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変革

 早乙女 勇気はクレストール王国の第十三王子である。

 異世界に存在するブレイヴ・クレストールの肉体の真なる所有者。

 所有者であり、支配者であり、全権委任者である勇気の意識が異世界に訪れない限り、ブレイヴ王子の肉体は彫像と変わらない。死体のようにピクリとも動かない。

 正確には正真正銘の死体である。

 ならば、元来の所有権を握っていたブレイヴ王子の意識は、生まれ育った魂はどうなったのか?

 それは数年前に死亡していると答えられる。


 数年前、クレストール王国に属する占星術師たちが一斉に天文学的規模の吉兆到来を予見した。

 これを逃せば次は10億年後と持てはやされた大躍進の先駆け。

 しかし、実際に引き起こされたのは不運が不幸を呼び数多の悲劇を産み落とした大災厄の年号、神に愛されぬ日、その天中殺にクレストール王族の落命も含まれた。

 原因不明の高熱で先に限界を迎えたのはブレイヴ王子の肉体ではなく魂。

 肉体は叫び生の存続を訴える執念の塊であるにも関わらず中心である王子の魂が死の羨望に屈した。

 こうして大黒柱を失ったブレイブ クレストールの魂は瓦解間際の家屋から野鼠たちが一斉に散開するようにそのさちおおからぬ短い生涯を終えた。

 そしてここから流転が始まった。

 どんな理屈で原理なのか、それともその一人だけが例外的に神の寵愛を賜ったのかは当人にもわからない。ただ、命尽き果てたその瞬間に王子の肉体が異世界と通じた奇跡は異世界全土を巻き込んだ運命の転換期と呼んで差し支えない。

 亡くしたのであれば他の魂魄(もの)で補えばいい。それが自我に先立たれた肉体の反射動作。

 代替に選ばれたのは、死亡したブレイブ王子とは正反対の状況に置かれていた人間。

 死んでも生きたいと願う身体と、生きているのに死んでいた渇いた魂。

 運命の邂逅に導かれ合い、壊れたモノ同士は自然と惹かれながら互いに欠けた部位を埋め合わせた。

 異世界で死んだ王子様の肉体を、現実で生きる勇気の魂が再活用したのだ。

 あとは生まれ直した人生を十二分に謳歌しただけ。

 そして勇気は今こうして幸せを噛み締めている。

 

 「あはははははははははははははははっはははははっっ~~~~!!!」

 生まれ持たされた肉体が存在する忌々しい現実では味わえない天上の幸福に全身を包まれながら。

 絶えぬ笑いの源泉に窒息死の危険を感じた身体が身震いを浮かべる。どうにか死へ至る大爆笑を差し止める。

 戦闘開始から10分。

 勝敗は完封なきまでに決定した。

 「ごめんねえ、けど僕素人だからさあ」

 笑い声を曇らせるフルフェイスヘルメットと、全身を包む夜より尚深い宇宙の漆黒を塗り固めた闇色のボディスーツ。科学文明主体の世界観で言い表すならば、真っ黒なライダースーツあるいは極限まで進歩した技術が生み出した近未来的な宇宙戦闘服というデザイン。

 「装備くらい融通利かせてもいいよねえ」

 勇気が纏うはそれは財力と権力に任せた最強装備。

 【宵闇の猪】のザックが開拓した【巨人の揺り籠】に封印されていた伝説級アイテム。

 遠き過去の、今や人の記憶からすら消え去りつつある勇者と魔王の伝説。

 瞬く刹那の月光が人の身には儚いように、真なる事実の記述を憶えている人間は最早この地上のどこを捜しても見つかりはしない。だが、それは実在した歴史である。確かにこの世界を構成する歴史の断片。人類の脅威である魔王に対抗する為に作られた進の模像勇者がその証明の一端となる。そしてここに、模像勇者と対極に位置する歴史証明が月下を舞台に踊り出た。

