやっかいな、と心で舌打ちをした。

 彼女は貴族学校に上がってからも相変わらずしつこく言い寄り、何とか俺との婚約を取り付けようと躍起になっていた。

 正直俺は婚約相手などどうでもよかったが、彼女が妻となったら毎日がわずらわしそうだとため息を漏らしたものだ。

 彼女は貴族学校で、俺が特定の女性徒と仲がいいと噂を聞き、すがりついて問いただしてきた。

 俺と彼女は別に恋人同士でも、婚約者でもない。俺が弁解する理由も無い。

 特定の生徒という女生徒には心当たりは浮かばなかったが、それを説明してやる義理もない。

 リーランロッテは泣きながら廊下を走り去った。そしてその日の夜に、飛び降りたのだ。


 伯爵家も学校も、ただの事故として処理したが、彼女が嫉妬から自殺を図ったとの話は、まことしやかに広まっていた。

 だが俺も自殺をしたのだと考えている。どうやったら令嬢が自室のベランダから事故で落ちるのか。

 俺はただ、面倒な話だとため息をついた。


 リーランロッテという女性は、取り巻きをいつも引き連れてはいるが、とりわけ傲慢で不遜な態度というわけではなかった。

 俺に相応しくあろうとしていたのか、常に優雅で気高くとしていたらしい。

 ただやはりそこは貴族で、下の爵位の者に対しては特に目をかけてやるという事もしていなかった。

 そんな事は貴族社会ではよくある事だし、普通だ。

 どの貴族の女もかわりはしない。だから俺の婚約者だって、誰がなろうが変わらない。



 療養を終えた彼女が、学校へ登校したとルマスに聞いた。

 彼女がルマスに声をかけ、食堂の道を尋ねたらしい。まるで知らない者の様に接してきたと言った。

 俺はそれに首を捻った。彼女はルマスの事を知っているはずだ。ルマスは常に俺の傍にいるのだから。

 それともそれも、また彼女の俺の気を引くための策なのだろうか。

 その事も気になり、俺は食堂へと向かった。部屋を見回すと、やけに嬉しそうに食事を取る彼女の姿を見つけた。


「随分元気そうだな。私へのあてつけにあの様な事をしておいて、暢気に食事とはいいご身分だ」


 つい嫌味を言ってしまった。だが彼女はぽかんと口を開け、俺の事を確認するように「王子?」と聞いてきた。

 まさか俺の事を忘れたのか?あんなにしつこく付き纏っておいて。

 彼女はしばらく何かを考えたかと思ったら、俺に飯を食えなどと言ってきた。

 はあ?何を言っているんだお前は。

 どうせ無駄な策でも練っているんだろうと睨みつけたが、彼女は本当にわからないという顔をしていた。

 一体何なんだ。俺は怒りが収まらないままそこを後にした。



 俺達は休憩時間、たまに庭外れでお茶をする。

 集まるのは気心の知れた友人達だ。今日は他の連中は所用でいないが、普段は四人で集まっている。

 王子と言う立場上、人が多いところではくつろげないし、視線もわずらわしい。

 だからこの庭外れの静かな場所は、結構気に入っていた。

 そこに、リーランロッテが通りかかった。また駆けつけてくるのかとうんざりしたが、彼女は変な笑いをしただけで通り過ぎようとしていた。


「いつもの様に私にしつこくしないのか?」


 そう言ったら、


「しつこくされたいんですか?」


 と、面倒くさそうに返された。俺は眉根を寄せた。二階から身を投げ、俺への熱が冷めたかと思ったが、ルマスとの会話でそんな所ではない事がわかった。

 彼女は記憶が混乱しているという。だから、これまでの事を全く覚えていないと。

 確かに喋り方から所作まで、とても今までの彼女とは思えないほど酷くなっていた。

 とつとつと、何かを確認しながら喋る彼女は、どこか幼く見えた。


 ディーが彼女に会ったぜと言ってきた。彼は元々彼女には興味を示さなかったと記憶している。

 どこにでもいる貴族の女は、こいつには興味引かれるものはなかったんだろう。

 だが昨日会ったリーランロッテの事は、とても面白そうに話していた。

 彼女はディーの事も覚えていなかったらしい。俺の名前すら、覚えていなかったと言った。


 庭外れのテーブルについていると、彼女がまた通りがかった。どうやら日課としてこの道を歩いている様だ。

 すぐさまディーが手招きをする。彼女は首を傾げながらこちらへと来る。

 ディーがその手に口付けをすると、自分の手に食堂の匂いでもするのかとまた首を傾げた。

 そしてディーの口説き技を羨ましいと言い出した。俺は心底呆れた。男漁りでもするのかと。

 だが彼女は、女の子にそれをしたいと口にした。俺は思わず「は?」と口を挟んでしまった。

 彼女の話は意味がわからなかった。本当に頭が混乱しているのだろう。



