・専務、極秘のお仕事
専務に言われたとおりに、眞子は専務のデスクにあるファイリングされている在庫リストの書類を抱えて応接室へと向かう。
事務所を出る時、徹也と麗奈が真剣な顔つきでディスプレイのコンセプトを話し合っているのを見てしまう。
いままで……。あそこにいたのは私なのに……。やるせないものが、再び胸にこみ上げてくる。また涙が滲んできた。
眞子は急いで事務所を出て、応接室に向かった。かえって良かった。あの事務所で仕事なんてできそうもない。あのふたりが見えないところでの作業でよかった。眞子はほっとしていた。
その時、ふと思った。もしかして、専務……。そのつもりで、応接室へ行けと言ってくれたのかな? そう思えてしまう。彼の意図がどうであれ、眞子は初めて専務に感謝していた。
そのおかげか、応接室のソファーに座った途端、いつもの集中力が戻ってくる。
在庫リストを眺めたが、品番と商品名だけで、その商品がどのようなものかまったくわからない。でも、これをアイテム別に分けていけということかと作業に取りかかる。
ひとまず、パソコンの中にデーター化しようかと、オフィス向けソフトを立ち上げる。そこに黙々とアイテム別に仕分けて、リストを組み直した。
これでいいのかな。専務もやっているようだけれど、どうやって分けていたのか。彼が出掛ける前に聞いておけばよかった。
気が動転していて、そんなことも気が付かないなんて……。この作業が二度手間になりそうで怖い。専務に連絡できる方法がないことにも気が付いた。
彼のメールアドレスなんて知らないし、携帯の番号だって……。
すると眞子の手元に置いていたスマートフォンが急に鳴ったので、ひとりきりの眞子はビクッと硬直した。
見知らぬ番号からの電話。無視をしようとしたが、妙な予感が働いて眞子はその電話にでてしまう。
「はい」
『本田さん? 慎之介です』
やっぱり! 専務と話したいと思っていたところの電話! 通じているみたいでびっくりする。
『慌てて出てきてしまって、どうやってリスト化するか伝えるのを忘れていたよ。カンナから勝手に連絡先を聞いたんだ。これから俺への連絡はこの番号に連絡して』
「はい、かしこまりました。それで、いまソフトでアイテム別に品番を振り分けているんですけれど」
『俺のデスクに、ファイルのコピーがあるからそれを本田さんのマシンにもコピーしておいて。やり方は合っている。さすがだね。でも俺と本田さんでリストは一本化にしておきたいから、おなじファイルを使ってくれるかな』
「わかりました。ファイルはデスクのどこに」
『いちばん上のダイヤル式ロックになっている引きだし。白色のUSB。在庫リストと書いているから。番号は……』
引き出しを開ける暗証番号をさらっと専務が口にする。
眞子は慌てて、復唱して頭の中に記憶する。
「これからこの番号はよく使うから覚えておいて」
「わかりました。早速、探してコピーしておきます」
『リストを見て、びっくりしないように』
では。と、仕事モードになっているのかずいぶんと淡泊な言い方で、専務から電話を切ってしまった。だが眞子はこれでやることが見えてきたと、再び事務所へと向かう。
専務のデスクに来て、身をかがめて引きだしについているダイヤルを回した。
カチリと鍵が開いた音が聞こえ、引き出しを開けると、言われたUSBメモリーがある。
それを持ち帰り、さっそくデーターを開いた。
「うそ。こんなに……?」
思っていた以上に在庫があって、眞子は驚いた。
在庫を抱えると言うことは、それだけ『売れていない』という損害、そしてその在庫を保管する場所代のコストがかかっていることを意味している。
――いちばん古い仕入れはいつ?
眞子は既に日付順に整理されているファイルを追って絶句する。
「三年前」
かなりの蓄積だった。一、二年ならともかく、きちんとできているはずの在庫整理が数年滞っていることになる。
――リストを見て、びっくりしないように。
このことだったのかと、眞子は言葉を失う。
眞子はつい座っていたソファーから立ち上がり、一人きりの応接室を行ったり来たり落ち着かなくうろうろしはじめてしまう。
「これを専務がずっと一人で? 経営的計算にシビアな社長が知らないはずもないし、副社長だって……」
社長は経営全般と社長としての職務に手一杯で、逆にカンナ副社長はこの会社を前進させるために最新のトレンドを追わなくてはならない精鋭部隊だから、バイヤーとして在庫など振り返ってられないだろう。
だから? 専務がその仕事を任命させている?
これのままでいいの? いまはなんともないの?
奇妙な不安が眞子を包み始める。
経営陣がなにもいわないこと、まだ社長自らがこの問題には着手していないようなので、致命的ではないようだった。
アパレルの仕入れには幾度通りかある。仕入れたものを店頭に並べ、売れなかったものはメーカーに返すというものがあるが、これは百貨店とアパレル大手が構築したシステムで売れ残りがあったとしてもメーカーが引き取ってくれる。そのぶん、プライスなどの値段決めはメーカーが主導を握っており、仕入れる店舗が客を呼び寄せたいための値引きやセールなどは勝手にできない。ここは完全にメーカー主導。そのぶん、店舗は売れ残りを抱えるリスクからは逃れられる。
徹也がいる横浜の大手ブランド会社などは、ほぼこの形式。
そして、『完全買い取り』という仕入れもある。メーカー側から完全に買い取る。そのぶん、売れ残りは引き取ってもらえない。ただ、買い取った以上、プライスの設定は買い取った側で自由に決められる。そういう取引で契約しているブランドもある。だがこちらは個人経営で成り立っている小規模な個人で立ち上げたブランドメーカーが多い。
『マグノリア』は、セレクトショップ。大手アパレルの有名ブランドでも、小規模個人ブランドでも、『よいもの』と会社が見定めたら、なんでも仕入れる。横浜のブランドと提携している為、百貨店にもそのブランド店舗を任されて出店はしているが、会社の本来の店舗は市内中心街にある『ファッションビル』の店舗だった。
『マグノリア』がセレクトした大手ブランドや中小メーカーと取引をして、大小の規模はあれど、これぞというセンスの商品を選んで店に仕入れている。
その中で、横浜のブランドは売れ残りは引き取ってもらえるがメーカー主導の仕入れ品もあるが、品質は優秀だが小規模メーカーのために絶対買い取りで仕入れている品もある。
いま、眞子が目の前につきつけられた品の数々は、その『返せない商品の蓄積、在庫』だった。
しかも三年も溜めている。ここだけでけっこうな損害だ。
眞子がいままで会社を見てきた経験から、だいたいは、売れなくても流行が過ぎてしまう前の二年の間に、在庫を消化してきたはず……。
篠宮の経営陣三人、社長に、妹の副社長、息子の専務。あんなクールな面差しで何事もない顔をしているけれど。
「だから、これを整理して在庫を透明化。再度、管理を見直そうと専務が任されているってこと?」
先程まで、副社長のアシスタントから外されたショックでうんと地底に突き落とされた気分でいたのに、もう眞子はこのごちゃごちゃしている在庫が気になってしようがない。
このまま放っておいたら、これから絶対にマグノリアの足かせになっていくだろう。それは眞子にとっても許せないこと。
こんなの、専務一人で、あんな忙しい人が一人ですぐにできる仕事じゃないじゃない!
俄然、眞子はやる気を起こして、ほんとうにブラウスを腕まくり! 元の椅子に座り込んだ。
「完璧に、アイテム分けをする!」