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闇殺しのフェイカー  作者: 見島けんぴ
4/4

暗躍する密謀

人々が寝静まった頃。中央区に多く居を構える数々の豪邸は、数十分前まで溢れんばかりの照明の光を窓から溢れさせていたが、段々と灯りは消えていって今は街を照らす光は道端に佇む街灯だけ。

数々の豪邸の中でも、屈指の広大さを誇るとある大豪邸の門前に、人影がうごめいていた。

人影は闇夜の中でひときわ目立つ幻想的な光を身体に纏うと、地面を強く一蹴する。そして大豪邸の高さ三メートルほどもある外壁を軽々と越えてみせた。

着地と同時に身体を前方へと転がして衝撃を受け流すとともに物音を消す。

「侵入完了っと」

空から監視するように顔を覗かせる満月は、人影へと月光を落とす。

月光に照らされて黄金の髪を煌めかせる人影は、ポニーテールを揺らしながら迅速な動きで大豪邸の隣、敷地内に広がる森へと音を立てることなく駆ける。

「ラフィ、敷地内に入ったわ。これからレイフィールさんの元へ向かう」

森の木陰へと身を潜めた人影、リーシャは無線機越しにギルドの先輩であるラフィへと状況報告をしていた。

『こちらも潜入完了だ。気をつけてかかれ』

「りょーかいっ」

灰色の外套を羽織ったリーシャは、くいっ、とフードを目元を隠すように下ろして再び森の中を駆けていく。

木々の隙間を小動物でも通ったのかと錯覚させるような軽快な足取りで通り抜け、常に周囲に警戒の目を張り巡らせながらひたすら目的地へと走る。

豪邸の裏庭へと回り込むようにして森を走り抜けると、一本の木へと飛び乗り、夜風に殴られざわざわと音を立てる葉の隙間へと身を置いた。

リーシャはフードをずらして視界を広くすると、大豪邸を鋭い目で見渡していく。その様子は、グレーシア女学院に転校生として身を潜めていた無邪気な少女とは思えない。──まさに闇に生きる獣の姿だ。

「あれね」

大豪邸の三階、僅かに室内灯の漏れる一つの部屋を見上げて独り言を漏らすと、リーシャは風に紛れるように木から降りる。

そして、右掌を形の良い双丘そうきゅうへと持ってきて撫で下ろすと、深呼吸をして緊張を断ち切る。

今回の任務は絶対に成功で終わらせる。リーシャの胸には、誰にも口にしていない強い感情があった。

今までの任務で、リーシャは全てサポートとして援護をするという形で立ち回ってきた。

歳が一つしかたがわないラフィ。彼はつねに任務を最前線でこなし、その実績は誰もが認めるもの。尊敬はしている。だけど、──どうしてここまで自分との差があるのだろう?

いつしか生まれた疑問はリーシャの胸の中で段々と大きくなっていって、やがてリーシャは自分は無力なのか? と卑下するようになっていた。

──認められたい。──強くなって頼られたい。──ラフィにすごいって言わせてやりたい。

リーシャの強い承認欲求は彼女の胸を鐘のように打ち付ける。

そして、今回。リーシャはラフィと二人で任務に当たるように任されたのだ。ガレイはきっとラフィがいるから何とかなるだろうと思っている。

だけど、それじゃあダメだ。リーシャがいたから何とかなったと言わせてやりたいから。

今回の任務の担当を任された時、覚悟を決めた。

何としてでも、今回の任務はあたしも活躍して成功させてやる、と。

「見てなさいっ。やってやるんだから」

リーシャは懐からトランプを取り出すと、両手に持って扇状に広げる。

光がトランプを伝っていく。リーシャは灯りの漏れる窓の下まで駆けると、その部屋を見上げた。

窓は開けられており、夜風に吹かれてカーテンが踊っている。

高さは目測十メートル。──これならいける!

リーシャは大きく膝を曲げ、両手を頭上へと掲げる。そして膝へと力を込めると、バネが弾けたように膝を伸ばして地面に圧力をかけた。同時に、掲げた腕を思い切り振り下ろす。扇状に広げられたトランプが風を押し上げバネの勢いを上方向へと加速させる。

刹那の瞬間、地へと体重を預けていたリーシャの身体は、瞬間移動のように残像を残して、三階の一室の窓縁へと足を掛けていた。

「きゃっ⁉︎」

突然現れた人影に、鋭い悲鳴をあげて驚いた室内の人物が床へと腰を落とした。

リーシャはその様子を見て小さな笑いを漏らすと、外套のフードを取って白い歯を見せる。

「こんばんは? レイフィールさん」

床に尻餅をついたレイフィールは、ふぅ、と、安堵と呆れの混じったため息を漏らす。

「貴女でしたのね。そんな不気味な格好でいるんですもの、驚きましたわ」

よく見ると、レイフィールはかなり焦ったのだろう、その額に冷や汗を浮かべている。それに気付いたリーシャは可愛らしく舌を出して両の掌を合わせる。

「ごめんね? それよりレイフィールさん」

「な、なんですの?」

不意にポカンとした表情を浮かべるリーシャに、レイフィールは口内に溜まった唾液を喉に通しながら首を傾ける。

「貴族の女の子ってセクシーなネグリジュ着てるイメージ強いんだけど、レイフィールさんはそんな可愛いパジャマ着てるんだねっ」

レイフィールは、上下ウサギの描かれた小さな子供が寝巻きに使用するようなピンクのパジャマに身を包んでいた。大人びた雰囲気のレイフィールには似合わない。……ということ一切なく、美しさと可愛さの絶妙なマッチによって独特のキュートさを醸し出していた。

レイフィールは意識していなかったような素振りを見せ、自身の全身を慌てた様子で見回す。

「よっ……余計なお世話ですわ!」

何気なしに言ったリーシャの言葉にかなり動揺したレイフィールは、恥ずかしいのだろう、耳まで真っ赤にして絨毯をふみ鳴らすようにして憤慨ふんがいする。

「よっと」

窓縁から室内へと着地したリーシャはのこのこと無遠慮にレイフィールの部屋を歩くと、天蓋とカーテンのついた高級感を匂わせるベッドへとどこ吹く風で腰を下ろした。

「先に自己紹介、あたしはリーシャ」

「分かりましたわ。私はレイフィールと申しますわ」

「知ってる〜」

丁寧に自己紹介をしたにもかかわらず軽く受け流されたレイフィールは、顔を背けながら眉をぴくぴくと痙攣させる。

「それで、本題なんだけど」

リーシャの声のトーンが変わったことに気づいたレイフィールは、機嫌を直したのか否か、微妙な様子でリーシャに向き直った。

そして、レイフィールの前へと自身のふところから取り出した紙の束、トランプを差し出して無邪気な笑みを浮かべた。

「──とりあえず、遊ぼっか?」

「………………ふぇ……?」

夜風の入り込む豪邸の一室に、大貴族の令嬢から漏れたとは思えぬような間抜けな声が反響した。

そのセリフは、レイフィールの予想をはるかに通り越していて、物分かりの良い脳を持ってしても理解が追いつくことの出来ないものだった。




白い家具に染められた部屋。豪奢なシャンデリアが天井に設置されているにもかかわらず、部屋の中を照らすのは申し訳程度にぼんやりと揺らめくランタンの炎だけ。

ベッドで仰向けに大の字で寝そべる、薄い純白のシルクで作られたネグリジュに身を包んだ、子リスを連想させる愛らしい顔立ちの少女は、天蓋を見つめながら重たくなっていく瞼を、落とさないように必死にこらえていた。

刻限を刻む針は十二を通り越し、ラプラ=シュタリーゼへと猛烈な睡魔が襲いかかる。

ラプラは壁際に佇むからくり時計へと目をやる。

「ふゎぁ〜〜っ。もうこんな時間かぁ」

普段ラプラが眠りにつくのは九時過ぎごろ。彼女にとってこんな遅くまで起きていたなんてことは人生で初めてだ。

大きな欠伸あくびが口からこぼれると、潤んだ瞳を優しくこする。

ランタンの炎を見つめていると、逆に眠くなってしまう。間違いなく暗いと直ぐに夢の中へと落ちてしまう。だが、ランタンの炎の揺らめきは、ラプラを催眠術にかけるかのように夢の中へと誘い込む。

それを察したラプラはランタンから目を逸らし、ふかふかのベッドの上で大きく身を転がした。

「うぅー!ダメっ!寝ちゃダメ!」

自分に言い聞かせるように頬をつねると、ベッドから身を起こし、立ち上がろうとゆっくりと小さな足を白い毛皮の絨毯へと着地させる。

夜風にでも当たっていよう、そう考えたラプラはさっそく全開になっている窓へと歩き出そうとする。

──すると、

「失礼致します」

「ひゃあっ!」

突然窓から現れた、灰色の外套に身を包んだ男に驚き腰を抜かして、ラプラは素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げながら再びベッドへと後頭部からダイブした。

上質な布団がラプラの小さな身体を優しく受け止める。

「せ、先生……ですか?」

倒れ込んだ状態のまま首だけを動かしたラプラは、聞き覚えのある声だったが、念の為確認を取る。

「ええ。驚かせてしまった申し訳ありません」

「いえ、そんな。知っていて驚いたわたしが悪いですよ」

外套を羽織った男──ラフィは、フードを取ると片膝ついてラプラはと頭を下げた。

ラフィの格好や普通のギルドの人間とは違った雰囲気。ラプラはラフィへと聞きたいことが沢山あったが、大好きな従姉妹の姉様であるレイフィールの命がかかっているこの状況では一刻が惜しい。

ラフィはベッドへと近寄ると、ラプラの手を取って彼女を起こす。

「ラプラ様。早速なのですが、この家の各部屋の詳細を……」

「──あの!」

静かに言の葉を紡いでいたラフィの目をしっかりと見据えていたラプラは、自分の中で何かを決意したかのように眼光を宿すと、ラフィの言葉を遮った。

当然のことにラフィは難しそうに首を傾げる。そして、そのまま無言で続きを促す。

「えっと……っ。わたしも一緒に連れて行ってもらえないでしょうか?」

小さな少女の提案に、ラフィの表情は一瞬のこわばる。だが、再び冷静な面持ちになるとラプラの肩に腕に自分の手を乗せ、きっぱりと言った。

「だめです」

たったの一言、その中にこもった重圧感。普通の人なら肩でも震わせているだろうというプレッシャーをかけられ、ラプラは下を向く。

だが、再びラフィの瞳をしっかりと自分の瞳に映す。

「いやです!何が何でもわたし行きます。よく考えてくださいっ。わたしはこの家に詳しいですし口で伝えるよりも正確に先生に説明することができます。それにもしお父様やお母様、メイド達に見つかった時わたしが一緒にいれば言い訳もできますっ!」

