・女は潔く――
「うー、なんだよ。あの倉庫の凍てつく寒さ!!」
ダウンコートを着込んだ専務が、氷点下の雪空の下、鼻を真っ赤にして叫んだ。
今日も隣町にある倉庫から選んだ商品の品出し、そして運び出し。眞子もダウンコートを着て持ってきた紙袋に入れて持って帰るところ。
「もう~、あんな寒い倉庫に眞子さんひとりで行かせていただなんて。俺は酷い上司だ」
「なに言っているんですか。それに通っていた時はまだ雪も積もっていなかったからいまほどの寒さではなかったですよ。専務が他のお仕事で手が空かないから、在庫確認も滞っていたのですよね。だから私がアシスタントとして撮影に行けるようになったんじゃないですか。それに……。帰ってくれば専務がいつも暖かいものを準備して待っていてくれたので……。それも励みでした」
「……じゃあ、帰りにスープスタンド、寄っていい?」
背が高い位置で、専務がかわいく鼻をすすって、おねだりのお顔。眞子も『私も行きたい』と笑うと、専務も嬉しそうに微笑んでくれる。
事務所ビルに帰って、他のスタッフがいる事務室の前を通りすがった時だった。
「まだ決まっていない!? どういうことなんだ、麗奈!!」
副社長の怒声が通路まで聞こえてきたので、眞子と専務はビクッとして立ち止まってしまった。
事務所の入口のむこう、社長室ドアの前にいるカンナ副社長のデスク。そこで麗奈が項垂れて、立ち上がっているカンナ副社長の怒りを浴びているところだった。
「あと三日。お待ち頂けますか」
「この前も、そういって三日の猶予をやった。この時期まで決められないとはどういうことなんだ。一月になったらイベント招待用のDMを発注、発送を完了させないといけないだろ。ハンドマッサージを引き受けてくれるところが決まっていないと発注も発送もできないだろ! この企画は中止にするよ!!」
企画したイベントで依頼するハンドマッサージのセラピストが決まっていないらしい。眞子と専務は顔を見合わせた。
「古郡君はなんと言っているんだ」
「私に任せてくださると――」
「連絡は――」
「今日、すぐに致します」
「わかった。あと三日待つ。絶対に探して決めておいで」
肩が震えている麗奈が、さらに深々とお辞儀をすると自分のデスクにすっとんでいく。スマートフォンを手にすると通路に飛び出してきた。
反対側のドアから出てきたが、専務と一緒にいる眞子を目が合ってしまう。彼女の目に涙が浮かんでいたのはすぐにわかった。
「行こう、眞子さん」
彼女が眞子を見て睨んだのがわかったのか、専務がすぐに眞子の手を掴んで引っ張っていく。
応接室の在庫整理室に戻ると、専務が溜め息をついた。
「まあ、想定内だよな」
スープスタンドから買ってきた二つのスープカップを長机に置いた専務がなにもかもわかりきった言い方をした。
「想定内って――。イベントが中止になるかもしれないと思っていらっしゃったんですか?」
「ううん。それはカンナが許さないだろう。でも、後藤さんの手に余ることは予想していたんじゃないかな。言ってみれば? カンナのアシスタントとしては新人なわけだし」
椅子に座ってパソコンの電源を立ち上げながら、専務がさらに溜め息をつきつつ呟いた。
「眞子さんだからこそ、古郡君をコントロールできていたんだと思うんだよなあ」
「コントロールって、なんのことですか」
「わかっていないんだ。どうかな、後藤さんがうまくコントロールできるか、俺もいま見ているところ」
意味深に専務がにやっと微笑んだ。ちょっと意地悪い笑み。なんだか楽しんでいるようで……。でも眞子には思うところがある。アロマのハンドマッサージは中止になって欲しくないという思い。
その思いから眞子は意を決する。手帳を開き、最後のページにいくつか挟んでいるものから一枚取りだす。それを専務に差し出した。
「なに、それ」
専務がそのまま受け取った。彼が完全に開く前に、眞子は伝える。
「提案する前に、私が通って感触を確かめたアロマショップに、ハンドケアセラピストの個人経営されているところです」
専務が驚いて、座っているそばに立っている眞子を見上げた。
「三日で一見さんの者がちょっとショップを訪ねただけで『お願いします』『はい、喜んで承ります』――は、なかなか叶わないと思います。あちらのショップにも経営の予定がありますから。特に大手のショップはなおさらに無理です。もっともっと長い期間を設けて相談する時間を持たないと信頼だってして頂けません」
