グレーシア女学院
アルパレスト王国、中央区。
自然豊かとされるこの国でも最も広大とされるこの区域には、自然の産物といえば道端に等間隔で連なった銀杏の木くらいのものだ。
道はコンクリートで改装されており、広場に見られる噴水の付近にはぎっしりと煉瓦が敷かれている。
連なった鋭角な三角屋根の軒並み、そして、この街で一番目を引くのは多すぎるともいえる大豪邸。
国の貴族階級の者たちの殆どがこの街に居住している。
誰しも、まさかこの街にあの幻想の存在ともいえる裏ギルドがあるとは思わないことだろう。
そしてこの街でも有名な、グレーシア女学院。
そこへと向かう二つの人影があった。
「はぁ〜〜緊張するよぉーっ‼︎」
朝陽を受け、黄金の髪を煌めかせる少女、リーシャは、大きなため息をついて、人目も気にせず路上ではしゃぎ立てている。
彼女の纏う服装は任務用のものではなく、ふわりと揺れるスカートを履き、ネクタイ付きのワイシャツの上からクリーム色のベストを通し、その上から紺色のブレザーを羽織った、グレーシア女学院規定の制服姿だ。
隣に並ぶ黒が印象の長身の少年、ラフィはワイシャツの牡丹をきっちりと上まで止めるや、乱れ一つない左右完全対象に引き締まったネクタイを爽やかに着こなしている。
ラフィの姿は、その大人びた雰囲気に美貌を兼ね備えているため、年相応と思えぬまさに教師そのものだった。
リーシャはラフィの姿を上から下まで舐めるように見るや、不敵に口を吊り上げた。
「ラフィせんせっ?」
可愛らしく言って見たものの、ラフィの口からはため息が漏れる。
自身よりも身長のかなり低い部下へと視線を落とと、低い声ながらも鋭く言った。
「リーシャ。これは遊びではない、任務だ。浮かれるな」
「うへぇぇ〜堅苦しいってば」
紛れも無いラフィの正論にリーシャは口を尖らせると、プイッとそっぽを向いてみせる。
リーシャには分かっていた。ラフィはクールな印象だが、なんだかんだでいつも周りを気にかけてくれている。
言葉には棘があるものの決して怒っているわけでは無い。
組織内でもっとも年の近いラフィは自分にとって一番親しい存在ともいえる。
この裏の世界にやってきた時にはすでにこの少年はここにいた。
だけど、まだまだこの人のことを知らない。知らなすぎるのだ。
「ねえねえラフィ? あたしのことどう思う?」
自分の脳と声帯はリンクしているのではないかというくらいにぽんぽんと思ったことが口に出る。
「どう? とは?」
「ここに来る前あたしが何して生きてきたとか気にならない? あたしのこと知りたいとか思ったりしない?」
あたかもそんなことか、と言わんばかりにラフィは答えた。
「お前がギルドに来た時既にクソジジイから事情は聞いている。今更聞こうなどとは思わない」
「無愛想〜っ!」
ぷぅーっと空気を溜めて頰に膨らませるリーシャ。
その姿は見た目以下の駄々をこねる子供のようで、ちらほらと見受けられる同じ制服を着込んだ周りの通行人たちは、皆が二人の姿に注目していた。
「実は遊び道具持って来てるんだよね〜」
そこでリーシャは胸元のポケットからトランプを取り出して、ちらちらとラフィの眼前に掲げるも、
「戯れ言を」
ラフィは一瞬だけ横流しに視線が動いたが、そこで会話は止まった。
「ようこそ、グレーシア女学院へ。事情は聞き及んでおります。お二人の協力には大変感謝を」
ラフィとリーシャが並んで立つ中、目の前の肉付きの良い、丸眼鏡をかけた初老の男が深々と頭を下げる。
同時に、二人も同じような仕草をとる。
グレーシア女学院、学長室。学院へと足を踏み入れた二人はすぐにここを訪れていた。
巨人の如く堂々と佇まうこの校舎の門をくぐるや学院内へと入ると、巨大すぎるこの校舎はまるで迷路のようになっていた。
見たことのない顔に、ましてや女学院の中に男性がいるということで奇妙な視線がちらちらと見受けられながらも、学院内の構造を完全に把握していたラフィとリーシャは迷うことなく学院長室へとたどり着いた。
さて、と、学院長は分厚い資料を二つ手にとってラフィ達へと提示してみせる。
受け取ったラフィは訝しげに学院長へと問うた。
「これは一体?」
一つめの資料には生徒リストと思われるもの、そしてもう一つには、よく分からない男性のプロフィールが記載されていた。
「それは犯人であろうと思われる候補。学院の生徒リストと、もう一方は生徒達の護身兵のリストです」
それだけで状況を飲み込んだラフィは、これは厄介だと頭を抱える。
一方リーシャの方はまるで理解が追いつかないと言った様子だ。
ポニーテールを揺らしながら覗き込む。
「どーゆこと? この人たちは何の関係があるの?」
ほのかに苦笑を浮かべつつラフィはリーシャへと説明を始めた。
「護身兵というのは貴族令嬢たちの雇ったボディーガードみたいなものだ。主にその多くがギルドから派遣されている。容疑者リストの中にはこの方々も含まれるというわけだ」
そこでラフィは学院長へと疑問を投げかける。
「この護身兵たちの学院内への立ち入りはあるのですか?」
学院長は困った顔で首を振ってみせると、ため息を吐きながらゆっくりと開口する。その様子を見かねたラフィとリーシャは揃って眉根を寄せた。
「しかしながら、時折仕事熱心な護身兵の方が主に放課時などに学院内へと平気で足を踏み入れることもあるのです。登校時にも時折見受けられ、まったく困ったものでして……」
「なるほど。そこも私が何とか対処致しましょう」
「大変助かります」
私……⁉︎ と、リーシャは口に仕掛けたものの、口のチャックを固く閉じる。潜入任務において自身のキャラを書き換えることは重要だからだ。
そしてラフィは、そのプロでもある。
「登校時、放課後以外で立ち入る輩は?」
「さすがにそれは見かけたことはありませんね……」
「分かりました。では後のことは我々にお任せください。その他は此方で先に確認を済ませているので」