しばらく見つめあって沈黙が続く。

そして、少女の根気強さについにはラフィが折れる。呆れ混じりのため息をこぼすと、頷いてみせる。

「しょうがないですね。そのかわりに、条件が一つあります」

「条件……ですか?」

どんな条件なんだろう? もしかして……あんなことやそんなことを……っっ⁉︎

ラプラの思考回路はどんどんおかしなルートを通って行く。完全に賢者モードに入りつつあるラプラは、顔から火を吹かせ、耳の先まで茹でタコ状態になっていた。

「──ラプラ様」

ぐるぐると目を回したラプラは、ラフィの声によって現実へと引き戻される。

「は、は、はぃぃっ⁉︎」

「一つ申し上げますと、私はそんな野蛮やばんな事など一切考えておりませんよ?」

目を見開いたラプラは、再び顔を真っ赤に染め上げた。

「なっ、なんでわたしの頭の中見えるんですかっ⁉︎」

発言の直後に、小さな掌で口をおおって遠回しに肯定してしまったことを後悔する。

ラフィは顎に手を添えると、目の前の思春期のお嬢様へとどう言い訳をしようかと悩んだものの、結局うまい言葉は見つからず正直に告げることにした。

「ラプラお嬢様の顔に書いてありましたから」

「ええええっ!うぅ〜〜恥ずかしいよぅ……」

両手で顔を覆い隠すラプラを見て、珍しくラフィはクスクスと笑い声を漏らした。

「先生笑わないでくださいっ」

ぽかぽかと擬音が出てきそうなくらいに弱い連続パンチがラフィの肩を襲う。

ラフィはラプラの頭に手を添えると、優しく微笑んで見せた。

「でも一つ良い収穫がありました。ラプラ様がムッツリスケベお嬢様だと判明したことです」

それを聞いたラプラは頬に空気を溜め込んで腕を組むと、ぷいっとラフィから顔を逸らした。

「先生なんか嫌いですっ!──それで、条件ってなんなんですかっ?」

そっぽを向いたまま、問いが投げかけられる。

「おんぶです」

少し理解が遅れたラプラは、数秒経ってラフィへと向き直った。

「えっとえっと、何でおんぶなんですか?」

「足音と気配を消すためです。もう一つ、私の身体能力なら誰かに見つかりそうになっても相手の死角を利用して逃げ切ることが出来ます」

すると、ラプラは目を輝かせて両手を組むと、自分よりもはるかに身長の高いラフィを見上げた。

「すごいっ!先生ってなんか暗殺者みたいですねっ」

一瞬沈黙が訪れ、冷たい夜風がラプラを撫でる。妙に冷たく感じ、ネグリジュから覗かせた腕が鳥肌を立てる。

そして、ラフィは何も応えることなく紳士の笑みを浮かべた。

「それでは、行きましょうか?くれぐれも大きな声は厳禁です」

「はいっ」

ラフィの微笑みに安心感を覚えたラプラには、ラフィの目が笑っていなかった、と気づくことはなかった。



「そこの廊下を真っ直ぐ行くとお父様たちの寝室の前を通ってしまいますっ」

ラフィにおぶられたラプラは、ラフィにしか聞こえぬような虫ので屋敷内の詳細を伝える。

ラプラとラフィは今、分家であるシルフォードの屋敷を徘徊していた。目的は一つ、今回の事件に関する手がかりを掴むため。

──確率が百パーセントとは断言することが出来ない

しかし、ラフィとリーシャ。暗殺者として生きてきた二人の感は確かに『怪しい』と告げていた。感だけで人を裁くことなど決して出来ない。ならば証拠を掴めばいい。

そこでこの任務に協力を申し出たのがラプラとレイフィールの二人だった。

もしかしたら今回の事件に家族が関わっているかもしれない。しかし、それを知ってなおの提案であった。

ラフィたちの侵入の手引きをする。それが今回のラプラとレイフィールに任された仕事だった。しかし、

「先生、あのー、重くないですか?」

「必要最低限の会話は控えてください。邪魔になります」

「うっ……」

頑固な申し出を押し切ったラプラはラフィ背に乗ってついて来ていた。

このおんぶ状態になってから数分が経つ。しばらくこの体勢だったため、ラプラはラフィを気にかけて声をかけるものの、きっぱりと切り捨てられてショックの表情を浮かべる。

足音一つ響かせることなく淡々と廊下を進んで行くラフィの道先を示すのは、僅かに窓からこぼれる月明かりだけ。

しばらくラプラの先導によって進んで行くと、ひとつの扉の前で足を止めた。

「ここは、わたしも中に入らせてもらえない部屋です」

「そうですか。少々悪い気もしますが、強引に入らせていただきます。どういったお部屋かは何か聞き及んでおられますか?」

「う〜ん、たしか書斎しょさいだったような……」

「そうですか」

そう言うと、ラフィは扉へと手を伸ばす。扉には錠のついた鍵がかかっていた。ラプラはラフィの大きな背で、どうやって入るのだろう? と眉をひそめて様子を伺っていた。

ラフィは外套の下に着込んだ服のポケットに手を突っ込み中をまさぐる。チャリンと金属のぶつかり合うような音が小さく反響する。

そして、一本の鋼線こうせんを手に取ると、慣れた手つきで錠の鍵穴へと突っ込んでみせた。

十秒も経たないうちに、ガチャリ、と音を立てながら鍵が開けられてしまう。

ラフィの背で黙って見守っていたラプラはその異業に思わず「あっ」と声を漏らしてしまう。

「先生って一体……」

「お気になさらず」

淡々と告げるラフィの後頭部を見つめながら、ラプラは疑問に感を覆い重ねる。

ラプラは脳内のどこかで薄々勘付いていた。先生の不思議な服装、珍しい技術、そして学院内で目にした覚醒者アウェイカーではない自分でも分かるほどの覚醒者アウェイカーとしての存在感、やっぱり……先生は『ただのギルドの人間ではない』。そんな気がしてならないのだ。決して悪い人とは思っていない。信用できる証明といえば……この大きな背中にくっついているだけでどこか安心感を覚えてしまう、そんな単純なものだ。

ラプラは段々とラフィにおんぶされたスタート位置から下がって行っていることに気がつき、若干体重を気にしつつも、ラフィの肩へと回した小さな腕に少しばかり力を込めてよじ登る。

「よいしょ……よいしょ。あ、先生ごめんなさい」

「いえ、大丈夫ですよ」

ラフィはそんなことに気にかけることもなく、金で造られた冷たいドアノブに手をかけると、静かに下に引いて物音のしないように扉を開いた。

開けられた扉の隙間から中の空気が溢れ、撫でるような優しい風とに乗って古い木の香りやインクの香りの混じった、どこか落ち着く匂いが鼻腔に届く。

扉を開けるとすぐ、身を隠すようにして部屋の中へと入り込むと、再び扉を閉じた。

実際部屋に入ってみると、落ち着く匂いだけではなく少々煙たいという印象があった。室内には明かりがなく、廊下と比べて月明かりだけを頼りに視界をハッキリと捉えるのは難しい。

ならば、と、ラフィは割れ物を扱うように優しくそっとラプラを床に降ろすと、次の瞬間、ラフィの全身を神秘的な淡い光が包み込んだ。

瞳孔が小さくなっていたラプラはそのラフィの眩しさに目を細めて思わず腕で視界を隠すと、ゆっくりと腕を下ろしてラフィへと目をやる。

「うわぁ……っ。自分をライトの代わりにするなんて、先生の発想は凄いですね」

「そうでしょうか? このくらいの事なら長年仕事をしてきた人ならすぐに思い浮かぶでしょう」

意味深なラフィの発言に気づく様子もなく、自分ならきっと灯りがなくて慌てているだろう、なんて思いつつラプラは苦笑を浮かべる。

ラフィはラプラへと向き直り、人差し指を立てて鼻へと持っていくと、一拍置いて静かにささやく。

「ラプラ様はしばらくの間大人しく待っていてください。声を上げたりしてはいけませんよ?」

どこか安心感を覚える低音の優しい囁きに、ラプラは従順な動物のようにコクコクと何度も頷く。

「よし」と言って身をひるがえしたラフィは、自身から溢れ出る灯りを頼りにさっそく部屋の探索を開始した。

段々と暗闇へと対応してきた瞳孔で、部屋を見渡してみる。壁際には、壁を覆い尽くすほどの大量の本棚がアンティークな雰囲気を漂わせていた。

そして、扉を入った正面には人が通れるか通れないか程のレースのカーテンの閉じられた小窓があり、その真下には作業用と思われる長テーブルが一つ、ポンと置かれていた。

ラフィはまずその机へと向かう。近づくにつれハッキリと様子の分かる机上。光に照らされた机上は、短くなった煙草の吸い殻と無造作に散らばられた大量の紙で埋め尽くされていた。

部屋が煙たいと感じた理由は煙草だ。机上に埃が被ってないということは、最近も使われたと予想がつく。

ラフィは軽く目を通しては次々と他の紙を手にとっていく。

「違う……これも違う……なかなか見つからんな」

しばらく一枚一枚と目を通していき、諦め混じりになっていくラフィは先のペースよりもかなり早く紙の山をまさぐっていく。

そして紙の山の中、一つだけ全く別のものを手に取った。

「これは、日記か?」

三センチほどの分厚さがある一冊の本。茶色がかったその本を開くと、この地では滅多に手に入らない高級なパピルス紙で作られていた。

ラフィは日記であるその本に、流れ作業のような手つきで次々とページをめくって素早く視線を通してゆく。

この日記はラプラの父のものだった。

「これもハズレかもしれないな」

日記の内容にラフィは苦言を漏らす。その内容は、紛れも無いただの日記だった。主に家族のことで、幼い頃のラプラの様子や成長過程まで感情を混ぜながら詳しく記されていた。

他人の日記を勝手に読み進めることにラフィは少しばかり罪悪感を覚えつつも、その手を止めない。

ページをめくろうとしたラフィは、気になる文章を目に留め、機械作業の様な手の動作を静止させた。

『×月 ××日』──割と最近のものだ。

『娘のラプラが中々覚醒しない。優秀な遺伝子を受け継ぐシルフォードの人間としては残念なものだ。しかし、可愛い我が娘のためにもどうか覚醒者アウェイカーになるための手を見つけてやりたいと思う』

ラフィは自身の思考回廊を探っていく。

非覚醒者を覚醒者にするための手……?そんな方法は自分の知りうる限り存在しない。

仮にあったとしてもそれはきっと禁忌に触れてしまうものだろう。

この国の最大の禁忌とされているもの……。それは、──人体実験である。

非覚醒者を覚醒者にする、力を手にするためにそれと似た様な実験をおこなったとあるギルドが過去にあった。それを知った政府はそのギルドメンバー全員の処分を命じその事実を隠蔽いんぺいした。