「あのな、眞子さん。まさかこれを後藤さんの手助けに?」
「手助けだなんてどうでもいいです。私はこの提案をしたいと思う前から、休みの日には自分のためにもハンドケアに通って、もし企画にできるならこのようなセラピストさんをこのお店を提案したいとあちこち通っていたんです。それも、私と同じように、いままで売り場でお世話になったお客様にもうっとりとした時間を過ごして欲しいからです」
専務が黙ってしまう。そして、どうしてか哀しそうに眞子を分厚いレンズの眼鏡顔でみあげている。
「その心がけは立派だよ。そんな社員がうちにいることはほんとうに嬉しい」
眞子は首を振る。違う。そんな崇高な心意気でしていたんじゃない。徹也と一緒に活躍できるため、彼に褒めてもらうために、次の企画を一生懸命に考えてきただけ。
「でも、眞子さん。どうしていつもこういう損をするようなことをするんだ。カンナだったら、損をしている眞子さんを見ても知らぬふりをしてきただろう。それも自分の責任だと思っていたはずだ」
「そうですね。損するのは慣れすぎて……。そして、流されていた自分がいたことは認めます。でも今回は納得できないから損してもいいと思っています」
「古郡君に後藤さんは、自分たちの手柄にすると思う。そういう勘違いであれこれ言われることも我慢できると?」
そこで眞子の心がずきんと痛んだ。……わかってる。『おいしい上澄みを吸い取ってしまう』麗奈はこれ幸いと自分の仕事にしてしまうかもしれない。徹也に至っては、営業上そつなく仕事が進むことを望んでいるだろうからホッとしてくれるだろう。
でも。眞子もこれまでは不純な動機で頑張ってきたところがある。このセラピストのリストだって、休日も通って頑張っていたその向こうに、徹也の笑顔があったから。
それならもう、彼のために使ってもらっても間違いではない。そしてこれで踏ん切りをつけたい!
それにお客様に楽しんで欲しい気持ちがいまこんなに強い。徹也とか麗奈とか、もうどうでもいい。
「構いません。お客様に楽しんで頂くことを思い描いて、あちこち通っていたのです。役に立ててください」
おじいちゃん眼鏡の専務だけれど、凛々しい眼差しにきりっと引き締まった男の顔。
「わかった。俺が預かる。ただ、眞子さん。損をするようなことはもうさせない。任せてくれるな」
「はい、専務。気遣ってくださっただけでもうれしいです。ありがとうございます」
「ちょっと行ってくる」
深刻そうな面持ちで、専務は眞子のセラピスト一覧を手にして応接室を出て行った。おそらく、カンナ副社長に見せるのだろう。
カンナ副社長がどう使うのか。それはもう眞子が関わらないこと。文句は言えないこと。その覚悟。
―◆・◆・◆・◆・◆―
翌日。ランチタイムになり『眞子さん、先に行っておいで』と専務が言ってくれたので眞子は在庫管理室を出る。
通路に出ると、向こうのエレベーターが開いてスーツ姿の男性が降りてきた。
眞子はハッとして、出たばかりの応接室のドアを開け隠れてしまう。
「後藤さん、おまたせ」
「古郡さん! 待っていたんですよ」
「それで。どう……。みつかった?」
ドアを少しだけ開けて様子をうかがった。
どうやら麗奈が切羽詰まり、カンナ副社長が『企画中止!』と決定する前に助けに来た――ということらしい。
「眞子さん、なにやってんの」
おじいちゃん眼鏡の専務が、もどってきてしまった眞子の後ろに来て訝しそうにしている。
「いいえ。なんでも。行ってきます」
笑顔で取り繕い、眞子はさっと外に出た。
徹也も慌てていたのか、もうそこにはいなくて、麗奈と一緒にカンナ副社長のデスクへと挨拶をしている姿を見つけた。
「これから後藤さんと一緒に、ショップを探して依頼を取り付けてきます」
そんな徹也の真剣な声が聞こえる。
「そう。わざわざ来てもらって悪かったね」
「いいえ。後藤さんに負担をかけすぎました。こちらも師走であちこちのショップに出張にでていたものですから」
「まあ当然だよね。……後藤には負担、か」
カンナ副社長がかけているエレガントな眼鏡、グラスコードが揺れてきらっと光った。
「今日明日には決めてきます」
麗奈も決意を秘めた目をしていた。
その隙に、眞子もでかける。