 在りし日の痕跡は過去を求める希求によって時空を超え現代へ蘇る。

 其の名も虚数展開式強化外装【闇の衣】。

 かつての魔王が誇った戦闘能力を複写した戦闘用アイテムである。

 これを纏えば誰でも魔王になれる優れ物。あるいは、逸脱物。

 人が魔と呼ぶ未知を創造と破壊の混沌で掌握した絶対なる支配存在。

 そんな人の理解を超えた怪物を再現した決戦兵器【闇の衣】が勇気から戦闘における恐怖心を拭い払う。あるのは無限の万能感。

 「ルーティアちゃんが羨ましいなあ」

 生態系のピラミッド頂点に孤立する寂寥感とは別の天上の高見から星空へ手を伸ばす羨望の眼差しが崩れた瓦礫から突き出た黒こげの右腕を眺めるように腰下ろす。

 「ずっと、一番長く、進くんと一緒に冒険していた貴女(あなた)が眩しい。ネメアさんでもクラスタくんでもダルシムでもアルジおじちゃんでもなく君が羨ましい。どうしてかな?」

 フルフェイスで表情が伺えない代わりに首を右横斜め45度へ傾けて疑問を身体で表現する。

 「ルーティアちゃんと取って替わりたいなあ僕……男だけどね。あはっ、あーあールーティアちゃんが男の子なら申し分なかったのになあ」

 誰も答えない一人ぼっちの会話。

 「ねえ何時までも隠れてないで出ておいでよ」

 黒焦げの右腕を中心に瓦礫の山が内部から膨張してから爆弾の勢いで破裂した。

 炭化していた右腕の主はルーティアではなく、この場でもう一人いた女性。

 大嫌いな劣等種族・淫魔であるネメアを物理的な盾として羽交い絞めに背後へ隠れたルーティアは無傷とまでは言わないがそれでもかなりの軽症で勇気の攻撃ターンを凌いだ。そして体表から直接魔力を放出して衝撃波にする裏技で油断を見せた勇気に向かって瓦礫の散弾を零距離で浴びせる。無論、こんな四方八方一斉攻撃程度で伝説の【闇の衣】の防御力を突破出来るとは考えてもいない。狙いは衝撃によって開いた両者の距離にある。

 一手は布石。

 奇想天外な二手目へ繋ぐ架け橋。

 ルーティアが足元の黒こげ死体を、下半身が欠損して身軽になった遺体をボールのように瓦礫と混ぜて勇気へ蹴り飛ばした。

 「無様に死んで早く起きないこの淫乱ビッチっ!!」

 ルーティアが呼び掛ける飛翔物体は確かに絶命している。

 永久の安息を侮辱する数々の蛮行に耐えきれない。

 カッツツツ!!! と煤零れる目蓋の死に化粧が絹を裂くように見開かれる。

 「そぅぅぅぅぅの淫乱ビッチを盾にしたてめえは陰険ボッチだ畜生ッ!!!」

 燃えカスの消し炭になって死んだ筈のネメアが、フライングハイな死者が非難轟々に煮え滾りながら弾道軌道中に半身欠損状態で蘇えりを果たす。

 「一度くたばってみろやコラ死ぬほどいてえんだよおおお~~ッッツツツ!!?」

 放物線を描きながら勇気へ向かってくる残された上半身が空中で両手を振り回しながら抗議に訴える最中、再度【闇の衣】に搭載された自動反射攻撃で塵と化すが、

「ぐぎやあああごのおおおごのあたしの美貌が通用しないなんてそんなごとがあああだが死なんぞおおおッッ」

 細胞が燃え尽き灰になった瞬間から即座に攻撃の圧力を押し返す驚異的な速度で異常な回復を遂げていく。

 「おおおこの世に魅惑の男性(マイダーリン)あるがぎりあたしが死んでだまるがあああ!!!」

 淫魔はその体内に膨大な性行為で無尽蔵に等しい魔力を体内に貯蔵している。

 その貯蔵量は、全部回復に費やせば百万回生きてもまだお釣りが貰えるバビロンの宝物庫。

 不死身の肉壁が勇気の攻撃の手を釘付けにする。

 「クラスタぁ!!」

 「了解ッ」

 次なる三手目は存在感の零が武器となる。

 これまで完璧にその存在を隠していた救出パーティー五人目のクラスタが、誰からも省みられないしかし確かにそこに存在しているけど何故かどうにも視認は出来ても観測不可能な存在性の稀釈特性をフル活用したわざで幻惑する。

