7話 決闘開始
「…はッ、そうかよ…!!」
タケミカヅチは目にも止まらぬ速さで駆け出し、その拳に電気を纏う。
間合いを詰め、一気に終わらせるつもりだった。
懐に入れて最大出力の電撃を喰らわせればいくらなんでも倒れるだろう、そう高を括っていた。
それに対しクロスは微かに目を細める。
その表情の変化をタケミカヅチは見逃さない。
何かが来る、そう思ったと同時に今引けば追撃のチャンスはないと判断した。
「腰に下げてる得物はお下がりか!」
「そうだな、ならば抜かせてみたまえ」
「な、っ…?」
何を…、と口に出す前にタケミカヅチの目の前からクロスが消えた。
瞬間移動だと?
瞬きの一つしかしていないのにいなくなるなんて、そんな技できるヤツがいるはずない。
タケミカヅチは拳に電気を纏ったまま周りを見渡す。
「上だ」
はっとして上空を見上げれば、竜の翼を生やしたクロスの姿が確認できた。
タケミカヅチは、その姿に目を奪われる。
竜の翼など生まれてこの方見たことがない。
それこそ神話の話だ。
まさか、こいつは…いや、そんな、あり得ない。
タケミカヅチの自問自答は止まらない。
神話の生物など、あり得るわけがない。
だがそれよりも、圧倒的強者であると認めた瞬間から身体の奥底から熱が高まるのを感じた。
「君の一撃は重たいだろうからな、避けることにする」
「言ってくれるじゃねえか…益々、気になるぜアンタ」
タケミカヅチは短く笑うと、上空にいるクロスに向け手をかざす。
上空に逃げようとも、彼に攻撃手段がなくなったわけじゃない。
「なら、撃ち落としてやる!」
電撃が空を裂き凄まじい音をたててクロスを狙う。
対してクロスはタケミカヅチと同じように手をかざした。
「ほほう、中々の威力だな。ならば私も対抗しよう!」
クロスの腕からは青白い電撃が放たれる。
無駄がなく際限まで練り上げられたその電撃にタケミカヅチはぎょっとして数歩後ずさった。
両者の電撃が中心でぶつかるが、このままではすぐにタケミカヅチが押し負けてしまうだろう。
タケミカヅチはそれを悟るとすぐに電撃の放出をやめ横に転がり青白い電撃を避ける。
「この俺が力負けした…?!」
分が悪い、と呟いて体勢を立て直す。
タケミカヅチの電撃は自慢の一つであり、クロスが言った通り威力が高い。
理由は保有する魔力の質が良いのと、電撃との相性が良かったからだ。
しかしそれは“一般の常識”で比べたらの話。
魔神であるクロスの前ではその威力すら簡単に凌駕される。
タケミカヅチは手に汗がじっとりと浮かぶのがわかった。
…それは恐怖からではない。
彼はただただ強者との闘いに歓喜していたのだった。
だからせめて少しでも痛手を負わせたい。
電撃が届かないとわかった今、対等に闘えるのは恐らく接近戦だろう。
魔術を得意とする者たちのほとんどは接近戦が苦手だ。
タケミカヅチはもともと肉弾戦を好むことから、逆に魔術の力負けは当たり前であるとも言える。
「降りてきたらどうだ!ずりーぞ!」
恥など考えず今はただ勝つ可能性を考慮した一言。
子供みたいに地団駄を踏むタケミカヅチにクロスは首をかしげた。
「ふむ、そうか。君がそういうのならそうしよう」
静かに地面に降り立つ姿をタケミカヅチはどこかで聞いたことがある気がした。
そして、徐々に確信を得てしまう。
その確信をあり得ない、まさか、と振り払ってクロスを睨み付ける。
「ぜってぇ一泡吹かせてやる。いいから剣を抜け!」
「…面白い。その意気や良し」
スラリと抜いたレイピアを顔先で構える。
レイピアを握っていない手は腰の後ろに充てられており、無駄がないその立ち姿は美しい。
思わず見惚れそうになるがタケミカヅチは頭を振って集中する。
「…では、その意気に敬意を示す。本気で行かせてもらおう」
雰囲気が変わった。
身体全身に張り巡らせていた電気がビリビリと何かを感じている。
タケミカヅチは、まさか失敗したかと汗を垂らす。
本当は、こいつは接近戦が得意なのか?
今までのはすべてブラフか?
