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札幌小雪のファッション事情~魅力をひきだす専務の魔法~(改題前:ラブリー・ボス)  作者: 市來茉莉(茉莉恵)
【6】 ススメ、損する女
22/54

・らぶりー専務


 今夜、また雪がさらさらと降り始めている。歩く路地が真っ白に染まった。ブーツの足跡がたくさん残っている。

 昭和の頃からあるこの部屋のドアは古い。まだ灯りがついていて、眞子はそこに立っていた。


 肩に降り積もった雪を払い、ドアを開けた。

「お疲れ様です」

 ひとりテーブルで、企画書を仕上げようとしていた専務がとてつもなく驚いた顔で、目を見開いている。

「え、ど、どうしたの。本田さん」

「用事が終わったので、戻ってきてしまいました。お手伝いありますか」

 眞子の両手には、専務が教えてくれたスープスタンドで買ったカップが二つ。それを掲げて、にっこりと微笑んだ。

 なのに、専務はあのおじいちゃん眼鏡に変えてしまった顔で、茫然としている。

「眼鏡、元に戻しちゃったんですね……。素敵なスーツ姿にその眼鏡、もう、専務ったら……」

 まだ格好いいモデルのようなビジネスマンスタイルなのに、眼鏡がもう分厚いレンズのおじいちゃんになっていて眞子は笑ってしまう。

 そして、専務が座っていた椅子から立ち上がって、溜め息をひとつ。

 その時。彼がちいさいひと言をぼそっとこぼした。『心配させやがって』。そう聞こえたのは気のせい?

「損する眞子さん」

 眞子さん。最近、専務がときどき使う呼び方。

 おじいちゃん眼鏡の顔だったけれど、専務の眼差しがじっと眞子をみつめている。

「その性格で助けられたことは多々あれど、若干の心配が常につきまとう。カンナもそんな気持ちだったんじゃないかな」

「……なんの、ことですか」

 もしかして。眞子のいままでの仕事に対する根本的な気持ち。それを見抜かれている? ドッキリとさせられる。

「戻ってきたからには、もう、ふらふらしないように。俺ももう眞子さんを、誰にも貸さないし、渡さない」

 また。眞子の身体の芯がぎゅっと熱くなった。

 え、でもそれって、アシスタントとしてですよね? 聞けるわけもなく、でもそう聞きたい。

 眞子さん――なんて呼びながらそんなふうに言ってくれるんだから、勘違いしそうになる。

 そして専務もそれ以上の言及はせず、眞子から目を逸らしてしまった。

「よかった。企画書をいっしょに確認して欲しいんだ。俺の独りよがりになっていないか、わかりにくくないか。本田さんの目からも見て欲しい」

 ほら。やっぱり仕事であんなふうに言ってくれたに決まっている。

 そう、もう仕事の上で異性関係を意識するなんて嫌だ。徹也を気にするあまり、自分の思う意見を曲げた眞子。あんなふうにはなりたくない。

 きっとそれが、その姿勢が専務の仕事をこれから助けるはずだから。

「わかりました。プリントアウトしたものをこちらに回してください」

「了解――。って、いい匂いだな。それ、なに」

「専務が教えてくださったスープスタンドで買ってきました。専務もおなか空いていますよね?」

 その途端、モデル並み、仕事ができる専務の顔をしていたのに、あっというまにちゃっかりお坊っちゃまな、わんちゃん専務の顔になってしまっている。

「やったー! 腹減っていたんだよ~ ありがとうー、眞子さん」

 いつも眞子に頼み事をしてくるおぼっちゃん専務の調子で、眞子の手にあるスープカップの袋を取りに来た。

「おー、もう一度食べたかったスープカレーと?」

「秋鮭のクリームチャウダーです」

「どっちもいいな。どっちにしようかな」

「ごめんなさい。スープカレーは私が食べたかったんです」

「え、じゃあ。眞子さん、勝手に俺のぶんは秋鮭にしちゃったんだ?」

「そうおっしゃると思って。専務がどちらを選んでもいいように選びしたから、お好きなものをどうぞ。私はどちらも食べてみたいものですから、大丈夫です」

「あ、眞子さんまた損」

「ぜんぜーん、大丈夫です」

 専務がくすっと笑ってくれる。

 眞子も一緒に笑った。

 えー、そうなると迷うなーと、おじいちゃん眼鏡の顔で困り果てるかわいい専務は、もういつもの普段の専務だった。ああ、素敵なシャツにネクタイの格好いいビジネスマンの姿をしているのに。もう、いつものラブリーな専務にしか見えなくなってしまい、眞子はちょっとだけ苦笑いをこぼした。



 ―◆・◆・◆・◆・◆―



 翌朝も、眞子は事務室ではなく応接室へと出勤。

 専務は幹部ミーティングで社長室にいる。

 今朝も雪が積もった。昨日より積もったので、朝から冷え込んでいた。それでも先に出勤してきた専務が、応接室の暖房を効かせて暖かくしてくれていた。


 長机を付き合わせて作業をしているが、専務がもさもさに積み重ねているバインダーや、資料で使っている雑誌などをきちんと整理しておく。そろそろ朝会があるため、眞子も隣の事務室へ移動しようと、応接室を出た時だった。