 不死身と観測不可能存在が二人係で削り出した戦闘の余白にルーティアが愛用の短刀で刻み込むのは散る桃色の頭髪。

 極めて長かったルーティアの髪がボブカットの短さまで切り揃えられる。

 大切な、生まれてこれまで一度だって損失したことのない自らの財産を救いたい仲間の為に消費する。

 魔法使いにとって自らの一部である毛髪は保存の難しい魔力の貯蔵庫として最適な部位。

 高名な魔法使いであるほどあえて散発をせずに魔力の保有量を増大させる。

 その強大な魔力貯蔵タンクである桃色の長髪をルーティアは手のする短刀でバッサリと切り離した。

 人の寿命を遥かに超える長寿種族がその毛髪に内包する魔力量は空前絶後。

 一本で標準的な魔法使い数人分に匹敵する天上の美毛(みけ)が無数に束ねられ奉げられる。

 たった一撃の破壊力の為だけに変換される彼女から分かたれた一部。

 「髪が……黄金の剣に……っ!!」

 混一する光と闇が創る黄金(こがね)あけぼの

 あかつきつるぎが空想世界を終末の旋律で天地崩壊させる。

 唱えられる混成詠唱は勇気たちの現実における賛美歌の亜流。

 原型から逸脱するからこそ秘められた祈りは言葉の虚飾すら拭い去る。

 「この波動、さすが伝説に語られるダークエルフか!!」 

 余裕を崩さない勇気は、褒め讃えながらルーティア渾身の魔法攻撃を防ごうとする。

 しかし、手数が圧倒的に劣った。

 勇気の協力無比な【闇の衣】がまるで勇気の周囲だけ時間の流れが淀んでいるように。

 「連続使用は老い先短い爺にちと重荷じゃわい」

 アルジの駆使する時間停滞の檻が、絶好のタイミングで魔王の残影に効果を発揮した。

 ダルシムが勇者と呼ばれる理由。

 それは彼自身が勇者であり、その身体に流れる血脈もそれに恥じぬ由縁を秘めるが故。

 彼は、ダルシムは、

 「ゴセンゾ、サマ、チカラ、クレ」

 遥か古の時代に魔王を打ち倒した勇者の末裔である。よって、彼の攻撃だけは【闇の衣】も防げず素通りしてしまう。

 ルーティアたち渾身の合体必殺技が千年王国の地盤を無視できない震度で揺さぶった。

 「わあ凄い」

 世界が崩れていく。

 そんな揺れ動く大地の上でそれでも勇気の余裕は砕けない。

 兵器とは常に大量生産が必須要項。

 「【闇の衣】ダブルジャケット」

 重ね着された夜の闇色から、暁の一撃を放つルーティアは久遠なる宇宙の暗黒と深遠を垣間見る。

 人の形をした奈落が放たれ時を待ち構えていた魔道の究極を虚無の玉座へ誘い霧散する。

 神格級存在の攻撃すら遮るラスボスの防御能力の二乗。

 「如何(いかが)?」

 「くぅッ……!!」

 面貌を覗いた褐色肌に深遠から構築された純黒の波動が絶望と化して纏わり食い込む。

 彼らの奮闘は魔王の写し身に傷一つ与えられないで終わる。

 筈だったのに、

 「トランスフォーム・ギガントインパクト」

 巨大な剛拳が天から墜落した。

 異世界神話で語られる大地を射抜いた軍神の破壊鎚が再現される。

 勇気もルーティアたちも、大地を震わせていた暁と闇の波動すら縫いつけ止めて散り散りに弾け飛ばして場を平らに均す。

 「進……くん?」

 巨大な拳のオブジェクトが崩れて動いて組みあがった人型機械が、現状を見渡す。

 「ったく俺の仲間に色々やってくれたな」

 どうやってあの部屋から抜け出したのか気になるが。今はそれよりも、常日頃から持ち歩いている手押しボタンを懐から取り出して、

 「約束したよね、歯向かったら絶対押すって」