いや、説明がつかない事象が多すぎる。
どれが正解で、どこの土俵で闘うべきなのかがわからなくなった。
とりあえず今は距離を取らねば、と後ろに飛躍し…そして、タケミカヅチは高を括ったことを後悔することになる。
クロスの翼がはためいたかと思うと、その瞬間に姿が消えた。
先ほどと同じだ、だがあまりにも速過ぎる。
ほんの数秒、いや数秒すら満たない時間でレイピアの先がタケミカヅチの眼前に現れた。
「うっ…!?」
タケミカヅチは顔を横に逃がすことで串刺しは免れたが、刃先はその頬を掠め血を流す。
「避けるか。弟子というのは伊達ではないな」
速い。
圧倒的な速さだ。
呆けてはいられない、自分を叱咤し剣を抜く。
恐らくタケミカヅチの電気による身体強化でも追いつかない速さだろう。
一瞬、本当に勝てるのか?とその考えが頭を過る。
…というかコイツ、今弟子って言わなかったか?
眉を顰め口を開こうとしたところ、追撃がそれを許さない。
避けるので精一杯だ、なんとか対処できてはいるが手を抜かれているのではないかと疑ってしまう。
レイピアの先を剣で受けつつも後退していく。
「クソッ、やられてばっかりじゃねえぞ!」
そう叫ぶとタケミカヅチの全身にバチバチと大きな音を立てて電気が帯び始める。
クロスはそれを見ると少し驚き、距離を取ろうとする。
タケミカヅチはそれを逃がすまいと、駆け出す姿勢を取るや否や、土埃をその場に残し姿が消えたように見えた。
クロスは楽しそうに笑うとまるで狙われている部分がわかっていたかのようにタケミカヅチの剣をレイピアの付け根で受け止めた。
電気による身体強化、それはスサノオが使っていた技術と同じものだった。
確かに音速を超える速さは驚異的だ。
だがそれはクロスが目視できる速さだった。
「…受け止めんのかよ」
それが素直な感想だった。
冷や汗が頬を伝うがそれでも攻撃の手は止められない。
「ならこれでどうだ!」
タケミカヅチの剣に電気が集約され、黄金に輝く。
さすがにクロスも、あれは受けきれないと眉をひそめた。
受け止めればレイピアごと焼き切れてしまうだろう。
ならどうするか?
いや、そろそろ終わりにしよう。
クロスは、剣を振り下ろそうとするタケミカヅチの腹に蹴りを入れた。
「ぎっ…」
そのまま吹っ飛び、跳ねるように地面を転がる。
途中で体勢を立て直して受け身を取ったがタケミカヅチは膝を折る。
ただの蹴りなのだ、それなのにここまで吹っ飛んだことに恐怖する。
だがまだ生きている。
生きているなら闘える。
よろよろと立ち上がり今もなお闘志に燃え睨み付けるタケミカヅチに、クロスは内心称賛を送っていた。
十分だ、彼は私に必要だ。
「恨むな、君が必要なのだ」
何か言っているようだが小さすぎてタケミカヅチには届かなかった。
クロスはしゃがみこむと地面に手の平をつけた。
タケミカヅチは何をしているか疑問に思いつつも、今こそ好機!と、そう思い拳に電気を纏わせ、もはやボロボロの身体で駆け出す。一撃でも強者に喰らわせたい、ただその一心で。
「我に従い全てを応えよ、“大地を穿て”!」
直後、大地が大きく揺れた。
クロスの魔力がタケミカヅチの目にも見えるほど濃くなっていく。
本能が逃げろと警報を鳴らすが、タケミカヅチは恐怖を闘志で抑え込む。
いや、もはや逃げたところで意味をなさないと思ったのかもしれない。
あと数歩、それでヤツの顔面に拳を食らわせれる!