 今日もいつもの様にディーがリーランロッテを手招きして呼びつける。

 彼女は文句を言わず、手招きされたらふらふらとこちらへと寄ってくる。

 そうしてディーにその腕をとられ、手の甲に口付けをされる。はじめは物好きめと呆れただけだった。

 だが最近、その行為にイラついている自分がいる。またそのイラついた心に、何でこんなに腹が立つのかと怒りが重ねられる。

 悟られないように、顔の表情は崩さないが。

 ただ彼女がディーの行為に対して、何の感情も持ち合わせていない事だけはわかり、これまた不思議なのだがそれに安堵している自分がいた。

 そしてその日、彼女はとんでもない行動に出た。


 いつもの様に意味不明な事を口走り、何故かそれにルマスが興味を示した。

 それが嬉しかったのか、説明すると言って傍に生えていた木に向かった。

 何をする気だといぶかしんだら、何とその木に登り始めたではないか。

 彼女は伯爵令嬢、貴族の娘だぞ。

 その光景に、俺以外の全員も驚愕していた。

 彼女は枝を折り、降りて戻ってきた。だが俺達の顔を見て何かを悟り、途端に身を小さくし詫びる様に頭を下げた。

 そして枝を手折った事を謝った。俺の言いたいことは、ルマスが言ってくれた。


 いつもディーが彼女を呼ぶが、今日は珍しくルマスが呼んだ。

 ルマスが彼女のために何かを作ってきたという事にも驚いたが、彼女がそれに大喜びし、ルマスに抱きついた事にも衝撃を受けた。

 なんというふしだらな女だ。お前は俺が好きだったのではなかったのか。

 理不尽な怒りに、俺は拳を握り締めた。ギリリと、肌の表面が悲鳴を上げる。

 彼女は飛び跳ねながら教室へと戻っていった。


 しばらく彼女は来なかった。ルマスの話では、机にかじりついてずっとパズルを解いているという。

 そこまで夢中になるのは何故なのだろう。やはりあの女の事は理解できない。

 何日か経つと、ディーが手寂しいと言い出した。美少年と変な呼び名をされているティーレも、それに同意していた。

 ルマスの表情は変わらないので、どう思っているかはわからない。

 ただルマスはいつも静かに情報をもたらす。

 俺も少し、おかしなことを口走る彼女がいないこの静かな空気に、たいくつさを感じていた。


 そしてある日、ルマスがリーランロッテの異常なまでのパズルへの執着を語った。

 どうやら登校して、食事以外机から離れずひたすらパズルに向き合っているという。

 その目には疲労が浮かび、止めた方がいいと口にした。

 すぐさまディーが席を立った。

 しばらくすると、ディーがパズルを持って戻って来た。さんざん文句を言われたという。

 少し遅れて彼女が、怒りを隠さず歩いてきた。

 久しぶりに見る彼女は、確かに顔色が悪かった。

 ディーが彼女の体調を注意すると、健康だと反論してきた。

 俺は目の下に隈があると指摘してやったが、彼女は日の半分以上寝れば治ると、またおかしな事を言った。

 そんな時間いつあるんだとディーが言えば、今から寝ますと言い出した。

 また俺達は変な声をだしてしまった。どうして毎回そんな突拍子もない事を言い出すのか。


 リーランロッテはきびすを返すと、宣言通り教室で寝だしてしまった。授業を受ける気はないらしい。

 ルマスに言われるまでもなく、俺は様子を見に来ていた。

 俺が教室に入ると、ざわめきが起こった。それはそうだろう、俺と彼女は渦中の人物だ。

 だが連中のくだらない醜聞などどうでもいい。

 机に腕をひき、気持ち良さそうに眠っている。ここは学び舎だぞ。俺は呆れた。

 そっとリーランロッテの背後に近付いた。背中になにやら張り紙がしてある。

 俺はそれを目にすると、盛大にため息が漏れた。

 本当に彼女は何なんだ。貴族の娘だろう。一体何度その言葉を思ったかわからない。


 彼女の体調が悪いからと、授業を休ませる事を教師に伝える。

 ルマスは既に彼女の家に迎えの連絡をしていた。俺は彼女を抱きかかえると、玄関口の椅子へと腰掛けた。

 彼女はまったく目覚める気配がない。たまにむにむにと口が動いて気持ち良さそうに寝ている。

 そんな顔に、小さく笑いが漏れた。

 彼女の迎えを待つ間、ずっとそうしていた。

 俺は一体何をしているんだろうか。わずらわしく思っていた彼女を、どうしてわざわざ抱きかかえて連れ出したのだろうか。

 迎えは呼んだのだから、そのまま机で寝かせておけばよかったのではないか。

 そうすれば迎えが同じ様に抱きかかえて運ぶのではないか。

 想像したら、それは何だか面白くないなと思った。

 それから迎えの馬車が来たので、中まで運んでやった。