 実はこれを押しても進の身体である模像勇者は壊れたりなんかしない。ただ、お灸を据える意味で強制的にシステムがシャットダウンするだけ。

 「一方的だけどな」

 だから問答無用で爆弾の起爆スイッチを押した。

 親指で押し込む。

 「あ……れ?」

 押す、何度も幾度も。

 うんともすんとも言わず、進は変わらず駆動し続ける。

 爆弾が起爆しない。

 「信管なら抜いたぞホラ」

 そう言いながらか進がかざすその右手には、決して触れては外せない爆弾と偽った意識中枢システム強制シャットダウン機構が握られている。

 「どうやってその爆弾を、触れたらドカンの」

 「磁力で外した」

 爆弾を掴んでいる鋼の五指を開くと、重力が無効化されたように金属の塊が宙に浮かび上がる。

 「部屋で話しただろ、俺の間接部はマグネットコーティングされているって」

 進が人差し指を立てながらクルクルと円を描き回すと磁力に付き従う偽りの爆弾たちが宙を転がる。

 「外すのが難しいからって何もしない訳じゃない。仲間たちを待っている間に時間は十分あった」

 これまで不可能だった理由は、常に勇気が進の傍らで彼を見張っていた為。

 故にこれは千載一遇のチャンスだった。

 こうして自由の身に開放された最大の勝因は仲間たちのお陰と進は断言する。仲間たち無くして勇気の束縛から逃れることは困難極まった。

 「ゲームオーバーだ勇気。俺は俺が冒険したい仲間たちとこの異世界をく。下らない現実に興味は失せた。勇気がどんなに望もうと俺はあんな現実を変える気は微塵もない」

 模像勇者と共通規格の機械部品が、進を台風の目に空中を舞い踊る。

 「解除後の戦闘を予想してお前に、勇気の【闇の衣】に匹敵する装備を探して貰った。この強化パーツの数々を」

 「そんな、誰が、どうやって」

 「お前もよく知っている奴だよ」

 その者は如何なる闇夜であろうと猪突猛進に突き進む損得勘定。

 「金次第でどんな仕事も引き受けてくれる冒険者って頼もしい」

 「ザァァァックゥゥゥウウウウウウウウウウウウ~~ッッツツツ!!!」

 今宵、歴史の一ページが捲られる。

 「合体だ」

 嵐が止み、接続端子が火花を散らす。

 固定ボルト・オン、強化パーツによるシステムアップデート完了。

 テイク・オフ、背部から展開された光粒子が形作る。

 「模像勇者・改【光の巨人】――天上天下唯我独尊砲」

 相転移砲準備完全。

 命の輝く終焉に至る楽園(ほし)から放たれる破壊光線が、暗黒の深奥を暴露する。

 「うわああああああ【闇の衣】おおおおおおッッツツツ」

 負けない、負けたくない、負けてたまるかと光の奔流に闇の障壁を展開する。

 光り輝く七つの純白なる翼が宇宙規模の暗黒と拮抗する。

 ピシッ――と、勇気の頼み綱の【闇の衣】に一筋の亀裂が生じた。

 「残念ながらお前の冒険はここでゲームオーバーだ」

 「いいい嫌、嫌ッ」

 「コンティニューはない。独り現実へ戻れ」

 「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁあああッ」

 彼が、進が勇気の味方をしてくれたらそんな忌むべき現実も変えられる。

 二人ならあの下劣極まる現実を変革していけると心の底から信じられるのに彼だけが信じてくれない。

 崩壊は止まらず、砕け散る破片は勇気の希望を表していた

 「僕は君が好きなんだよう」

 「俺はお前なんかどうでもいい」

 光在れ。

 世界創生の神話が焦がれる闇の希望を昇却(しょうきゃく)させた。


  