禁忌を犯した者たちの処分。──そこで、その任務を与えられたのが裏ギルドである暗夜死団ナイトリーパーだった。

その任務に参加していたラフィはその人体実験をおこなっていた施設を目の当たりにし、騒然とした。

なんの罪のない人間の死体の山。数々の人間を葬ってきたラフィでさえその光景には血の気が引いた。実験に使用された人たちへの同情と哀れみを糧に、ラフィはその非道を行ってきたギルドの人間を、皆殺しにしたのだった。そしてなによりラフィの心を締め付ける様に痛めつけた政府の命令……。それは──実験台にされていた人間も、その場で処分するということだったのだ。

過去の忌まわしい赤い記憶を鮮明に再生させたラフィは、そっとラプラへと視線を動かす。

──もし、もしも、禁忌に触れるようなことがこの少女の身をむしばんでいたら……きっとラフィは──

「あの〜先生どうかしましたか?お顔が少し怖いですよ……?」

ラプラの怯えるような瞳に、ラフィはハッとなる。しまった、と思いつつ顔を抑えてため息を吐く。

「ラプラ様。お父上に最近何かされたとかそういったことは身に覚えがありませんか?」

ラプラは天井を見つめて記憶をさかのぼる。しばらく考え込んで、首を横に振った。

「何もないですよ?ディナーを食べるときに少しお話しするくらいで、勉強も忙しいからわたしすぐに自分の部屋に行っちゃって、最近は家族とあんまりお話ししてないんです」

ラフィはほっと息を吐いて安堵を覚えつつ胸をなでおろす。

「左様ですか。つかぬ事をお聞きしました」

再び日記に視線を落としたラフィの背を見つめながら、どういった意味が込められた質問なのか分からぬままラプラ首を傾げた。

ラプラの様子に気づくこともなく、ラフィは再び淡々とページをめくっていく。

完全に日記へと見入った状態であるラフィは、ラプラの目から見ると見た目以上にグンと大人びて見える。

そして、ずっとラプラに背を見つめられていた青年は再び手を止める。

『ついに、非覚醒者を覚醒させることが出来るという人物が現れた。一か八か、私はこの提案に乗ってみることにする。かなり怪しい人物だったが、この機を逃したら次はないと思う。どうか、ラプラに祝福を』

──ギリッ。

すぅすぅという呼吸の音しかない静かな室内に、歯ぎしりの音が大きく響いた。

そして、ほぼ同間隔でページのめくる音が空気を伝い、数分後にラフィは静かに日記を閉じると机の上へと戻した。

身を翻したラフィと顔を合わせたラプラは、先と変わらぬ姿のラフィ──否、雰囲気だけが大きく変わったラフィの姿にゴクリと喉を鳴らした。

「えっと……先生……」

「──よく聞いてくださいラプラ様」

空気に耐えかねたラプラがどこか緊張の見て取れる様子で口を開くも、ラフィによって遮られる。

ラフィのその真摯しんしな声音におもわずラプラも口を閉じておし黙る。

「ラプラ様のお父上が今回の事件に関わっていること、それはほぼ確定でしょう」

「……っ⁉︎」

ラプラは思わず目を見開き、視線を落としてうつむく。手汗のにじむ手を何度も組んでは解いてと繰り返し、焦燥感を隠しきれない。

無理もない。いつも守ってくれる大切な従姉妹の命がかかっている事件、それに自分の家族が関係していると言われたのだから。

最初にラフィたちに言われた時は、ほとんど信じていなかった。無実──それを証明できれば、と思い提案に乗ったのだから。

いったい誰を信じたらいいのか? 誰を疑ったらいいのか?そして、──誰を恨んだら良いのか? ……力の無い自分? 事を起こした父? 命を狙われるレイフィール?

ラプラの脳内を巡る数々の因果は、頭の中で自分に関わる全ての人をむしばんでゆく。光だったものが闇に飲まれる感覚に、ラプラはひどい頭痛に襲われ……、

「そんな暗い顔をされては困ります」

ひどく優しいぬくもりが、頭を撫でた。

大きな掌の存在感、安心感を覚えるその手は、ラプラをとても暗い思考の底なし沼から引き上げてみせた。瞬間、不意に襲ってきた頭痛は最初からなかったように消えてゆく。

ラプラは目に涙を浮かべながらそのぬくもりの張本人、ラフィを見上げた。

「ラプラ様、お話は最後まで聞いてください? ──お父上の事ですが、関わっていることは間違いありません。しかし、どうやらお父上は利用されただけ、黒幕は他にいます」

ラフィの言葉に、ラプラは涙を振り落として笑顔を浮かべた。最初から父を疑っていた自分がバカだった、と。

そして、その黒幕という人物が許せない。新たに生まれた怒りの感情がネガティブなラプラの感情に上書きされる。

ラプラは下唇をぎゅっと噛んで、

「それで……その黒幕は誰なんですか?」

「分かりません」

「ふぇ……っ?」

心臓の鼓動が強く波打つラプラは、表情を変えずいたって真面目なラフィの即答に拍子抜けしてしまう。

「えっと、つまりその黒幕は捕らえることができないですか?」

呆気に取られつつただ一つ浮かんだ疑問。それにラフィは力強く首を振った。

「──いいえ。下衆げすには、かならず俺が裁きをくだす」

ラフィのその瞳には強い眼光が宿っていた。

強い感情の込められたその威圧感のある言葉には、先とは違った紳士然とした雰囲気は一切感じられない。

言葉遣いも、一人称すらもが変わった目の前の青年に、ラプラはしばらくの間唖然(あぜん)とした様子でラフィを見つめていた。なんて……返せばいいんだろう?頭の中でいくつもの言葉を組み替えるが、ベストな返事が見つからない。

だが、ラプラの気も知らずに先に口を開いたのはラフィだった。

「ラプラ様。申しわけありませんが、今夜はお部屋にお戻りになってお休みください」

「はっ、はいっ」

あの時のラフィは夢だったのかと錯覚させるような紳士への早変わりに、内容も理解せずにラプラはしっかりと返事をする。そして、返事の直後にセリフが頭の中へとインストールされた。

しかし、今更やっぱり嫌だなんて言えない。

「えと……先生はこれからどうするんですか?」

愛嬌のある表情で心配そうに見つめるラプラの頭部へとラフィは手を乗せると、ぽんぽんと優しく頭を撫でた。

その不意打ちに思わずラプラは顔を紅潮させる。

「お気になさらず。ここからは私の仕事です。良い子はもう寝てる時間ですよ?」

「むぅ。教えてくれないなんて先生は意地悪ですっ」

「意地悪で結構です。寝ないと身長伸びませんよ?それ以上伸びなかったら大変でしょう?」

「ん〜〜〜っっ」

頬を赤く染めて唇をひき結んだラプラは、ちょくちょくラフィの口から発せられる小馬鹿にするような口舌に、過剰に反応してしまう。

ラプラは薄いネグリジュごと自分の胸を鷲掴みにして、鼓動を確認する。速い、普段よりも鼓動がはるかに速い。

先生には今日お会いしたばっかりなのに……なんでわたしこんなにドキドキしてるんだろうっ⁉︎

自分の理解できない気持ちに不満を持ちつつ、その不満をラフィにぶつけるようにしてラフィを睨む。

「………………? 怒らせてしまいましたか?」

ラフィは全ての発言が本当に無意識下に出たのだろう。全く理解ができない様子で首をかしげる。

「知りませんっ!先生のことも知りませんっ!わたし寝ますからおやすみなさいっっ」

暗がりでも分かるほどまでに顔を真っ赤にして部屋を飛び出していったラプラの背を見つめて、ラフィは呆然と立ち尽くしていた。

ラプラは決して怒っているわけではないのだが、ラフィの双眸に映る少女はただただ突然に激昂したとしか見えていないのだ。

「ふむ。……よく分からんな」

最後までラプラの言動の意味が理解出来なかったラフィの、誰に言うわけでもない不満が室内に小さく反響した。

ただでさえもの静かだった部屋は、さらに静寂化していた。

空気の流れさえ読めてしまいそうなその空間に残されたラフィは、ビリビリと音を立てながら外套の裾を手で千切る。そして、手のひらサイズに千切られた布切れを机に置くと、机上にあった年季の入った羽ペンを手にする。

ラフィは考える素振りも見せることなく手に取ったペンをすぐに布切れへと走らせていく。染みていくインクは、らしからぬ丸っこい文字で布切れに短文をつづった。

そしてラフィは先の日記を手に取ると、パラパラとページをめくっていく。手を止めたそのページに記された日付、それは今日のものだった。

そこへと書き綴ったばかりの布切れを放り込むように挟むと、ぱたんと日記を閉じ机に置いた。

「──さて、リーシャの元へ急ぐか」

呟いたラフィは小窓へと向かうと、カーテンを開けて窓を開く。そして器用な身体の動きで窓をくぐると、窓の縁へと手を引っ掛けて外に身を乗り出した。

豪邸の二階はかなりの高さがあり飛び降りれば怪我することはほぼ間違いなしだ。

強い夜風がラフィを横から殴りつける。

しかし、ラフィは臆することなく、なんの躊躇もなく宙へと身を投げ捨てたのだ。

まるで獣が飛びつくような猛スピードで降り立ったそれは、高所から地上へと光の軌跡を描いていた。

地面へと片膝ついて綺麗な姿勢で着地したラフィは、フードを深く被る。

「まさか、今日から事が動き出していたとはな」

光を纏って勢いよく走り出した外套の姿は誰に気付かれることもなく、コンマ数秒後には、すでにこの豪邸の敷地内から姿を消していた。



「ぬっふっふ〜っ。あたしに勝とうなんて三十年はやいよ?」

「くぅぅぅぅ……っ!認めませんわ!ハッタリをしているに違いありませんわッ⁉︎」

トランプを扇状に広げて涼しげな顔で白い歯を見せる金髪の美少女に、室内灯を眩しく反射させる銀髪の少女がカールを揺らしながら詰め寄って頬を膨らませる。

「いやいやっ!あたしはノーマルでレイフィールさんは覚醒状態で勝負したじゃん? ……とりあえず、これで十八連勝ねっ」

「むううう……」

トランプを始めて早1時間。真夜中の豪邸内で貴族令嬢と暗殺者が本気でトランプで対峙たいじするそれは、かなり珍妙な光景だった。

「ところで、わたくしの護衛に来てくださったのは感謝するのですけど、いつ敵が攻めてくるかも分からないのにずっとこんな呑気なことをしていてもいいんですの?」

散らばったトランプを丁寧に集めて向きを揃えながらレイフィールはリーシャに問う。

リーシャはだらしなく脚を広げて床に寝そべりながら、天井についた豪奢なシャンデリアを見つめながら息を吐き出すようにして開口した。

「いーと思うよ? って言ってもあたしの都合なんだけどね。なにせ、あたしは暇を余すのが嫌いだもん」

その様子に、レイフィールは目を細めながら肺いっぱいの空気を押し出すようにして大きくため息をつく。

「本当に自由な人ですわ……。それよりずっと気がかりだったのですけど、どこのギルド所属なんですの?年齢的にもまだギルドに入れるような歳には見えませんし」

基本的にこの国ではギルドに所属するための条件が設けられていた。その一つが、一人ソロでDクラスの魔物を討伐できること。魔物にはEクラス〜Sクラスと、危険度によってクラスが分けられており、その中でもDクラスは比較的戦闘になっても対処できる部類である。

