3話 雷神(1)
スサノオは慌てて開いていた口を閉じ、頭を下げる。
最古の種族、最後の生き残りだからだ。
それも王太子ときた。
「これは、失礼致した。王太子でしたとは。しかし、噂に聞いた通りのご容姿だ」
「止めてくれ、私が王子であった事実は先程も述べた通りもはや過去。あのまま砕けて接してくれた方がこちらとしても助かる…が。その『噂通り』というのは?」
クロスがそう答えるとスサノオは頷き、それならばと出会った時のような調子で話し始める。
膝を立て珍しいものを見るように目を細めてクロスを見た。
「ああ、たまに来るヤツらもどうやら風の噂で聞いたらしいさね。なにやら見たことも無い奴がいる、魔神ではないかってね。最初は頭がおかしくなったんじゃないかと思っていたが、あんたさんのその美しい漆黒の双角と闇に輝く銀髪、加えてその身体の大きさ。肉食獣人でもない限り、それほど背が高くなることはまずあるまいさ…だが」
まさかその噂が真実だとはね、そう締めくくりまたくすりと笑った。
しかし反対に、クロスの顔色は優れない。
クロスはここに到達する今まで、理性ある者に会った試しはないからだ。
食料は獣を狩ったり道中の崩れた家から拝借し、水は比較的綺麗な水源から濾過するか最悪の場合は水系魔術で凌いでいた。
そこには確かに理性ある者の気配はしなかった。
何故断言できるか?
それはクロスが些細な気配であれど気が付かないわけがないからだ。
ではその噂は一体何者から発生したものなのか。
…だがクロスは、今は考える事ではないと頭を軽く振りスサノオに対し曖昧にほほ笑んだ。
「そうか、私も有名だな」
冗談っぽくクロスが笑った後、すぐに話を続ける。
「…話に戻るのだが、私は駆け引きが得意ではない。単刀直入に問おう。」
クロスは改めてスサノオに手を差し出す。
今度はスサノオが少し首を傾げて見せる。
「私の仲間となって、共に人喰者に立ち向かってはくれまいか」
「断る」
スサノオは即答し、興味がなさそうに大あくびをした。
クロスは面食らうこともなく、予想していたかのように小さく頷く。
「ならば仕方がないな。だが、いつでも考え直してくれて構わない」
「なんだい、あんた潔いんだな」
「血を流すかもしれないのだ、無理強いはできまい」
何かを思い出すようにそれきりクロスは口を閉ざし、目を細めて小さくなった炎を見つめている。
スサノオはその様子をしばらく眺め、小さくため息をついた。
「昔、儂が拾った喧嘩好きの馬鹿弟子がいたんだ。…人喰者に襲われて守るためにその弟子をどこかへ逃がしたが、さて、そいつは今どこにいるかね。生きてりゃ成人だ。」
「それは本当か?!」
クロスはその話を聞き、まるで少年のように目を輝かせて顔を上げた。
スサノオはその様子に少し面食らいながら頷く。
「あ、ああ…」
「スサノオ殿の弟子とあればさぞ強者であろう!…して、その弟子殿は生きていればどこに居るか心当たりはあるか?」
大げさに喜んだと思ったら、今度は淡く期待するように少し上目遣いでスサノオを見つめる。
スサノオが弟子の居場所を知らない可能性があるとクロスが理解しているからだ。
ころころと変わるクロスの表情に、スサノオは少し面白そうに片眉を吊り上げてから少し考えるように俯いた。
少しの間のあと、顔を上げるとそこにはいたずらっぽい笑みを浮かべているスサノオがいる。
クロスはその様子を怪しそうに少し眉を顰め、次の言葉を待つ。
「あんたさんに、喧嘩を申し込もう」
「…喧嘩?私はスサノオ殿と諍いを起こしたような覚えはないのだが…」
するとスサノオは何がおかしいのか肩を震わせ笑った。
それにクロスは、いったい何がおかしいのかとより一層眉を顰めて首を傾げる。
「あっはっは、違う違う。儂の言う喧嘩ってのは、単純に殴り合いってことさ。育ちの良いあんたさんに向けて言うなら、手合わせってとこさね。喧嘩好きの弟子とさっきは言ったが、儂が喧嘩を嫌いだとは一言も言ってないからね」
ああ!とクロスは手を打ち、眉を顰めるのをやめた。
変わって少しうれしそうに笑みを浮かべて頷くと、理解したと言うように立ち上がる。
「今から始めるか?」
「ふふ。それでもいいが、あんたさん眠らなくていいのかい?」
同じように立ち上がり軽くジャンプするスサノオを見て、クロスは首を振った。
そして小さい笑い声を漏らし、剣を抜く。
「よい。寝る前の運動とすることにしよう」
「はははっ、さすが余裕だね。まあ、儂も勝てるとは思っていないが強者と戦いたくなるのは性でね。手加減せず頼むよ」
スサノオは足を少し開き、右手を平にして前に出す。
格闘家の構えだ。
クロスはその構えを見て目を細め、弟とよく体術稽古をしていたことを思い出していた。
弟の名はライラ。
自分よりも体術が得意なライラを尊敬し、負けぬようにと努力しいつか彼と肩を並べたいと思っていた。
しかしライラはクロスが青年になった頃、誰に何も言わずに故郷を出て行った。
その明確な理由は分からないが、クロスはライラから語られたことがあった。
俺は兄貴と比べ、何もかもが劣っているのが堪らなく遣る瀬無い、と。
確かに、魔神の中で特異ともいえるほどライラには魔術の才がなかった。
代わりに武術が飛び抜けて優秀だったのだが…、ライラはそれを知らなかったのだろうか。
思うところがあったクロスは、いなくなったライラに悲しみは覚えど探そうとはしなかった。
彼が自由であることを望むのなら、それは自分が止めるものではないと思ったからだ。
そして月日がたち、あの戦が―…。
そこで考えることを止め、頭をふる。
少しの間ではあったが、スサノオはクロスの準備が整うのを待ってくれていたようだ。
クロスは申し訳なさそうに軽く頭を下げ、構え直す。
「すまない、少し呆けていたようだ」
「いいさ、あんたさんは慈悲深そうだしさ。儂の我儘に付き合ってくれてうれしいよ」
スサノオは見当違いをしているようだったが、クロスは曖昧に笑って肯定した。
思い出に浸るのは独りの時でよい、そう内心つぶやきレイピアのグリップを握りなおす。
「しかし手加減無用として、こちらは武器を持っているが…私も拳で交えたほうがよいか?」
「不要さ。これもひとえに修行、身体の錆を落す様なものさ」
「そうか、では…始めるとしよう」
クロスは目を閉じてレイピアを己の顔前に立て、左手を後ろの腰に回し戦闘態勢を取った。
スサノオはより一層奥の脚をじりりと開き姿勢を低くする。
「では、クロス殿。いざ尋常に」
「勝負!」
二人の声が、静かな夜の森に響き渡った。