 「こら、居眠りさんはいけないぞ」

 コツンと寝ぼけて視界不良な眉間に軽い衝撃が加えられる。

 急速にクローズアップされるデコピン放たれた後の指先。

 そこには古式ゆかしい文学少女スタイルの図書委員長がいた。

 アジエンスの香り漂う三つ編みヘアと寸分も丈狂わぬ校則指定の膝下スカート。 

 黒縁メガネの眉間を人差し指が押し上げる。

 「幾ら青春真っ盛りでも不眠不休はよくないぞ」

 ギクリと、指摘する言葉がピンポイントに事実を射抜いていた。

 第十三王子の束縛から解放された記念も兼ねて、帰りを待つ家族なんていない現実の自宅で冒険大好きっ子・進は次にどんなことをするか未定の予定を書き連ねてみた。ガリガリガリガリと一心不乱にノートへシャーペンを走らせてみると、これが結構な文量に達してしまうとても一日で書き切れる未来観測とはならなくなった。それで丸一晩不眠不休でノートにハッスルしてしまった。つまり、寝不足どころか進は昨夜から一睡もしていない。

 「よくわかりましたね」

 「はっはっは~これぐらい同じ戦場で轡を並べし戦友として理解は当然なのだあ」

 相変わらず委員長は言い方が大げさだ。

 そんな彼女の態度に慣れている進は、特に反応する訳でもなく止まっていた返却本の情報を整理しながら古めかしい備え付けパソコンのキーボードを打ち込んでいく。

 「じゃあ、またね」

 一つの昼休み(せんじょう)を乗り越えた委員長は戦友と呼ぶ一人だけの委員会メンバーに軽やかな別れを口にしながら颯爽と次なる教室(せんじょう)へ駆け足で去っていった。その真っ直ぐな背中を見送った後に進は進で自分の行きたい場所へ足を向かわせる。

