14話 休息
「ク……ロス…クロス…、目を覚まして…」
鈴のように凛とした声が聞こえ、クロは目を覚ます。
瞬きさえも困難な眩しさに目がくらんだ。
「ぅ…」
小さく呻きながらゆっくり体を起こそうとするが、軽く抑制される。
後頭部に柔らかな感触が伝わり、ぼやけた視界が青空を捉えた。
「あお…いろ……?」
「ふふ…どうしたの?私の可愛い子…」
聞きなじみのある、それでいてひどく懐かしい声が頭上から聞こえる。
それと同時に声の主がクロの顔に影を落とした。
クロは、その人物を数秒見つめて、驚いたように眼を見開く。
「…か…さま…?」
視界の中に、今は亡き母の姿があったからだ。
どこも傷ついていない、生前の美しい母を見て、思わずクロは目の縁に涙を浮かべる。
「お寝坊さん…さあ、目を覚まして…」
美しい母がそう言って微笑むと、徐々に視界が歪んでいく。
それは涙のせいなのか、それとも。
クロは薄れゆく視界と意識に小さく抵抗した。
この続きをまだ見ていたい、まだ母を感じていたい…もう一度母の頬にすり寄って、甘えたい…。
だが、クロはその願いが叶わないことをどこかで理解していた。
やがて諦めたように目を閉じ、せめて声だけでも最後まで、と耳を澄ます。
「ほら…貴方のお友達が、待っているでしょう…?」
返事をしようと口を開けるが、うまく声が出せなかった。
そうだ、誰かが自分を待っていたような…。
しかし思考にモヤがかかったように思い出せない。
(だけど、母様が言うのならそうなのだろう…。私を待っているのだから、早く行ってやらなければ…)
小さくうなずくと、細く温かい女性の手がクロの額を撫でた。
撫でられるたびにモヤがかった思考だけがクリアになっていく。
こんな夢を、前にも見たような…そして、もうこれっきりなような気がした。
「私の可愛い坊や…あまり過去に、囚われないで…」
瞬間、眩い白い光に包まれクロはその懐かしい記憶を手放したー。
「……ロ…!クロ!おい、大丈夫かよ?」
激しく揺さぶられながらクロは目を覚ます。
何だかとても温かく懐かしい、それでいて今は思い出したくないような夢を見ていた気がする。
軽く痛む額を抑えて起き上がった。
「う…すまない、私は…どれくらい眠っていたのだ……?」
「よかった、喋れる余裕はあるんだな。かなりうなされてたから思わず起こしちまった、すまねえ」
タケはほっと胸をなで下ろし、あぐらをかく。
そのまま膝に肘をつき、顎を手のひらで支えながら目線を上にしながら答えた。
「1日半ってとこかな。でも助かったぜ、お前のおかげで五体満足に居られてる」
にしし、と笑うタケにクロは何も言わずに安堵した笑みで返す。
頭痛は止んだが、体が重くだるい。
響く声に辺りを見回すと、焚き火に照らされて土や根っこが混ざった岩肌が見えた。
どうやら安全は確保出来ているらしい。
さすがタケだ、とクロは小さく頷く。
声を出すのも億劫だが、現状を確認しなければならない。
そう思い口を開けるが、遮るようにタケが語り出した。
「クロ、これで分かったはずだ。俺は足手まといだってな。お前が俺のどこを評価してんのかは知らねえが、この先こうやってお前の足枷になる時が何度も来る」
タケは優しい声音で、しかしまくし立てる様に言葉を続けた。
その表情は諦めにも後悔にも、悲しみにも見える。
「そのたんびに俺は、お前を守れなかったことだとか役に立てなかったことを後悔し続けるだろう。俺が居なければ解決できたことを、お前のせいにしたくないんだよ。だからやっぱり俺は—…」
「やめろ」
ぴしゃり。
その一言で水を打ったように鎮まる。
毛穴は逆立ち、背筋には凍った汗が通る様だった。
彼は、静かに怒っているのだ。
「私は、私の力を証明したいから君を引き入れたと?」
なにもかもを要約したように彼が言う。
その声は呵責のようで、だがどこか悲憤が含まれている。
「いや、そういう意味じゃ……」
タケ的には要領を得ない言葉に目を白黒とさせ言い訳しようとする。
こんなねじ曲がった伝わり方をするとは思わなかったのだ。