会話を終えた二人は資料を手に、室内から立ち去ろうとしたが、ラフィは足を止めて再び学院長へと身を翻す。
「学院長。私は学校というものに詳しくはないのですが、クラスというものがあると聞き及んでおります。その点どう立ち回れば?」
そこで眼鏡をずらしながら慌てたように学院長がキャスター付きの黒椅子から飛び上がる。
「忘れておりました!……いやはや申し訳ない。まず、ラフィさんにおいてはクラスを担当するということはなく、校舎の見回りをしながら課外授業の講師を頼もうと思います」
「課外授業とは?」
表情を崩すことなくラフィは聞いていく。
「通常授業の後に行われる、覚醒者の生徒達による自由参加の戦闘授業です。ここでは、学院を卒業後ギルドへ就こうという生徒も多くいるため、このような特別な課外授業があるのです」
ラフィ納得の様子で深く頷いてみせる。
「承りました」
そして今一度ガレイから昨日に受け取った紙を取り出して目を通すと、次に資料の方へと目を移す。
「この資料に記載されている生徒で、覚醒者だという事がはっきりと分かっている生徒にチェックをつけてもらってもよろしいですか?」
「もちろんです」
学院長はラフィから資料を一旦返却されると、胸のポケットに差し込んであった羽ペンを資料へとしゅっしゅっと、音を立てながら滑らせてゆく。
「な〜んか今回の任務大変そうだなあ〜っ」
後ろで手を組んで足をぶらぶらとさせながらリーシャはすでに苦悩を口にする。
しかし、厳しい先輩は人差し指を立ててリーシャの眼前へと突き付けてきた。
「また犠牲が出る前に、この件は一週間でカタをつける」
「ちょっとラフィ!それはさすがに厳しいでしょっ⁉︎ 犯人候補何人いると思ってるのよぉ〜〜!」
ラフィの無茶振りにリーシャは声を荒げて反論するも、心のどこかではこの人ならやってのけてしまうのでは? という疑念があった。
「はぁ……分かったやってみましょ。ラフィには何か考えがあるんだろうしさ、あたしはその考えに乗るまでだよ」
「ああ。──それと、リーシャは人前では必ず覚醒者だということを隠しておくように。怪しい奴を見かければ即座に報告を頼む」
リーシャは黄金のポニーテールを揺らしながら頷いた。
話の合間に資料にチェックを入れていく作業を終えた学院長がラフィへとその資料を手渡す。
「どうも。ではゆっくりと目を通させて頂くとします。見回りの時間というのは自由でよろしいのですか?」
「はい、それはそちらにお任せします。それと、次にリーシャさん。あなたには留学生ということで学院の生徒達には話を済ませてあるので一時限ごとに低学年からクラスをローテーションして頂きます」
「はーいっ。それで怪しい人物がいれば把握ってわけね」
「ええ。どうぞお願いいたします」
理解したもののどこか納得いかない様子で顔をうつむかせたリーシャを気にかけたラフィは、彼女の肩に手を置いて尋ねた。
「どうした?」
しかし、ハッと意識を戻したように顔を上げるとリーシャはいつも通りの無邪気な笑顔を見せた。
「ううん。なんでもないのっ」
「そうか」
すると、ラフィの声と重なるように予鈴が学院内へ響き渡る。
学院長の指示を受けながら、リーシャは一年生から三年生まである中の、一年生の教室へと向かっていった。
落ち着けたところで、用意された珈琲を啜りながら、ラフィは資料に記載された一人一人の情報に目を通して行く。
記憶力の優れた彼の脳内へと全ての資料がコピーされたところで、ラフィは資料を置いて席を立つ。
「学院内の様子を見てきます」
学院長に告げると、部屋を後にした。
ラフィは広すぎる学院内の廊下を、ただひたすらと歩き回っていた。
多くの女生徒たちと擦れ違う。はたから見ればラフィの表情は穏やかそうな好青年そのものだ。だが、それはただ見繕っているだけであり、実際には少しでも不審な動きをする者がいないかと鋭く眼を光らせていた。
時折生徒たちからは、
「あれが噂の新任教師?」「思ったより素敵な殿方ですわ」「私タイプかも」
と言う様々な会話がラフィの敏感な鼓膜へと届いてくる。
しかし、気にかけることもなく、挨拶をされれば軽く会釈をするという塩対応のみ。
「何人か資料に載っていた生徒を見かけるが、とくに不信感はないな……」
ぼそりと呟く。
授業を告げるチャイムが鳴る頃には、廊下は寂しくなって何人かの教師たちとすれ違うのみ。特に声をかけられることもなく、人を寄せ付けないようなオーラを醸し出すラフィは影のような存在だった。
極力目立つことのないよう足音を殺して廊下を進むと、ちらちらと全教室を見て回る。
すでに授業は始まっており、室内を見れば前方の黒板の前に壇上があり、そこで一人の女性が白チョークを手にして生徒たちを見渡しながら声を響かせている。
講師の対面には扇状に広がった木製の長テーブルが四列あり、段状になったテーブルは前列から後列へといくにつれ、段が高くなっている。机へとノートを並べた全ての生徒たちが教師へと注目できる仕様だ。
教室と廊下を挟む窓は、分厚い強固なガラスでできており、綺麗に磨かれたガラスは無色透明なため、しっかりの室内の様子が伺えた。
「ここも特に怪しい生徒はなしか」
その後もラフィは次々と教室を回っていった。
ちゃんと学院長の方から情報が行き渡っているようで、ラフィが新任教師という設定なのは生徒たちには知れ渡っているようだ。
もし情報が伝わっていなければ今頃女学院に男性の不審者が歩き回っていると大騒ぎになっていることだろう。
しばらく歩いて、とある教室でラフィは足を止めた。
そして拳をぷるぷると震わせて、一人の女生徒へと暗殺者特有の殺気を放った。
襟元に固定されたマイクへと口を近づけ、教室内の最上段の端の椅子へと腰掛けて講義を聞いている──否、講義中にこちらへと笑顔で手を振ってくる金髪の美少女へと言い放った。