―ピシッ。
だが、それは叶わなかった。
クロスが手のひらを置いた地面に亀裂が走り、そこを軸に一直線に地面が割れたのだ。
「な、なんだ?!」
あまりの出来事にタケミカヅチは思わず立ち止まってしまった。
こんなもの…こんな魔術は見たことがない。
無茶苦茶だ、そんな力を持つ種族は一つしかいない。
「魔神…いや、そんなまさか!」
ずっとあり得ないと否定し続け目を逸らしていた。
認めてしまったら、絶対に勝てないと絶望してしまうから。
けれど認めざるを得ない。
あの圧倒的な魔力量、そして見たこともない魔術。
身体能力も、あの角も、竜の翼も…。
全て、師匠から聞かされたおとぎ話に間違いなかった。
凄まじいスピードで割れていく地面に呆気にとられ、タケミカヅチは足元から崩れ落ちていく。
下を見れば、どこまでも続く奈落に思えた。
…本当だったんだな、師匠。
あの奈落の谷を魔神が創ったってのは…。
このまま落ちて、死ぬのだろうか。
その重力に身を委ねながら、ぼんやりと空を見上げた。
タケミカヅチがその死を受け入れようと目を閉じるが―。
「閉じろ」
クロスが地面から手を放すと同じ速度で地面が元通りに閉じていく。
タケミカヅチの体が地面に挟まれたままではあるが。
「勝負あったな」
「…あ?」
薄目を開けると、目の前には満面の笑みを浮かべるクロスの姿が映った。
挟み潰すでもなく、奈落に落とすでもなく自分を生かしていることにタケミカヅチは困惑した。
そしてこの決闘の冒頭を思い出す。
『私の仲間にならないか?』
「…あ」
「手を掴め、引き揚げよう」
言われた通り差しのべられた手を掴むと、クロスは片手だけでいとも簡単にタケミカヅチを引き揚げる。
引き揚げている方とは反対の手を軽く地面につけると、タケミカヅチを挟んで開いてた亀裂が元通りに閉じていく。
タケミカヅチは未だ目の前の事実が信じられないといった面持ちで、元通りになった地面を見つめていた。
「…よし!これで我らは正式に仲間となったな!」
先ほどの圧倒的な気配とは打って変わり、欣喜した様子でタケミカヅチに近寄るクロス。
「仕方ねえよ、…約束だからな。男に二言はねえ。だが…、お前は本当に何者なんだ?それは教えてくれるんだろう?」
対して、顰め面で渋々と頷くタケミカヅチは未だ胡乱げな目をクロスに向けていた。
クロスはその視線を受け、瞼を数回瞬きさせると「ああ!」と声をだし手を打つ。
「すまない、喜びのあまり忘れていた。では、自己紹介させて頂こう」
そう言うとクロスは、その場で優雅に一礼してみせると満面の笑みを湛えて口を開く。
「私は最古の種族、魔神の生き残りだ。名をクロス・アーチドという。タケミカヅチ殿の呼びやすいように呼んでもらって構わんぞ」
「……ま、じん…。魔神って、やっぱよぉ…、あの…魔神か?」
タケミカヅチは、予想していたもののやはり真正面からこうもはっきり言われても、信じがたい事実と言うものは脳が拒絶するのだなと思った。
そんな状態の脳みそで辛うじて動かすことができたのは、乾ききった唇だけだった。
「うむ?魔神という種族はこの世界において一種族しかいないであろうから、その魔神で間違いないと思うが…」
なにか気分を害してしまっただろうか?と眉尻を下げて申し訳なさそうに見つめてくるクロスに、タケミカヅチはその視線を避けるように少しだけ身体をのけぞった
魔神…。
昔、高度な文明を持っていたが大勢の人喰者に殺戮の限りを尽くされたとして不名誉な伝説となった最古の種族。
しかし、その強大な力に憧れた者も少なくないだろう
かく言うタケミカヅチも、そのうちの一人であった。
タケミカヅチは伝説ともいえる存在と相見えたことに全身が打ち震えていた。
想像を超える力だったが、…いや、まだ未知数だ。
本気と言っていたが殺す気じゃないことは明確である。
ならば、あれはまだ序の口なのではないか…?
途方もない力量の差を前に思考できなくなり、タケミカヅチの心に唯一残ったのは、伝説とされた魔神と拳を交わしたことができたという心願成就のごとき昂揚感だった。
未だ硬直したまま口を開閉しているタケミカヅチに対して、クロスは先ほどの表情を保ちつつ首をかしげながら言葉をつづけた。
「手荒い交渉ではあったが、君は一筋縄では行かないだろうと思っていてな…。勿論、私の見立ては当たっていたようだったから…卑怯だと憤慨しているのかね?」
徐々に申し訳ないというよりは、幼い少年が親に叱咤されているような表情になっていき、エルフのように長い耳まで心なしか垂れているように見えた。
タケミカヅチは慌てて元の調子を取り戻そうと声を絞り出す。
「そ、そんなことねえよ!…その、魔神なんてモンは伝説上の種族だと思ってたからな。存在すら疑っていた種族が目の前に現れたら誰だってびっくりするだろ」
「そういうものだろうか?」
「そういうもんだよ」
「では、あの決闘に不満があったわけではないということだな?」
「あ、ああ。むしろ光栄っつーか…」
「では!正式に私の仲間となってくれるということだな!?」
「仲間…」
そういえばそうだった、と思い出したようにハッとする。
師匠と生き別れてからは、誰と群れることもなく一人きりだったタケミカヅチ。
言葉に出してみれば、意外とストンと胸の内に落ちるものだ。
「…ああ、いいぜ。俺がアンタの背、預かってやる」
その言葉にクロスは、どこか安心した様に満面の笑みを見せたのだった。
おしごとがいそがしかったです。すみません。生きてます。