「そうか?私には君が君を侮辱しているようにしか聞こえないが」
「俺が俺を……?」
クロは訝しげにこちらを見るタケの様子に、思わず溜息を吐いた。
そして、やれやれ…と呟いてから言葉を続ける。
「何も分かっていないんだな。君は、もっと欲張りで高潔な人物だとみていたがね」
「欲張りは良いとして、こ、高潔って…」
タケは突然の賞賛に頬を赤らめながら、複雑な表情をする。
対照的にクロは唇をとがらせ、拗ねたようにそっぽを向いた。
「……何も私は間違っていないぞ。君は勇敢で、常に高みを目指している。その真っ直ぐな強欲さは、紛れもない高潔を持っているのだぞ」
腕を組み、ふくれっ面をしつつも饒舌に語るクロ。
タケは慣れない賞賛の連続に顔を真っ赤にした。
「だっ……お前ってやつは、本当に…!」
恥ずかしさに、思わず拳を握って立ち上がる。
ぷるぷると体が震えるさまを見て気を良くしたのか、クロはさらに続けた。
「私の目に狂いは無いぞ?私は世間に疎いからな、この先何度も君の経験に助けられる時が来ると確信しているのだがなぁ」
打って変わり子供が悪戯を企むようにニヤニヤと笑うクロに、今度はタケが諦めたように深いため息を吐いた。
「分かった分かった、俺が悪かったよ。降参だ」
そう言いつつ両手を挙げて肩をすくめてみせる。
おどけた表情からは、先程のような弱々しい雰囲気はもう見られなかった。
「それに、漢にゃ二言は無ぇもんな」
タケは鼻を鳴らしながら腕を組む。
そして目を伏せ、少し考え込んでから眉を下げて笑った。
「……天下の魔神サマがぶっ倒れて驚いただけだ、そういう事にしておいてくれよ」
「ははは、そうしよう。これで仲直りだな」
嬉しそうに笑うクロに、タケはまた軽くため息を吐いた。
敵わないなと笑って、ほっとしたようにー…。
◇ ◇ ◇
その後、二人が一息ついた頃には既に辺りは暗くなっていた。
クロの身体には未だ若干だるさが残っていたが、今夜しっかりと寝ることが出来れば明日には動けるくらいには回復しそうだ。
クロは食事の最中にタケに起こっていた状況や、解決方法について説明した。
タケが過剰魔力症状であったことや禁術を使用したこと、なんとかここまでたどり着いた経緯…。
眉を複雑に顰め、あんぐりと口をあけながら聞いていたタケは、話を最後まで聞くと頭を抱えて深くため息を吐いた。
「そんで、満身創痍の中ここまで運んできた…と。次元が違いすぎて話の壮大さが分からねえぜ」
「だが、禁術を使ったのはあれが初めてだ。話は聞いていたのだが、あんなにも苦しい魔術だったとはな…。反動も大きいし、あまり使いたくは無いな」
クロはそう言うと苦笑を浮かべる。
その様子を伺いつつ、タケは火に炙った干し肉を1口齧った。
未だに重荷になっているのではという想いが捨てきれ無いままではあるが、それを吹っ切ろうとするかのように干し肉を飲み込む。
「大丈夫だ!俺は2度もヘマはしねえさ。安心しな」
「私ももう少し慎重にならなければな。どうしても己の物差しで行動してしまう」
「ははっ、そうだろうさ。箱入り王子サマだったんだろ?だからこの旅は、お前にとって驚きの連続になるだろうな」
にしし、とからかうように笑った。
クロはぐうの音も出ないという様子で申し訳なさそうに俯きながら、タケと同じように干し肉を炙った。
タケは、食べ終えて残った枝を焚き火に放ると、自身の腕を枕に寝転ぶ。
その拍子に、ズキリと背中に鈍痛が走る。
「いっ…」
「む、どうした?」
「んや、なんかな…」
諸肌を脱いで背中を見せる。
そこには何ヶ所か、赤く爛れた跡があった。
よくよく見てみれば、顔にも薄く火傷の跡が残っている。
タケは慌ててポーチから軟膏を取り出しながら近寄った。
「すまない、色々あって失念していた…いま薬を塗るからな」
「ちょっと確かめるだけだったのによ…」
呆れ顔でため息をついたが、満更でもないようにされるがまま処置を受ける。
少し沁みるが塗った個所から痛みが安らいでいくのが感じられた。
(こんなになるくらい俺の雷は強くなれる…ってことか?)