「リーシャ。先にお前の首を切り落としてもいいのだぞ」
冷徹な声音がリ耳に装着された無線機を通じて響くと、ぎくっ、と、肩を震わせた少女は顔に影を浮かべて、大人しくなった。
暗殺者といえど、彼女も年頃の女の子だ。初めて通う学校というものに少々浮かれるのも無理はない。
とは思いつつも、これは任務だ。と自分に言い聞かせたラフィはその教室を後にした。
一時限目の終了を告げる鐘が鳴るとともに、ラフィは呼び出したリーシャと共に、学院長から預かった鍵で、今は誰にも使われていないという屋上へと来ていた。
端に固定されている申しわけ程度の所々錆びついた手摺へと腕を組むような形で両腕をかける。
真似をするように、ちょこんと同じ形でリーシャも隣へと並ぶ。
「今のクラスで怪しいと感じた人物は?」
「ううん。残念ながら」
「そうか」
だいたい予想していた通りだという表情を浮かべてみせるラフィ。
高所だということもあり、強い風が吹き付け二人の髪を激しく撫で付ける。
空から獲物を狙う鷹のように瞳を鋭く細めたリーシャが、一点を見つめて面白がるように呟いた。
「怪しい、かなぁーり怪しい人物なら一人見つけたわ」
合わせるようにラフィも呟く。
「そうだな。なにせ、ここから見える」
リーシャはラフィと目が合うと、言葉を交わすことなく頷いて、ブレザーの胸ポケットへと手を伸ばす。
そして、取り出されたものは、トランプだ。そのうちの一枚を手に取ると、他のトランプは再び胸ポケットへとしまい込む。
「校門の隣の柵へと身を潜めている……厄介だな。ここからじゃあ目測五十メートルだ」
横目だけでちらっと一瞬不審者の姿を確認すると、リーシャは自信有り気に胸を張る。
「ギルドナンバーワンの狙撃手を舐めないでねっ?」
「ふんっ」と鼻を鳴らすラフィ。
「狙撃と言えるかは曖昧だがな。……とにかく俺が今から即行で校門近くまで向かう。俺が合図をしたらなるべく怪我をさせないようにやつを捕らえろ」
「分かったわっ。あれが逃げようとしたら私の判断で仕掛けるから」
OKサインを出すと同時、ラフィは屋上の扉を派手に開け放って飛び出していった。
リーシャは校門前の不審者を見据える。
……生憎まだこっちには気づいてないみたいだわ。五十メートルか。そのくらいの距離なら狙える。
自己暗示をかけるようにリーシャは精神統一を行う。
そして、意思と共鳴するかのようにリーシャの身体を淡い光が纏っていく。そのまま手にしたトランプをも光は包み込む。
人差し指と中指の間でトランプを挟み込むと眼前へと掲げてみせる。
トランプといえば娯楽道具の一環として使用されるものだ。しかし、このリーシャの手にしたトランプはそれとは明らかに異なる部分がある。それは、殺傷性だ。
トランプの角は九十度の直角になっており、その素材は特殊な金属を交えた紙で作られているため折り目がつくことはない。
リーシャが愛用する仕事道具、このトランプこそがリーシャの暗器なのだ。
狙いを定め待機していたリーシャの耳に嵌められた小型無線機から、低い聞き慣れた声が響いてくる。
『準備完了だ。リーシャ、いつでも行動を開始して構わない』
「いくわ。三秒後に発射する──やぁッ!」
リーシャの大きく振られた腕から、一筋の光が、ブレることのない直線の軌跡を残しながら放たれた。
たった一枚の紙が空を裂いて、人の聴力で捉えることのできない超音波のような空気振動を起こす。
強風がレーザー光となったトランプを横から殴りつけるもビクともせず、綺麗な直線のまま、狙い定められたその一点へと、そこ以外はあり得ないというばかりに直撃した。
『よくやったリーシャ』
「余裕でーすっ」
ご満悦なリーシャの声を後に、ラフィは校門近くに身を潜めていた全身黒尽くめの覆面を被った怪しい人物へと走って行く。
「リーシャ。もうすぐ二時限目が始まる。先に戻っていてくれ。後のことは俺に任せてくれ」
『わかった!何かあったら呼んでねっ』
地を鋭く蹴りつける足音を察知した男は、ラフィの接近に気付いて慌てて逃亡を試みようとするも、──体が動かない。
その一瞬で何が起こったのかさえ把握できていない様子だった不審者は、数秒遅れて自身の服が、身体すれすれの所で、僅か幅が一センチしかない校門隣の柵とトランプ一枚で固定されていることに気づく。
リーシャがトランプを放ってから目標地点到達までの時間僅かゼロコンマ一秒。
そんな常軌を逸した現象、誰が信じようと? 人間離れした並ならない反射神経を持ち合わせていない限り気付けるはずもないのだ。
固定されたトランプに触れようとするも、手が焼け落ちてしまいそうなほどの高熱によって触れることもままならない。
空気との摩擦が発生したトランプは、熱伝導の高い金属も含まれているため、その摩擦熱を全て吸収しているのだ。
そんなこんなでグダグダしているうちに、殺気を纏った青年が目の前に姿を現した。
「貴様は此処で何をしていた? 言い訳を聞いてやる。説明しろ」
ラフィは鬼をも黙らせてしまいそうな冷徹な声音を響かせると、不審者のマスクを剥ぎ取った。
「こいつは……資料で見た顔だぞ」
中から現れたのは特徴といった特徴が特にない無精髭を生やした中年の男。
天才とも言える記憶保持者のラフィは、ものの数分で資料における全ての項目、顔写真や名前までを完璧に把握していた。
「だっ⁉︎ 誰だよお前……っ」
ラフィは挙動不審な怪しい人物へ、深々と頭を下げる。
「初めまして。私は名乗るほどの名はない新任教師です。さて、なぜここにいるのか問おうか、かの有名な大貴族シュタリーゼ家に長く仕える護身兵、アルバさん?」
ラフィがトランプを取ると、アルバはガクガクと震える膝を落として、一通の手紙をラフィへと寄越す。
「これは一体なんだ?」
「殺害予告……」
消え入るような声でぼそりと呟いたアルバの虫の音をラフィは聞き逃さなかった。