 彼女の従者はしきりに頭を下げていた。本当に、俺は何をやっているんだ。



 翌日、リーランロッテが得意気な顔をして俺達の所に来た。

 目の隈が消えたから約束通りパズルを返せと言うのだ。俺は呆れた。

 あんなやり方で返してもらえると思っているのか。そもそも、約束などはなからしていない。

 反省してると言う彼女の顎を掴んで、その目を見たら泳いでいた。信用できない。

 必死に言い募る彼女に、すげなく断ると、涙をその瞳にためて俺達を睨んできた。

 そして震えながら覚えておいてくださいねと、まるで三下の様な捨て台詞を吐いて逃げていった。


「今の顔、ちょっとヤバかったな」


 ディーが笑いながらも、普段とは違う調子で言った。

 俺以外にも、同じ意見の奴がいるだろう事にため息をついた。



 あんな事を言っていたのに、今度はご機嫌な様子で来た。

 その理由は、彼女が連れている娘が原因だろう。

 同じ学年のファーランだと紹介された。ファーランは俺と会うのは二回目だと言ったが、記憶には浮かばなかった。

 リーランロッテが連れてきた貴族の娘は、しきりに俺に話しかけてきた。

 俺の成績を褒め、己の向上心を語った。政治の話にもやんわり掠め、この娘は話題が多岐に渡り豊富な様子だった。

 それに比べて、俺に語りかける娘にデレデレな顔して見つめるリーランロッテという女は、話題がなくなるとすぐに天気の話をしだす無能だ。

 俺は一体何回彼女から天気のよさを聞いたと思っている。晴れだろうが曇りだろうが、今日はいい天気ですね、それしか言わない。

 一度今日は曇りだが本当にいい天気なのかと聞いてやった事がある。そうしたら、


「雨が降るか振らないかを、傘を差さずに歩いてチキンレースができるからいい天気です」


 と自信ありげに言った。チキンレースとは何だと聞いたら、根性試しみたいなものですと言った。

 彼女のいう事はさっぱりわからない。


 それからリーランロッテはファーランという娘を頻繁に連れて来ていた。

 ファーランという娘は、会話が上手く、ディーやティーレの話にそつなくよく出来た回答、つまりまあ差し障りのない返事を完璧にこなしていた。

 そこにとんでもない返事をリーランロッテがすると、驚いた顔をして彼女を見ていた。

 だがリーランロッテがそれに気付き、恥ずかしそうに縮こまると、優しく笑いかけていた。

 リーランロッテはその笑顔に、たまらないという様にとろけた顔をした。

 俺は腹の底に、何か重たいものを感じた。



 リーランロッテが連れてきた娘は、一人で、もしくは別の娘を連れて来るようになった。

 同じ級の友人達だという。そいつらは、顔を赤くしてきゃあきゃあはしゃいでいた。

 うるさい。俺はつい口に出しそうになった。だが、この娘達はリーランロッテの友人になるのかもしれない。

 あいつはいつも一人で、寂しそうに友達が出来ないとこぼしていた。別に同情なんかしないが、あえて邪魔する気もない。

 俺はテーブルに肘を立て、手を組むと額にあてた。そんな俺の代わりに、ディーやティーレが相手をしてくれた。


 リーランロッテは来ないのに、何故か他の娘達が来るようになった。

 必ず引き連れてくるのは、ファーランとかいう娘だ。リーランロッテはどうしたのだ、一度そう尋ねたが、都合が合わなくて……と俯いただけだった。



 またリーランロッテでない娘達が騒ぎに来ていた。ルマスが、俺の肩に触れ、その目である方向を指した。

 遠く垣根の向こうに、ゆらゆらと水色がかった銀の髪が揺れていた。

 あいつは何をやっているのだ。俺は眉を潜めた。

 ルマスが気配を断って近付いた。なにやら会話し、リーランロッテは消えていった。

 戻ってきたルマスが、どうやらこの目の前にいる娘達の様子見をしていたと耳打ちした。

 それに何の意味があるのか。ついルマスに聞き返すと、彼女達の笑う姿が見れて嬉しい、そう言っていたと答えが返ってきた。


 あの女はやはり馬鹿で無能だ。その笑顔が見たいのならば、ここに来て間に座ったらいいのではないか。

 ルマスもそう言ったが、断られたと言った。


 俺は疲れて、この無駄な茶番を終わらせた。


「ここは私達の個人的な空間でね、できればもうそっとしといてくれ」


 できるだけきつい言い方にならないよう、譲歩したつもりだ。

 リーランロッテの友人は、わかりましたと言いながら顔を抑えて走り去った。


 翌日、ディーがリーランロッテの手を引っ張って連れてきた。繋がった手に、若干何か込みあがるものがあったが、引き摺られる様にして見せた彼女の姿に、どうでもよくなった。

