・あなたのところに戻れたのなら
ランチへ行こうとエレベーターを待っていると、事務所から麗奈が電話片手に外に出てきた。
眞子とも目が合ってしまう。でも麗奈はこちらに向かってきながら、笑顔で電話の会話を続けている。
もうそれだけで眞子も察してしまう。横浜に帰った徹也と連絡をしている姿なのだと。
「はい。昨日は有り難うございました。そうですか。そちらのディスプレイチームと話し合いを始められたのですね。はい、はい。ご報告お待ちしております」
こいうい連絡は本来なら副社長としているはず。眞子はこんなふうにあからさまな連絡は取り合ったことはない。そいういうところ麗奈は積極的に副社長から任されるようにその権利を勝ち取ったのだろう。
眞子はそういうことが苦手だった。だって、恋している相手と話したいが為の気持ちを強調した仕事を副社長にお願いするなんて――。眞子は決してできない。
でも麗奈は勝ち取ったし、副社長も許可したんだと、また空しさと自分の積極性の無さを噛みしめてしまう。そうして、なにもかも損をして、なにもかも積極的な子に先を越されている。やっぱり自分が悪い情けない。
「いま眞子さんがそばにいるんですけれど。お話しします?」
眞子の目の前まできた麗奈のその言葉に、眞子は戸惑った。昨日の今日、急転直下の配置換えに長く一緒に仕事をしてきた徹也も戸惑っていた。眞子も彼と昨日のことはゆっくり話したいと思っていた。
「眞子さん、古郡さんも話したいそうです」
なんのつもりなのか。麗奈がかわいいデコをほどこしているスマートフォンを眞子につきだしてきた。
「いいの?」
「だって。昨日の副社長のやり方、あんまりだったじゃないですか。私も後味悪いんです。古郡さんもすごく気にしていたし」
麗奈からの施しなのか、それとも彼女の親切なのか。眞子はわかりかねた……。でも彼と話したい欲求が勝る。眞子は麗奈のスマホを片手に耳に当てる。
「古郡さん、お疲れ様です」
『本田さん! ああ、よかった。やっと話せた!』
待ちわびてくれていたかのような声に、眞子はまた涙が出そうになる。でも麗奈の前では絶対に見せたくない。そこは必死に堪えた。
『帰る時も挨拶をしたいのに、事務所ではない部屋に閉じこもって専務に任された雑務をしていると聞かされて……。その部屋に挨拶に行きたいと願い出たけれどカンナ副社長にも止められてね。もう慎之介のアシスタントで専務の業務をしているから古郡君とは関係ないし、仕事の話をしたい時も慎之介を通してほしいと言われちゃって』
「そうでしたか。こちらこそご挨拶もできず、あのままで申し訳ありませんでした」
『いま、なにをしているの』
「はい。専務のお仕事を手伝っています」
『どんなこと手伝っているのかな』
聞かれて、眞子は口を閉ざす。彼は外部の人間。いまやってることは言えない。きっと麗奈も知らないだろう……。
「専務の雑務です」
『ええ、もったいないな……。本田さんほどの社員をただの雑務だなんて。あの専務、本当に仕事しているのかな。正直、あの人がいつもなんの仕事をしているのかわからないんだよね。まあ跡取り息子だから、いまは手伝い程度なんだろうけれど』
専務はそんなんじゃないと眞子は言い返したくなった。人知れずの事務仕事は父親の社長を支えてるものだし、たまにお得意様が来たらものすごい売り上げを叩き出すし、発注のバランスを最終チェックしているのも専務で、その中で売れそうなものは高価なものでも思い切って発注している。父親の経営経理も、叔母の売り場のバックアップもちゃんとしている。外回りの営業だって、百貨店の幹部と堂々と駆け引きをするのはいまは専務の担当。
『本田さん。戻れるように俺からもカンナ副社長にお願いするから。待っていて』
そういわれ、眞子はドキリとして麗奈を見てしまった。麗奈はそれを望んでいないはずなのに。麗奈の電話でそれを言える徹也に驚かされた。
「いえ、副社長の意向に従ってください。でもありがとうございます」
『今度そっちに行ったら、二人きりでお茶をしよう。話したいこといっぱいあるんだ』
「あの、」
『専務にはいわずに、出てこられるかな。ほら、この前言っていたアロマのハンドマッサージ。あんな話をまたしたいんだ』
専務には言わずに? 副社長には慎之介の許可なしには眞子とは業務の話はしないよう言われていたのでは? 眞子は眉をひそめる。
「すみません。後藤に代わりますね」
麗奈に悟られないよう、眞子は曖昧に濁したまま、彼女にスマホを返した。
麗奈もなんとなく感じ取っていたのか、眞子から返ってきたスマホをさっと耳に当てる。
「古郡さん、次に来られた時なんですけれど……。次のイベントの……」
余計なことをしたと言わんばかりの冷めた目つきでさっと踵を返して事務所へと戻っていく。
専務に内緒で会いたいと言われた。眞子も徹也に会いたい。ゆっくり話したい。
でも。いままではそれで良くても、次回から彼と話すことは、副社長と専務の意向を裏切ることになる。
どうすればいい?
恋と仕事は別だと思うけれど、でも恋をしながら仕事をしてきた。眞子の仕事はいつだって、徹也を思いながらしてきたもの。
でもこれからは違うのではないか。そして、恋を糧に仕事をしてきた自分を思い知らされた気もした。なんでも徹也の為だったの? 私……。
次に彼が来た時、私はどんな気持ちになる? 彼を見てしまったら、眞子は徹也に誘われるままカフェに行くかもしれない。