決闘
2015年・日本
コップの中の嵐は日本全土へ甚大な影響を波及させた。
原点たる公立学園を中心に空前の学園改革時代へ突入した。
地方各地から噴出する教師陣の汚職問題も看過不能な不祥事ではあった。しかし、一番は、それまで自由放任の影で蠢き光明にその正体を隠匿していた闇の真実が世間に与えたダメージは果てしなかった。長年解決を先延ばしされた因果が巡り巡って盥回しにされた終着点は義務教育の世紀末。
学生は一般国民にとって恐怖の対象としか認識されぬまでに状況は悪化の一歩を辿った。
これを受けた日本政府は国家転覆規模にまで膨れ上がった異常事態に対して特別学園維持法を発令。
学生の有する潜在的残虐性への対応案が満場一致で可決されると政府は持てる武力を総動員して悪徳の坩堝である全国学園正常化計画へ着手する。こうして学生の肩書きを荷われた若者たちはその身分を喪失するまで一般国民から切り離された生活を余儀なくされた。そんな学生たちが修正の元に教養される授業は、宛ら罰を課せられた囚人が罪の有無に関わらず必要悪として処されるに等しい過酷で壮絶な秒刻み教育カリキュラム。残虐非道を体現した教育現場。
政府の失態は、この力で力を押さえつけようとした一点にある。
圧搾されたバネ細工が摂理に従い反発力を蓄えていくと悟った時にはすでに遅かった。
運命に選ばれし若者たちと政府の暴力装置による正面衝突の火蓋が切って落とされる。
次第に力を増していく全国の各地方学園は時には協力し合い、時には相手の裏を掻き合い、時には共倒れで全てがご破算になってもそれでも彼らは抗う術から手を離そうとしない。自由と言う名の悪徳を擁護し、それを赦さぬ正義へ反抗する気骨を一日だって休めようとしなかった。こうして、学校や学園の有する暴力という名の権力は国家規模の軍事力ですら迂闊に手出しすればただでは済まされない脅威に膨れ上がった。皆が口を揃えて告げる。
「義務教育は滅び去ったのだ」
これから始まるのは学生による学生の為の学生自らが骨肉を喰らい合う一大巨編大河世紀末武勇伝。
友情あり、努力あり、勝利で愛を掴み取れ若人たちよ。
学校で教わるのではない、学生自身が己が母校へ存在価値の拳を叩き込め。
そしてこれより、後に学園戦国時代と呼ばれることになる日本史始まって以来空前の学生闘争。
火蓋を切る以前に語られる激動の未来と滅び逝く過去の狭間。
始まりの英雄に骨子を与えし立役者が選ぶ前哨戦に至らぬ現在の物語。
◆
とても陽気に満ちた快晴日和。
こんな日は激動の時代に先んじて打ち立てた変革の序曲に耳を澄ませるに限る。
手元の紙束には数々の名前と個人情報が記載されている。
天王寺 真夜 ☆
・学園スクールカースト永年上位女子[姉]
・帰宅部。
・健康的な太陽の小麦色肌がチャーミングポイント。
合致率:○ 能力適正:×
天王寺 亜矢 ☆
・学園スクールカースト永年上位女子[妹]
・バレエ部。
・姉と対照的な夜空の星狭間から舞い花開く深雪の如き色白肌。
合致率:○ 能力適正:△
東方 大成 ☆
・相撲部。
・【暴走機関車】の異名を持ち、対戦相手は仕切りと同時に次の瞬間負ける。
合致率:◎ 能力適正:×
君塚 典孝 ☆
・代々、学園を運営する一族出身の体育教師。
・元男子新体操王者。
・校長の実弟、以前の赴任先で女生徒相手に問題行動を起こしたが一族の手でもみ消された。
合致率:◎ 能力適正:○
カナン・スフィル・ストランドペトロラム ☆
・一年A組生徒。
・海外留学生。
・両親は×××××××の××××で校長一族の計らいで×××探し中。
合致率:◎ 能力適正:◎
雪音 真琴 ★
・黒髪お下げメガネ。
・図書委員長。
・瞬間記憶能力者。
合致率:完全一致 能力適正:完全一致
※人格面の影響に要注意。
以上の六名が特に重要な人材。
これから始まる学園戦国時代で必須の人材。
文面最後の注釈文まで目を通してから、進は個人情報の紙束から顔を上げた。
場所は学園の屋上。
一望出来る校舎内と周囲の住宅地は、これまでと何一つ変わらず在り続けている。
それが見せ掛けに過ぎないと日本国民全員がどこかで感じ取っている。
暴露された教育の暗黒は学生を冠する若者たちに対する一般認識を保護から警戒へ引き上げた。
無痛に抱え込んだ獅子身中の病巣に議事堂が回らぬ会議を無理にでも終わらせようと未成年だろうと赦されない法案可決に躍起となっている頃合い。学生たちへの直接的な圧力はまだ少しだけ未来の話。皆が頭上に迫る暗雲に自然と俯いてしまう。昨日と今日で伝える情報が右往左往する意味を為さないニュース速報に国民たちが頼りない国家基盤に怯える世情において、
「俺、楽しみでワクワクが止まらないぜ」
だからこそ進はこの現在から無数に広がる未来の道筋が見通せた。
「この空気は久しぶり」
何が起こるかわからないけど、起こる全てが興奮と冒険の未知で形作れらた酸素分子。
明日の朝が待ち遠しくて夜も眠れず星空へ未来を馳せる鼓動の高鳴りが囁く希望への分子結合。
「俺とルーティアが冒険を始めたあの草原と同じ臭いがする」
鋼の駆体で仲間と疾走した異世界のフェアライン大陸で絆が育む爆発的化学反応の波乱万丈さ。
「これだよ俺が現実に求めたいのは。この異世界みたいな現実を待ち焦がれていた。こっちでも探せば見つかった。俺一人では見つけられなかった、あとで勇気に感謝しよう」
お陰で生きる愉しみが二倍になれた。
勇気が交わらぬ筈の世界を黄金なる喜びの黄昏に変えた。
どうやって現実の苦しさから耐えようか逃れようかと多大な労力を裂いていた生身の脳細胞が、今ではどうしようか楽しいこの現実と異世界をどのように満喫しようか考えが掘り当てた間欠泉の勢いで止まらない。無論、それまで進の感じた現実に対する苦痛は断じて無駄ではない。狂おしい現実に牙を剥き、鍛え抜かれた心身の自力があってこそ進は自由で気ままに遥か無限の可能性を自らへ提示出来るのだから。
