・まこちゃん、いつの間に!
緑の匂い。やっとこの日がやってきた。
「専務、もうすぐ開店です。お出迎えの準備、お願いします」
眞子が呼ぶと、専務は緊張した面持ちで、鏡の前でネクタイを締め直している。
「慎之介君、大丈夫。ほら、お客様の前では笑顔、笑顔。もうー、いざとなると時々緊張しぃなのは変わらないのねえ」
そういって大人の顔で専務を励ましているのは、今日、この店舗を快く貸してくれたマグノリアブティックの池田店長。
「売れるかな、売れないかな。在庫整理なんだけれど、買ってくれるかな。気に入ってくれる商品あるかな」
専務はそうして朝からぶつぶつ言いっぱなし。慎之介が若い頃から知っている池田店長は、母親のようにして大丈夫大丈夫と励ましてくれているところ。
専務と企画したシークレットバーゲン当日を迎えていた。
シークレットなので店はカーテンをかけて外から見えないようにした店舗内で開催することにした。目隠しをすることでいつもと違うものを売っているという外からの視線をシャットアウトすることと、シークレット感がでるだろうということで、専務と眞子が決めた演出だった。
そのカーテンをちらっと開けると、招待状を手にしたお客様がけっこう並んでいたので、眞子はびっくり飛び上がりそうになる。
専務、と呼びたかったが。これを見せたら余計に緊張しちゃうかなと思った眞子は呼ばないことにした。
そのわかりに、手伝いに来てくれていた麗奈が眞子の横に並んで一緒に覗いた。
「うわ、けっこう来ていますね。マグノリアの倉庫に眠っていた在庫だとわかっていても……なんですね」
「今日は麗奈も接客、よろしくね」
「わかっています。在庫がなくなるよう頑張りますね」
平常時の商品はすべてバックヤードにしまい、セレブな街の郊外ショップであるこの店の中は、昨夜のうちにすべて、眞子と専務が選んだ在庫商品に並べ替えた。
「おはよう。そろそろかねえ」
遅れてカンナ副社長も来てくれた。
副社長も、眞子と麗奈がいるところまできて一緒に外を覗く。
「わ、思ったより来てるじゃないか!」
予想外だったのかカンナ副社長も驚き、しかも妙に嬉しそうに興奮したような顔。
「招待状、素敵でしたもん。社長と副社長、それに店長達のおすすめコーデのリーフレットも素敵だったし、とても在庫処分だなんて思えないものでしたもん。お客様にも伝わったんじゃないでしょうか」
あの麗奈が、素直に眞子と専務がした仕事に感心してくれた。
「今日、ここに陳列された商品もとっても素敵に見えるし、とても倉庫に眠っていたものとは思えないですもん」
カンナ副社長も店内を見渡して『うん、そうだな』と頷いてくれる。
近頃は、カンナ副社長と麗奈も息が合ってきたようで、まわりから厳しいお母さんと娘なんて例えられるようになった。カンナ副社長は数年前のご主人を亡くされて独身だが、子供はいなかったので『母親』と言われるとなんだか照れくさいようで、でも、本当にそのつもりなのか麗奈を厳しく温かく育てているのがうかがえる。
いよいよ開店の時間がやってきた。
眞子がドアを開け、カーテンをめくってお客様を案内する。
「カーテンが開かないようにお入りください。開店です。どうぞお楽しみください」
凛々しいモデル並の専務が出迎えると、顔見知りのお客様が『しんちゃん、お久しぶり!』と喜んでくれる。
「こちらへどうぞ。おすすめいろいろありますよ」
接客となると、いつもの余裕の専務に戻れたようで、眞子もホッとする。
「カンナさんじゃない」
「いらっしゃいませ――。気になるものはござましたか」
カンナ副社長も馴染みがあった懐かしい顧客に会えたようで、すすんで接客をしてくれる。
「眞子さん。このカーディ、サイズ違いありましたっけ」
「このプリント使って。品出している商品の残っているサイズはここね。バックヤードにあるから」