「昨夜……レイフィールお嬢様の元へ送られて来たんだ。僕はそれが心配で……」
四つ折りにされていた薄黄色の紙を広げると、一文とまた一文と読み進める。
全て読み終え「ふむ」と言うと、ラフィは手紙をアルバの手中へと返した。
「くそっ!こんな状況なのに学院内に立ち入れない……お嬢様を守ることもできない……っ!お嬢様はお強いお方。このことを知っているのは僕だけで誰にも話すなと……あぁっ」
地面へと爪を立てて取り乱すアルバを見下ろしていたラフィは、膝を折ると彼の肩へと掌を置いた。
「確かにこれは予告状、殺害予告で間違いありませんね。しかし、ここでこのことを知ったのはあなただけではなくなった。レイフィール=シュタリーゼ様の身の安全は俺が保障しましょう」
しかし、アルバは顔を上げるや、キィッ、と目を細めて威嚇するようにラフィを睨み付けると、吠えるように言い放った。
「任せられるものかッ!一介の教師などに何が出来る⁉︎ 直接僕が守って差し上げなければ……っ」
ラフィは呆れ面でため息を大きく吐き出した。
どこまでレイフィール嬢にご執心なのか……。全く困ったものだ。
ラフィは立ち上がって、地面で項垂れるアルバへと手の甲を向けると、指を手前にくいくいと引いてみせた。
「吠える暇があれば実力を見せて頂きたい。俺を倒すことができればあなたが学院内で常にレイフィール嬢の護衛が出来るよう学院長へと許可を取りましょう」
そして、ポケットへと両腕をつっこむと、アルバを道端の虫でも見ているかのように見下す。
ラフィの挑発に即座に食いついて来たアルバは早い切り替えと共に、立ち上がる。それは護身兵の姿そのものだ。気迫に満ち溢れた闘気を纏っている。
ラフィの見た資料によると、このアルバという男は白騎士会と呼ばれる、この国でも有名なギルドに所属するエリートだ。
人数的な規模で示すと他のギルドには劣るもの、表ギルドの中でもかなりの戦闘経験を積んだ覚醒者の実力者たちが集った、つねに第一線で活躍しているギルドだ。
「新任教師、だと言ったな。先に言っておくけど僕は白騎士会に所属する戦士、それなりに強い。手を合わせる前に名前でも聞いておこう」
堂々たる戦士を前に、ラフィは、右手をブンブンと振ってみせる。
「言ったでしょう? 名乗るほどの名は無いと。武器を使用しても構いません。目に見えた勝負ですから」
「確かにそうだな。一介の教師が僕に名乗る必要はない。武器は不要だ」
大仰な態度で笑ってみせるアルバだが、勝負を前にして平然とした態度の青年には内心少しイラついていた。しかし、その怒りを遮るように別の感情が、背筋をぞくぞくとさせていた。
白騎士会と聞いて、一切表情、それに態度すら崩すことのないこの青年は一体なんなんだ……? その疑念を嚙み殺すようにしてアルバは対面する青年へと言い放つ。
「では、参ろう」
アルバは光を纏わせると、拳闘術の構えを取る。右腕を前へと突き出し、深く腰を落とす。
「いつでもどうぞ?」
口元を歪ませる目の前の青年の姿に、アドレナリンが沸々と脳内を満たしていく。
解放すらしないだと……? このガキッ。舐めやがって──!
直後、アルバは跳んだ。目前の青年へと目掛けて渾身の拳を突きはなった。
この際こいつの肋が折れようと知ったことではない。
どこまでも強気な態度の青年に激昂したアルバは、音速で名もなき教師を叩き折った。
──はずなのに。瞬間的に顎へと強い衝撃が走り、脳震盪を起こす。
視界が歪み、体の力が抜けていくと共に地面へとそのままうつ伏せで倒れ込んだ。
一瞬の出来事に脳の情報処理が追いつかない。ガクガクと震える身体に必死に力を入れ、顔だけを上げると、学院内へと戻っていく青年の背が映った。
ラフィは後ろを振り返ることなくアルバへと言葉を投げた。
「ああ、何か勘違いをしているようですが、目に見えた勝負とはこの事ですよ」
遠ざかって行く青年が小さくなっていく。やがて、拳を強く握りしめ、地面を叩くアルバは確信した。
あれはただの教師などではない。武器を使用したところで敵う相手ではなかった。
一体──あの男は何者だろうか。
「お嬢様のことは、あれに任せるのが適任か」
彼の実力を認めざるを得ないという悔しさと共に、彼になら大事なお嬢様を任せてもいいだろうという安堵を浮かべたアルバは、最後のつぶやきと共に意識を飛ばした。
「良い収穫がありました」
学院長室にて、黒皮の長椅子へと腰掛けたラフィは学院長へと告げる。
「おおなんと。収穫とは一体?」
「殺害予告ですよ。レイフィール=シュタリーゼ嬢宛の」
淡々としたラフィの言葉に、学院長は席を立って右手で目元を覆うと、嘆息する。
「なんと……レイフィールさんが、我が校の生徒会長が。ああ一体どうすれば……」
聞いただけでもかなりショックを受けている様子だ。
「心配する必要はありませんよ。私がなんとかしましょう。ところで、彼女と接する機会を設けたいと思うのですが」
学院長室ははっとした様子でラフィの肩を持って体を近づける。
「課外授業です!彼女は課外授業に毎日参加しております」
「左様ですか。ならば、もう少し待つことにしましょう。相手もいきなり仕掛けて来たりはしないでしょうし。それともう一つ、リーシャをレイフィール嬢と同じクラスにして監視させてください。それが最良の手段でしょう」
「は、はい」
ラフィは十八歳とは思えないような大人びた口調で進めていく。
それには学院長も驚きを隠せない。腕時計を確認するや、次にラフィへと資料を手渡す。
「これは、一ヶ月間の課外授業の出席名簿になります。必要であればご覧ください」
「どうも」
受ける取ると同時、本日最後の鐘が学院内へと響き渡った。
学院敷地内にあるドーム状に造られた建物。
床には人工芝が植えつけられ、端の方には囲うように段になった観客席がある。