進は感謝する、自らを苦しめていた己の現実を。
進は抱擁する、自らが苦しめていた現実の己を。
一でも欠けていたら全て存在し得なかった現在を開いた掌で掴み直す。
離別と再会、そして決別と邂逅。
「グッバイ・アンド・ハロー・マイ・ワールド」
間もなく進が生まれ墜ちた現実は致命的な変質を及ぼす。
その前に、法則の基盤が次代へ変節する狭間で為すべき願望を間断なく執行せねばならない。
古きが新しきに駆逐される未来は運命の輪転に組み込まれいる。それは描いた神にすら修正不可能な聖地極まる画板。しかし、些か性急に描き仕上げられた完成図には若干の自由創作の空白が残されている。
つまり、滅びる運命は避けられない。
ただし、滅びる様式は委ねられた。
営む人のうねりが荒波高ぶる時代という大海で、先を見据える者だけが暗雲切り裂く航路を導ける。
進が考え、実行し、確定するは無数に偏在する確立時空の一。
自分にとって、勇気にとって、彼にとって、彼女にとって最良の未来。
彼ら以外の他人にとって、巻き込まれる味方以外にとって最悪の滅路。
「高みの見物で、このまま勇気一人に任せて問題は無い。けど、ダチが身体を張ったんだ。俺も負けてらんねえよ」
時の歯車と連動して開始の産声を待ち焦がれる。
「何だよ、何なんだよこれえ!? 一体全体どうなってんだよオイ!?」
眼下の校舎外縁から悲鳴に近い叫び声が屋上まで届く。
情けないと進は視線も向けずに風を受ける。
「高々学校から外に出られない程度で動揺してたらこの先やってけないぞ」
今宵、進と勇気の所属する学園は彼らの願望成就の礎となる。
礎に、蟲毒の大釜へ。
学生と教師である以上は虫一匹だって逃がさない。
徐々に異常事態の認識が広がって騒がしくなる下界から切り離された屋上。
電話の着信音に手が伸びる。
相手はこの異常事態の協力者。
「やっほー兄ちゃん。ありがとうね学校封鎖。これなら一日で済ませられそう」
堂島組とその影響が及ぼす全公共機関でこの学校を完全に外界から遮断している。
叫んでも喚いても直近の民家にすら届かない陸の孤島。
「でも前にお願いした時は出来ませんって言われたから今度も断られるとばかり考えてた」
『あの時は若が乗り気ではありませんでしたからお断りしました。ですから、今こうして本気で事を為されようとしている若に力添えしない理由はありません』
「人の尊厳を損なう行為でも?」
『他者を蹴落として這い上がるのは当たり前です。若ご自身が傷を追ってでも成し遂げようとしているのなら止める訳がない。それが正しい人の生き方です。私から言わせて貰えば、最近の若造たちは命を大事に過ぎる。自分も、他人も』
最終確認さえ済めば会話の必要性は消失する。
「それじゃあね兄ちゃん、生きてたらまた会おう」
『ご武運を』
プツンと通話が切断される。
これで学園外との繋がりは完全に遮断された。
教師を含む全生徒が小さな箱庭に封絶された。
以前に勇気が断言したように足立家の財力と裏の権威を駆使すれば不可能は存在しない。
これでこの学び舎の内側はあらゆる意味で外界と断絶された。ここからは学園内で何が起ころうと公には初めから無かったことになる。どんな惨事で血で血を洗おうと外には一切漏れず事実は公表されず世間のニーズに適応した情報として拡散される。例え、進が誰を殴ろうと。例え、進が誰を殺そうと。例え、進が誰を犯そうと。例え……進自身が死に絶えようと。
学内に在る以上、進自身も弱肉強食の掟に当て嵌められる。
だからこそ良い。
そうでなければいけない。
殴るのだから殴られる覚悟は済ませている。
死ぬ覚悟も殺す覚悟も、全て背負って生きる覚悟も、だからこそ進は罪悪感無く気兼ねせずにこれまでとこれからの精算を実行する。
「威くぞ」
その背中は、運命の流転に航路を見出し踏破する私掠免状。
夢見る未来印した船旗を波立たせ無謀な航海に漕ぎ始めた。
◆
どうして自分がこんな目に遭っている。
こんなの不条理だと叫ぶ口元は猿轡で閉ざされ呻くしかない。
私、天王寺 真夜の人生にこんな異常事態ありえない。
「あ、起きちゃった」
底辺が物申す姿を見上げる自分が無性に腹立つ。
見下ろすのは私だ。
見上げるのはてめえの役割だろ常考。
「急がないと。よいしょ」
視界がプツンとパソコン画面みたいにシャットダウン。
暗転した視界が晴れると背中に冷たい床の感触が密着していた。
気絶させられた真夜は意識を取り戻すと床に大の字で仰向け状態で拘束されていた。
「起きる前に済ませたかった。外も慌しい。進くん大丈夫かな」
襲撃者と思われるその生徒を睨み付ける。
そして地面に書かれた幾何学模様が横倒しの視界に映り出される。
幾何学模様の、円状の、西洋文化において魔術的な意味合いを持つ文字列。
「……ぁ」
その背中と接する魔法陣に気付いた瞬間に真夜の第六感が最大級の警報を鳴らす。
ヤバイ、逃げろ。
今すぐに抜け出さないと、取り返しの付かない事になってしまう。
「うわぁああああああああああああああああああっ」
体が凍りつくような悪寒に大声を上げて、逃げられないと理解しながら手足を乱暴に動かした。
「離せ、離せ、離せぇぇぇぇぇえええええええっ」
「安心して。必要以上に傷つけはしないよお」
開かれた掌が、
「君が必要なんだ」
握られた拳が、
「だから君は消えて」
遠慮なく心臓へ撃ち放たれる。
美しくも脆弱な乳房が拳で押し潰される激痛に悶えながら真夜の施術工程は滞りなく進められる。
「【孤独は愛へ欠乏は豊かさへ苦しみは喜びへ】」
心臓の奥、血流を遡った脳細胞の先、意識の根本へ。
「【我が聖なる蛮行】」
唱え終わると同時に、生きる上で最も大切な部品を組み替えられる。
意識が沸騰して弾ける瞬間。
「【赦す莫れ】」
それが真夜のこの世で最後に聞く言葉となった。
◆
世間に先んじた暴力の伏魔伝と相成った学び舎。