 リーランロッテはそわそわして座ったが、ここにいる面子がいつもの人間だとわかって落ち着いたようだった。

 ティーレが入れたお茶に口をつけ、お礼とばかりに彼の頭をなでている。ディーが俺も撫でろといえば、行儀悪くも椅子に乗って頭を撫でた。

 俺の心はざわついた。そんな所に、彼女は湧き上がる俺の怒りに止めを刺した。


 俺がファーランとかいう娘にふられ、また手を出して泣かしたのかと言うのだ。

 ふざけるな、何故俺が何の興味もない娘にそんな事をしなければならないのか。

 そしてそれを、どうしてお前がその口で言うのか。

 リーランロッテが泣きそうな顔で俺を見上げた。目に涙を浮かべても、俺の溜飲は下がらない。

 そこにルマスが助け舟を出した。事彼女に関しては、甘くなる。

 リーランロッテの友人と、そのまた友人達を追い出した事を驚き、その疑問を瞳に浮かべて俺を見つめた。


「……わずらわしいのは嫌いだ」


 呟くと、リーランロッテはわからないと顔に浮かべていたが、何も言わず黙っていた。



 今日は何故かリーランロッテが将来の話を聞きたがった。

 珍しくまともな話題だ。

 王子は何になるんですか?と尋ねられた時は、本気でこいつの頭を心配した。

 他にやりたい事を聞かれたが、そんな事は考えた事もない。

 だがもし何か別に希望が生まれたら、協力すると笑った。そんな気は微塵もないつもりだが、それは俺の心を少し軽くした。


 リーランロッテは、自分はどうなるのだろうと言った。ディーが、貴族の娘の行く末を説明する。

 じゃあ自分はどこかに嫁に出されるのか、とうな垂れた。

 俺達はそれに対して、一つの言葉を持っていたのだと思う。そしてそれを実行できるだけの力もあると。

 だが互いに牽制しあう形で、誰の口からも紡がれる事はなかった。

 この通り、彼女は貴族の淑女としてはどうしようもなく使い物にならない。

 その家名と繋がりが欲しいだけの者になら十分かもしれないが、あの伯爵家の当主が汚点になるともしれない娘を引き渡すだろうか。

 何だかんだ言っているようだが、愛情はあるように見える。


 もし、そういった話が起こり彼女が望まない婚姻を結ばされそうならば、俺はそれを断ち切り伯爵から彼女を貰い受けるつもりだ。伯爵家が望む以上の条件を付けて。

 いや、例え望んだ結婚だとしても、許せそうにはなかった。


 まただ、俺は一体何を考えているんだ。いつの間に彼女は、俺の中で存在が大きくなったんだ。

 ただのわずらわしい、そこらにいる貴族の娘だったはずなのに。


 俺は自分の中の不可解な気持ちと対峙する事ができず、ため息をついていた。

 そんな時に、ルマスが更に不可解な問題を持ってきた。


「平民になろうとしている?」


 ルマスが居眠りするリーランロッテの覚え書きの書き写しをテーブルに広げた。

 そこには、食料、お菓子、ぬいぐるみ、ハンカチにレジャーシートなど、彼女にとって必要な物が書き込まれていた。


「……遠足ではなくて?」


 ティーレの言葉に、全員が頷きそうになった。


「ファーラン嬢にも平民の生活を細かく聞いていたそうです。それで存外、自分には合っている様だと」

「そこまで思いつめてる様には見えなかったけどなあ」


 ルマスの報告に、ディーが頭をガシガシと掻いた。

 確かに、政略結婚の話をしていたときは嫌そうな顔をしていたが、結局父親が自分を家から出さないかもしれないと、笑っていたはずだ。

 俺は書き写しをじっくりと眺めた。


「だが決行日や町に降りた際に必要でありそうな金の事も書かれてはいるな。このネカフェとやらは何なんだ」

「決行日は翌々週の休日ですか。あれ?翌々週の休日って……」


 ティーレが横から覗き込み、決行日の確認をする。俺もその言葉に、はたと気付く。