そしてもう一つの条件が、二十二歳を迎えていることだ。ギルドでは基本的にチームで動くことが多い。そのため、たとえ実力があろうと心が成長しきっていないチームワークがうまく取れない人間は力にならないという訳だ。

レイフィールの目から見ても、リーシャの歳は自分と変わらない。むしろ、それよりも若く見える。

答えを待ったレイフィールは、一向に返事を返さないリーシャに対して疑問を抱きはじめた。

「……そもそも、リーシャさん。貴女は本当にギルドに所属して……」

「──静かにして」

先のリーシャの様子からは伺えないような鋭い声音に、疑問ごと言葉を遮られる。

その緊迫した雰囲気に、レイフィールもごくりと固唾を鳴らす。カチ、カチ、と、時計の針が時間を刻む音と、庭に植えられた木のざわめきが、重なって耳を打つ。

思わず固まったレイフィールへと、リーシャが外套を床に滑らせながら近づく。そして、外套のフードを落とすと、レイフィールの耳元で息を殺すようにして小さく囁きかける。

「ねぇ?外、聞こえる?」

「……えっ」

リーシャの真摯な囁きに思わず声を上げそうになったレイフィールだったが、かすれて声は出なかった。

そして、言われるまま外へと聴覚を集中させる。

聞こえてくるのは、やはり木のざわめき。木の葉が夜風に吹かれながら重なり合って……ざわざわと……。これは、

………………葉の音なのだろうか?

「待って……これは一体、なんの音ですの?」

それは思っていた音とは違う。そう気付いた瞬間ハッキリと分かる、別の何かの音。庭園から聞こえるはずのない、身に覚えの無い音が重なり合う不協和音に、背筋に悪寒おかんが走る。

「あたしにも分からない。確認してみるから動かないで」

リーシャは腰を落としたままの姿勢で窓へと駆け寄る。窓の傍で立ち上がると、外の様子を確認するように半眼だけを覗かせた。

一瞬で外の様子を確認したリーシャは、壁に背を合わせてぎゅっと拳を握ると、床に座り込むレイフィールへと視線を落とす。

「これ、ちょっとマズイかもしんないなー」

「詳しく教えてくださるっ⁉︎ 一体外はどうなっているんですの⁉︎」

焦燥感に呑まれるように声を上げたレイフィールへと、リーシャは人差し指を鼻へ当てて静かにしろとジェスチャーをおくる。

リーシャはくいくいと手招きすると、レイフィールは先のリーシャの動きを真似するようにしてリーシャの元へと駆け寄る。

「見てみなさい。絶対声あげちゃダメだからね?」

リーシャと顔を見合わせたレイフィールは、深く頷いてみせる。

そして、半眼を窓へと覗かせ、

「──ッ⁉︎」

ガックリと腰を落としたレイフィールは、瞼を勢いよく持ち上げ、眼球を震わせる。同時に身体もカタカタと振動させながら掌で口元を隠して声を殺す。

「なん……っ……ですのあれ……っ」

「みてのとーり魔物。魔物退治なんてしたことないけど、たぶんあれはC級のマンドレイクね」

「C級ですって⁉︎ どうやってあんな数……。よりによって今日はお父様もお母様も区外に出かけているし……」

不安と絶望の圧力で潰されそうになるレイフィールは尋常ではない冷や汗を浮かべ、かたかたと歯を鳴らす。助けを呼ぶとしても護身兵であるアルバくらいしか思いつかない。だが、呼んでいる暇はない、もうすぐそこまで差し迫ってきているのだ。それにあの数の相手はさすがに彼には無理だ。

レイフィールは頭を回転させながら、自身の脳へと冷静になれと言い聞かせる。

打開策を思い浮かべては却下、思い浮かべては却下、と何度も繰り返す。

「こうなったら、二人でやるしか……?」

隣のリーシャへと顔を向ける。この少女の実力もまだ分からないままだ。頼れるほどの実力を兼ね備えているとは到底思えない。そして、自分もあの魔物一体を相手にできるかどうか曖昧あいまいでかなり際どいところである。

突然、究極のピンチを悟ったレイフィールの肩へと、雪のような肌をした綺麗な手が軽く置かれる。

「緊張してる? 安心して、大丈夫よ」

「……は?」

この後に及んで冷静な態度をとるリーシャの心境がかけらもレイフィールには理解ができなかった。

「なにか、策が?」

リーシャは首を傾げて、言葉にせずとも伝わってくる疑問の表情を浮かべる。『何も?』と言わんばかりの顔だ。

「取りえず、そこのトランプ取ってもらっていい?」

「貴女はさっきから何を考えて……」

「──急いでっ」

何もかも──リーシャのすべての言動がレイフィールには理解が出来ない。

だが、リーシャのその言葉には強制力が持たされているかのようにレイフィールは言われるままトランプを取ってリーシャへと手渡した。

そして、リーシャはレイフィールに一つ可愛らしくウィンクを送って、窓へと体を乗せた。

「じゃあ、レイフィールさんに見せたげる。本当にギルドの人か気になってたんでしょ?目に焼き付けてよね──あたしの、強さ」

そう言い残したリーシャは、光を纏ったと思いきや、既に地面へと降り立っていた。

肉眼で追えなかったその一瞬の動きに、レイフィールは言葉を失う。そして、一拍遅れて窓へ駆け寄り外へと視線を落とした。

突然目の前へと現れた敵──暗転したこの夜闇の中で一層目立つ光を纏った、黄金の煌めきを見せる少女へと全ての魔物の視線が集まる。

リーシャは硬直した様子の魔物一体一体を見渡しながら、ちろっと舌を出して嫌そうに呟く。

「うへぇ〜〜っ。近くで見ると超キモいっ!」

マンドラゴラの数はリーシャの視界を完全に埋め尽くすほど。その見た目はひどく奇妙なもので、白い長細い野菜なようなものから手のように長い枝が生えており、下部には大量の根っこが。その根っこ一つ一つに鳥のような足がついており、バラバラな動きで地面を踏みしめていく。

上部には長い首がついており、そこから繋がれた真っ白な顔面は、幼い子供が目にすれば泣き出してしまうほどに整っていない。頭から伸びた髪の毛のような葉は地面についてなお伸びており、身長の二倍ほどの長さがある。歩けば地面へと引きずるようにして葉がカサカサと音を立てる。

レイフィールが木の葉の音だと勘違いしていたのは、この音だろう。

「さあ、かかってきなさい。近付いたやつから大根おろしにしてやるんだからっ」

トランプを両手に扇状して掲げたリーシャから放たれる闘気に、マンドラゴラさえも辟易へきえきしてその場に押し止まる。だが、それも一瞬。不快にカサカサと音を重ねて一斉に囲うようにしてリーシャに飛びかかり始めたマンドラゴラの群れは、鞭のように枝の腕をしならせながらリーシャの逃げ場を無くしてゆく。

だが、リーシャは圧倒的な数の暴力に狼狽うろたえることもなく扇状のトランプの裏で余裕に微笑んだ。

「あたしを相手に中距離は、死地よっ!」

そう言って地面を蹴ったリーシャはリズミカルに地面を踏み込んでいく。そして、鮮やかな黄金の髪を揺らめかせながら体を回転させて妖精のような舞を披露する。──その光景は、もはや幻想的なものだった。

リーシャの動きを追うようにして身体に纏った光が同じ軌跡を描く。手元から徐々に離れていくトランプたちは、静止画にも見えるほどの速さで回転し、まるで意思を持った妖精たちように煌めきながら宙を舞う。

「命を刈り取りなさい、五十三の妖精フェアリーたち!」

舞を終えたリーシャの手元には何も残っていない。全てのトランプたちが妖精のように宙へと放たれた証拠だ。

そして、そのトランプ一枚一枚が無造作に放たれたわけではない。

「グギャァァァアア──ッ‼︎‼︎‼︎」

鮮やかな曲線を描きながら一枚のトランプが数体ものマンドラゴラの首を刈り取ってゆく。五十三枚のトランプは、最初からルートが決まっていたかのような正確な動きで宙を行き交い、トランプがマンドラゴラを通り過ぎた直後には、青緑の液体が派手に宙へとぶちけられ、重なって轟く耳をつんざくような断末魔の絶叫だけが残る。しかし、その叫び声は──

「う……なによこれ……っ。耳がちぎれそうなんだけど……」

次々と重なっていくマンドラゴラの絶叫は、空気がひび割れそうなほど酷いもので、リーシャは思わず片目を瞑って顔をしかめる。額から流れた冷や汗が頬を伝って顎へ、そして地面へと重力に従って垂れる。その叫びに身体中鳥肌が立ち、全身を刺激されたような感覚に襲われるリーシャは地面へと片膝落とした。

未だ舞うトランプたちはマンドラゴラの首を容赦なく刈り取ってゆき、命を絶たれるマンドラゴラは断末魔の叫びをいっそう重複させていくのだ。

「〜〜〜〜〜っ!こんな習性がある生き物なんて知らないし!……ほんとヤバイってこれ……」

リーシャは、一旦引くべきか──そう判断をした直後だった。

「リーシャ様ぁっ!これを受け取ってくださいましっっ!」

ノイズとでもいうべき不快に混ざり合う雑音の中、それとは別の鈴音のような澄んだ叫びがリーシャを振り向かせた。

リーシャの見上げた先、屋敷の三階の窓から大きく上半身を乗り出した少女が全力の叫びと共に絶妙なコントロールで何かをリーシャへと投げつける。

それを片手で受け取ったリーシャは手中にあるものを確認すると、苦し紛れの笑顔をレイフィールへと向けて親指を立てた。

三階の自室から見守るレイフィールも安堵の表情を浮かべる。

「やってくれたわね大根ども。次は一方的に潰してやるんだからっ」

レイフィールから受け取ったもの──どこから取り出してものなのか分からない耳栓。リーシャは片耳へと装着されていた小型の通信機を庭へと投げ捨てると、耳栓を素早く耳の穴へと詰めた。

「うん、だいぶマシだわ」

宙で暴れまわったトランプが次々とリーシャの元へと戻ってくる。一枚一枚を五指を広げてその間へと器用に挟んでキャッチしていく。

見ればマンドラゴラの数は既に三分の一ほどまでに激減していた。

未だ交わる断末魔の叫びが木々を、庭に植えられた人工芝を、屋敷の壁を振動させている。

しかし、今のリーシャは平然とした顔つきでその叫びを物ともしていない。完全にその声が聞こえなくなったわけではないが、先のように体を蝕むほど強烈なものではなく今は普通に全身を動かせる状態だ。