開始の発端は、学内から脱出不可能が共通認識となった後で問題となったのは外界との流通遮断による食料難。食わねば生きて活けない。しかし、自由な移動範囲内で得られる食物は数限られていて絶対数も少ない。初めは話し合いで収めようとした事態は他愛無い世間話で盛り上がっていた級友たちが生存を賭けて血の海に沈むサバイバルへと発展した。そして荒れる小さな箱庭で無数の意思が錯綜する。
互いの利点を噛み合わせて同盟による複数戦を仕掛ける知恵者。
あくまで単機による独占を主張し現実に成し遂げている拳闘者。
この惨劇に乗じて意中の女子へ性的な暴行を加える野蛮な輩も散見する。
人間が、特に思春期の未成年が抱えるエゴが緊急事態によって曝け出されている。
いずれ日本全土が同様の凶行で染められると考えればこれはその予行演習。実際、極限状態に本能と感性を研ぎ澄まされた珠玉の金銀が混沌とする学び舎の盤面を優勢に進んでいる。
この騒乱を勝ち抜いた生存固体こそ後の動乱で勝ち鬨を上げる金の雛鳥。
それら未来の原石が束になっても太刀打ち不可能な異次元の鬼神が校内の一角で陣取っていた。
陸上部の短距離スプリット記録を上回る。
空手部沈黙。
科学部製ペットボトルランチャードリフト回避。
剣道部大破。
迅風がアメフト部を蹴散らす。
柔道部壊滅。
野球部の鉄バットを受け止め逆に握り潰す。
「ここから先は行かせない」
鬼神または嵐を征服する海賊の名は足立 進。
「誰からでも掛かってこい。まとめて相手してやる」
進は校内で最も堅牢な構造物である体育館の入り口で陣取り、踏み入ろうとする生徒たちを一人残らず蹴散らす。
戦乱の武将に匹敵する底力には秘密がある。
それは進が唯一封絶前に持ち込んだ異世界技術の産物。
製品前の試作品を専門知識に不足しながら独力で作り上げたような印象を感じさせる無骨な拳の守り手が進の戦闘力を増大させていた。見窄らしい手製防具が闘気を巡らせる。
「持ち応えてくれよ【聖騎士の鉄甲・改】」
異世界から輸入した知識で作った自家製アイテムが装着者へ付与する仮初の一騎当千。
真なる武芸者からすれば粗雑な棍棒を稚拙に振り回しているに過ぎないが銃火飛び交う戦場と無縁な素人相手ならば何百人集まろうと十分な性能を発揮する。素人だけに限定すれば。
「お退きなさい」
見えない聞こえない感じ取れないハイキックが汗だくな進の側頭部を頭蓋骨ごと蹴り砕こうとした。
防げたのは偶然。
「くぅ……がッッツツツ!」
運良く両腕を高く構え直したら偶然に激烈な蹴りの軌道上に左腕が重なった。
生まれながら玄人相手では鍍金は容易く削ぎ落とされる。
「私はお姉さまを探しておりますの。邪魔ですのでお退きなさい」
こんな場面でも頭角を現すのは常日頃からトップランクに君臨する常駐者たち。
天王寺 真夜と同じ学園カースト永年上位生徒にして実の妹である天王寺 亜矢。
彼女は統率された集団を率いて居所の知れぬ姉を手探りで捜索していた。
「本当に姉さんここへ運ばれたの?」
「間違いありません。後を付けていた後輩が確かに目撃しています」
部下の報告に体育館内を見通そうと目蓋を細める亜矢。
その視線の直線状で進は右手で左腕を押さえながら仁王立ち。
「誰かと思えば足立 進さんではありませんか」
「俺の名前を知って貰えるとは光栄だ」
「知らないほうが無理ですわ。畜生にも劣るカス風情が何様のつもり。怪我したくなければそこをお退きなさい」
「ここは通さない。そう言ったのが聞こえなかったか?」
「……っふう」
雪のような白指が進を指す。
正確には進が右手で押さえている左腕を指摘する。
「その左腕もう使い物にならない。それでよく強く言えますこと」
命が助かった代価に進の左腕は死んでいた。
適切な治療を受けなければ二度と肩より上には持ち上げられない。
「このバレエ部主将兼エースである私の足技に一人で勝てると考えているなら驕り高ぶりもほどほどにしなさい」
「勝てなくても時間が稼げれば俺は十分だ」
「時間稼ぎが目的ですの? そんなことをしても無意味。私の蹴りは避けられない」
バレリーナは舞台上で重力を制する。
その制した重力を加えた脚力は攻撃に転換すれば岩をも穿つ。
「貴方に援軍なんて来ないッ!!」
敗北へ誘う美脚が刈り取ろうとした進の魂。
「それなら私がいますわ」
亜矢と瓜二つの容姿で肌色だけが褐色に異なる美貌が遮った。
両手を十字に交差させて死神の足鎌を完全に相殺する。
「ずっとススムの隣に」
天王寺 真夜が五体満足で進の眼前に着地した。
「お姉さま! ご無事でしたか?」
こんな混沌とした暗黒街みたいな学園内で唯一の肉親が無事である事実は何よりの幸福。
姉の無事な姿に亜矢は険しい表情を明るくしながら駆け寄る。
「お姉さま! お姉さま!」
探し続けた大切な家族の身を案じる強い想いが無防備を生み、
「誰ですの貴女」
渇いた空気が破裂するような音が響いた。
自らを心配する実の妹へ真夜が遠慮なく張り手をかましたのだ。
全力で、無防備な頬に、予想外な痛みが軸ぶれを赦さぬバレリーナの足元を揺るがした。
「おねえ、さま?」
亜矢は一瞬、自分が何をされたか思考が停止した。
呆然と姉を見つめる妹。
「君が一番乗りだ」
進が姉に馴れ馴れしく語りかけていく。
「俺はウソなんて吐かなかっただろ?」
天王寺 真夜であって、天王寺 真夜でない少女へ語りかける。
「ようこそルーティア」
「ええ、信じられない。世界がもう一つあるなんて」
真夜の身体を乗っ取ったルーティア。
こちらの世界に来て初めて発した言葉は静かな驚きで満ちていた。
「ここが進の生まれた世界?」
姿形はそのままでまったくの別人と化した永年上位者は、虐げていた進へ親しい口調で言葉を話す。
とても親しげな様子で。
「……思っていたモノより狭いですわね」
「ここが学校だから狭くて当たり前だ」
「外に出れば広いのかしら」
「さあ、人それぞれだろ」
「姉さん、どうしてッ」
どうしてそんな奴と嬉しそうに喋るの?
