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ニーナ

作者:
掲載日:2016/10/17


 僕は猫。この家で飼われている。

 名前はトラ。性別はオス。



 ママは僕に新しいおもちゃを買ってきてくれた。

 前のおもちゃはもうボロボロになって捨てられたから。



 ママは値札をハサミで切り取ってから、僕に渡してくれた。

 僕はなんだか嬉しくなって、おもちゃをくわえた。

 そんな僕を見てママは「気に入ってくれてよかったわ」と、優しく微笑んだ。






 おもちゃはネズミの姿をしている。

 体は灰色の毛が生えていて、プラスチックの鼻先はピンク。

 申し訳程度につけられた手は小さくて可愛い。



「ねぇ猫さん、あなたのお名前は?」

 僕は目を大きく見開いた。おもちゃが話せるなんて知らなかったから。

「僕はトラ。君の名前は?」

「私の名前はまだないわ。つけてもらえるかしら」

 おもちゃのネズミには赤いリボンがついている。

 だから僕は、この子は女の子なんだと思った。

「女の子だからニーナはどう?」

「まぁ、とっても素敵な名前ね。気に入ったわ。ありがとう」

 ニーナと名付けられたおもちゃのネズミは、とても嬉しそうだった。





 僕たちは毎日一緒に過ごした。毎日遊んだ。

 遊び終わったあと、僕はニーナを舐める。

 これはありがとうの気持ちなんだ。

 彼女はくすぐったいと言って笑った。

 そのたびに彼女についている毛は少しずつなくなっていく。




 ある夜のこと。

 僕はいつものように彼女を抱きしめながら眠っている。

「そろそろお別れかもしれないわね」

 その声があまりにも小さかったから、僕は聞き逃さないように耳をピンと立てた。

「どうしてそんな悲しいことを言うの?」

「悲しいことじゃないわ。だってだからこそ、私たちは出会えたのよ」


 

 カーテンが閉められたまっ暗な部屋。

 僕は夜行性だから暗くてもよく見えるけれど、ニーナはどうだろう。

 もしかしたら何も見えていなくて、怖がっているかもしれない。

 怖くなったから、そんな悲しいことをつい口にしてしまったのかもしれない。



 僕はそう思うと、胸がいっぱいになった。

 そして僕の手と同じ大きさのニーナを、なくさないように両腕で包みこんだ。

 ニーナは僕に体を預けた。僕は鼻先でニーナの匂いをかいだ。



 僕を安心させてくれるニーナ。

 隠れるのが上手なニーナ。

 悲しいことを口にするニーナ。

 彼女の匂いが、なによりも好きだった。





「あなたは鳥さんになりたいと願ったことはあるかしら?」

「あるよ。僕は自由に空を飛んでみたいんだ」

「でも鳥さんも、猫さんになりたいと願ったことがあると思うわ」

「なんで? だって鳥さんは僕に出来ないことができるんだよ」

「鳥さんは空を飛べても、あなたのように地面を走ったり、私を両腕で抱きしめることは出来ないの」

 それを聞いて、僕は急に自分の体が愛しくなった。

 生まれて初めて、この両腕があってよかったと思えた。



「誰にでも役目というものがあるわ。鳥さんは空を飛ぶことが役目。あなたはママやパパを幸せにすることが役目」

「じゃあ……、ニーナの役目は……?」

 聞きたくなかった。きっと彼女はまた悲しいことを口にする。


 

 彼女は太陽の下ではいつも楽しい顔をしてくれていた。

 一度だって、その顔が悲しみで染まることはなかった。

 だから彼女は、今の自分の顔を見せたくなかったんだと思う。

 でも僕の目は暗闇の中でもよく見えるから。

 彼女が悲しんでいる顔を初めて見た。

 ニーナが僕のために秘密にしていたことを知ってしまった。


 

「私の役目はもう終わりなの。きっともうすぐ新しいおもちゃが来るわ」

 僕はそのことを理解できた。ニーナが初めてじゃなかったから。

「ママがね、言ってたのよ。もうボロボロだから買い換えないとねって」

「そんな……。ひどいよ」

「ママを責めないであげて。ママはいつだって、あなたの幸せを考えているわ」

 このときばかりは、ママと同じ人間になりたいと願った。

 言葉が通じたら、ニーナは捨てられずにすむ。



「私、幸せだった。ここの家族になれて、私の人生は幸せだったの」

 ニーナは微笑んでいた。目を薄く細めて、僕を諭すようにそう言った。

 それなのに今度は僕が悲しい顔になってしまった。

 彼女の優しい作り笑いが、温かかったから。



「僕が遊ばなかったらよかったのかな?」

「そんなことないわ。トラさんと遊ぶ毎日が私の宝物だったの。それを忘れないで」

「でも、僕が君を舐めたりしたから……君はボロボロになってしまった」

「そのことを後悔しないで。だって私、あなたに舐めてもらうのが好きだったのよ。愛されていることが分かるから」

 ニーナは自分の毛が取れてしまった部分を見つめる。

「私……今の自分が好きよ。ほら、あなたと過ごした証がこんなにたくさん。私の一番の自慢なの。たくさん愛してくれてありがとう」


 