わかりましたと、麗奈も積極的に接客に走ってくれる。
「まこちゃん、まこちゃんじゃない」
「ほんとだわ、まこちゃん! ほら、わたしたちよ!!」
懐かしい声に、眞子も笑顔がほころぶ。
このブティックに配属されていた時にお世話になったお客様ふたり。
「徳山様、佐藤様。お久しぶりです。ご来店、ありがとうございます」
毎週木曜日に、ご友人同士のふたりでここにやってくるお客様。
質の良いお洋服できちんとした身なりの、品の良い小柄のおばあちゃま達。
「こんな綺麗な招待状もらって、楽しみにしていたんだよ」
「在庫ですとあったけれど。そうは見えないわー。カンナちゃんが選んでいたこのストールが気になってたの、まこちゃんどれかな」
「こちらですよ。どうぞ」
「うれしいわー、まこちゃんに会えて」
「まこちゃん、大人っぽくなったね……」
今日はレエスで縁取られた黒いスーツを着ている眞子を、おばあちゃま二人がじっと見つめている。
「そうですか。そういっていただけると嬉しいです。こちらでお世話になっていた時はまだ二十代も前半でしたから」
気になっているというストールをみつけ、眞子はそれを広げて見せる。
「まだ肌寒い風の日もあるから首元を冷やさないためにもいいよね。うちら流行なんて関係ないから。質がよくて長く使えて気に入るものが一番」
「鏡の前で肩にかけてみられませんか」
と、姿見の方向へと手を伸ばし、胸元があいた時だった。
「まこちゃん!」
徳永のおばあちゃまが眞子が首から提げている社員証のカードをみて、指さす。
「みてよ、これ!」
そのカードを手にして、一緒に来た相方のおばあちゃまに見せた。そのおばあちゃまも驚いて、眞子を見上げる。
「まこちゃん! 『結婚』したの!!」
「しかも、『篠宮』って……!」
あ、見つかっちゃった。と眞子は誤魔化し笑い。カードの氏名が『本田』ではなくて『篠宮』に変更されている。
「はい、あの……。先月、入籍だけ……」
そのおばあちゃま二人が、今度はカンナ副社長へとすっ飛んでいった。
あああ、いま、他の客様の接客をされているのに……と、眞子も追いかけていく。
「カンナさん! まこちゃんが篠宮になっているんだけど、どういうこと!」
カンナ副社長も振り返り、『ああ、見つかっちゃったんだ』と苦笑い。
「ええっとさあ。うちの、慎之介とね……」
ええーー! おばあちゃまふたりがそろってのけぞった。そして次は、凛々しく接客をしている専務へと向かっていく。
「慎之介君! まこちゃんと、まこちゃんと……!」
専務も接客中だけれど、『あ、見つかっちゃったんですね』と嬉しそうな顔。
「そうなんです。彼女と結婚しました」
やっと本当に本当なんだとわかったおばあちゃま二人が眞子のところに戻ってくる。
「まこちゃん……、いつのまに」
「おばちゃんたち、いつもまこちゃんのこと気にしていたんだよ」
ふたりが揃って泣きそうな顔で、眞子の手を握るので、困惑してしまう。
「徳永様も佐藤様も、変わらずに来てくださっていると池田店長もから聞いておりました。私もよく思い返しておりますよ。辞めたいと思った時、まこちゃんに選んで欲しい、選んでもらってよかったというお手紙をくださったことで頑張れたことをよく思いだしているんです。ほんとうに、ありがとうございます」
「まこちゃん、おめでとう」
「まさか篠宮にお嫁にいっちゃうとはおもわなかったけれど。これからも会えるってことだね」
『はい』と眞子が笑顔を見せると、お二人もやっと微笑んでくれる。
「こちら、鏡で見てみましょう」
先ほどのストールの雰囲気を確かめるために、姿見の前まで案内する。
これいいね。これにする! あと、カーディガンも欲しいんだけれど。まこちゃん、選んで!
やっぱりこの仕事、好き。お客様の笑顔も好き。
これからずっと、夫になった慎之介さんと一緒にこの仕事していく。そう思えた一日……。