 その日は、長期休暇のはじまりだからだ。


「本当に、遠足じゃないんだな?」


 俺はルマスにいぶかしげな目をぶつけた。



 ルマスの報告通り、リーランロッテはその日大きな鞄を持って家を出たと報告された。

 想定どおり、組合の馬車乗り場で彼女を見つけた。計画をちゃんと詰めていないのか、そこからどうしようと思案する様子が伺える。

 無計画でする事か……。俺は心底呆れた。このまま彼女を俺の馬車に連れ込み、別荘へと走らせる予定だ。


 彼女の家には許可を貰っている。当主からは、娘の粗相にどうか寛大な処置をと何度も頭を下げられた。彼の心労を察するに同情しざるをえない。

 御者に彼女の荷物を運び入れるよう指示する。横にいるにもかかわらず、彼女は何を妄想しているのかぼんやりして気付かない。

 我に返り、鞄がない事に気付くと慌てて見回している。愚かだが、少しかわいいと思ってしまった。くそっ。


 だがそんな生ぬるい感情に身を浸していたのも束の間、何と彼女は泥棒と勘違いし待てと叫びながら、御者の背を追いかけ飛び込んできたのだ。

 勇ましいとか勇敢などとは思わない、無謀だ。本当に泥棒だったらどうするつもりなのだ。

 馬車の中、うつ伏せで呻くリーランロッテを、ため息と共に助け起こした。


 説明を始める前に、馬車が動き出した。まあ、道中ゆっくり説明してやろう。そう考えていたら、彼女が走る馬車のドアに飛びついた。

 危ないではないか!俺は背後から彼女の両腕を掴み、そのまま抱え込んだ。

 椅子に座らせようと思ったが、腕の中におさまる彼女の熱と香りに、離す所かますます腕に力が入った。

 苦しそうなうめき声が、腕の中から漏れた。大人しくするから離してくれと涙声が響く。俺はそこで正気に戻り、彼女を解放した。



 別荘へつくと、リーランロッテは口をあけて屋敷を見上げていた。

 確かにお前の家よりはでかいかもしれないが、そこまで驚くことか?本当に謎な女だ。


 長く馬車に揺られ疲れているだろうから、食事を部屋に届けるよう使用人に伝えた。

 古くからの執事が、素敵なお嬢様ですねと意味ありげな微笑を向けてきたので咳払いでごまかした。


 俺も色々と気疲れしたので今日は湯船でゆっくりしたらすぐに寝よう。

 湯に浸かると、馬車の疲れが一気に抜けていくような感じがした。リーランロッテはいつ動くのだろうか。

 流石に今夜はないだろうな?いくら治安はいいとはいえ、夜中に女が一人で町へ行くなど酔狂だ。

 だがあの女の行動は予測ができない。そう考えていると、ノックが響いた。執事かと思い、返事をすると何とリーランロッテだった。

 ドア一枚隔てた向こうに、裸の男がいるという事がどういう事かわからないでもあるまい。俺は怒りに任せ彼女に小言を言った。

 さあわかったらさっさと部屋に戻れと言おうとしたら、学校での生活を語りだした。いぶかしんでいると、


「結局ちゃんと友達はできなかったけど、皆さんとのお茶は楽しかったです。ここにも、連れて来てくれてありがとうございました」


 まるで別れの挨拶の様ではないか。俺は無造作に体を拭うと、バスローブを羽織りドアを開けた。

 彼女は部屋に戻ろうとしている所だった。何だそれは。何故そんな事を言うのだ。

 溢れ出しそうな感情を押さえ、静かにそれを問えば、お礼を言う機会がないかもしれないからと答えた。

 何故ないのかと問えば、彼女は口を噤んだ。


 俺は彼女を抱きしめていた。馬車の際のぬくもりが再び腕に蘇る。

 暴れる気配は感じないが、王子?と声をかけられ、離してと言われる事が怖くて更に力を込めた。

 背伸びして、腕を必死に伸ばそうとしていたのに気付いた。そして、頭を子供の様に撫でられた。

 どれくらいそうしていたのか。彼女がじっとしているのをいい事に、長く拘束してしまった。

