・頼れる男の人だから
応接室に戻ると、凛々しいスーツ姿のままの専務がいつもの椅子に座って溜め息。ネクタイを緩めながら眞子に呟く。
「眞子さん。後藤さんのこと、そう思っていたんだ。まあ、俺もなんだけれどね」
「彼女、前から負けたくない私に『横浜に行く、古郡さんのところに』と意味深なことを言っていたんです」
「後藤さんも餌食にされたってこと? カンナが目を光らせてくれていたと思うんだけれど」
「後藤さんは要領がいいから。カンナ副社長の目を盗むこともできたのかもしれません……」
専務の目線が厳しくなる。
「似たもの同士で、組んではいけない者同士だったかもな。カンナもそこを悔いているんだと思う。たぶん、いま、カンナは三浦さんと一緒に、そういうおおっぴらにできないプライベートの後始末をどうするかを話し合っているんだと思う。だから部下である俺達がいると不都合だったんだろう」
「三浦部長も、古郡さんの女性関係に気が付いていたということですか」
「あの人、今年度の春に部長になっただろ。営業不振を改革させるのを任された最終兵器と言われているらしい。佐伯さんから教えてもらったんだ。最終兵器と言われるだけあって、ものすごいシビアらしくて、太鼓持ちのようなよいしょする部下はいらない。確実に数字をあげる努力する社員を採用する才能があるらしいんだ。去年までの部長は、逆にそういう太鼓持ちによいしょされて機嫌良くなって、気持ち一つで采配する昔タイプの部長だったみたいだな。もうそんな時代じゃないだろう。三浦さんがそういうところをどんどん見極めて排除しているとは聞かされている。だから芯がある仕事をせず、人の気持ちを操ってなんとかやってきた古郡君はそういうところ見極められたんだろうな」
「そんな手厳しい方なのですか。これから私も気をつけないと……」
不安がる眞子に、専務はやっといつものおおらかな微笑みを見せてくれる。
「大丈夫だって。なんたって、眞子さんは、俺にとってもカンナにとっても、自慢のアシスタントだから。三浦さんだって言っていただろう。本田さんのことは気にしていたって」
「専務も気にしていたと言っていましたよ」
「だよなー、うえー、俺も頑張らなくちゃいけないのか」
凛々しい上司から、おぼっちゃま兄貴に崩れたので、ついに眞子も笑ってしまう。
そこでやっと。眞子は彼に言う気になった。
「慎之介さん」
彼がびっくり目を見開いて、眞子を見ている。
「ど、どしたの。は、はじめて、呼ばれたんだけれど」
「専務ではない、私の頼れる男性として呼んでいるんです」
「え、え。う、嬉しいけど。なに、なに?」
もう堪えきれないとばかりに、頬を緩めちゃっているので眞子も笑いたいけれど。いまから言うことを思って、眞子は神妙にする。
「後藤さんのことなのですが……。結婚する約束をしたようなことを教えてくれていたんです」
専務の表情が一気に凍り付いた。そして眞子も、妊娠のことはさすがに言えず『結婚する』ということで伝えるに留めた。
「つまり、それって、古郡君……と、言うこと?」
眞子はこっくり頷く。
「私に負けたくなくて見栄を張っての嘘ならそれはそれでいいんです。そうあって欲しいとここ数日ずっと思っていましたけれど。でも、彼女はすっかり本気なんです。でも、専務から、古郡さんはそういう女性の気分をよくさせるよための男としての営業をすると聞いていたから心配で……。様子を見ようと思っていたら翌日から欠勤で判らずじまいになっています」
専務がそこで黙ってしまう。また急激に、険しい専務の横顔になってじっと一点を見据えて考え込んでいる姿。
「わかった。いいよ。その点についても、こちらが古郡君の素行に気が付いていなかったのだから、上司である俺とカンナの不注意。任せて」
「そんな、専務とカンナ副社長のせいだなんて……」
「俺も佐伯さんから情報をもらったのは大晦日近くだったんで、もっと早く気が付くべきだった。カンナも恐らく、三浦さんから聞いたのは最近だと思う。古郡君と後藤さんを離そうと思った時にはもう遅かったのかもね」
『ちょっと行ってくる』と、専務はネクタイを締め直すとそのまま出て行ってしまう。きっとカンナ副社長と三浦部長に報告に行くんだと思った。
これで良かったのかな。眞子なら上司には勝手に知られたくないと思う。麗奈のプライベートだから、大騒ぎにして欲しくないと思っているものの。身重かもしれない身体で横浜まで行って、徹也がいなくなったと知って絶望していないか心配だった。それとも、二人そろってアパレルから離れ、新しい環境で本当に結婚して暮らすというならそうであってほしいと眞子は願う。
しかし眞子の願いは届かない。麗奈が見つかったのは、その一週間後だった。