 当然、その目的地は魂だけが飛んでいける異世界に決まっている。

 異世界における勇気とのラストバトルを勝利した報酬として進は両界の自由な行き来が可能となった。

 頚木(くびき)から開放された獅子が獲物を求めて草原を疾走するように大切な仲間たちが待つ異世界に対する思慕は強くなるばかりで堪らない。

 一つだけ懸念があるとすれば、それはあの瞬間に勇気への止めを刺し損ねた失点。

 死人に口無しと言われるように、【闇の衣】の全力稼動による過負荷で気絶した勇気がもう何も干渉出来ないように施そうと鈍器の鉄拳を振り下ろす直前で邪魔が入った。

 「俺の可愛い弟から離れろや、賊」

 クレストール王国内随一の武闘派。

 第一王子。

 脳みそまで筋肉で出来ていると巷で噂の戦闘馬鹿っぷりは、王国最強の肩書きに恥じない無音高速移動で気絶した自らの弟を抱きかかえながら進の射程距離から易々と離脱した。

 「弟に一歩でも近付けば葬る」

 疲弊している状態で戦えるような相手ではない。

 最低限の体力を回復させた仲間たちと共に勇気は王城を後にした。

 そして現在、あの異世界での戦闘以来、進は勇気とは顔を合わせていない。

 現実の勇気は寝たきりが続いているらしいと噂を総合して考えると、多分異世界に留まり続けているのだろう。どんな理由かは知る由もないが。

 廊下を走り階段を下った委員長と逆に階段を最上階へ昇った屋上へ続く扉。

 立て付けの悪いドアノブを捻り頬を撫でる風を肩で切る。

 誰か他の生徒が昇ってくる心配のないこの場所で進は身体を眠らせる。

 「鋼のダンナ、今日も元気そうで何よりだ」

 現実で眠り、異世界で目覚めたロボットボディで進は一人【宵闇の猪】本拠地へ精算しに訪れる。

 ザックは苦手な相手でもそれが顧客であればニコニコ微笑を絶やさない。

 「おや、金額が上乗せされておりますが」

 商談のテーブルで、嬉しい疑問の声を上げるザックに進は当然と答える

 「この間はザックが見つけてくれた強化パーツのお陰で助かった。これはその分の礼だ。受け取ってくれ」

 「そこまで言われたら受け取らない訳に行きませんな。そういえば王子様から聞いた話によりますと、鋼のダンナって向こうの世界ではどんな願いだって叶えられる白馬の王子様らしいじゃねえですか。そんな御仁がどうしてこの異世界で生きたがるんですかい?」

 「嫌なんだよ、親の七光りは」

 屑親ならなおのこと是が非でも威光から背きたい。

 「それにあっちはあっちで勇気……ブレイヴみたいな粘着ストーカーもいることだし」

 「そんなにブレイヴ王子は面倒臭いですかねえ、むしろ」

 強化パーツ発掘に関する代金を支払い終えた進にザックは長年付き合った顧客に対する私的な感想を口にしようとして、

 「やっほ~! ダーリンがここに来てると聞いて飛び出してきたぜ!」

 真昼間から布地ほぼ零なネメアがノックもせずに室内へ飛び込んでくる。

 進の姿はどこにも見当たらない。

 「あっれえ、マイダーリンどこお?」

 「うんうん……ここにはもういない。一瞬すれ違いで出て行った」

 「そうなの? そうは見えないけど……はッあたし……もしかして…………ダーリンの目も眩む魅力に当てられて知らず知らず身体が再会を避けている? そ、そんな、さすがマイダーリン淫魔すら寄せ付けないナイスバディ……ああん今すぐ抱きたい……」

 「あのカラクリ姿を見てそんな感想述べられる淫魔はお嬢さんぐらいだろう。どうすればそんな恋に恋して恋しい状態になれるんだ?」

 「そんなの決まっている。あたしがダーリンに惚れちゃってるからだ」

 「どんな風に?」

 「あれは遡ること……仲間に迫害され退廃都市の奴隷階級に身を落としたあたしを買い取ったのは当時世界の趨勢を担っていたと断言出来るダンディーなおじ様。勿論、初体験もで、うふふ……今でもハッキリと思い出せる。拙いワタシの刃先がおじ様を後ろからズブリ! ズブリ! と挿入されていく感覚はこの両手にしっかりと残されている。長年、寝屋を共にして信じきっていたあたしの背信を知ったおじ様の末期の素顔も素敵だ・け・ど……一番身体が熱く火照った瞬間はやっぱりその後!!! その時にあたしは実感したの。世界を、人類全ての行く末を自由に左右する自分の手腕に! 人間を誑かし最高の瞬間に手折る生業こそがあたしの天職なのだと! それ以来、あの瞬間を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も味わいたくてずっとそして今はあんたの前にいる。本当に今振り返るとなんて最低な女。なんて最低の人生。なんて最低のあたし。でも彼が進があたしをこんな女の人生に光で照らした。出会いの日はあたしの終末。恐れるな! 見事魔女を討ち取って家名を上げよ!! 濁った瞳だ。綺麗な瞳だ。世の中速さが九割! 速さは全てを解決する! レッツ・ハリーハリーハリーッ!!! その天国のような体験は現実でこれはその一つ。軽い話題ながら胸を抉る談話の華。あたしを救ったその背中は叫ぶ。人はみんな生きていれば変われるんだ。身体も心も、世界だって!! そんな彼に、どうしてそこまであたしを救ってくれるの? 聞くと彼はわからなくていい。初めからわかって貰おうなんて思っちゃいないただ自分がそうしたいから、自らの心が命ずるままに、あの現実では為し得なかった願いを取り戻す。進は自分が納得したいから全力を尽くして仲間を守りたいと一心に」