ぼんやりとそこまで考えて、我に返り咄嗟にクロの腕をつかんだ。
「あっ、顔はいい!そこまでじゃねぇ」
「そ、そうか?」
無言で顔に塗ろうとしているクロを慌てて止め、急いで着物を着直す。
クロは未だ心配そうに見ているが、不満げに軟膏をポーチにしまった。
そのまま、ポーチや皮袋の道具を点検しながら口を開く。
「火傷を心配しておいて申し訳ないのだが…お互いに、体調に問題がないのなら明日から動きたいと考えている」
「あぁ、俺は問題ないぜ。お前は本当に大丈夫なのか?」
「私も君のおかげで問題はない。ならば、明日はこの辺に行ってみないだろうか?」
言われタケがクロに近寄ると、そこには地図が広げられていた。
指で示した場所には“三尾山”と書かれている。
聞いた事のない地名にタケは大きく首を傾げた。
「知らねぇなあ。どんなところなんだ?」
「うむ。ここは三尾山といい、人狐族の住処が1つだ」
「1つ…ってぇと、何ヶ所かあるのか」
「ああ。彼らは個としての生活を好むため、広く分布しているのだ。主に一尾山、二尾山、三尾山の3箇所でよく見かけたな」
「へぇ。そん中でも、なんで三尾山に?」
「三尾山にはいちばん強い者が里を治める風習があるようだ。やはりまずはその土地のリーダーに挨拶するのが筋だろう?」
ふふ、と楽しげに笑うクロをみて何かを察したタケは、やれやれと肩を竦めた。
正論を言っているが、実際は力比べを期待してるのだろう。
平和主義者に見えて、実際は血気盛んな青年と言うことなのだ。
こうした旅が、目的はどうあれ彼にとっては冒険であることも、そうした刺激のひとつとなっているのかもしれない。
「先が思いやられるぜ……ま、俺も人の事言えねぇけど」
「ん?なんの話だ?」
「こっちの話だ、気にすんな」
タケはきょとんとしているクロに対して手をひらつかせ話を終わらせると、先を続けろと言わんばかりに顎をしゃくった。
「うむ。そして、彼らは魔術とはまた違う特殊な技を使うのだ。私はそれが欲しい」
にやり、と不敵な笑みを浮かべながら、顔の前で力強く掴み取る動作をする。
タケは、こいつもこう言う顔をするのかと内心思いつつも顔には出さない。
(割と似た者同士かもな…)
タケは、楽しそうに語るクロをみてうすぼんやりとそんなことを思った。
「あ、いや……勿論、無理強いはせんぞ?」
黙って聞いていたタケに対し思うところがあったのか、慌てて手のひらを見せると激しく左右に振る。
その様子はまるで、悪巧みがバレて言い訳する子供のようだった。
それが可笑しくてタケは小さく笑う。
「わぁーってるって。その特殊な技っつーのは、お前でもできねぇのか?」
「ならよいのだが…」
ほっとしたように力を抜くと、話を続けた。
「うむ、彼ら人狐族は神通力と言う…簡単に言えば、第六感的な力を使うのだ。それは過酷な修行をこなす事でしか得られない力と聞いている。そしてそれは、門外不出であるともな」
「ふーん?それって魔術より強いのか?」
うーむ、とクロは眉をひそめて首を傾げた。
「私も実際に見るのは初めてになるだろうから、あまり確定的な事は言えないのだが…。話によると、遥か遠い場所の些細な音や心の声を聞き取れたり、翼を得ることなく空を歩く、更には未来を見通すことも出来る……らしいぞ」
「うっさんくせぇなぁ。本当かよ?」
顰め面をするタケにクロは苦笑をこぼしながら、話を続ける。
「それを確かめるためにも、な。本当ならばこれほど心強いこともあるまい。だが…」
「だが、なんだよ?」
困ったような、それでいて嬉しそうな…そんなむずがゆい小さい笑みを浮かべてクロが笑った。
「彼らは……人狐族は、“魔神崇拝者”なのだよ」