「おはよう、本田さん」

 目の前に、黒いスーツ姿の徹也が立っていた。すこし疲れた顔をしているように見える。

「昨日、来てくれなかったんだね」

 すごくがっかりした声だったので、いままで彼に憧れ続けてきた眞子の胸が痛んだ。でも、もう……自分のために断ち切らねばならない。

「申し訳ありませんでした。こちらの仕事を手伝っておりました」

「カンナ副社長のアシスタントに戻れなくてもよくなったということ?」

 その問いも、ダイレクトに聞かれると心が揺れる――、けど。

「いまは、副社長に指示されたとおりにしていこうと思っております。私はもう大丈夫です。ご心配、ありがとうございました」

「……次のイベントの企画を、本田さんと話しておきたかったんだ。俺が企画書をあげて、カンナ副社長に認めてもらおうと。その為に、昨夜、話しておきたかったんだよ」

 その提案と気遣いにも、また眞子の心が揺れる。でも、それをしたからとて、逆に副社長を怒らせるのが眞子にはわかっている。

「古郡さんもご存じでしょう。カンナ副社長がそんなことでご自分の考えを覆すと思いますか?」

 彼もカンナ副社長のことは担当営業だけあってよく知っている。そこでなにも言わなくなった。

「せめて。本田さんが提案してくれたことを一緒にやりたかった」

 それも嬉しい。だがそこで徹也が辺りを見回し、誰もいないことを確かめると、眞子の耳元へと身体をかがめて囁いた。

「あの企画、もらっていいかな。きっとうまくいくよ」

 あの企画? 眞子は首を傾げた。

「ほら、アロマハンドマッサージの」

「ああ、そういえば……」

 だがそこで眞子は首を傾げる。徹也はこの前から眞子と話せば『アロマのハンドマッサージの企画』の話をしたいと言い続けているような……。

「とてもいいアイディアだと思うんだ。横浜の上司にもそれとなく告げたら、いいのではないかもっと詳しくと感触もいい」

「そうでしたか。……でも、私はもう……」

「俺が引き継ぐよ、それ」

 徹也がにっこりと微笑む。その微笑みに眞子は妙な違和感を持った。いままでにない、もの。奇妙な不安が心に生まれる。

「じゃあ、見ていて。成功させてみせるから」

 徹也はそれだけいうと、昨夜眞子が来なかったことなどもうどうでもいいようにして、肩越しに手を振って行ってしまった。

あれ。なに。このおかしなかんじ?

 え、待って。私が提案したアロマハンドマッサージの企画を引き継いで、それでその後に、本田さんのアイデアだったので考え直してくださいと、やっぱり副社長にお願いしてくれるってこと?

 だから。それは無駄であって、そんなことを眞子がお願いしていたなんて知ったら、余計にカンナ副社長を怒らせてしまう。止めなくちゃ!

 やめてもらおうと、眞子は徹也を追いかける。朝会が始まる事務室に入ると、今度は、麗奈が立ちはだかった。

「おはようございます、眞子さん。昨日はお疲れ様でした。すごかったですねー、専務の売り上げ。やっぱりさすがです。眞子さんも専務の側にいるだけでしたけれど、側で見られて勉強になったんじゃないんですか」

 また。突っかかってくる。でも、もう平気。それにわかってきた。麗奈がこうして眞子を攻撃してくるのは『不安』だから。そして眞子が嘆くのを見て、安心したいだけ。

「そうね。興奮していたよ。私はただただ言われるままに商品を持っていっただけだけれどね」

「ですよねー。でも専務と活躍しているような気持ちになれたんじゃないんですか」

 専務は眞子のアシストのおかげと言ってくれたが、麗奈にしてみれば専務にくっついていい思いのお裾分けをしてもらっているだけ――なのだろう。

 もうそのとおりでいいと思う。

「ただひっついてるだけだものね、だめだね、私。いつまでも。これだからもうカンナ副社長も戻してくれないんだね、きっと」

 麗奈がにんまりと笑う。ほら、安心したでしょう。大丈夫、あなたのポジションを脅かそうと虎視眈々と狙うなんて『暇』はいまはないの。いまは専務と大事な仕事をしているから。

「あ、そうだ。次のイベントも任されたんですよ。古郡さん、もう企画を思いついていて、それで行こうって、昨夜の食事会で話し合ったんです。遅くまで……」

 さらに麗奈が眞子を見て『ふふ』と微笑んだ。夜遅くまで。それを女として強調したいのだろうか。でも、徹也は食事会を一時間で切り上げ、眞子との約束のカフェに抜け出してきていたのでは? それとも、その後、眞子が来ないとわかって、また麗奈と落ち合ったのか。

 つまり。眞子だろうが麗奈だろうが、彼は会いたい女には会うだけなのだとも悟ってしまう。

「そう。頑張ってね。どんなイベントになるか楽しみにしてる」

「そうですか。きっと、その企画通ると思いますので、じゃーあ、眞子さんにだけ特別に教えますね」

 別にいいのに。そういう口の軽いことはやめておいた方がいいよ――と、先輩としてどう思われても良いから、諫めようとした。でもそんな眞子の顔を見て、麗奈も察したのか、さっと口を開いた。

「アロマのハンドマッサージをしようかと、古郡さんが。すごいでしょ。もう先を見据えて既に計画されていたみたい。今日、カンナ副社長に報告してから横浜に帰るんですって。私も忙しくなっちゃうかな。市内のアロマショップにマッサージショップを調べなくちゃ」

 ―― 朝会を始めます。

 専務の声が事務室の前方で聞こえ、皆がそちらへ向いて起立した。

 だから眞子と麗奈もそこで話をやめる。しかも麗奈は言うだけ言ってやったと満足したのか、入口に控えていた徹也のもとへと駆けていった。


 まずい。徹也が副社長に提案しちゃう。しかも眞子ではなくて、徹也が企画したことになっていて、麗奈はすっかりその気になっている。

 どうしよう。これ以上、こじれて副社長の逆鱗に触れたくない。

 もうそのことで心の中は大騒ぎ。専務の今日の周知が頭の中にはいってこなかった。




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