まだそれが姉だと錯覚している亜矢は混乱が収まらない。
肉体は同一人物なのだから。しかし妹が訴えかけた相手は魂が異なる。
「生きていられるだけありがたく思えこのムシケラ」
自分とまったく同じ力量の姉。
彼女と進がコンビを組んだことで天王寺 亜矢も姉と同じ末路を辿る。
◆
学園カースト最底辺と次席のコンビが同カースト内永年上位女子生徒姉妹と協力関係を結んだ事実は学び舎内の趨勢に大きな反響をもたらした。
「どうしてあの二人がありえない」
「嬉々として畜生たちと戯れているらしいぞ」
「それこそ信じられない」
他にも天王寺姉妹には可笑しな点があった。
それは着用している衣服。
制服から着替えたそれは何というか、真夏の国際展示場のコスプレエリアでレイヤーがノリノリで着こなす「写真撮影お願いしま~す」と請われる創作衣装。これは姉妹と共闘関係にある底辺コンビも酷似した風味のデザインを着用している。
共通点として中世を下敷きにした剣と魔法のファンタジー主体。
制服を改造して跡形も面影が見当たらない手甲付きの皮鎧と魔法使いのローブ。
やけに肌の露出が多いボンテージとあぶないみずぎ。
これら視覚的印象が他者から異次元同盟の名称を冠される最たる理由となっていた。
もう一つの共通点は、そのコスプレが見掛け倒しで終わる張子の虎では無かった点。
特に同盟に組み込まれた姉妹が明らかに人類を超越した身体能力を発揮・無双してる点である。
これまでも際立っていた人間としてのポテンシャルが異次元の領域へ達している。
あぶないみずぎを装備した天王寺妹は強化の度合いがより顕著で視認した人間を魅了する特殊能力まで発現していた。彼女らの猛威は戦闘面で格上な【暴走機関車】東方 大成撃破の報を持って確かな信憑性を学内勢力図に浸透し例え学園カースト最高位から第三席までが共闘してもおいそれと手を出せない均衡状態を保っている。彼女と彼らアニヲタ同盟が再度動き出すまでは。
箱庭の戦乱が始まって最初の夜が訪れようとしていた。
◆
「ようこそ俺たちの現実へ!」
とりあえず異世界から無事に意識を生身へ定着した三人を集めて進はささやかな歓迎会を催した。
場所は体育館。広い空間内は現在異次元同盟 (と勝手に呼ばれている)進たちによって完全占拠されている。
異世界からの来訪成功者はこれで四人。
ルーティアとネメアとダルシム。
もう一人は肉体面の事情で体育館の倉庫内に敷かれたマットレスの上で横になって休んでいる。
これで残るとクラスタとアルジを呼べれば一先ず異世界から現実へ召還第一陣は無事完了する。
「くぅ~~生身の触れ合いが臓腑に染み渡るぅ」
向こう側の異世界では、進は機械人形なので眠くならないしお腹も減らない。
それはつまり美味しそうな異世界料理を目の前にしても涎を垂らすことも出来なかった。
「たんとお食べなさい。お代わりなら十分ありますからね」
今晩の料理人は天王寺 真夜改め肉体の所有権を勝ち取ったルーティア。
理科実験室や家庭科調理実習室から調達した実験器具や少ない食材を独特なアレンジで異世界風に仕立て上げている。天王寺 亜矢改めネメアや東方 大成改めダルシムが物珍しげに食しているところを見るともしかしたらダークエルフ特有の郷土料理の味付けなのかもしれない。
「美味い、美味い、美味すぎる、箸が止まらないぞウォオオオ」
「あらあらほっぺたにご飯粒付けちゃって」
ボンテージの皮鎧【堕落の縛衣】にエプロン装着したルーティアの微笑みに進は偉大なる母性の片鱗を垣間見た。そうだこれが母の味なのだ。きっとそうに違いない。そう今後一生母の味として記憶に刻み込むモヤシのエアリー風味炒めを座布団代わりに運んだマットレスに胡坐を掻きながら使い捨て割り箸でかっ喰らう。ちなみに異世界出身の彼ら彼女らは当然ながらジャパニーズ・オハシの経験が皆無だったので同じく使い捨て用のプラスチックフォークやスプーンで紙皿の料理と悪戦苦闘している。他人の身体だとまだ細かい手先の作業に慣れないらしい。
「むしゃむしゃごくんっ……それでダルシム、身体の調子はどうだ。どこか具合悪くなったりしてないか?」
このような質問はルーティアやネメア召還直後にもやり取りされている。
成功者が二人いても二つの世界を意識だけで行き来するなんてことは途方もなく前例が無いのだ。もしも何かしらの不具合があれば急ぎ対応する必要がある。
「スコシ、キュウクツ」
とりあえず今回は許容範囲の答えが返される。
ホッと一安心しながらも気を緩めすぎずに受け答えする。
「お前に合う器はそれしかなかったからな。どうしてもあっちと比べるとスケールダウンは否めない。一応、候補から厳選した一番適任者だから我慢してくれ」
相撲部副主将は身長190センチと標準体型の男子生徒が見上げる高さを誇る。しかし、桁が違うのだ。
ダルシムの本来の背丈はその二倍はある。
「それでネメアは」
「うわーいお肉のダーリン大っ好きーえいやっ」
世界と身体が換わっても恋する淫魔がする淫行は一向に変わらない。
俗にファンタジーでぱふぱふと説明される行動で進の顔面を真正面から挟んだ。
「ぐおッ――……ふお……おお」
むにむに、ぷにぷに、ぽよんぽよん。
「ウオ……オォオオオ~~」
埋もれる谷間から進の切ない吐息が漏れる。
ジタバタ暴れる進を抱き止めながら、これは殺った!! とネメアは他人の身体でガッツポーズ。