 「あーなるほどねーいや凄いわーあはー聞かなきゃよかったー」

 棒読みの返事に熱烈なラブコールの火の粉は勢いが止まらない。

 「だべってる内に漲ってきたあああ~~!!」

 ネメアの蒼髪が高ぶった。

 「じゃ、あたしはこれにて。むふふ愉しみに枕を濡らして待っててねマイダーリィン~~っ」

 ドタバタガシャンッキィ~~ンとザックしか人の姿が見えない個室から退出する。

 「そろそろ擬態解いたらどう?」

 言われて、進はその場の調度品へ七変化した駆体を元の人型へ戻した。

 「あれだけ美女な惚の字なら据え膳勿体無い」

 「俺は絶対、糞親父にだけはなりたくない。だからあんな可愛い女の子に詰め寄られたら……困る」

 だから女性とのお付き合いは最新の注意を払って、

 「失礼します」

 ルーティアがノックして室内へ入ってきた。

 進と遭遇する。

 「ちょっと失礼。ススム、少し質問があるんですけれど」

 「うんなになに」

 ネメアとは異なり普通に会話をする。

 「女扱いしていないんですかい」

 「ルーティアは相棒だからいいんだよ」

 「?」

 途中入場のルーティアだけがわからず会話が続く。

 「それで俺に何か用があるんだろ」

 「あ、うん、ええ実は」

 ルーティアはどこかモジモジしながら簡潔に用件を口にする。

 「欲しいもの?」

 「そう、進の欲しい物って何ですの」

 「夢と希望」

 「既に標準装備している物以外でお願いしますわ」

 「う~ん、それ以外だと~てか何でそんなこと聞くの?」

 「プレゼントですわ」

 勇気とのバトルで切り捨てた長髪に隠れなくなり見易くなった彼女の両頬がほんのり色づく。

 「今日は何の日か覚える? 今日は貴方と、ススムと出会えた記念日。勝手に今日を貴方誕生日にしてしまってごめんなさい。でも、それ以外に相応しい催しは考えられませんでしたわ。本当は……ちゃんとプレゼント用意してから伝えたかったけれども」

