2話 最古の生き残り
クロスはボロボロになった地図を眺め、現在地を確認する。
「ふむ、このまま進めばオオミタマ誠国に入れそうだが…まあ、地形が変わっていないことを祈ろう」
地図を丁寧にたたみ、腰に下げたポーチへしまう。
その顔はどこかウキウキとしていて、嬉しそうだった。
「あそこはまだ汚染度が低いはずだからな、きっと協力してくれる者もいるはずだ」
しばらく歩くと、岩と砂ばかりだった荒野に色が見え始める。
ちらほら、若い色をした芝生と木々が生えている。
相変わらずほの暗く朱色に染まってはいるが、先ほどと比べればまだマシなほうだった。
さらに進むと、そこには広大な森が広がっていた。
だがその様子に覇気はなく、むしろ禍々しさだけを切り取った薄気味悪さを感じさせる。
木々は葉をつけど、その色は枯れたような灰褐色。
森に足を踏み入れると、景色がより一層暗さを増し、気づいたときには真っ暗になっていた。
「む、少し夢中になりすぎたか」
暗視を持っていてもさすがに片目では見えづらいな、と呟くとポーチと反対側にぶら下げていたランタンを手に取った。
その小窓を開いて、中央の灯心に指先を向ける。
「灯れ」
クロスが言葉を発すると、灯心に小さな火がついた。
小窓を閉め、少し高く持ち上げると周りが先ほどより明るくなる。
クロスは満足したように頷いた。
「陽は登らずとも月は訪れる…か」
さらにクロスは、ポーチの近くにぶら下げていたレイピアを抜き、近くの木を切りつけた。
迷わないよう、印をつけたのだ。
それを繰り返しある程度歩いたところで少し開けた場所に出る。
するとクロスは、周辺に落ちている枯れ枝を集め始めた。
集めた枝を積み上げ、中央に手のひらをかざす。
「燃えろ」
ボッ、と勢いよく積み上げた枝に炎が立ち上がり、焚き木が完成した。
焚き木近くの切り株に腰を下ろし、ポーチからビワに似た手のひらサイズ程ある果物を取り出す。
皮を剥くと、その皮は燃料にするためか焚き木に向かって放り投げた。
クロスは剥き出しになった果実を齧り頬張りながら、焚き木の中で燃える果実の皮を見つめている。
「そろそろ食料が底をつくな。森の中だ、明日にでも果実や山菜…あわよくば獣を狩りたいところだ」
それにしても独りになると話し相手が私だけになって仕方ない、とクロスは皮肉そうに小さく笑う。
そのとき、かすかに目の前の草むらが揺れた音をクロスは見逃さなかった。
「何者だ」
身構えることもせず堂々と、音のした方向を目を細めて見つめるクロス。
果実を食べ終え、その種を吐き出してからもう一度問う。
「何者だ。人喰者ならば容赦はせんぞ」
人喰者、と口にした途端クロスの目つきは鋭いものとなった。
さらに立ち上がり、草むらに向けて手の平を向け臨戦態勢をとる。
すると、草むらが大きく揺れ、何者かの足がぬっと現れた。
その足は人のそれではなく、虎の足に似ていた。
「まあ落ち着きなさいな、敵意はない。あんたさんが何者なのか、こちらも伺っていたところよ」
そう声に出した何者かが完全に姿を現すと、その者は肩をすくめて両手を上げ敵意がないことを示した。
その腕は人の腕ではなく、足と同じく虎模様に毛が生え、五本の指には黒く鋭い爪が伸びている。
額には爪と同じ色の黒い真っ直ぐ生えた一角をこさえており、美しい金色の長髪を後ろで纏めていた。
その髪色と同じ色の瞳であるが白目とされる部分は黒く、左頬にはなにやら虎に似た模様が描かれているようだ。
森の中では不釣り合いな真っ白な着物に赤い肌着、鉄製であろう胸当てが着物の合わせから覗いていた。
「こちらからしたら、あんたさんのほうが侵入者だけどねえ」
悪びれる様子もなく、あげていた両手を下げくすくすと笑った。
しかしその切れ長い瞳はクロスを捉えて離さない。
その様子を見て、クロスも手を下げ安堵したように頷いた。
彼からは血の匂いがしない。
「失礼した。どうやらこちらの早とちりだったようだ」
「なるほど、常識は持ち合わせているみたいだね。では自己紹介しよう。」
軽く頭を下げて謝罪するクロスを見て、虎の腕を持つ者も笑顔で頷いた。
一歩前に出ると、彼はその虎の手をクロスに向けて出した。
どうやら握手を求めているようだ。
クロスはその手を迷わず取り、握手し返す。
「儂の名前はスサノオ。なぁに、ただこの辺に住み着いている老人さね」
「私はクロス・アーチドと言う。貴殿の領域に無断で立ち入った事を謝罪しよう。住んでいる者がいることを知らなかったとはいえ、申し訳ない。どうか許してほしい」
クロスが改めて謝罪をすると、スサノオはまたくすくすと笑った。
どうやらスサノオはクロスに対して警戒することはしなくなったようだ。
「ふふ、冗談さね。住んでいるというより、住み着いているのさ。家らしい家もない、洞穴が住処さ」
「貴殿ほどの者が、家もないとは信じ難いが…。しかし、常識ある者に出会えたのはこれ幸い。私の話を少し聞いてはくれないだろうか?」
「ああもちろん、ここらは何もなくて暇なのさ」
スサノオは地面に胡座をかき豪快に座ると、自分の足に肘をおき頬杖をついた。
クロスは座っていた切り株に腰を下ろす。
「それで、話ってのはいったい何だい」
「まず問いたい。スサノオ殿は"人喰者"をご存知か?」
「ああ、さっきも口走っていたね。勿論知っているさ、この世界をこんなにした元凶ともね。で、知ってたらなんだってんだい?あんたさん、さっきは復讐したいって眼をしてたけど」
スサノオは目を細めてクロスの出方を伺う。
対するクロスは目を伏せ軽く息を吐く。
そして間を置いてから、スサノオを見る。
「私は魔神最後の生き残り、ゴアレド王国が次期王位継承者、王子クロス・アーチドと言う。まあ、今や我が故郷は滅ぼされ王子だの、魔神だのは過去の栄光だがな」
言い切り肩を竦めて皮肉そうに笑うクロスを見て、スサノオは初めて笑顔を驚愕で崩す。
目を見開き、開いた口が塞がらないと言ったところだ。
当たり前である。
一方クロスは、そんなスサノオの様子を見て不思議そうに首を傾げていた。