これまでずっと逃げられ続けた獲物と最高のタイミングで接触した上に自分の (他人のだけど)肢体を存分に発散可能なクローズドコンバットシチュエーションで即寝技に押し倒さんとするがメロン峠な乳房に顔面圧迫される進の両手がガッシリとその乳袋を鷲掴む。ああん、そんな急に激しくされたらめえ。と予期せぬ相手方からの熱烈的な反応に次なるベッドメイキングを意中の彼が率先して手引きしてくれる仄かな期待を寄せる異世界の淫魔美女であったがその桃色な期待は残念ながら却下される。揉みも拉きもせずに進は、
「ふももも……ぷはッ――!!!」
強引に豊満な胸の谷間から己が顔面を息絶え絶えに押し剥がした。
「うぷ……ぐえッけほけほ!!……息苦しい。死ぬかと思った」
敵機撃沈せず、尚も健在。
他人の身体の色気はまったく進に通用しない。
きっとネメアが淫魔本来の肢体で迫っても進の高感度は親しい友人以上には上昇しない。
模像勇者の影響で進の魂は理性と欲望の分割に成功していた。
今の彼は同年代の豊かな胸元へ顔を押し付けられても単に息が出来なくて苦しいから身悶えるしか不可能。つまり淫魔であるネメアの十八番技全てに完全無効化耐性が備わっている。だからこそ勇気の裸体に衝撃は受けても性的な情動は微塵も湧かない。
「あ……あたしのぱふぱふが……効かない!?……ふふ、ふはは、さすがはダーリンあたしが認めた運命の男性……がはははそれでこそ恋しがいがあるぜ萌えてきたあああッッッそれじゃまず初キッスはあたしが貰ぶげほ!!?」
欲望に満ちた純白の美貌に強烈な裏拳がメリ込み背後へえびぞりに吹っ飛んだ。
呆れ顔の肉体的に姉が遺伝子的妹のハンレチさに手痛いお灸を据えた。
「息苦しいと言ってますでしょう。はしたない」
「だあああらっしゃい! 恋は二十四時間フルスロットル!! 愛ならとっくにゲシュタルト・オーバーロード!!」
きーきーぎゃーぎゃーと相手の頬やら髪やら胸倉へ掴み掛かる平常運転。
「こっちではお前たち実の姉妹なんだから喧嘩するなよ」
「「誰がコイツなんかと!!!」」
「セカイ、カワッテ、モ、カワラナイ、モノ、アル」
「やれやれだぜ」
空の紙皿に箸を置いて進はよっこらせと立ち上がる。
「ドコ、イク?」
「便所」
上げた右掌をヒラヒラさせながらのんべんだらりと姉妹喧嘩から離れていく背中にダルシムは言葉を続けた。
「マッテル、ツタエテ」
「おっけい任せろ」
体育館外に出ると夜空は星明りを奪われた真っ暗闇。
館内の雑談が聞こえるか聞こえないかギリギリのラインで腰をかがめた。
「おーい」
トイレ云々は抜け出す為の口実。
「さっきから端っこに隠れないで出て来いよ――勇気」
全ては他人が見れば馬鹿なんじゃねと嘲笑われること確実な闇夜の隅っこでうずくまりながら進やルーティアたちの楽しい会食と談笑に耳を研ぎ澄ませている気弱なビビリを連れ出すのが目的。
「やだ」
「やだじゃねえだろ。本気で嫌なら俺が近付いた時点で逃げてるだろ。みんなお前を待っている」
ダルシムもそれを悟って、待ってると伝えてと言っていたのだ。
少なくとも進は心底嫌いな相手に待っているなんて口が裂けても言わない。
「だって」
夜の闇より尚暗い影に溶け込もうとしながら勇気は存在を希釈させる理由を辛そうに口にする。
「僕、みんなを傷付けちゃったから」
「またそれか、別に気にすんなって」
異世界で進を拘束していた際に発生した王城でのバトル。
進に、友人に認めて貰いたいばかりに少々行き過ぎたスキンシップを勇気はまだ気に病んでいる。
異世界と現実を繋げる方式を発見した功労者なのに堂々とスポットライトへ当たるのに怯えている。
「で、でも、ぼぼくが、みんなに酷いことしちゃったことは事実なんだし合わせる顔が」
「昔のことだろ? ルーティアだろうがネメアだろうが過去を愚痴愚痴と掘り返すような真似は――かなりの頻度でやりあっているけど根には持たない。たぶん口喧嘩のネタにはするだろうけど」
「けど、だから、それで」
「言い訳なんて面倒臭い。いいから来いって!!」
勇気が手前勝手な申し訳なさで視線をそらした隙にその全身を両腕で救い上げた。
「ひゃっ!?」
強情な勇気を進はお姫さま抱っこで強引に輪の中心へ持ち運んでいく。
見た目通りに彼女の身体は羽根のように軽い。
「お前が勝手に抱えるような小さい悩みなんて俺たちで吹っ飛ばしてやる」
口では拒絶しながら身体は正直な勇気は暴れもせずに小動物のように縮こまる。
仕方ないから言葉に出してはっきりと伝える。
「安心しろ、勇気は俺たちの仲間だ」
絆育み夜は深けていく。
第一陣を順調に終えれば、歓迎会の次はお約束の第二陣。
学び舎内に存在する全生徒・教師陣の中身を入れ替える。
校内から誰もいなくなれば第二陣は完了する。
◆
局面は第二段階へ移行する。
異次元同盟は狩猟民族風の衣装を纏った東方 大成を加えて勢力を拡大。
早速ネメアは魅了の魔眼で支配した下僕たちへ命ずる
「てめえら! 野郎の底力お見舞いしろ!」
「「「喜んで~~」」」
「異次元が来たぞ! 来たぞォ――!!!」
「なるほど、そこそこ腕は立つようですのね」