 とにかく、彼女の行動を制限しなければ。夜の町の危険を説き、部屋に戻らせた。

 彼女は素直に頷いた。俺もいい子だと頷いた。この必要以上に熱くなった体を冷まさなければ、俺は湯船へ戻った。



 翌日、あいつは姿を消した。ルマスに後を追わせているから大丈夫だとは思うが、何をしでかすかわからない一抹の不安はあった。

 夜になり、ルマスが戻って来た。安全を確認しほっとする。だが案の定、不逞な輩に絡まれたらしい。

 すぐに連れ戻せと命じたが、ルマスは三日間だけ彼女の自由にさせてはと口にした。

 その計画の無駄を知り、さんざん試せば諦めもつくでしょうと。

 確かに連れ戻して、またすぐに飛び出していかれてはたまらない。俺はそれを了承した。

 どちらにしろ、町へはもうルマスが手を回しているのでリーランロッテの望む成果は得られない。


 ルマスは表情一つ動かさなかったが、その心うちは窺い知れた。

 ルマスのその行動に対して、俺はどうしたいのかすらわからなかった。

 執事にリーランロッテは三日間町で過ごすことを伝えた。

 四日目の朝には戻ってくるだろうから、その様にせよと命じた。


 その次のルマスの報告では、リーランロッテは仕事が見つからず意気消沈してるとの事だった。

 だが諦めず、また明日頑張る気でいるとも語った。いい加減早く諦めろ。俺はため息を吐いた。

 ルマスが部屋を出ると、メイドが入れた茶を一気にあおる。

 ルマスと二人で、今日は何をしたのか。胸にもやついたものが覆う。

 メイドが新たにお茶を注ぐ。カップに手を伸ばすと、その指に何かが触れた。

 メイドが俺の指に手を重ねていた。眉をひそめてその顔を見やると、メイドは申し訳ありませんと手を引っ込めた。



 あの女はまだ諦めていないらしい。数を撃てば当るとでも言うように、目に入る店目に入る店特攻しているという。

 一体その気力と不屈の精神はどこから来るのか。

 メイドが茶を入れる。昨日俺の手に触れたメイドだ。俺をじっと見つめ、蟲惑的に唇を歪める。

 夜会でよく貴族の女がするやつだ。俺にはただ不気味なものとしか映らない。

 王家の使用人全てを把握しているわけではなかったが、見覚えがなかったので俺の知らないうちにこの別荘に入ったのだろう。

 執事の事は信用しているので、これ以上このメイドが干渉してくるならこのメイドの対処はあいつに任せよう。


 また次も訪れた店全てから断られたものの、諦めてはいないと報告を受けた。

 だが宿の更新もできない以上、八方塞となる。まさか野宿など考えていないだろうなと不安になったが、あの女の考える事は予想がつかない。

 ルマスも同様の考えで、明日は彼女を連れ戻すと言った。

 メイドが茶を入れながら、リーランロッテ様がお帰りになるのですねと聞いてきた。

 そうだと答えると、お迎えの準備をさせて頂きますと笑った。



 あの女が戻ってくる日。たった三日が、とても長く感じた。

 ディーとティーレも到着し、俺の部屋にいる。リーランロッテの事情を話すと、彼女らしい行動力だと苦笑した。


 珍しく顔に焦りを浮かべ、ルマスが部屋へ飛び込んできた。

 リーランロッテが浚われたと、苦しそうに言葉を吐いた。

 今すぐ捜索に向かおうとすると、ルマスが居場所ならわかると言った。

 どうやら彼女に持たせたパズルの魔力で、追跡ができる様だ。ルマス曰くあのパズルの魔力は自分のものなので、それが可能だと。


 一呼吸置いた事で、少し冷静になれた。俺は執事を呼び、領主に急ぎ使いを送れと命じた。

 何か御座いましたか?と聞かれ、あの女が浚われた事を伝えた。執事は真っ青になったが、御意と礼をとった。

 屋敷の者にはいかがいたしましょうと言うので、言わなくていいと伝えた。