 僕は鳥さんになりたいと思った。人間にもなりたいと思った。

 でも僕はやっぱり猫に生まれてよかった。

 僕はニーナと出会えたから。ニーナと毎日を過ごせたから。

 この暗闇の中でも、ニーナの微笑みを見れたから。 

「愛しているわ、ずっと」

「僕もだよ」

「おやすみなさい」




 夢の中で、僕はニーナと遊んでいた。

 くわえて運んで、僕のとっておきの場所に招待する。

 素敵なところね、と君はいう。

 そんな君が好きだった。




 次の日、僕の腕の中からニーナは消えていた。

 僕は飛び起きた。そしてニーナが隠れていそうな場所を探した。

 ベッドの下。椅子の下。テレビの裏側。

 どこにもニーナの姿はなかった。




「ニーナ、どこに隠れているの? 出てきて」

 僕は彼女の名前を必死に呼んだ。

 喉が痛い。こんなに大きな声は出したことがない。

「ニーナ、ニーナ、どこにいるの?」

 そんな僕の声を聞いたのはママだった。



「まぁ、どうしたの。そんなに鳴いて」

「ママ、ママ、ニーナがいないんだ。どこにいったかしらない?」

 人間のママに言葉は通じない。

 だからママは困った顔をした。

 ママは僕を抱っこしてあやした。

「大丈夫、大丈夫だからね」


   

 僕は部屋中を見回した。するとゴミ箱の中に赤いリボンがちらりと見えた。

 僕は飛び降りた。そしてゴミ箱をひっくり返した。

 これがいけないことだとは知っていたけど、どうしてもニーナに会いたかった。



 ゴミ箱の中から、ニーナが出てきた。

「あぁ……。よかった」

 彼女は僕の方を見た。とても複雑な顔をしている。



「さよならを言いたくないの。言ってしまったら、もう会えない気がするでしょう? でも言わなかったら、また会える気がするでしょう? だから、何も言わないで。何も言わないで見送ってほしいの。私ってわがままかしら……」

「分かった。さよならは言わないよ」

 僕はニーナをくわえて、その場所を離れた。

 そしてとっておきの場所でニーナと寄り添う。



 ひっくり返ったゴミ箱を片付けたママが僕のところへ来た。

 怒られると思ったけれど、ママの声は優しかった。

「トラちゃん、ごめんね。そんなにその子がお気に入りだなんて、気づかなかったわ。ゴミ箱をひっくり返したことなんて一度もなかったもんね」

 ママは僕の頭を撫でた。

「もう捨てないから安心してね」

 それを聞いて僕はゴロゴロと低く喉を鳴らした。





 それからずっとニーナは僕といる。

 灰色の毛はもうほとんどない。

「今とても幸せよ」

 僕が舐めるとニーナはそう言った。

「私、一つだけ勘違いしていたことがあるの。聞いてもらえるかしら」

 彼女は小さな目を愛情たっぷりに細めて、僕の目をまっすぐに見つめている。



「本当の私の役目は、あなたとずっと一緒に幸せでいることだったの」



 おかしなことに、僕は嬉しいのに涙が出そうになった。

 でも猫だから、そういうときに涙はでない。

 だから僕は猫でよかったと思った。

 他の誰でもないニーナと出会えた猫でよかった。



 僕はもう一度彼女を優しく舐めた。

 すると彼女は

「くすぐったいわ」

 と嬉しそうに笑った。

   

  

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― 新着の感想 ―
[良い点] おもちゃと猫の持つそれぞれの性質が生かされた、切なくも、最後はほっこり温かくなれるお話でした。 言葉の伝わらない相手であるママに、一緒に居たいとの気持ちが通じるシーン、最後のニーナが嬉し…
2017/06/07 17:23 退会済み
管理
[一言] かけがえのなさを感じる物語でした。 あなたじゃなくちゃダメ。 そういうもの。
[一言] にゃんことぬいぐるみの組み合わせは反則…! 動物だからご主人様に言葉が通じないもどかしさ。 でも最後には気がついてくれて良かった。 ほっこりじんわりさせていただきました。
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