有能な宰相
何をどうしたらいいのかさっぱりな私の状態を察し、眼鏡の人はほかの魔族を王の間から追い払ってくれた。
「魔王様はお疲れでございます。謁見はまた後日改めて」
「承知しました。新魔王就任のお祝いもしなくてはなりませんな」
「えぇ、ミュゼラ伯爵の御尽力があれば盛大な式になることでしょう」
丁寧な挨拶を交わす魔族たちの言葉が頭を素通りしていく。
やけに長いな。何言ってんだろ。
いやそんなのは問題じゃない。
問題は私が人殺しをしてしまったということだ。
あぁ神様ごめんなさい、罪深き子羊をお許しください。
そんなつもりはなかったんです。だってまさかあんなので死ぬなんて――いや言い訳をしてはいけない。殺意はなかったけど死んだのは確かなのだ。この手で一人の命を絶やしてしまった。ううううぅ……。
胸が苦しい。比喩表現じゃなくて物理的にキリキリ痛む。荒縄で心臓がしめつけられてるみたいだ。いーたーいー。
自分の体を抱きしめるようにして痛みに悶えていると、眼鏡の人が優しく声をかけてくれた。
「大丈夫ですか?」
「……あ、あんまり」
有り体に言えばストレスがマッハです。
「わたくしは前魔王様の宰相を務めておりました、ハリー・コレイドルと申します」
「ハリーさん……」
「はい。魔王様のお名前はカヤマ様でよろしいでしょうか」
「……佳山梓です」
さらさらと砂が零れるような自然さで本名を言ってしまう。
今の私に保身を考える余裕はない。
「繋がったお名前ですか?」
「いえ、佳山が家名です」
「なるほど。そういう文化なんですね。お教えいただきありがとうございます。これまで王位に就かれたことは?」
「ないです……」
「そうですか。では今後、何かわからないことがございましたらわたくしにお尋ねください。陸の用兵は主にゴドス・ノリアンド、空の用兵はリュハーン・ジュカ、諜報や撹乱などはディリラ・ハーロウが受け持っております。その他の分野は大体私の管轄です」
その他って……相当広くない? この人どんだけ有能なの。
「魔王様、僭越ながらお疲れのようですからお座りになられた方がよろしいのでは。それとも御就寝なさいますか? 部屋を用意させます」
ハリーさんはきんきらきんの玉座を示して言う。座る部分はふわふわのクッションがあるから気持ちよさそうだけど、私はこれに座れるような心境じゃないんだよ~。
だって人を殺して地位を奪い取るなんてどう考えても凄い悪い奴じゃん。
「ハリーさん」
「はい」
「私が魔王になるのって覆せないんですか? ほ、ほら、前の魔王様って気さくな感じで人望ありそうだったし、慕われてたんでしょう? いきなり私が魔王になったりしたら反発する人出るんじゃないですか?」
「問題ありません。何故なら、最も反発する権利があるわたくしが魔王様に従っているからです」
ハリーさんは理知的な微笑みを浮かべた。
「わたくしは前魔王の息子です」
え!? マジで!?
「じゃ、じゃあ私は、親の仇ということに」
あ、胃まで痛くなってきた。
ここで胃に穴が開いたらちゃんと治療してもらえるのかな。中世ヨーロッパっぽい雰囲気からして医療の発達具合はあまり期待できそうにない。
ってああぁ現実逃避してる場合じゃないよ。なんて言って謝れば……。
青ざめている私を見て、ハリーさんは憎悪を欠片も感じさせない穏やかさで慰めるように言う。
「お気になさらず。私は父に対する親愛の情はございましたが、そのために魔族の決まりごとを疎かにするほどの愚か者ではありません。それに間近で見ていたのですから、あれが事故のようなものだということはわかっております」
「ハリーさん……」
いい人だ……。
いい人っていうか出来すぎな気もする……人間普通そんな簡単には割り切れないよ。あ、人間じゃなかった。
「すいません、ハリーさん。ありがとうございます。でも腹が立ったら、遠慮なく罵ってくださいね」
「いえ、むしろ負い目はこちらにございます。わたくしどもが召喚の儀を行わなければこんなことにはならなかったのですから。しかし来たる人間界との戦争に備え、どうしても戦力の補強が急務との奏上が多く寄せられ、前魔王様がご決断してしまわれたのです」
せ、戦争……。
これ以上まだ人死にが出るのか……戦争の決着がつく前に間違いなく私の神経が切れる。
「なぜ戦争を」
「人間界とは長い間交流がなく、外交どころか貿易すらしていなかったのですが、先日魔族と仲が良い獣人の一族から、人間界が魔界に戦争を仕掛ける準備をしているとの報告がされました」
「はあぁ……領土拡張目的ですか?」
「えぇ、それと魔界の産物が目当てと思われます。魔力をよく通す鉱石や質の高い薬草が取れますから」
資源獲得かぁ。でもそれって、なければ飢え死にするみたいな切羽詰まったものじゃないよね。
神様、愚かな人類をお救いください。なんだったらもう人間界と魔界の間に絶対通れない壁とか築いてください。
「じゃあ魔族からしたら、防衛戦争なんですね」
「えぇ。逆に人間界に攻め入ろうと主張する急進派もおりますが、全ては魔王様の御心次第です」
「戦争嫌です……」
「御意。では魔王様、魔界の統治を引き受けてくださるのですね?」
「あ……あー、うー……」
そうだった。まずそこで迷ってたんだ。
私は頭を抱え、ひとしきり唸ったあと、玉座にすとんと腰を下ろした。ずっと立ちっぱなしだったからめっちゃ楽になった。はああぁ、このクッション素晴らしい……このままここで眠りたい。けど、我慢我慢。
緩んだ顔を精一杯引き締めて,ハリーさんに頭を下げる。
「未熟者ですが、頑張りますのでよろしくお願いします」
殺されるよりはましだ。
それに、戦争が迫ってるとか聞いたあとでほっぽり出すのは後味が悪い。人を殺した事実が消えるわけじゃないけど、少しでもこの世界の平和のために力を尽くしてみよう。
……でも何ができるのかなぁ。一応正体不明の『力』があるとはいえ。
ハリーさんは今までで一番いい笑顔で玉座の前に跪き、私の右手を取って指先に唇をあてた。
あーなんか騎士みたいな……あれは手の甲にキスだったっけ。
……。
「ひゃあっ」
慣れてないもんで反応が一拍遅れた。
見かけによらず気障ですねハリーさん!?