 必ずすぐに取り返す。無駄に混乱を招く必要は無い。


 ルマスとディーを捜索に向かわせ、俺は領主を待った。共に待つティールがいつもの様に茶を入れる。

 領主を待つ間、こんなに不安と恐怖に押し潰されそうな時間は無かった。

 あのメイドが入ってくる。領主が到着したら、人払いをしなければならないな。

 メイドはティールをちらりと見ると、長旅お疲れでしょう、あちらの部屋に菓子などをご用意してございますと言った。

 ティールはこんな時に……、と呟いたが、俺は普通にしてろと耳打ちした。ティールは頷いて部屋を出て行った。


 メイドは出て行く事もなく、俺の傍へと寄って来た。なんだ?と眉をひそめると、メイドは胸元をはだけ、俺にしなだれかかって来た。

 その豊満な胸を押し付け、スカートに浮く太ももを摺り寄せてくる。

 俺はうんざりした。ただでさえ今は余裕がないというのに、家に仕える者にまでわずらわせられるのか。


 メイドは貴方をお慰めしたいと熱い吐息で囁いた。俺は必要ないと答えた。引き剥がそうとすると、


「ご心配でしょう、その胸の不安をどうかわたくしめにお慰みさせてくださいませ。わたくしもあのご令嬢の無事を祈っております」


 俺はメイドの両肩を掴んだ。何を勘違いしたのか、嬉しそうな嬌声を上げた。

 だがそれには構わず、俺は問いかけた。


「……無事を?」


 メイドは悲しそうな表情を作ると、勿論ですわと答えた。


「誘拐などされ、今どれ程の恐怖にその身を震わせているのかと思うと、わたくしの心も張り裂けそうです」


 そこに執事が戻って来た。執事は俺に身を寄せるメイドに驚いた顔をすると、「私の教育が行き届かず、大変ご無礼を」と頭を下げた。

 執事を近くに呼び、ティールを伴いこの女の部屋を調べろと耳打ちした。

 執事は頷くとすぐに部屋を出て行った。顔を背けていたメイドは、また二人きりになった部屋で熱い眼差しを浮かべた。


 ティールが慌てた様子で部屋に来る。メイドはまたかと、不満そうな顔を隠そうともせず横を向いた。

 ティールは青い顔で、俺に見た事を耳打ちした。


 使用人から、領主の到着が伝えられた。衛兵を二人連れ、部屋に通せと伝える。

 領主は衛兵を伴い部屋に入る。長くなりそうな口上を止め、衛兵にメイドを捕らえさせた。

 メイドは悲鳴をあげ、何かの間違いだと訴えたが、執事がずたずたに引き裂かれたリーランロッテのドレスを持って現れた瞬間、青ざめて言葉を失った。

 メイドの部屋からは、他にもナイフと少量の毒薬が見つかった。尋問に、リーランロッテを浚った盗賊から買い取ったと口にした。

 彼女が無事ここへと戻ったら、殺すつもりだったとうな垂れながら呟いた。

 今はリーランロッテの無事の確認が先だ。必要な事をいくつか聞き出すと、余罪は追って聞く事にして連れていかせた。

 メイドは顔を上げ、自分がどんなに俺を慕っているかを叫んだ。この体を好きにしていいと喚き立てた。


 入れ替わるようにしてルマス達が戻って来た。居場所の見当がついたという。

 ルマスとディーに衛兵を引き連れ、急ぎ向かわせた。頼む、無事でいてくれ。もし何かあったとしても、変な気は起こさないでくれ。

 お前がどんな姿になっても、どんな辛い事がその身に起きても、俺はお前を。


 領主とティールと共に、ルマス達の後を追った。

 向かう先で戦闘のはじまった音がする。ルマス達の腕は確かだ、心配はないだろう。

 それよりもリーランロッテはどうしているか。


 俺達が着くと既に片がついていた。腰を抜かしている太った男は人買いだと言う。

 この場で殺してやりたい衝動を押さえ、転がる盗賊達を見回す。

 遥か昔、ここが戦地だったなごりの小さな防御陣の建物から、ディーがリーランロッテの手を引いて顔を出した。

 一見無事な様だが、どこか怪我をしていないだろうか。