全てのトランプが手元に帰還したリーシャは、マンドラゴラに休む暇を与えることなく次の舞を披露する。

そして再びトランプは意思を持った妖精のように宙へと舞ってゆく。

「刈り取りなさいっ」

リーシャへと襲いかかろうとするマンドラゴラ達は、リーシャに近づくことさえままならない、──否。決して近づくことができないのだ。マンドラゴラの移動速度とトランプの飛来する速度は歴然。どう動こうと、どこへかわそうとしようと、死が確定されている。

足掻くことさえ出来ずに気づけば首は地面へと転がされている。

誰の目から見ても、勝負の行方はハッキリとしていた。

「なんなんですの……あの怪物じみた強さ。それにリーシャ様の戦う姿はなんて美しい……ああ、まるで妖精女王ティターニアですわ」

先までギルドの人間ではないと、そう疑っていたレイフィールの思考は既に吹き飛んでいた。今はただ、目下で魔物達を鮮やかに蹂躙じゅうりんしていくリーシャの一挙手一投足へと視線を釘付けにされている。その瞳には、まるで神との邂逅かいこうを果たした天使のような輝きを秘めていた。

だが、突然レイフィールの視界へとひとつの人影が映り込み、レイフィールは怪訝に眉を潜める。

「あれは……」

リーシャは未だ荒れ狂うトランプの嵐を少し離れた場所から見つめていた。だが、思わず隣を通り過ぎた人物へと視線を奪われる。

「えっ……?誰?」

一人の男が金属の大斧を片手になりふり構わず単身でマンドラゴラの群れへと突っ込んで行ったのだ。

そしてそのまま体を回転させ斧を広範囲で振り回す。風を巻き起こしながら残ったマンドラゴラを巻き込むようにして切断してゆく。

範囲の届かない場所で暴れ狂うマンドラゴラたちは五十三の光の軌跡によって青緑の液体を噴射。──そして、トランプと大斧によって極限までマンドラゴラの数は削られた。

重なり合うマンドラゴラたちの叫び声はやがて小さくなり、斧を地面へと着いた男は、若干息を荒げながらリーシャの元へと駆けてくる。

そしてリーシャの前へと立つと、斧を地面へと置き腰を深々と折り曲げた。

「どこのどなたかは知りませんが、力をお貸しいただき至極恐悦です。本来ならば僕がやらなければいけないものを……」

「あはは、顔上げてよ。あたしが好きでやってることなんだから……」

言われるままに男が顔を上げると、

「──って……あーっ!今日校門の前にいた不審者のおっさんじゃないっ⁉︎」

「不審し……って、僕を知っているのか⁉︎」

無精髭を生やし軍服に身を包んだ中年のその男は、レイフィールの護身兵、アルバだった。

そして同時、リーシャの手元へと放たれていたトランプが次々と帰ってくる。五指の隙間へと綺麗に収められるトランプへとアルバは視線を落とすと、

「そのカードには見覚えが……あ、あのときの」

「そうよ。あの時あんたが逃げられないようにこれで動きを封じたのはあたし」

帰還したトランプをアルバの眼前でチラつかせてみせるリーシャ。その表情はどこか誇らしげだ。

「ということはあの新任教師と……なるほど。憶測ではあるがだいたい事情は読めたぁ──ぐっ⁉︎」

そう一人で解釈を終えたアルバは、直後後ろからの衝撃によって地面へと転がされる。

そして、地面へと仰向けになったアルバの視界へと、月光に照らされ夜風に揺れる銀色の煌めきが映り込んだ。

「事情は読めたじゃないですわよッ⁉︎ 遅い!遅い!出てくるのが遅すぎますわっ!こんな状況でリーシャ様一人に任せっきりにして……あなたは一体今まで何をしていたんですの全く」

息を切らせながら全速力で部屋を駆け出してきたレイフィールは、アルバへと澄んだ声を響かせながら激昂する。

「アルバ。罰として残りの魔物たちをぜんぶ一人で片付けなさい!」

「はっ」

慌てた様子で立ち上がったアルバは斧を握り暗闇に潜んだ残党の元へと駆けて行った。

そして、顔をしかめながら呆れ混じりのため息をひとつ吐いたレイフィールはリーシャの方へと向き直る。

「リーシャ様、お助けいただいて本当に感謝いたしますわ。見ていることしかできなかった自分が恥ずかしい」

下を向いてどこか頬を赤らめながら感謝の言葉を述べてくるレイフィールにリーシャは口元がほころぶ。

普段なら決して誰かに感謝されるような任務はない。汚れた仕事をこなし、いつも最後に残るものは死体だけ。達成感も何も残らない。

──だから、こうやって素直に感謝を告げられるのが嬉しいのだ。

リーシャはほっこりと笑うと、後ろ手を組んでレイフィールの顔を覗き込んだ。

「こっちこそ、ありがと?」

その言葉に、レイフィールは心底不思議そうな表情を浮かべる。

「なぜリーシャ様が……?」

「気分が良いから、かな」

「……よく分かりませんわっ」

理解しようとしても理解できない言葉の意味にレイフィールは頬を膨らませふてくされる。

そして、遠くの暗闇でいまだ激しく音を上げるその方向へと二人が視線を向けようとした、その時だった。

「がっ、はぁ──ッッ」

リーシャとレイフィールの眼前へと凄まじい勢いでアルバが地面へと叩きつけられた。

その姿は、見るも無惨なまでに赤色に染められていた。腹部には何か複雑な突起物が貫通したと思われる血穴。片腕は強い打撃によって骨が砕かれており、曲がるはずのない方向へと曲がっている。頭を強く打ったのか頭部から垂れた血の滝は、口から吐血した鮮血と混じっている。

その残酷な姿に、人の血など滅多に見ないレイフィールは肩を落としてガクガクと膝を震わせる。

最後の力を振り絞るようにしてゆっくりと顔を上げたアルバは半眼だけ開くようにしてリーシャとレイフィールをその光を失いかけた瞳に写す。

「逃げ……て……ください。A級の……っが……」

息を荒げながら、最後の言葉を振り絞るようにして出し切ったアルバは全身の痛みから解放されるように気絶する。

レイフィールの背筋をゾクゾクと走るのは、悪寒なのか、恐怖なのか、悔しさなのか、それは自分自身でもわからない。だが、レイフィールはその正体に気づく前に拳を握りしめた。

暗がりを見据えるリーシャの瞳。彼女の強い眼差しを見た瞬間、震えていてはならないと思ったのだ。

全く同じ状況にさらされている彼女の瞳に一切の迷いはない。そこに宿った光からは、ただこの状況を打破するための信念と心の強固さを感じ取れてしまう。

わたくしも、戦います」

レイフィールの口からは、気づけば無意識のうちに言葉が漏れていた。

「だめよ。──命を、捨てるつもり?」

「そんなつもりは……私だっていちおう学院内で一番の実力が」

「だめ、そのおじさんを連れて下がって。これは命令だから」

だが、レイフィールのその信念は真っ向からリーシャに否定されてしまう。真摯でありながら遠く感じるその冷たい声音は、強制力を持たせたようなものだった。

レイフィールは思わず押し黙る。リーシャの言葉の裏を読んでしまえば、それは信念ではなくただの我儘わがままと言われているようで──。

「分かりましたわ。……そのかわり、リーシャ様のピンチには私が命を懸けて助けに行きます」

人工芝を踏みしめながら敵の元へと歩き出していたリーシャは一度立ち止まる。そして、顔だけで後方を見やると、安堵を覚える無邪気な笑顔を見せた。

「そんなことになったら、『先生』にあたしが叱られちゃうからっ。だから、あたしは──ピンチになんてならないよ?」

そう言い残したリーシャは力強く地面を踏み込んで、一気に前方へと飛んだ。

その背中を見つめるレイフィールは心配そうな表情を浮かべながら、地面へと転がるアルバの止血を急いだ。



禍々《まがまが》しいと呼ぶのが正しいのか、そこら一体だけ空気が淀んでいる。

光を纏ったリーシャは黄金の髪を夜風になびかせ、数を分割したトランプを両手に握る。

「A級の化け物──アルラウネが混じっていたなんて、ほんっと最悪なんだからっ」

リーシャは額に手を当ててため息をつくと、頭が痛くなる思いで、眼前に佇む淀んだ空気の元凶へと言葉を嫌味のように投げつける。

「あらあらぁ〜化け物なんてぇ、傷つくわぁ?」

「うげっ!級の高い魔物ってしゃべるわけ ⁉︎」

「当たり前よぉ〜。知能の低いゴミなんかと一括ひとくくりにされちゃ困るしぃ」

リーシャが化け物と呼んだそれ──アルラウネは、妖美な雰囲気のとろけそうな声色で、器用にも人と違わぬ言葉を発する。

その見た目は人に近いもので、肌の色は淡い黄緑という人の肌と植物の茎の色を足して割ったようなもの。

全身は首から足先まで、花びらのドレスで覆われているが、その花びらの色に統一感はなく、彩度の低いそれは、全てが黒寄りのため鮮やかさはない。ドレスは胸元だけが大きく開かれており、そこから覗く豊満な双丘の中心部には、花の刺青いれずみのようなものが刻まれている。

ドレスの下部からは、奇妙に伸びる無数のツタがうねうねと動いていた。

その妖艶であり奇妙であるアルラウネの姿に、リーシャは目を細めて眉尻を下げる。

リーシャを舐め回すように見つめるアルラウネは、艶かしく舌で唇を湿らせると、熱い吐息を漏らすように言葉を発する。

「お嬢さんはさぁ、さっきの雑魚と違ってぇ、少しはぁ私を楽しませてくれるのかしらぁ?」

「別にあたしは楽しむつもりなんて無いから。あんまし余裕こいてるとミンチになっちゃうよっ?オバサン」

「オバぁ……ッッ」

見下すように、虫を見るようにリーシャを見つめていたアルラウネは、真紅の宝石のように光る大きな瞳を、カッと見開いた。

そして、ギシリと音を立てて歯ぎしりをすると、瞬間、アルラウネの周囲の芝が円を描きながら波紋が広がるようにして枯れた。すると、アルラウネから溢れる禍々しさが一層濃くなってゆく。

「私を侮辱したことぉ〜後悔させてあげるんだからぁ?」

そう言って、アルラウネが身をひねり蔦を伸ばそうとした、その時だった。

「遅いわよっ!あたしはあんたの何十倍と強いやつに鍛えられてきたんだから。舐めないでよねっ」

アルラウネの蔦が細切こまぎれになりながら宙へと吹き飛んでいく。

リーシャが手首すら使わず指の動きだけで投げつけた数枚のトランプがアルラウネの蔦を一本残さず断ち切ったのだ。

「……っ! はやいわぁ──っ⁉︎」

続けざまにリーシャはトランプを投げつける。光に包み込まれたトランプはもはや一枚の紙とは思えない閃光となってアルラウネに襲いかかる。発射された幾多の閃光はアルラウネに風穴を開けようとして……

──キィィィィイイイッ!