魅惑の軍勢に混じりながらストリートで鍛えた他人の身体能力を披露するルーティアが評価する自らの器の性能。身体の具合にそこそこ満足を示す。亜矢のように異世界から特殊能力を極一部だけ引き継ぐような利点はないモノのとても他人とは感じられないベストマッチングを身体で、魂が感じていた。これだけ魂の器が空洞なのは生まれた時から自我が存在しなかったのか、あるいは余程自分の意見を持たずに他人に流されながら生き存えて来たのどちらにせよ異世界を自由に闊歩するルーティアにとってこれほど好都合な身体は他にない。
アーティスティックなルーティアの体術を見てこれは負けていられないとネメアがアクロバティックな動きで前線を撹乱する。
「現実がロマンチックなものだと思っていますの?」
「「正解!!」」
「その程度の攻撃あたしの柔肌に通じない」
「「無問題!!」」
「死ぬ時は恋をした瞬間だけと決めてる」
「「Exactly!!」」
以前より息ぴったりな魂の姉妹が発揮する抜群のコンビネーション。
同じ前線で暴力の雨を薙ぎ払い前進する進にとってこれほど心強い仲間はいない。
「相変わらず呼吸がピッタリで俺も加えて欲しいくらいだ」
息ピッタリでコンビネーションが噛み合い過ぎて進だけはそこに加われないでいる。
これがルーティアとネメアのどっちか片方なら上手く連携出来ないこともない。
基本、テンポ良くコンビを組めるのは自分を含めて二人が上限の進むのそんな一言に、
「え! ならあたしと組も組もダ~リン~だ・あ・あ・あッ離れろや邪魔豚あああ!!!」
「はあああ何言ってますの脳天桃色お馬鹿!!?」
鉄壁のコンビが内部分裂&内乱勃発。
不落の城塞を攻め落とすコツはいかに内側から瓦解させるかにある。
「ピンク色はてめえの頭だろ鏡見ろや」
「いいえ、それは貴女の撒き散らす下品なフェロモンです」
「うあっくせ、こりゃあ土と草臭い田舎女の似合いで鼻がもげそうだ」
「だから喧嘩止めろう」
「「無理ッツツツ」」
一方、拠点の体育館。
あれだけ進に言われてもまだ勇気は胸の黒い沁みを拭い去れずにいた。
自分の願望の為に仲間を傷付けてしまった過去。
「ユウキ」
身体に不一致を感じて居残ったダルシム。
二人で防衛を一任されていた。
「ダイジョウブ、ココ、マワリ、アンゼン」
無言に口を結ぶ勇気の不安を感じ取ったのか、自分の周りは絶対安全と勇気を安心させようとする勇者の末裔。その気遣いが光に照らし出された影のように勇気の心へ闇を落とす。
「カオ、クライ、ヨクナイ、アクリョウ、アツマル」
「……笑っていいのかなあ」
「ソレ、ハ、ユウキ、ガ、キメル、ダルシム、モ、ソウ、シタカラ、ユウキ、ト、オナジ」
「僕と……同じ?」
頷く巨体の口から紡がれる出会いの物語。
「ダルシム、モ、イッパイ、ススム、キズツケタ」
模像勇者と勇者の末裔。
「ススム、モ、ダルシム、コロソウ、ト、シタ」
その死闘は、進がダルシムの部族が生を謳歌している秘境諸島群テハイサに連れて来られたことから端を発する。
「ススム、ダルシム、ノ、オヨメサン、ダッタ」
「オヨメサン……お嫁さん!? お婿さんじゃなくてえ!?」
「ウン、オヨメサン、ハガネ、ノ、カラダ、ハ、ゾクチョウ、カエタ」
ダルシムが生まれたティエス族は代々その血脈を絶やさずそして無闇に広めて薄まらないように部族内婚姻を習慣付けているのだが、ある時から女児の出生率が跳ね上がり半比例するように女児は低迷の一途を辿っていた。そして勇者の直系であるダルシムが子を作れる適齢期になった頃には既に部族内は男性だけで満たされていた。この問題を解決する為に早急な交合相手として白羽の矢というか偶然近海を冒険中だった模像勇者こと進。あるいは勇者の贋作と本物の血脈が知らずに惹かれあったのかしれない。神代からの秘儀を受け継ぐ部族の長に手に掛かれば鉄人形を女体に変質させるなど朝飯前。
こうして男だけで構成された秘境社会でダルシムが初めて目にする女の子は実に自分好みの可愛らしい容姿をしていた今でも目蓋の裏で克明に蘇える。そんな進の怯えながら自分を見上げてくる小動物のようなドングリ眼をこの世で一番美しい宝石と断言して一生箱の中に仕舞いたいと本気で決心して急ぎ婚礼の儀を取り計らった。その矢先に邪魔者が祝言の宴を台無しながら現れる。
「ススム、トリモドシニ、キタ、ルーティア、コロソウト、シタ」
進に比べれば遥かに劣る長耳の牝に魅力を感じなかったダルシムは、部族内最強の円刃捌きで大切な相棒を助けに単身で乗り込んできたルーティアを一刀の元に切り捨てた。冷静さを欠いていた彼女は路傍の石の如く鮮血を大地へ討ち捨てられた。
「ソレ、デ、ススム、オコッタ」
窮鼠猫を噛む。
仲間を殺されかけた鼠の憤怒は猫の部族を滅ぼす寸前まで高まった。
生身と生身の戦い。この時、進が元の鋼であったならば勝負結果は変わっていたかもしれない。
――ここら辺で終いにしようぜ。
七日七晩、凌ぎを削り合った果てにその両手に握る円刃以外は激闘の余波で消し炭になったダルシムに同じく血塗れの全裸で馬乗りになりながら喉に折れた木の枝を突き刺す直前でギリギリ皮一枚置いて静止させて、
――殺したいたけど、殺したくなくなった。
彼女がそう提案した。
――これでおあいこ。
彼女を殺したくないダルシムはそのほっそりとした脇腹に当てた刃先をそれ以上押し込められない。
――……奥さんにはなれないけど……友達なら大歓迎する。
「イマ、トモダチ、ダカラ、ムカシ、カンケイ、ナイ」
人の数だけ存在する関係の在り様。
「そんなことがあったんだあ……そんなことがあっても」
人の絆は自由だ。
さすがに勇気の全てを拭い去れた訳ではないが、殺し合った人間だって仲良くなれるという実例を知れたのは大きい。