 彼女は取り囲む衛兵達を見ると、まるでここが観光地かの様にはしゃいで見えた。

 人の気も知らずに何と暢気なものか。だが彼女を睨む事ができず、ただひたすらに安堵した。


 帰るのに俺の馬へと乗せると、あろうことか馬の背をまたぎ出した。

 質素な衣服のスカートが、大きく捲り上げられる。俺はそのあらわになった白い肌に眩暈を感じたが、すぐさま横に座らせた。

 本当にこんな時まで考えもつかない行動をする。ため息が尽きない。だが、彼女がこの腕に戻ってきたと、ようやく実感した。


 部屋へ戻り、ようやく落ち着く事ができる。執事はメイドの管理不届きで、ルマスはリーランロッテの誘拐でうな垂れていた。

 リーランロッテはそんな二人に、全く状況を理解せず気軽に慰めていた。

 こいつは自分の身に起こった事を理解していないのか。理解していながら、その態度なのか。

 だがこいつなら、理解したとしても、気にするなと言うのだろう。笑いながら、無事なんだからと。


「此の度の不祥事、全て私の責任です。どんな処罰もうけます」


 ルマスが俺に跪いた。リーランロッテは驚き、必死に庇う発言を言い募った。

 俺の至らなさが招いた事態だ、どうしてルマスを処罰できよう。

 ルマスはそれでも納得がいかない様だった。こいつは必要以上に自分に厳しい。

 彼女に聞こえない様、跪く男に耳打ちをした。


「無事戻っていれば、メイドは彼女を殺す気だった」


 ルマスの肩が一瞬揺れたのがわかった。少し考える時間があり、ようやく納得し気持ちを収めてくれた。

 俺が愚かにもメイドの凶行に気付かず、リーランロッテを失う可能性は高かった。

 あのメイドは、素知らぬ顔をして初日からリーランロッテの部屋に出入りしていたのだから。


 皮肉にも、誘拐されたから彼女の身は安全だったのだ。だが一歩間違えれば、彼女の心に消えない傷がつく可能性もあった。

 俺はゾッとした。あいつを失う可能性に。あいつの心からの笑顔がなくなる可能性に。

 気付くとあいつを抱きしめ、思いの丈をぶつけていた。


「こんな思いはたくさんだ。リーランロッテ、私の妻となれ」


 リーランロッテは驚き、王妃としての努めなど自分には無理だと慌てた。

 そんなもの、お前が手に入らない事に比べたら些細な事だ。


「申し訳ありません殿下、私も彼女に関しては例え貴方でもお譲りする事はできません」

「俺もルマスと同意見だ。悪いが、俺だって渡す気はないぜ。もう、他の女には見向きも出来ねえ」

「僕だって、貴女をお慕いしています!」


 だがルマス、ディー、ティーレが俺に続けとばかりに口々に告白をする。

 不敬罪で処罰してやるかと、私情まるだしな頭で考える。

 それぞれに腕をとられる彼女に、俺は怒りと共に口を開いた。


「こんなに男共を誘惑するとは、なんと言う男たらしなんだお前は!」


 固唾を呑んで見守っていた古くからの執事が、満足そうに頷いていた。



 結局リーランロッテへの告白合戦は一時休戦となり、しばらくは前と変わらない日常生活を送る事になった。

 リーランロッテが学生生活もまだ満足に送れていないのにと、泣きながら訴えたからだ。

 いつもの庭外れのテーブルで、今日もあいつが通るのを待つ。

 休戦協定を結んでいるとはいえ、いつどこで抜け駆けをされるかわからない。

 俺はこれからどうやって、卒業までにあいつを落とそうか考えていた。


 リーランロッテが暢気に歩いてくる。途中で止まり、空を仰いでいる。

 何をぼーっとしているんだあいつは。

 早く来いと声をかける。

 ぼんやりした顔が、こちらを向く。

 リーランロッテ、覚悟していろよ?

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