放課後を迎えたグレーシア女学院の生徒たちは先とは違った制服姿ではなく、運動着姿へと着替えを済ませて両開きの正面扉からぞろぞろと集まってくる。
集まった人数は数十人といったところ。
「思った以上の数だな」
ラフィは端に添えられたベンチに腰を下ろして、その様子を伺っていた。
そろそろかと呟き、立ち上がると集まった生徒たちの元へと歩いていく。
「新しい講師の方ですわ」
「どんな教え方をされるのかしら」
浮かれた女子生徒たちからは新任教師へと期待の声が飛んでくる。
ラフィは生徒たちの前で立ち止まると、深く腰を落として、貴族も見惚れるような綺麗な動作で一礼した。
「初めましてお嬢様方。此度、新任教師として参りました。私のことは、『先生』と、お呼びください」
挨拶を終えたラフィに生徒たちは、きゃーきゃーと黄色い歓声をあげる。
箱入りお嬢様たちが多いこともあって、ラフィのような歳の近い男を前にすることは少ないのだろう。騒ぎ立てるものの実際ラフィへと声をかけるものはいない。中には頬を赤く染めてもじもじする生徒も見受けられる。
だが、そこで一人の生徒がグイと、ラフィの前へと歩出た。
「先生。今日はどのような授業を行ってくださるのかしら?」
透き通った美声を発した少女は、カールのかかった宝石の輝きを映したような銀髪に、上がり眉といった、いかにも気の強そうな人物だ。
女性にしては身長が高い。
「申し遅れましたわ。私、レイフィール=シュタリーゼと申します。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
胸を張ってお嬢様オーラを醸し出すレイフィールを前に、もう一度ラフィは頭を下げる。
「存じ上げております。ここにいる全てのお嬢様方のお名前は」
「まあ。それは素晴らしいですわ。それなら心配はいりませんわね?」
「ええ、もちろんです」
言うと、ラフィは皆に広がるよう指示をする。
そして、生徒たちを体育座りさせ、その前に立つ。
「お嬢様方、私の姿が見えますか?」
生徒たちが一斉に頷く。
「では」と口にすると、ラフィの全身を淡い光が覆い包んだ。
「私の今の状態をなんというか答えられる方はおられますか?」
視線を端から端へと順繰りに動かしていく。若干ずれたタイミングで生徒たちが次々と挙手すると、ラフィは手前に座っていた一人の生徒を視界に捉える。
おや、と、眉をひそめて腕を突き出した。
「そこの方、どうぞ。申し訳ございません、お名前も教えて頂けると助かります。私としたことが把握出来ておりませんでした」
指名された少女が立ち上がると、ラフィは片膝ついて首を下げた。
その様子を見て、レイフィールはハッと鼻で笑う。
「あのっ、そんな!いいんです顔を上げてくださいっ。わたしはラプラって言います……」
ライトブラウンの所々ぴょんと跳ねたショートヘアに、毛先は金。おどおどとした態度は子リスを連想させる。まん丸の潤んだ赤い瞳が特徴的だ。
「分かりました。覚えておきます。では、答えをどうぞ」
ラプラは慌てた様子で返事をすると、運動着のズボンを人差し指と親指でぎゅっと摘む。
「えっと覚醒です!一定の年齢になると遺伝子状態が進化を起こして通常以上の能力を発揮できるようになることですっ。覚醒を起こした人は覚醒者と呼ばれます。覚醒は自分の意思で行うことが可能で、それを解放と言いますっ」
顔を赤くしながら回答したラプラへとラフィは拍手を送る。
つられて他の生徒たちからも拍手が起こった。
ラフィは口元を緩ませて笑顔を向ける。
「完璧な回答です。素晴らしい、座ってください。では、次の問題です。覚醒状態の際にその能力値は何によって決まるでしょう。分かる人がいれば挙手を」
すると、ラフィが次の問題を出した瞬間生徒達はざわつき始める。
首をかしげる者がいれば、はなしあいをはじめる者も。
「おや? ……誰も」
そこで最後列に座っていた金髪ポニーテールの少女が手を挙げた。何気なく混じっていたリーシャだ。
仕方がない、と思いつつラフィがリーシャを当てようとすると。
「どうぞラプラさん」
最前列に腰を下ろしていたラプラが再び挙手したのだ。
リーシャは口をあんぐり開けてショックに顔を歪ませている。が、ラフィはそんなことを気にかける素ぶりさえしない。
ラプラはおどおどとした様子で立ち上がる。
「覚醒状態の際に決まる能力値は解放率によるものです。解放率が高ければ高いほど身体能力を底上げすることができて、その上限値は四百パーセントと言われていますっ」
ラプラが腰を下ろすと、感心したようにラフィは頷く。
「優秀ですね、そこまで知っているとは」
と、ラフィが賞賛を送ったところで、一人の赤髪の生徒が立ち上がった。
「ラプラのどこが優秀なの⁉︎ 覚醒者でもないのに知識があるだけ無駄よそんなの。貴族のくせに覚醒してないなんてみっともない!そもそもなんであなたはこの課外授業に参加しているのかしら」
あからさまな嫌味にラプラは顔を暗くして、拳を握り締める。
「わたしは……っ」
その様子を見ていた赤髪は更にラプラを追い込むようにして言葉で攻める。
「言いたいことがあるの?ならば私と決闘しなさいラプラ」
決闘の言葉に生徒たちはざわつき始める。
「決闘ですって」「たしかにラプラさんは何で参加しているのでしょう……」「さすがに言いすぎだと思う」
様々な声が聞こえてくる。
ラフィは止めに出ようかと迷ったものの、先に立ち上がった者がいた。
カールのかかった銀髪は高貴な雰囲気を纏って髪をかきあげる。立ち上がったレイフィールはラプラの元へと歩み寄るとそっと頬を撫でて優しく声をかける。
「心配ありませんわ。貴女にも貴族の誇りがあるからこそ課外授業に参加しているんですものね?」
ラプラは潤んだ瞳でレイフィールを見つめると、しっかりと頷く。
ラフィに対しても強気だったレイフィールのラプラを見つめる瞳は天使のようだ。この二人は仲がいいのだろうか?