お礼はキチンを伝えないと収まらない。
「ありがとうダルシム、僕も頑張ってみる」
「ドウイタシマ――ッ」
「どうしたのお?」
何か感じたように急に天を睨むダルシム。
「カゼ、ナガレ、カワッタ」
重々しく口を開いた直後、
「ゴメン」
ダルシムは電源を切った機械のように大の字で仰向けに倒れた。
◆
風の流れが変わった。
破竹の快進撃で支配領土を広げていた異次元同盟が突如勢いを失い、攻略中の他同盟を陥落寸前で撤退した。わざと隙を見せて誘き寄せる罠の可能性も考えられたが完全に優勢は異次元同盟に傾いていた有利捨ててまで取る作戦ではない。では何故? わからない、理解できない不気味さが異次元同盟に追撃の手を伸ばさない抑止力となって機能した。
そして変わり行く学び舎内の戦況は大方の予想を外れていく。
キッカケは一人の歩兵。
司令塔や優れ勝るエースと比較すれば秀でた取り得もない普通の男子学生。
彼が反感を抱いたことから、曲面は裏返る。
その理由は彼が自分の力量を遥かに上回る歴戦練磨の手練れリーダーを倒してしまったからだ。
彼が、彼の手が、彼らの暴力で、一人孤立したリーダーを取り囲み包囲して滅茶苦茶に拳と蹴りを振り回した。たったそれだけでチーム内序列のトップに君臨していた王者は顎で使うべき奴隷たちに屈服した。そんなズタボロの雑巾を見下ろしながら彼らの誰かがポツリと呟く。
「なんだ、強いってこの程度か」
応、応々と一人また一人とその呟きに同意していく。
次第にそれは巨大なうねりとなって反逆者全員を包み込み、絶大な快感と肥大化した支配願望の荒波を彼らに賜わした。
「弱者たちが束になって掛かれば楽勝じゃん」
有象無象の烏合の衆は追い詰められてようやく権力者たちに隠された絶対の真理を知る。
自分より遥かに優れた人間を倒すのは簡単なのだと。
絶対的な物量と団結力で間断なく押し潰してしまえばいいのだと。
弱者による徒党。
それまで威張り腐っていた相手を一方的に蹂躙する心地は天上へ昇る快感。
溜め込まれた鬱憤を晴らしてもまだ足りないと反撃の勢いは収まらない。
飢えた狼の貪欲さで突き立てられるは鈍ら。鋭い牙と対価に支配階級の安定が鍛えた鈍痛は骨と肉を削ぎ落とすまで終わらない。空腹を満たす為に狼たちは他の同属たちへ声高に己が意を遠吠えする。自分たち当たり前の大多数が少数精鋭に対して圧倒的な有利を得ているのだ。そう高々と波及させる。これによって盤面は強者と強者の戦闘から、強者と弱者の戦争へ構図を変化していく。
一つの理念を中軸に結集する弱きを自称せし同句同音の輩は寄り添い積もり増長しながら巨大な思考存在へ変貌を遂げる。
リスクは分散しメリットは分配。
突出した個性や能力は愚の骨頂。
平均、均等、起伏のない真っ平らこそ蛮勇英傑が骸曝す悠久なる大地の具現。
強者たちよ幾らでも孤独な天才性を発揮して空気を轟かせるがいい。
その程度歯牙にも掛けぬ我ら弱者の団結こそ天変地異すら跳ね飛ばす人類総意の鉄壁。
人類総人口から算出すれば強者よりも弱者の比率が飛び抜けている。
何故か? それは弱いとは普通の生き方であるからだ。
弱いのは罪と誰しも答える。だが、他者の意見に迎合してその場の空気に乗じて思考すら変質するのは一般社会ではありふれた現象に過ぎない。強者とはその流れを見極める人間。時には流れ自体を生み出す発生源が強者。しかし、強者はどうなろうと弱者にはなれない。
一つ、また一つと飲み砕かれる学園カーストの玉座。
洗い浚い貪り終えても狼の飢えは止まらない。
その飢えはきっと死ぬまで消せぬ種として本質であるが故。閉ざされた学園をのたうちながら次なる標的を定める。獲物に垂涎を零し濡らす。
体育館。
予期せぬイレギュラーとして突出して現れた存在。
呼び名の如くその味わいは正に異次元の快感で狼たちの胃袋を満たすに違いなかった。
◆
ダルシム、そしてルーティアとネメアが一斉に卒倒した原因は現実ではなく異世界。
こことは異なる世界へ魂を送り出すというフェアライン大陸史上最大の大事業を円滑に進めるために用意されたクレストール王国内魔法研究所でその問題は発生していた。
下手人は王位継承者候補の誰か。
第十三王子という同じ玉座を争う肉親の華々しい成果は彼らにとって面白くない。
むしろ失態を演じさせて足に土を付けさせる算段で、異世界召還を司る魔方陣に細工が施された。
「戻しなさい早く戻して今すぐ彼の元へ!」
「オラさっさとやらねえと吸い殺すぞどらあ!!」
「あわっあわわわ!!! そんなの無理ですよ! これ用意するのにどれだけ時間掛かったと思ってるんですか!」
本来の身体が異世界に存在するルーティアたちは肉体の覚醒によって現実から引き戻されてしまった。
ネメアが幾ら作業員の首を絞めて振り回しても無い袖は振れない。
最低でも準備に一週間。
一日で戻るのは絶望的。
「馬鹿野郎どもが……阿呆な真似しやがってえ――――ッ!!!」
「そんな……どうして何時もみんな私の邪魔をするの……ただ好きなだけなのに……?」
「せめて向こうとこちら側に通じるしっかりした穴があれば別なんですけど」
「あたしの為に今すぐ作れ!!」
「だからそんな簡単に出来たら困らないんですってえええ」
不可能を宣告された分断されし者たちは一様に苦悩で喘ぐ。
本当に、自分たちに出来ることは一つも無いのか?