「油断したわぁ」

直後、レーザーと化したトランプの直線上、アルラウネの前へとトランプ一つ分を防げるほどの大きさの花弁の盾が現れたのだ。いくつもの花弁が重なり合ったそれは、見た目からは想像できない強固さを保っていた。

トランプと花盾がぶつかり合った瞬間にはその二つからは発生したとは思えぬような甲高い打撃音が鳴り響き、その風圧によって地面が大胆にぜる。

「これがA級の強さなの……」

リーシャの歯を見せたその表情には余裕はあまり感じられない。額からしたたる汗が地面へと吸い込まれていく。

「今のが全力なのぉ?人間ってやっぱり弱ぁい」

「ふんっ今のは前菜よ。今からメインディッシュをご馳走したげるんだからっ」

手元に残ったトランプを振るうと、風が巻き起こる。その風によって吸い込まれるようにしてリーシャの手元へと地に散らばったトランプが戻っていくと、

「隙なんて与えないわぁ〜?」

アルラウネがリーシャへと飛び込んだ。風圧によって舞い上がったドレスの下から妖艶な肢体が露わになる。

切断された蔦は一瞬にして再生するや、リーシャを目掛けて一斉に襲い掛かり、アルラウネは鋭い爪を立ててリーシャを刻もうと迫る。

リーシャはとっさの判断で全てのトランプを上空へと投げつけると、力強く前方へと蹴り込んで大きく身を後ろへと投げた。

リーシャのいた位置、アルラウネの蔦が地面へとねじ込まれると、枯芝と共に砂煙が宙へと撒き散らかされる。

その砂埃すなぼこりの中に映る影をリーシャは睨み付けると、拳闘術の構えをとって深く腰を落とす。ふぅ、と、一つため息を吐いて呼吸を整える。

やがて視界が晴れると、アルラウネは優雅な表情で蔦を唸らせながら高笑いをあげた。

「あ〜はっはっぁ。素手でやるってゆうのぉ?まぁ私は手加減しないけどさぁ」

未だ余裕を見せるアルラウネにリーシャは何も答えない。アルラウネの真紅の瞳に写る自分の姿だけをハッキリと捉えて、静止の状態を保つ。刻一刻と時間を刻むその静寂の中、一秒を刻むのと同時にリーシャは指をトントンと折り曲げている。

しばらく互いに睨み合いを続けていたのだが、

「やぁーーー!」

鋭い声を響かせながら先にリーシャが仕掛けたのだ。

地面を蹴り込むと、身体は一瞬のうちに消える。

「あらぁ?」

リーシャへと蔦が迫り来るも、うまく一本一本と隙間をみてはくぐり抜けていき目前に迫ったものは拳を瞬間的に当ててはたき落とす。

ぐんと加速したリーシャは凄腕の弓兵から放たれた一本の矢のようにアルラウネへと接近して、やがてその距離は無いに等しいまでに縮まると、拳をアルラウネの眼前へと突きつける。アルラウネもガードに回り込もうと自身の腕で顔を覆い隠し、次の瞬間アルラウネの顔面へと強い衝撃が──こなかった。

アルラウネの隣を猛スピードで通り抜けていった少女の姿をアルラウネは横目で見た。アルラウネの頰は思わずこわばる。策略に満ちた表情を浮かべた少女の口元はにやりと歪んでいるのだ。

「は──ぁ?」

既にリーシャはアルラウネの元を大きく通過していた。リーシャは外套を翻してアルラウネへと向き直る。

そして、小悪魔のように小さく舌を出した。

「ばーか」

アルラウネは一瞬のことで何が起こったのかが分からなかった。そして今、自分は宙に浮いているのだ。目前に迫った拳からは打撃がなく、少女に触れられたものは──脚。

そこでやっと理解をする。少女が足払いをかけて身動きを取れないようにしたこと。少女が自分から距離をとって遠ざかったこと。

アルラウネの浮いた身体は空を見上げるような形で舞っていた。

「やってくれたわ──ねぇッ⁉︎」

直後、なにかを呟いたアルラウネの声は壮絶な大音量によって掻き消される。

空から降り注いだ五十三の閃光が死の雨となってアルラウネを急襲──否。最初から仕掛けられていたその攻撃にアルラウネは直面するまで気づくことができなかったのだ。

「これ絶対ラフィ褒めてくれるよねっ⁉︎ A級倒しちゃったよあたしぃぃ!」

顔を赤らめながら妄想するリーシャはとんとんと地面を踏み鳴らす。

そして、大掛かりな一撃が降り注いだその場所を見てにやりと笑う。

遠目から見守っていたレイフィールも暗闇の中だがわずかに視認できるその戦闘に歓喜を抱きながら目を輝かせていた。

「凄い……ですわっ……」

「そりゃあ、あの男の仲間なんですから……」

全身に布を巻かれたアルバは気絶から目覚めたらしく、痛々しげな姿でレイフィールを見上げる。

「あの男とは?」

ふるふると首を横に振ったアルバの表情は、どこか安堵したような、それでいて負けを認めたような諦めのついたものだった。

「ひっどい砂埃ねぇ……こんなに庭めちゃくちゃにしちゃって怒られないかな……?」

そういって少し罪悪感を覚えるリーシャは、複雑な面持ちだ。

そしてその砂埃の立つ場所へと歩みを進めようとしたその時だった。

「な──っ⁉︎」

未だ晴れないその砂埃の中から蔦が凄まじい速度で伸びてくる。が、それを横へとステップを踏んで躱す。

やがて影が姿をあらわすと、呪詛のような声をぶつぶつと漏らし始めた。

「コロスぅ…コロスぅ…コロスぅ…コロスぅぅ……」

全身が張り裂け、その傷から紫色の液体が垂れ落ちている。片目にはトランプでえぐられた跡があり全身のドレスはボロボロでほぼ全裸状態だ。艶かしかった肌は裂け目だらけで指は数本持っていかれている。その姿は今はもう全身ズタズタのただの魔物でしか無い。

「なんで生きてるのよ……っ」

リーシャは訝しげに眉を寄せ下唇を噛む。強く拳を握り締めると再び拳闘術の構えで地面を強く踏みしめた。

「本気で殺すからぁ……あなただけは絶対にぃーー!」

激昂したアルラウネはゆったりとした口調からは想像もできない叫びをあげた。

直後、庭の芝生は一瞬で枯れ、わずかに生えていた雑草も魂を吸い取られたように色が抜け落ちる。

庭に佇んでいた森の木々から生えた新緑の葉も茶色へと変わり果てると、役目を果たしたように地面へと次々と落下していく。

そして、変化したのは景色だけはない。

「そんな、それは反則だって……」

「あらぁ?怖気付いたのぉ?もう同じ小細工はぁ通用しないからぁ」

リーシャは喉からこぼすようにして言葉を絞り出す。ひきつった声には状況を飲み込めない不安さや現実を受け入れたくないという嫌悪感が入り混じる。

なにせ、たった今目前にボロボロの姿で佇んでいた魔物は周囲の植物から生命を吸収するや、それを自身へと取り込んでみるみると超回復を始めたのだ。そして、一瞬のうちに傷は癒え全快、──否。傷が癒えたと思いきや更にその姿を変化させていく。

もはやリーシャには言葉も見つからない。呆然とアルラウネのその変化に攻撃を仕掛けることすら忘れて立ち尽していた。

「私にぃ……本気出させるなんてぇ愚かよぉ」

やがて、進化を終えたアルラウネは先より一層禍々しい姿でリーシャを見下みくだしていた。

身長は二倍ほどになり纏うオーラの濃さも別物。上半身にはさほどの変化はないが、大きく変化したのは下半身。大きな薔薇バラつぼみに包まれたアルラウネはその蕾を開花させる。直径五メートルほどもあるその薔薇は、アルラウネを乗せているように見えてしまう。薔薇の下からは数十本……否。数百本ほどあるのではないかと捉えられるイバラのムチが。見ただけで背筋を震わせるそれは、とぐろを巻いて、まるでアルラウネを守る要塞のようになっていた。

「まずいってほんと。あんなの素手で戦えるわけないじゃんバカじゃん」

地面へと散らばったトランプを広い視野で確認するリーシャは、小声でぶつぶつと慨嘆がいたんを漏らす。ため息と混じって呟かれたそれはアルラウネには聞き取れない。が、アルラウネは雰囲気だけは読み取った風に唇の先を歪めて余裕な声音でリーシャに言の葉を投げつける。

「さっきまでの威勢はどぉしたのぉ?今からさっきのお礼に穴だらけにしてあげるからぁ、そこにおとなしく立ってなさいねぇ」

薔薇いばらが地面を這う。棘が枯芝を蹂躙しながらリーシャへと迫る。

「おとなしくするわけないじゃないっ!さっきみたいにボコボコにしてあげるからあんたの方こそおとなしくしてよね」

とは言ったものの……どうやってあのイバラの守りを突破するか。

トランプさえ手にあれば断ち切れる強度なのか。それとも突破不可能な強固さを兼ね備えているのか。

どちらにしても素手ではアレを倒すことなんて不可能だ。

リーシャは一番近くに落ちたトランプへと視線をやると、地面がえぐれた先に散らばった小石を手に取り、アルラウネへと投げつけた。

「そんなの時間つぶしにもならないわぁ〜」

薔薇に包まれていない腰から上、アルラウネの上半身へと数個の小石を投げつけてトランプ目掛けて走り出した。──だが、即座に動いたイバラのムチによって小石は粉々に粉砕される。

そしてリーシャの行く手を阻むようにしてアルラウネが立ちふさがると、体を消しとばさんばかりの速度でムチが襲撃する。リーシャは風を裂いたその一撃を躱そうと、斜め後方へ跳んだが、

「痛ーっ‼︎」

避けきれずに、リーシャの肩を抉るようにしてムチが直撃。打撃で肩が外れそうになり、幾多の棘によって肉が引き裂かれる。粉雪のように白い肌から暗がりからでも分かるほどの赤い液体が宙に舞い散る。

数メートルの先の地面へと転がされたリーシャは神経が悲鳴をあげるその痛みに肩を抑えて悶える。

「えぇ?もしかしてぇそれだけで終わりなんて言わないわよねぇ?」

ムチの先に着いた鮮血を、唾液の滴る濡れた舌で舐めまわすアルラウネは冷たい目線をリーシャへ送る。

「あっ……たりまえじゃない。ちょっと油断しただけよ」

リーシャは強がるようにして引きつった笑顔を浮かべるが、やはり痛みは抑えることができない。地面に転がされた際に開いた傷口から流れ出る鮮血の量は増すばかりだ。

だが、その痛みに耐えることをやめ、痛みの上から闘志を上書きするように雄叫びをあげたリーシャは地面を強く蹴って飛び出した。

「やぁぁぁああーーーッ!!」

武器なんていらない。でも悪あがきってわけじゃない。

全身全霊の全力の力を込めて──あいつに一撃を当てる!