貴族ってみんなこんなもんなの?
感心していると、ハリーさんは落ちていた王冠を拾って恭しく私に差し出した。
「念のため御被りになってください。真の魔王が身につけると正面の宝玉が輝きます」
「真の魔王?」
「前魔王を倒したか、前魔王に認められた者のみが魔王を名乗れます」
「はぁ」
僭称を防ぐためか。便利だなぁ。
王冠はかぼちゃみたいに丸く膨らんでて、中央だけきゅって窪んで、そこからぴゅいって尖った棒が突き出てるタイプのやつだ。金の素地に銀の紋様が刻まれ、それを縁取るようにきらきらした宝石が埋め込まれている。一面だけくすんだ色の大きい石が嵌まってるので、多分ここを前にしてかぶればいいんだろう。
ハリーさんから王冠を受け取って頭に載せる。
「大丈夫ですね。素晴らしい輝きです」
ハリーさんはにこやかに言ってくれるけど、私はげんなりした気持ちで背もたれに寄り掛かった。
「……重いですね」
一体何キロあるんだ。前魔王がマッチョだった理由がわかった。そりゃこんな重いのかぶらなきゃらならないなら体鍛えもするよね。
これってずっとつけてなきゃなんないのかな。確実に肩凝りになる。せめて宝石がこの半分の量だったなら。
「お気に召さないなら、魔王就任式の時だけ御被りになればよろしいかと存じます。ただ、その場合魔王様のご尊顔を存じ上げない平民に無礼な態度を取られることがあるかもしれません」
「それは別にいいです」
威張りたいわけじゃないんで。
私は早々に王冠を取り、ハリーさんに返してしまった。
「保管頼みます」
「かしこまりました。ではこれからの予定ですが、どうなさいますか? 今決めてしまわれるか、明日改めてお決めになるか」
予定……あぁ、施政方針とか魔王就任式での対応とかそういう……? 面倒……超面倒……一介の女子高生にこなせることなのかそれは。
王冠より重いプレッシャーが圧し掛かってくる。今の私は魔王、多分魔界最高権力者。私の決めたことで誰かの人生が変わるかもしれない。ひいいぃきっつい。
でもこれはあれだ、罪滅ぼしみたいなもんだから……が、頑張らなくちゃ。
また無意識に胸を抑えていると、私の浮かない顔に気づいたハリーさんが苦笑した。
「気負うことはございません、魔王様はただそのお強さをお示しになってくださればよろしいのです。細かいことは我等にお任せください」
「え? いいんですか?」
「はい。そもそも一番武力がある者が魔王になるという仕組みからして、魔王は政治能力を求められていません」
あっ、そういえば脳筋サイコー種族だったわ、魔族。
「つまり馬鹿でもいいからとにかく強い奴頭にしとけと」
「ご推察の通りです。魔族は本能的に強い者に従います。逆に言いますと、自分より弱いと思えば絶対に従いません。なので、魔王様は強さ、頼もしさ、逞しさを誇示なさる必要があります」
「あー……」
前魔王適任過ぎだな。
強さ、頼もしさ、逞しさ?
できるのか私に。
……。
できるとかできないとかじゃなくて、やるしかないんだ。
一番できそうな人を私が殺しちゃったんだから、その埋め合わせをする責任がある。
私にできないことがあるなら鍛錬し、足りないものがあるなら無理矢理捻り出す。そうやって少しずつでも努力していけば、そのうち地位に見合う器にもなれるだろう。きっと多分恐らく。
うじうじするのは性に合わない。
前向きに行こう、私。
それに書類に齧りついて経済とか政治考えるよりはずっと楽なはず!
「やってやんよハリーさん!」
ぐっと拳を握りしめ、勢いよく立ちあがる。
と、くら、と眩暈がして、体が傾いた。
「ま、魔王様! 魔王様!?」
い、いかん、思ってたより負荷掛かってた。
初めて聞いたハリーさんの動揺した声をBGMに、私は急速に眠りに支配されていく。ぷつりと何かが切れたような音がして、静寂が訪れた。