・黒魔術も忘れていない(1)
あーあ、専務に豚汁作ってあげられなかったじゃない。
急にイベント担当の仕事も請け負ってしまい、今夜は専務と一緒に応接室でまた残業。
あの時にすっと帰っていればよかったなあと眞子も後悔。
六花の小川店長のおかげでノベルティはひとまず確保。専務と印刷所への確認などを済ませたところ。
ひと息ついて、眞子はお手洗いへと向かった時だった。
トイレにはいると、化粧台のところで麗奈が嗚咽でむせていた。泣いた後なのか、アイメイクが崩れてやつれた顔になっている。
そんな麗奈と目が合ってしまう。いまは、話したくない。眞子は逃げたくなったが、彼女が睨んでいたのでもうできそうにない。
ハンカチで口元を拭く麗奈が、ふっと唇の端をあげて微笑んだ。そして、いつも眞子に胸張って勝ち誇っていた姿へと瞬時に立ち上がる。
「笑っていたんでしょう。ほんとうは眞子さんが専務といろいろと企画を整えてきたのに。なにもしらないで、自分がやったように嘘をつく私のこと」
「ほんとうに麗奈自身が見つけたと思っていたよ。なのに。専務に交渉へ連れて行かれて、麗奈がほんとうはお店を決められなかったことをそこで知ったから。あの時は知らなかった」
「別に。そんな慰めみたいな嘘を言ってくれなくていいですよ」
本当だけれど。この状態だとなにを言っても信じてもらえないだろうと眞子は諦める。
「もう、いいんです。わたし、ここを辞めますから」
「え、どうして。今回のことで? でもこんなこと私だってよくあったよ。その度に副社長に怒鳴られて――」
「もう、仕事なんてどうでもいいんですよ!!」
爆発したように麗奈が叫んだ。しかもすごい形相で、眞子に詰め寄ってくる。
またすごい嫌味を連発される覚悟をした眞子だったが、麗奈は急に目の前でにっこりと微笑んで、しかもお腹をさらっと撫でた。
「ここに、いるんですよ」
なにもかもを手に入れたかのような、優美な女の微笑み。そして何度も撫でるお腹。
その意味が直ぐにわかり、眞子は叫びたくなる。
「い、いるって……。麗奈、まさか」
「眞子さんは。三年も古郡さんとお仕事をしていて、一度も相手にされなかったんでしょう。私は違った。ここにいるの。だから横浜に行くんだから」
つまり……。徹也と……抱き合って? 麗奈のお腹に? 妊娠しているという意味!
「ま、待って。待って、麗奈。古郡さんには、横浜におついあいしている女性がいたでしょう」
「それがなんだっていうんですか。もう上手くいっていない別れると言っていましたもん。別れていなくても、出来た者勝ちでしょ。彼と結婚するから、もうここはやめるの」
だから? だからなの。だから仕事が適当になっていたの? そう言いたい。でもそれどころじゃない!
「待って、麗奈。古郡さんには知らせているの? 病院にいったの?」
「もう、放っておいてください。イベントの仕事も、営業担当もなにもかも、眞子さんに返しますから」
欲しかったのは。徹也と徹也に近づけるためのポジション、そのために眞子の仕事が欲しかっただけ?
「返すって……。そんなふうに返されたって……!」
「そっちだって! 私の仕事に勝手に触っていたじゃないですか! 馬鹿にして、こっそりと。卑怯ですよ!!」
ドンと麗奈に突き飛ばされる。よろめいて壁に当たってしまったほど。その隙に麗奈が去ってしまう。
ど、どうしよう。それって徹也は本気で麗奈を愛してくれたの? それとも。専務が調べてくれたとおりに、麗奈の言うことを聞かせるために、弄んでの結果なの?
もし麗奈の女心を利用しただけなら!
眞子は急いで専務がいる応接室に戻った。
「専務! 聞いてください!」
お手洗いから帰るなり、すごい剣幕で迫ってきた眞子をみて、おじいちゃん眼鏡の専務がきょとんとしている。
「え、なにか。あった?」
後藤さんが、古郡さんと……。妊娠しているんです! ――と、言いたくて、言えなかった。
これって麗奈のプライベートだよね? しかも女性にとってデリケートな問題。軽々しく男性に、上司に、知らせていいこと?
それに。本当に妊娠しているかまだ彼女の口からはっきり聞いていない。
これまでも麗奈は見栄を張るために嘘をついていた。今回も、最後の最後、眞子に勝つために『眞子さんにはなかったこと。私にはできたこと』としての虚言かもしれない?
「いえ、なんでもないです」
「嘘だー。いまの眞子さん、超本気の顔していただろ」
「豚汁がつくれなくなったことに気が付いてしまって、うんと悔しかっただけです」
「うん、それは俺もだよ。そうだよなー、あーーー、食いたかった。日本酒の熱燗付きで!!!」
いつものかわいい専務になってくれて眞子はホッとする。
まだ様子を見ることにした。