全身を覆う光が一段と眩く煌めき、つい先までアルラウネの目で追えていた少女の姿はもはや動体視力だけでは捉えることすら不可能。

「どこにぃ……っ⁉︎」

ムチを雑に振り回すも、棘が絡めとったのは血塗られた灰色の外套だけ。

次の瞬間、アルラウネは隕石でも落下してきたのではないかという強い衝撃に襲われた。

「がぁっ──はッッ!」

「上、ガラ空きだから」

リーシャのかかとを落としが炸裂。脳天を走った衝撃はアルラウネの意識を遠くへ持っていく。首を捻じ曲げ口から紫の液体がこぼれ落ちる。

──だが、それも一瞬。

意識をすぐに戻したアルラウネは怒りの形相でリーシャを睨みつけるや、リーシャへと一斉にイバラのムチが迫った。

「うそ……でしょっ」

アルラウネの頭を強く蹴り上げて宙へと身を逃がそうとしたが、跳んだ直後に足を絡め取られる。

足首に棘が深く入り込んでいき、白を上乗りするように赤が滲んでいく。

そしてそのまま掴まれた足を支点にして地面へと叩きつけられる。

リーシャの骨が数本折れたと知らせる鈍い音が空気を裂くようにして鳴り響く。肺の中の空気は衝撃と共に一気に押し出され、全身の神経系がぐちゃぐちゃにされてしまったような複雑な痛みに『痛い』という表情をうまく作れない。

突然体調不良になってしまったような感覚。内臓を吐き出してしまいそうな気持ち悪さ。頭の中を縦横無尽じゅうおうむじんに駆け巡る頭痛。

視界はぼやけ出し、強い耳鳴りによって周りの音が聞こえづらい。ただ分かるのは、自分の全身あちこちが引き裂けて真っ赤な血液が地面にぶちまけられているということ。口の中を大量に犯す液体が鉄の味だということ。

「痛いよ……」

自分の命令をなかなか聞いてくれない体を動かそうと必死にもがくが、指先がわずかに地面を引っ掻くだけ。

「なぁんて哀れ。すぐに楽にしてあげるわよぉ」

──殺される。死にたくない。みんなに顔向けできない。

全ては自分の思い上がりだったのか? この任務をあたしだけで成功させるなんて馬鹿なこと、最初から自分には無理だった。

なぜ今こんなことを考えてしまうのだろう、リーシャは思う。

今はとにかく必死に痛みに逆らいたいのに。

自分は負けたのだ。大口叩いておいて、今から──殺される。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、ここで終わるなんて……嫌だ。

「……たくない」

「はぁ〜?なにぃ?」

「しに……たくない……しに……たくない」

地面に転がった半死状態の少女を見下したアルラウネは、頭を抱え込んで闇夜に高笑いを響かせる。

「今更ぁ……っ命乞いなんてぇ……あぁ笑かさないでぇ」

楽しおかしく笑うアルラウネへと、必死の力で首だけ向けたリーシャは、振り絞るようにして言葉をこぼすと、血色の視界の中、睨みつけた。

「あんたみたいな……ばばあには……命乞いなんてしな……いっ。あたしはただ……助けてほしいだけ……っ」

──きっと、助けてくれる人がいるから。

「はぁぁ?喧嘩売ってるのぉ?意味がわからないわぁ」

アルラウネは妙なものを見つめる視線で地面に転がったリーシャを軽蔑する。理解の及ばない発言に理解しようともしない。ただただそこに転がったリーシャを見て優越感を覚える。

「もういいわぁ。そろそろぉ──死ね」

イバラのムチがリーシャの心臓を貫こうと矢のように迫る。もはや、リーシャに為すすべはない。

そして、高速で突き出されたムチは弱々しくなった生命を奪い去る。

──ことが出来なかった。

「なんなのぉ?」

「すまない遅くなったリーシャ」

リーシャの頬を優しく撫でる感触。頭を抱えられたくましい体に抱き寄せられる。

重くなった瞼を持ち上げてみれば、そこには見慣れた顔の青年が映り込んでいた。

「ラフィ……?ごめん……あたし……」

瞳から宝石の粒を零したリーシャは、ぐったりとした様子でラフィへと熱い吐息とともに小さくなった声を振り絞る。

「もう喋るな。お前は良くやった、A級のアルラウネをこの姿まで追い込むなんて大したものだ」

「あたし……」

……助けを願ってよかった、ラフィに。

そう呟こうとしたリーシャは、疲れた体を安らぎに預けると、安堵に包まれながら目を閉じた。

「ちょっとぉ私を無視してぇ貴方は誰なのぉ?」

背中に掛けられた声に、ラフィは耳も貸さない。

ラフィはそっとリーシャの顔へと自分の顔を近づけると、片手をリーシャの胸元へとそっと乗せる。

「命に別状はないな。成長したな、リーシャ」

眠り姫のように金髪を夜風に晒されるリーシャを抱き抱えたラフィはアルラウネの存在などなかったかのような足取りでリーシャをレイフィールの元へと運んだ。

「レイフィール様。リーシャをお願い致します」

レイフィールの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。ガクガクと震える全身はまるで子羊のようだ。

ちらり、と一瞬服装に目をやったラフィは何も言わない。

わたくし……リーシャ様が目の前でやられていたのに……腰が抜けて……」

ラフィは首を横に振ってみせる。

「当たり前です。アルバさんが、よもやリーシャがやられるとなると、失礼ながら申し上げさせてもらいますが貴女に勝ち目はありませんよ。貴女は賢明な判断をした、それだけのことです。では、私はアレを始末するので」

軽く首を下げたラフィは身を翻す。漆黒の髪は闇に紛れ灰色の外套が明るく見えてしまうと錯覚させる。

地面へ寝転んだアルバはその背中へと小さく声を漏らした。

「道化め」

アルラウネの元へと歩み寄ったラフィは、じっとアルラウネの瞳を無表情で見つめる。

対照的にアルラウネは頬をひくつかせ、口元がつり上がるとともに眉間シワがより、怒りで歪んでいた。

「よくもぉ無視してくれたわねぇ?あの子を殺せたはずの一撃を片手で受け止めるしぃ 一体貴方は何者なのぉ?」

しかしラフィは答えない、否。相手にする必要がないと判断したラフィは言葉をかわそうとする素振りすら見せない。

ただ無表情のまま拳を握りしめて、表情の裏に隠された感情が拳に宿る。

「俺は貴様の質問には答えん。だが、貴様は俺の質問に答えろ。誰の指示で動いている?」

アルラウネはぎしっとはを鳴らすも、取り繕った余裕を浮かべてみせる。

「傲慢ねぇ。私も貴方の質問に答える義理はないわぁ?」

「これは取引だ。よく考えて発言しろ」

アルラウネは片目を落として、左目にラフィを映す。闇に輝く極光を放つその姿が少々眩しい。

「取引ですってぇ? 貴方は何を賭けてくれるのかしらぁ? 私に必要のないものだったらぁ別にそんな取引に乗る義理はないんだけどぉ」

「俺は貴様の命を握っているも同然。答えるのなら半殺しにして見逃してやる。否ならば、すぐに消してやるが、どうする?」

一方的な会話の進行に、怒りの沸点へとついに到達したアルラウネは半自動的に体が動き出す。

「誰を消すですってぇ? あんまり図に乗らないで欲しいんだかどぉッ⁉︎」

脳が命令を出すよりも前にイバラがラフィへと襲いかかる。束になったそのイバラは一本の槍となってラフィを貫こうと空気を巻き込みながら唸りを上げて、

「それが貴様の答えか」

イバラの槍は、ラフィに片手一本で握りつぶされ飛沫をあげる。拡散した液体が外套を濡らす。

一瞬驚きにアルラウネは目を見開いたが続けざまに全イバラを集結させて巨大なイバラの棍棒を生成。そして下半身の薔薇が空気抵抗を無視するような速さで勢いよく回転を始め、そのまま棘がむき出しになった命を刈り取る死神の鎌のような巨大なイバラの棍棒がラフィへと鈍い叫びをあげながら衝突した。

少し息を切らせながらも、確実な手応えを感じたアルラウネは慢心に口元を歪める。

「大口叩いてうざいからぁ一瞬だったけどぉ私の全力をプレゼントしてあげたわぁ。天国で光栄に思いなさいなぁ」

「ほう。今のが全力だったのか」

地面を踏みしめながらラフィはアルラウネのもとへと寄っていく。

アルラウネは確実に全身を肉片に変えたと思っていたそれ(ラフィ)は、肉片は愚か傷すら見当たらない。右腕の袖が削られた形跡のみが残っている。

「無……傷ぅ……?覚醒率が人間の最高点である三百パーセントだったとしても今のは不可能じゃぁ……?」

アルラウネは恐怖の旋律を覚える。これまでに感じたことのないほどの恐怖に口を開いたまま閉じることすらできない。感じる、確実に迫り来る命の危機に、アルラウネは一歩後退した、が。次の瞬間、確実な一撃を与えられる間合いに青年の姿はあった。もはや生き物の洞察力では捉えられないその移動速度は、錯覚だと思うのが限界だった。

アルラウネの瞳を哀れみの視線で覗き込んだラフィは風にかき消されるほどの小さな声を漏らした。

「──………とは、限らない」

今まで何人もの人間を殺してきた。化け物だ、化け物だ、と言われてきた自分ですら、この瞬間に分かってしまった。目の前に立つこの青年こそ──本物の化け物だと──。

アルラウネは疑うような発言に目を見開いたがその疑う時間すら与えられなかった。

ラフィが正拳突きを一つアルラウネの腹部へ繰り出すと、拳の当てられたその部分が大穴を開けて大破。まばゆい閃光の煌めきを帯びた拳によって出来た穴は、徐々に広がってゆき、蒸発するようにしてアルラウネの全身を飲み込んだ。

ラフィの目の前にいたものは既にそこから消えていた。秒差が生じて紫の血が雨のように降りしきり、外套へと染み込んでゆく。

腕を一振りすると、付着した液体が地面に散らかされ、ラフィは何事も無かったような仕草で身を翻した。身体を纏っていた光が天へと登るように消えると、戦闘が終わったのだなと吟味ぎんみする。