◆
弱者の徒党はこれが一番の冴えたやり方だと確信していた。
冷静沈着な思考と半比例して分割共有された情念は地獄の業火と煮え滾る。
飢え乾く思考はグロテスクに破裂寸前。
進と勇気はたった二人で無数の軍勢を相手することになる。
心強い仲間たちは強制的に異世界へ帰還してしまった。
選択肢に不戦は存在せず、そも彼ら徒党は戦う理由なんて幾らでも生み出せる。
あいつは入学早々に俺を含み笑いした。
そいつは何時も何時も俺を否定してくる。
自由を愛している束縛なんて真っ平御免で断固反対運動。
お前がいなくなれば俺の僕の私の彼氏彼女そして世界がきっと救われる。
腹減った。眠い。悲しいetcetc、戦の種は炉端に生えている雑草の延々と毟っては生え変わりむしろ戦わない方が難しいくらい。
とりあえず非難したい。
まずは否定から入る。
重要なのは自分の気持ち。
相手の感情なんて関係ない。
共有された反感批判それらは娯楽となって狼たちの貪欲さを暴き出す。
気持ちが萎えても手放したくない心が勝手に過去の憎しみやら怒りを原動力に再始動させるので維持は簡単。一度始まってしまえばあとは適当な理由をでっち上げながら無限に終われない。こうして学園封絶から二日目の夜、学び舎内は最後の生贄を祭る盛大な祝杯の宴による喝采で包まれた。
闇を真昼に変える絢爛豪華な祭典。
進と勇気は二人だけでこんな全勢力の集合体と激突する。
絶望しか残されていない地獄で、
希望が失われた流刑地で、
祭りを終えてさて蹂躙だと囃し立てる自らの思考に狼たちは疑念を抱く。
叶うわけない、破れるに決まってるのに、
どうして奴らはあんな平然と笑いながら立ち向かえるのだろか?。
――他者と触れても痛まない心が欲しい。
自分が他者から疎まれていると理解してしまった瞬間に芽吹いたその願い。
他者と対話する度に、否定される都度に進はそれを強く願い欲しながら同時にこうも理解していた。
そんな願いはありえない幻想だ。
もし痛みを感じない心が実際すれば、それは無痛の伽藍堂。意思無き魂の墓標。痛みを感じないのであれば悲しみも憎しみも怒りも――――喜びも抱けない。
「お前はどう思う……無痛な心は欲しいか?」
問いを投げかける。
「欲しいよお」
勇気はそう答えた。
「心が痛まなければ誰とでも仲良しになれるからあ」
そんな心で通わせた絆に価値なんてあると思えるか?
差別して区別して、だからこそ存在しうる特別が消えてしまうのではないか?
それら欠点よりも利点の眩しさに手を伸ばさずにはいられなかったから。
「なるほど、話すほど俺らは似た者同士だな」
「そうだね、きっともっと話せばもっと仲良くなれる」
「ならルーティアたちとも平気にやれるさ」
「う……頑張る」
「そこは嬉しいって言えよな」
「嬉しいよ! 楽しくて楽しくて逆に不安になっちゃうぐらいなんだもん!」
「そんなところはおいおい治していくとしてだ」
ゆらりと、進が意味ありげに含み笑う。
「今あるこの時間を楽しめ」
喜びを振り撒きながら深遠なる漆黒の殺意を顕わす。
微塵も気持ちを衰えさせぬ拳で迎え撃つ顔面にフルストレートをクリーンヒット。
信じられない。
この場の大多数が抱く感想の代弁。
倒れない挫けない破れない。
どれだけ大群で攻めてもからめ手を使っても暴力の嵐に晒そうと必ず立ち上がって向かってくる。
特に進の耐久力を常軌を逸して不死身の腐乱死体並みにしぶとい。
もしかしたら圧倒的に有利なこちら側が敗北するかのしれない。
ありえない零の未来が、その可能性を考えてしまったことで現実味を帯びてしまう。
その最悪の未来に現実が引き寄せられる。
一方通行であった勢いが急にギュルン!! と逆流した。
「待ってました」
何か巨大な何かが体育館から現れたと重厚な気配。
「今回は慣らしだけで終わるかと思ったがギリギリ間に合ってくれた」
それは数の理を戦局的に覆せる圧倒的な存在力。
「頼りにするぜ宿敵」
太陽の化身の如き威容は、人波の中に姿を埋もれながらも隠せない。
「僕たち運が良い」
ジリ貧な筈の進と勇気がこれだけ大群と互角以上に渡り合える理由は一つ。
「俺たちは仲間に恵まれた」
◆
「ありったけの魔力を注げそ~れ!」
模像勇者。
その鋼からなる駆体に、異世界における進を関係を築いた人々が殺到して手を合わせながら何百何千もの回復魔法が重ね掛けさせられている最中であった。
この世とは異なる界へ通じるには相応の穴が必要。ならば、進の異世界側における受け皿であればそれい相応しいのではないか? 憶測に過ぎない確認のしようがない無意味かもしれない。
けれど、それだけで動き出すには十分。
この団結力こそ集結せし人々を繋ぐ赤い糸。
「お願い、届けえ」
不安に揺れる淫魔の純情。
「情けない声なんて出して、届くに決まっていますわ」
活を入れるダークエルフ。
怯えた誰かを他の誰かが勇気付けていく。
この連鎖は止まらない。
込めた想いが世界の境界すら超えて届くと信じる限り。
魔力を振り絞った者から一人一人と倒れていく。
全員が魂の底から全力を振り絞った鉄火場。
結果が直接目に見えない心配が恐怖を抱かせる。
「こんな方法で、他にもっと良いやり方があったんじゃないのか……?」
「ダイジョウブ」
勇者の末裔がその不安を切り払う。
「ミンナ、サイゼン、ゼンリョク、ダシタ、カラ、カテル、ゼッタイ」
勇敢なる者の血族は心の闇を晴らす魔法の言葉を口にする。
「フタリ、ヲ、シンジル」
◆
夜空が白み始めた暁闇。
倒れた学生たちが絨毯のように重なり合いながら昇る曙に敗北を晒す。
彼ら彼女らで埋め尽くされた学び舎のグラウンド。
ヘトヘトに疲れた影が背中合わせに肩で息をする。
「やったぜ」
「やったね」
パシン――と示し合わせたように互いの手を打ち鳴らした。




