・専務の魔法で、お姫様
「本田さん、お久しぶり。お元気でしたか。心配していたよ……」
もうその甘い眼差しで言われると、それだけでもう眞子は頬が熱くなって胸がドキドキしてしまう。やっぱりどうみても、男の色香がすごいんだもの。やっぱり素敵……。もう彼に釘付けだった。
「有り難うございます。もう大丈夫です」
「大丈夫? ほんとに……。このまえはいきなりで、なにもしてあげられなかったから……」
ずっと憧れだった彼にそう言ってもらえると、いままで我慢していた涙がまた溢れそう。でも眞子はなんとか笑顔を返す。
「本田さん、ゆっくり話……」
徹也が言いかけたそこで、眞子の目の前をなにかが遮った。
「わあ! もうディスプレイ始めていたんですね! お疲れ様でーす」
ふわふわの黒いセーターを華やかに着込んだ麗奈だった。
「専務も来てくださったんですね! どうでしょう、今回の『私達のディスプレイ』。選びやすいカジュアルにしてみたんです」
眞子と一緒に来た専務にまで、麗奈は積極的に話しかけていく。
眞子は専務がどう答えるのか、じっと待ってしまう。
「うん。いいんじゃない」
ただひと言、にっこりと答えただけだった。
佐伯氏と話していたことを匂わせない笑み。専務は『それじゃないでしょう』に踏み込もうとしなかった。
「やっぱり佐伯さんがディスプレイすると素敵ですー。出来上がったら、画像撮りしたいと思いますので、お声かけてくださいね」
麗奈の勢いの良さに、佐伯氏はほんの少し苦笑いを浮かべつつ『了解』とウィンドーに戻っていく。
「できあがったのをチェックしていきたいんだ。しばらくお邪魔するよ」
急に専務が冷ややかな目線で、麗奈を見下ろした。背の高い専務が、篠宮社長譲りの仕事の顔になると、さすがの麗奈も怖じ気づいた様子で喋らなくなった。
「古郡さん、メーカーイチオシのコート、もうバックに搬入されていましたよね」
「はい。いま、後藤さんとパッキン開けと検品していたところです」
徹也も、専務が真顔になると、仕事をする男同士、構えた顔になっている。
その専務が、今度は眞子を見下ろした。
「行こうか、本田さん。入荷された商品をチェックしようか」
「はい、専務」
なにかをやろうとしている目に見えた。眼鏡の奥の黒い瞳がきらっと光った気が眞子にはしたのだ。
専務について、ショップの奥、バックヤードへ。壁際は入荷された服がポールハンガーにぎっしり掛けられている。床には搬入されてきたパッキンが開けられていて、その中にも新商品の洋服がぎっしり詰まっている。それを取りだし、保管用のブティックハンガーにかけ直し、伝票と商品タグを照合して入荷数と品番が間違っていないかをチェックしてから商品出しをするようになっている。
それがあとひと箱で終わるところだったよう。そんな作業の後を見て、眞子の胸がにわかに痛む……。
いつもなら。ここで徹也とふたりきりになれる貴重な時間だった。仕事とはいえ、その仕事をしながら素敵な男性と会話をしつつの楽しい時間だった。
それを、今日は麗奈がここで……。眞子のようにふたりきりで……。
「これだな。メーカー押しのコート。本当はこれをディスプレイしたかったはずなんだよな」
専務の声に、眞子ははっと我に返る。箱の中からブティックハンガーにかけ直され、袋をかぶっているコートを専務が手にとって眺めている。もうそんな雑念は捨てよう。またここで、自分の気持ちを混ぜ込んだ仕事をして専務に迷惑をかけたくないし、見限られたくないから。
「いいのかな。古郡君も……。本社の意向を無視するなんて……」
困ったように専務が溜め息をこぼしていた。そして眞子もそれは不思議に思っていた。絶対にこのコートを全面出しにしておすすめ商品にするはずで、副社長と一緒に横浜本社の展示受注会についていった時もメーカーさんの押し具合も相当なものだった。
そして眞子も……。
「このコート素敵ですよね。カシミヤで手触りがよくて、軽いですし。私、これ買いたいんですけれど……。おすすめ商品だからだめですよね」
眞子もそのコートに触れてみる。色違い三色、サイズごとの一点ものとして展開する予定。眞子が自分のサイズのどれかを買ってしまうと、もうお客様はその色のそのサイズが買えなくなってしまうから遠慮してしまう。
「買うなら、本田さんもお客様。別にいいんじゃないの。そうして遠慮していると、本当に欲しいもの、いつか逃してしまうようで心配だな」
心配? 思わぬ言葉を聞いて、眞子はひっそりと、でもけっこうびっくりして専務を見てしまう。
「大人のいいラインだよな。これ」
専務が惚れ惚れした目と微笑みで、まるで女性を愛でるようにしてコートをじっと見つめている。
その目に、眞子は思わずうっとりとしてしまう。そういう女性を素敵にしようと見つめる専務の目って、すごくセクシーだって感じたから。
「どの色が欲しいのかな」
専務に聞かれ、眞子も答える。
「黒です」
「黒ねえ。確かに大人の色だよな。だけれど、敢えて……」
そう言いながら専務が手に取り直したのは、違う色のコート。ほこりよけのカバーを取り外し、黒いハンガーからコートを外した。
「着てごらん」
すらっとしたスーツ姿の専務が、静かに眞子の後ろにまわった。そうして、コートの袖に腕を通しやすいように広げてくれている。
「あの……」
「こっちのチャコールグレーの方が、きっと似合うと思う」
眼鏡の専務が今度は笑わずに、でもじっと眞子を見つめて言う。
その目につられるようにして、眞子は専務が開いてくれているコートへと袖を通す。
またドキドキしてきた。こんな海外のメンズモデルのような、王子様みたいな品の良い専務に、恭しくコートを着せてもらっている。まるで、お姫様のように。
眞子にコートを着せると、きちんとした着こなしになるように衿を整え、裾もそっと綺麗なラインになるように跪いてまで伸ばしてくれる。
その姿が目の前にある大きな鏡に写っている。コートを着た眞子は今度は違うときめきを感じてしまう。
「素敵。やっぱりこのコート素敵ですね!」
「うん。大人の女性の香りだ。本田さんはかわいい系の顔立ちだから、黒よりも重さを抑えたグレーの方が品が良く顔写りもいい。買うならこっちが俺はおすすめ」
黒を買おうと思っていたのに。でも専務が言うとおり。品の良い女性――になったような自分の姿。また専務が女性に魔法をかけたかのような感触。
「取り置きしておこう」
「いいのですか」
「もちろん。専務の俺が許可するんだから」
「在庫が……」
「もしどうしてもというお客様がいらっしゃったのなら、いつも通り、全国のどこかのショップからひっぱってくるよ」
はいはい、脱いで脱いで。見つからないうちに取り置きするよ。と、専務がさっさと眞子からコートを脱がし、ハンガーへとかけ直す。そうして他の場所へと取り置いてくれた。
「ありがとうございます。専務」
「さて。俺達はいまから、リベンジだ」
眞子が最初に欲しかった黒のコートを片手に、専務がにやっと笑う。
「本田さんも手伝って。黒と白を着せるから、白の38号を持ってきて」
「は、はい」
専務は黒、眞子は白のコートを持ってバックヤードから店頭へ出た。