更に騒ついていく生徒たちの様子に、ラフィは見守ることしかできない。
レイフィールは再び立ち上がると、ラプラへと嫌味を飛ばした赤髪少女の前へと歩みでた。
すると、眉を寄せて、人差し指を立てると腕を突き出した。
「弱い者を貶めるなんて許せませんわ。ラプラに変わって私が貴女の決闘を受けて差し上げましょう。エマ様」
さすがに驚いた様子の赤髪、エマと呼ばれた少女は息を詰まらせると、掠れた声で言う。
「かっ、会長? 別にそんなつもりで言ったんじゃ……」
「この期に及んで言い訳でも? 逃げるのならばそれで構いませんわ」
赤い髪の隙間から流れた冷や汗が頬を伝って滑り落ちる。
やがて決心したように赤髪は胸元でグッと握りしめると、レイフィールを強い眼差しで見据えた。
「分かりました!ならばわたしも決闘を申し込みます」
その様子を見たラフィとリーシャはやれやれと深く嘆息するのだった。
淡い光を纏い、模擬武器を手に相対して向かい合う二人の少女の姿があった。
レイピアを左手で握り締め、ピンと伸びた姿勢で左腕を突き出すレイフィール。
対するのは、幅広で身長ほどの長さを誇る大剣を体の後方で両拳を使って握り締めた、エマ。深く腰を落とし、直ぐに戦闘に移れる体勢だ。
二人の貴族令嬢の間には、見えない火花がバチバチと音を立てて散っている。
「ねぇ?ちょっとこれ止めなくて良かったの?」
ちょんちょんとラフィの袖を引っ張る少女は、頭の黄金の尻尾を揺らしながら苦笑いを浮かべる。
「構わない。この決闘で彼女たちの問題が解決するならそれに越したことはない。それに俺の出る幕でもないだろう」
「相変わらずだなぁ〜。それにあのレイフィールって子今狙われてるんでしょっ?」
レイフィールは現在殺害予告を受けて、命の危機にさらされている真っ只中。件の事情については全てリーシャの耳には入っているのだ。
いつでもコンタクトの取れるようにラフィとリーシャは常に無線機のスイッチをオンにしていた。
つまりラフィの会話は全てがリーシャに筒抜けというわけだ。
「今夜」
「……へ?」
ふと呟いたラフィをリーシャは間抜けな声を出しながら見上げる。
「今夜、レイフィール嬢の後をつける。このままでは犯人の検討もつかんだろう」
「はぁ。でもそれってストーカーじゃあ?」
「任務だ」
キッパリと言い捨てた青年に、リーシャは頷く他なかった。
そして、リーシャの元から離れたラフィへと声がかかる。
「先生!開始の合図をお願いいたしますわ」
待ち侘びたとばかりにレイフィールはラフィを急かす。
ラフィは頷くと、レイフィールとエマの間へと入っていき、手刀をつくって天井へと掲げた。
「準備はよろしいですか? お嬢様方」
双方へと視線を流すと、二人の少女は互いに相手の目を見据えたまま、首肯する。
「では、これよりレイフィール様とエマ様による決闘を始めます。──試合、開始っ!」
合図とともにラフィは後ろへと大きく飛ぶと、瞬間、ラフィの居た場所で大きく空気が振動を起こした。
素早い動きで器用にレイピアがエマを捉えようとするも、大剣の強烈な横薙ぎ一閃によって武器同士がぶつかり合う。そしてそのまま鍔迫り合いの状態へと持っていく。
覚醒によって身体能力を高めあった状態からのぶつかり合いは、空気を震わせ、起こった衝撃が身体を伝って僅かに地面を揺らす。
しかし、正面からの真っ向なぶつかり合いとなるとエマとレイフィールの武器にはどちらが優勢になるかなんてものは目に見えていた。
重量と加速力を乗せた大剣は、筋力だけではない自然の摂理を取り込んだ強烈な一撃となる。
レイフィールは苦悶の表情を浮かべ、片手に握られたレイピアは受けきることができたものの、ぷるぷると肘から下が震えていた。
「やぁぁぁぁあーーーっ‼︎」
押し切れる!、と判断したエマは雄叫びをあげながら更に圧力を加えていき、渾身の力でねじ込んでいく。
傍で観戦するラプラの表情は曇り、「あ……っ」と喉から声が漏れる。
しかし、そこでレイフィールは涼しい表情へと変わると、大剣の型をなぞるようにしてレイピアを掲げるとともに受けるのを中止した。
支えを失った大剣は釣り合いが取れることなくその勢いでレイフィールの腹部目掛けて迫る。
だが、即座に剣の道筋を捉えたレイフィールは柔軟な身体を反らし、紙一重の所で大剣の下へと潜り込むと、そのまま身体を逸らしてエマの足元へと足刀を放った。
「あうっ」
その場に残ったものは大剣による光の軌跡のみ。
バランスを崩したエマは大剣に勢いを持っていかれ、振り下ろされた先の地の人工芝を蹂躙していく。
「自身の武器に振り回されてどうしますの?武器は操るものであって操られるものではありませんわ」
大剣の勢いに乗せられたエマは前方へと屈み込む。即座に後ろに回り込んだレイフィールは淡々と言ってみせ、手にしたレイピアを脇腹へと突き立てる。
「きゃっ!」
鋭い悲鳴と共に、エマは膝を地面へと落とすと大剣を手元からこぼした。
「そこまで!勝者レイフィール=シュタリーゼ」
エマに戦意がなくなったと判断したラフィが割って入ると、レイフィールの勝利を告げた。
あっけからんとした表情で試合を観戦していたお嬢様たちは、その様子にきゃーきゃーと騒ぎ立てる。