「さて」と、息を吐くようにして小さく呟くと、歩き出そうと足を踏み出した、その時。

「── ⁉︎」

ラフィは消えたばかりの極光を体から発光させ、即座に再び身を翻すと一歩後退。ワンテンポで全ての動作を行なった。

「くすくす、やっぱり気づいちゃうんだね。こんなに気配を消して近づいたってのに、やっぱラフィはすごいやあ」

「──お前は、誰だ」

不意にラフィの背に感じた視線、振り向けばそこには小柄な人影があった。頭からつま先まで外套で覆ったその人物は、女性の声でくすくすと笑いながらハッキリと『ラフィ』の名を口にする。

その人物に警戒心を露わにするラフィ。無理もない、ラフィの名前を知っている人間など、ギルドの者以外いるはずがないのだから。

「ボクが誰、ねぇ? わかりやすく言っちゃえば、ここで起きたことの黒幕である人物の、上司って所かな。先に言っておくけど、今回のことに関してボクは一切関わってないよ。それでも、ボクの正体が知りたい?」

ラフィは鋭い視線で返事をする。話せ、と促すように。

「あはは、怖いなぁ、そんなに睨まないでよ。昔はもっと優しかったじゃないか。ボクは、ラフィの事をよーく知ってるよ。……知ってる、だからこそ──君のことが憎い」

ラフィは見も知らぬ人物から突然憎しみを告げられ、動揺しかける。だが、その動揺を即座に押し殺す。黒外套の女に向ける表情はまるで仮面のように崩れない。

「お前が俺のことをどう思っていようと関係ない。俺は今お前をここで殺す」

「え〜ボク一度死にかけたことあるんだから勘弁してよ。さっきも言ったけどボクはこの件には関わっていないんだよ?」

まるでさっきの発言が嘘だったかのような弾んだ口調。黒外套の女は深くかぶったフードの陰から楽しげに口元を吊り上げる。

「お前の事情など興味のかけらもない。悪を裁くのが、俺たちの仕事。部下の管理もできないお前は、敵だ」

「──悪、って何だろうね」

まるで別人のように声のトーンが低くなる黒外套の女。 静寂に包まれた闇夜に透き通るように声が波となって響く。

「? なにが言いたい」

「必死に助けを求め続けた女の子を見殺しにするのは悪かい?ましてやその事実さえ忘れようとすること、それも悪なのかい?」

「────っ………」

今まで一切表情を変えなかったラフィの目が不自然なほど、動揺を隠しきれずに大きく目が見開かれる。

深蒼の瞳に映る黒外套の女、ただ一点だけを見つめて。

「お前は一体……誰だ」

「おっとボクに興味が湧いたようだね。でも、君にボクのことを知られるわけにはいかないんだよね」

「ならば、力ずくでも」

言葉と共に、ラフィの姿が蜃気楼のように歪む。良く言えば、力強く。悪く言えば、冷静さを欠いたような。目の前にあるのに手に入らない餌を求めた獣が、疾風のごとく黒外套へと迫る。

ラフィはアルラウネでさえ捉えることのできなかった速度で黒外套との距離を縮めると、外套を剥ぎ取ろうと片手を伸ばす。そして、──その片手で空気を掴んだ。

「今のを避けるだと……⁉︎」

常に冷静沈着を保つ青年から漏れたとは思えないような、詰まった声が闇の中に響いた。続くようにしてクスクスと笑い声が。

「あー愉快だなあ。ラフィの強さがデタラメなのは知ってる。だけどね、『限界解除リミットアウター』が自分だけだと思った?ボクはやろうと思えば今、君に一撃を入れられたよ」

ラフィと同速度、否。──それを上回る速度でラフィのわきを通って回避した黒外套の女が、酔狂な笑い声を響かせる。

完全に立ち位置が逆転した状態だ。

「やるなら本気で来ないとボクには届かないよ? 来るなら、殺す気で来てよね」

「どうやらそうらしいな。素直に認めよう、お前は俺よりも速い。言葉に甘えて、お前を──殺しにいく」

ラフィは自身の外套を投げるようにしてはぎ取る。中から現れたのは、漆黒の上下服。そして、腰にたずさえられた二つの刃、ククリナイフ。漆黒の刀身のその刃は、あまり使われることがないのか、汚れひとつ見受けられない。

頭頂から足先までの全身が漆黒に染められたラフィの姿は、まさに闇に紛れる暗殺者そのものだった。

背景と重なるラフィの姿を紛れることのないように照らす光が、自身の体から溢れ出す光だとは思えぬようなドス黒いオーラが、光を消すかのように光と共に滲み出ている。

ラフィはククリナイフをクロスさせるように手に握ると、感覚を確かめるように両の掌の上で回転させる。

「断ち切る」

夜風に逆らうようにしてラフィの足元から暴風が巻き起こる。枯芝となった地面の茶色い芝が風に裂かれるようにして宙に巻き散らかされる。直後、ラフィは音速を超える速度で黒外套の女との距離を詰めて刃を突きつける。

「何のためらいもなく確実に急所を攻めてくる。流石は殺し屋だ。だけどそんな単純な攻撃じゃあボクにはかすりもしないよ」

ラフィがクロスさせるようにして繰り出した刃は、黒外套の女の首、そして心臓部を確実に狙って迫った。

だが、女の外套の袖からじゃらじゃらと音を立てながら現れた鎖が、まるで生きた蛇のようにうねりながらラフィの攻撃を弾く。

火花散らしながら二つの衝突音が広大な庭に甲高く響き渡る。

幾度も、幾度も衝突音が空気を揺らしてゆく。

そして、ラフィは再び同じような動きで黒外套の女へと迫り。

「何度繰り返すん……なっ」

大きく踏み込んだものの足を地面へ擦り付けて摩擦を起こすと、その速度を落とした。そして軽快に反対の足で地面を蹴り上げと、再び距離を縮める。

はたから見ればそれは全て一瞬の動き。だが、超人達の視界に映るのは一瞬の中に流れるコンマ単位の長時間。

ラフィの動きに反応した黒外套の女はタイミングをずらされたまま鎖を防御姿勢へと構えた。

「終わりだ」

ガードを立て直そうとした黒外套の女。

だが、深蒼の双眸そうぼうが睨みつけた先へとククリナイフの一本がレーザービームとなって地面へと投げつけられる。鎖が地面へと貼り付けられるようにしてナイフに絡め取られる。

ビクともしない鎖を強く引っ張る、黒外套の女のフードの陰から汗が流れ落ちた。

「──っ!」

眼前へと飛来してくる残りのククリナイフ。黒外套の女は体への負荷を無視して、無理やり脱出経路をつくるようにしてククリナイフを斜めに避けた。

宙に舞う切れた外套の生地。細長く絹のように鮮やかな、桃色の髪の毛が夜風に飛ばされてゆく。

ククリナイフを頭にかすめられ、無理な避け方をした黒外套の女が地面へ叩きつけられるようにして転倒した。その勢いで、フードがめくれ上がる。

「お……まえは……」

「────」

「なんで……」

「────」

「なんで生きて……」

「────」

まるで全身の筋肉が停止し、更には魂が抜け落ちてしまったかのようなラフィのかすれた声。

立ち尽くすラフィは眼下に転げる一人の少女を哀れな目で見つめていた。

「ボク……いいや。私を、勝手に殺さないでもらえるかなラフィ」

地べたに内股で座り込んだ桃色の髪を揺らす少女。フードの下から現れた美貌が、真紅のパッチリまなこでラフィを静かに見つめる。

ラフィは凍りついたように固まり、紡ぎだそうする言の葉はうまく喉を通らないでいた。

「おいおい、こりゃあなんの冗談だぁ?」

その時、ラフィの背からしわがれた声が投げかけられる。首を背けたラフィと地べたに座り込む少女の視線はそちらへと自然的に向けられた。

灰色の外套を纏った金髪で無精髭を生やした中年の男、ガレイだ。

「あまりにおせぇから見に来てみりゃあ、なんだこの有様はよお。で、クソガキ。そこの嬢ちゃんはどちらさんだ?」

「こいつは」

ラフィの言葉を遮るようにして。

「私はアデリーナ。覚えておくといいよ。生転の会の創立者にして、いずれこの世界を変える者。きっと君たちは、私をはばもうとするだろうからね」

桃色の髪を揺らしながら立ち上がり、クスクスと笑いながら語ったアデリーナと名乗った少女。

アデリーナの言葉にラフィとガレイは目を見開く。

「生転の会だと……⁉︎ 冗談はよせよぉ、あの胸くそ悪りぃ組織は三年前に俺たちでぶっ潰したはずだぜ?ラフィお前も覚えてるだろう?」

「当然だ」

だが、アデリーナは含むようにクスクスと笑う。

「あ〜あれは実験場の一部に過ぎないよ。やられたうちのメンバーも一部。でも、さすがに実験体まで殺すなんて驚いちゃったけどね」

「嬢ちゃんよお……自分が何を言ってんのか理解してるってかぁ?おい。さすがにはらわた煮え繰り返って来たぜぇ……」

嬉々として語ったアデリーナにガレイはついに激昂した。額の血管が膨れ、拳を強く握る。炎が吹き出すようにして全身から光が漏れる。そして、今にもアデリーナへと掴みかかろうという勢いで地面を踏みつけたが。

「おいっ‼︎‼︎ ……アナっ。お前は、俺の知っているアナなのか。アデリーナ=クラウディアなのかっ⁉︎」

ガレイよりも先に、感情を抑えきれずにいたラフィがアデリーナの胸ぐらを掴みかかったのだ。

ラフィの力がかかるがままに体を揺さぶられるアデリーナは、何もない宙をを一瞥いちべつすると、しっかりとラフィの瞳を覗き込んだ。

「そうだよ、私は君のよーく知るアナ。君が見殺しにしようとしたアナ。そして、君がずっと探し求めていたアナだよ、ラフィちゃん」

求めていたのに求めたくなかった回答。理想とかけ離れた現実。全てを受け入れたくないと願う自分をどこかに隠したラフィが、力なくその手を緩める。

ラフィの力が弱まった瞬間、アデリーナは呼吸すらもさせぬ速度でラフィの腹へと回し蹴りをたたき込むと、人形のようにラフィは地面へと転がされた。

反射のようにガレイも拳を握りしめてアデリーナへと飛びかかるが、軽々と躱したアデリーナはガレイの顎へとカウンターの拳を叩き込む。宙へと投げ飛ばされたガレイは力なくラフィ同様に地面へと転がされた。

「待てよ……」

土を引っ掻き握りしめるラフィの視界に映った少女は桃色の髪を夜風になびかせながら身を翻す。

「待たないよ今は何も話すことがないからね。生きてたらまた会おうよ、ラフィちゃん。モブのおじさんも」

視界に映った少女は背を向けたまま最後に手をひらひらとさせながら、やがて最初からそこに誰もいなかったように姿を消した。


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