ラプラに関しては何故か涙を流している。立ち上がってレイフィールの元へと走っていくと、彼女へと抱きついた。
「うぅ〜……ありがと……レイちゃん。わたしのために……うぅ〜〜っ」
泣きじゃくるラプラの頭を優しく撫でながら、聖母のような笑顔をレイフィールは浮かべる。
「泣く必要なんてありませんわ。私はいつだってあなたの味方だもの」
その後、しばらく二人は姉妹のように抱き合っていた。
エマは何かが吹っ切れたように立ち上がると、レイフィールたちの元へと寄っていく。
そして、両の掌を太ももへとつけると、赤髪を揺らして頭を下げたのだ。
「ラプラ、ごめんなさい。それと会長も。わたし、これからはグレーシア女学院の生徒としてもっと他人に優しくできる淑女を目指します」
すると、ラプラはエマの両手を包み込んで無邪気に白い歯を見せた。
「えへへ、大丈夫だよ。これからは仲良くしてね?」
エマは優しい笑みを浮かべながらしっかりと頷く。
レイフィールも彼女らの元へと近づくと、エマに向かって賞賛の言葉を送る。
「貴女ならもっと力を磨いて強くなれますわ。またいつか手合わせ致しましょう」
互いに右手を突き出すと、強く握り合った。
しかし、遠目に見ていたラフィは鼻で笑って見せた。
「あんな生温い修行で強くなれるはずがない。俺には分からんな」
隣にいたリーシャが頬を膨らませて少し怒った様子でラフィの腕を叩いてくる。
「そんなこと言わなーいっ!女の友情ってやつだよ⁉︎ これだからうちの男どもは〜っっ」
「クソジジイと一緒にするな」
「はぁ〜あっダメだこりゃ」
ラフィの顔を見上げるリーシャの頬は少し紅潮している。
ラフィは壁際に設置された大きな時計へと目をやると、かなり時間が経っていたことに気付く。
「やれやれ。教師らしいことは何も出来なかったな」
リーシャはひょんと不思議そうな顔でラフィの呟きを聞き、目をパチクリさせる。
「任務だし別にわざわざ本気で教える必要なんてないんじゃないっ? なんだか、らしくないね」
リーシャの言ってることはもっともだ。ラフィは少しばかり浮かれていたなと自負すると、胸をなでおろす。
「そうだな。リーシャ、やっぱりお前は今日先に戻って休んでいろ。俺は少し一人で行動させてもらう」
「へっ? いやいやいや、一人はさすがに危険だって!もしも何かあったらどうするのよっ」
怪訝に眉を寄せてラフィに詰め寄るリーシャ。
「俺が誰にかやられるとでも?」
だが、その一言にリーシャは押し黙ってしまう。
ラフィの実力は同じギルドで過ごしてきた自分が何より知っている。
冷静な判断力と周りも認める優秀な実力を兼ね備えた彼が任務に失敗したなんて話は自分の知る限り聞いたことがない。
しばらく俯いて顔を上げたリーシャは首肯する。
「分かった。その代わり何かあった時は必ずあたしを呼んで」
「ああ。その時は頼む」
言い残したラフィはそそくさと歩いていく。生徒たちを呼び集めると、一礼して解散させた。
解散した生徒たちはぞろぞろと数人の集団を作りながらきゃっきゃっうふふと話しながらぞろぞろと両開きの扉をくぐっていく。生徒たちの中から、ライトブラウンの子リスと銀髪カールの高貴な生徒会長の背を見つけると、ラフィは後ろから声を掛けた。
「レイフィールさん。ラプラさん」
不意にかかった男性の低い声に、少し驚いた彼女たちは肩を上げて振り返った。
「あっ、先生」
「どうかされたのですか?」
ラフィは二人の顔を交互に見ると、完璧な紳士の作り笑いを浮かべた。
「いえ、大した用があるわけではないのですが。一つ質問宜しいですか?」
顔を見合わせた二人は、目を瞬かせると、「どうぞ」と言ってシンクロするように深く頷く。
「先程から気になっていたのですが、お二人のご関係はどういったもので?」
すると、レイフィールはご機嫌な様子でラプラの頭部へと手を乗せた。
「ラプラは私の自慢の妹ですわっ」
いや、そんな情報は資料に一切載っていなかったぞ。と訝しげに眉を寄せるラフィ。
しかしよく見たら顔つきも似ている気がする。資料を見落としていたのか? と考え込んでいたが、
「ちょっとレイちゃん⁉︎ あの、違うんです先生!わたしたちは姉妹とかじゃなくて、従姉妹なんです」
と、誤解を解くように必死にわなわなと手を振りながら説明してくるラプラにラフィは納得した。
「左様ですか。お二人はとても仲がよろしいのですね」
思ったことをそのまま本音として吐き出したつもりだっのだが、レイフィールとラプラは二人して顔を曇らせると、何か沈痛な面持ちで顔を合わせていた。
これには冷静なラフィさえも少しばかり焦りをみせる。
「あの、なにか至らないことを言ってしまいましたか?」
するとラプラはぶんぶんと首を横に振って、祈るように腕を組むとラフィを見上げた。
「違うんです!……実は、わたしたちはとっても仲良しなんですけど……。実は私のせいで」
「──違うわっ!ラプラは何も悪くなんてありませんわよ。悪いのは全て身勝手な理由で争う大人たち……」
それからしばらく、暗い表情を浮かべていた彼女たちの事情をラフィは真剣な面持ちで、黙って聞き入っていた。
やがて、レイフィールは躊躇いに遮られながらも何かを決心したようにラフィを見据える。その真摯な眼差しにラフィはゴクリと固唾を呑む。
「私とラプラ。シュタリーゼ家は、代々優秀な覚醒者たちを誕生させてきました。先生も、シュタリーゼという家名を耳にしたことはありまして?」
ラフィは首肯すると、レイフィールが語ろうとしていたであろう概要を自ら述べてみせる。
「国内最強と言われる、ギルド。聖天騎士団の創造者にして、代々ギルド長を務めるシュタリーゼ家。知らない者の方が稀でしょう」
「よくご存知で。そのシュタリーゼ家の本家に生まれた私。そして分家に生まれたのがラプラなのですわ。私もそうだったようにシュタリーゼの家系では十歳前後で覚醒者の力が目覚める……」
「──でも、わたしにはその覚醒者の力がないんです」
横から口を挟んだラプラは、顔に影を浮かべがっくりと肩を落とす。
「それで」とラフィの相槌に、レイフィールは言葉を続ける。
「シュタリーゼの名誉こそが全てな私のお父様は世間体を気にし、ラプラの存在を認めなかったのです。そしてお父様の弟であるラプラのお父様は、私のお父様とは意見が真っ向に割れ、仲の良かった二人はすれ違いやがてギルドも抜け、今は白騎士会という別のギルドを立ち上げ、ほとんど縁が切れたといっても過言ではない状態になってしまったのですわ」
ラフィは思考を巡らせる。話を聞く限り今回の件についてはどうもシュタリーゼ家の者が関わっているように思えてならないのだ。
しかし、それなら前回のシュタリーゼ家とは全く縁のない生徒たちが襲われた理由は? 考えすぎなのだろうか?
ラフィの思考の海に漂う糸は複雑に絡み合い、交わっては解けて行く。
「分からないな……」
誰にも当たることのできない苦言はふと呟きとなって口から漏れる。
「先生……?」
ラフィはレイフィールの声によって、ハッ、と顔を上げる。
「失礼……少し物思いに耽っておりました」
「なにか悩み事がおありなんですの?」
ラフィはしばし沈黙して、首を横に振った。
「いえ……」
「──そうよ!悩みごとがあるのっ!」
そこで声を張り上げたのは、黙ってラフィの後ろに付き添っていた、グレーシア女学院の制服に身を包んだレイフィールやラプラには見覚えのない少女だった。
「えっとお……ずっと思ってたんだけど誰だろう?」
おどおどと首を傾げるラプラ。急に声を張り上げる奇行を目の当たりにして、若干警戒している様子だ。
「あたしは転校生の……とゆーか」
リーシャはラフィを見上げると、ラフィの襟元を引っ張って自身の口をラフィの耳元へと近づけた。
「ねぇ? この子達にはバラしちゃってもいいと思うんだけど。シュタリーゼ家怪しすぎるもん」
コソコソと小声で言ったリーシャから距離をとると、ラフィは少し間をあけて、しっかりと頷いてみせた。
ラフィは咳払いを一つ入れると、先ほどよりも真剣な目つきで、レイフィールとラプラを自身の瞳に映した。
「お嬢様方。これから大事なお話をしますので、一言一句逃さずに私の言葉を耳に入れてください」
怪訝に眉尻を落としたレイフィールとラプラはしばらく見つめあうと、「はい」と返事をする。
ラフィは頷き返すと、ブォォオッ、と、焔が吹き上がるような勢いで全身から光を溢した。
あまりのプレッシャー、獣さえもが退いてしまうような威圧感に、レイフィールとラプラは息を呑む。
「なんて力ですの……」
「実は、私たちはとあるギルドから派遣されてきた使者なのです。レイフィール嬢、あなたの殺害予告の件についても詳しく聞き及んでおります」
「え……っ……」
初めて耳にしたのだろう、ラプラは声にならない声を漏らす。
一方、レイフィールも目を見開いて言葉を詰まらせ、驚きの様子を隠せない。護身兵であるアルバにしか使えていなかったはずの事情が出会って初日の人間が知っていようとは想像もつかなかったのだろう。
「レイフィール嬢の命は必ずや私が保証します。よければ、私に協力してもらえませんか?」
戸惑いつつも、ゆっくりとレイフィールは首を縦に落とした。
そして、ラフィは彼女たちと一つ──契約を交わした。
会話を終えると、二人は一礼して背を向け、建物から出て行った。
建物内に残ったのはラフィとリーシャの二人だけ。建物外は既に暗くなっているが、室内は照明によって照らされているため二つの影が伸びる。
「作戦は変更だ。さっきレイフィール嬢とラプラ嬢にも伝えた通り、今夜は別行動で動く」
リーシャは身体を大きく伸ばすと、天井を仰いで、胸ポケットから取り出したトランプカードを照明へと被せる。
「りょ〜かいっ。あたしも気を引き締めないとなあ。まぁ、暇してるよりは全然マシなんだけどねっ」
「難易度はかなり高めと考えておいた方が良いだろう。彼女たちの協力が無ければ出来ないことだ。それにチャンスは一夜限りとも言える」
リーシャはJOKERと描かれたカードを胸にしまい込むと、しっかり頷き、身を翻し顔だけをラフィに向けた。
「じゃっ、とりあえず帰ろっか?」
「ああ」
二つの影がドーム状の建物から去ると共に、自動的に照明が落ちる。
そしてラフィとリーシャは学院敷地内の所々に設置された街灯だけを頼りに門を抜けると、『我が家』である、裏ギルド──暗夜死団へと歩を進めた。
月明かりを落とす道には、コツコツという足音だけが響いていた。