 この異世界で誰よりも進の隣にいるルーティアが万感の想いで口にする祝詞。

 「ハッピーバースデイ、ススム――生まれて来てくれてありがとう」

 存在を肯定するその言葉が何よりのプレゼント。

 「ありがとうルーティア」

 喜びで満たされて完全に無防備状態だから、

 「あ~んっ独特な鉄臭さがここからぁん。あはっ、見っけ」

 ガチャリとあっさり探索中のネメアに発見された。

 「マイダーリンっラブチュッチュ~!!」

 俊足のダイビングタックルで速攻ねんごろになろうとした女性淫魔に、

 「今は私と取り込み中」

 横合いから首筋へ褐色キックが叩き込まれる。

 首骨がポッキリと砕けてグニャリと歪に歪む。

 「しゃばるなゴミ屑」

 ダイビングタックルの発射地点から直角90度横へ脊椎中枢粉々にされた死に体が蹴り飛ばされ調度品へ頭から突っ込まされる。

 「ふざけろ黒豚!!」

 崩れた調度品から起き上がった頚椎プランプラン状態ネメアは変な方向に曲がった首をゴキンッ!!! と定位置へ戻す。

 「痛い痛い痛い糞が痛いんだよ死ぬのはあああ~~ッッツツツ!!? がああこの間身代わりにされた借りも返さねえと腹の虫が収まらないねえ!!」

 「人前でしょう慎みなさい」

 「愛の形は人それぞれ!! 今時そんな常識わぁからないとは、これだから森の引きこもり帝王なダークエルフはなあッツツツ!!」

 「まったく自分の行動全部を勝手に肯定して、これだから淫魔は節操がありませんわオラアアア!!」

 暴力に美貌は陰らない。

 逆に影が深く濃淡を変えていく。

 「わお修羅場」

 他愛無く茶化すザック。

 「どうぞどうぞ」

 「俺にどうしろと!? こんな二人の間に入ったら鉄屑確定だっし!!?」

 互角の戦闘力を有する女傑二人の熾烈な闘争は千日手。

 空間を殴打する衝撃の余波に半ば空中浮遊するルーティアとネメアはどちらかがきるまで延々と続行される平行線の筈なのだが、

 「おー淫魔のネーチャン気合入ってるー」

 均衡が崩れたというかその場の乗りにネメアが物凄い背中を押されていた。

 この一戦に限定して、テンションの差が同格である筈の両者に開きを生んでいた。

 「げえッ!?」

 本気のルーティアが残り数秒も食い止められそうにない!?

 や、やばい、やばすぎる!! と焦る鋼の駆体にガラスハートな進。

 考えろ。考えろ俺様! 

 考え、熟考の末に選んだ最良。それは、

 「戦略的撤退、自由への逃避行っ!!」

 逃げの一手を選択即行動で窓ガラス破壊&フライングハイ。

 「ああんダーリン待ってえ!!」

 「貴女が待ちなさいこのを!!」

 背後から掛けられる呼び声から神域の蜘蛛脚俊足で脱兎にトンズラこいた。

 蜘蛛から二輪バイク、その他各種変形を駆使して神速逃げ足を無駄に加速させる。

 (ほとぼりが冷めるまで路地裏にでも隠れ潜んでおくか)

 並び立つ家屋の屋根という上空の死角を器用にジャンプしながら息継ぎに裏路地の一つへ着地する。

 「ここまで来れば大丈」

 夫、と言い掛けた間際。

 進の超合金右腕が肩口から丸ごと切断された。




 早乙女 勇気は普通の家庭に生まれた。

 普通な両親の元で平々凡々な時々将来に不安を抱いたりするそんな当たり障りのない人生を歩んでいた。あの日、母が十年以上秘密交際していた浮気相手と駆け落ちするまでは。


 「愛しているよ、×××」


 どうも、母は代わりばえのしない父との生活に大分前から嫌気がさしていたらしい。

 それでも嫌な男の子供である勇気に辛く当たることは一つだってない。だって勇気は彼女にとって本当に愛している男との子供だったからだ。しかし、結局は浮気相手の男を選んで雲隠れしたのだから勇気への愛情はその程度だったのだろう。どう高く見積もっても遺伝子上の父親より確実に下回る。


 「愛しているよ、×××」


 そんな彼女とは対照的に、丸きっり正反対に、だから夫婦間がこじれてしまった悲しい人。

 仕事場から電話で駆けつけて産湯から上げられたばかりのスヤスヤ眠る赤子を一生費やして守ると決めた人。実の子供と実の妻、全身全霊を注いだ二つの宝物に始まりから裏切られていた人。勇気にとって実の父としか感じられない大切な男性は、母を心から愛しているという気持ちを捨てなかった。

 棄てられなかった。

 失って取り戻せない、けれど悲しみに叫ぶ心がすがり付いて棄てようとしない在りし日の絶望が父を皮膚一枚下でグズグズに腐敗させられていく。


 「愛しているよ、×××」


 普通で幸福な勇気の人生は、絶望と苦悩に満たされた有精卵を吐き出す養鶏場と化した。

 おとうさん止めてよ痛いよ全然気持ち良くないよ。

 ねえ、どうして僕の名前を呼んでくれないの。

 なんで僕に微笑みながらお母さんの名前を呼ぶの。

 止めて、僕は男なのに、止めて痛い痛いよ。


 「愛しているよ、×××」


 お父さん。

 僕は、お母さんの代わりなの?

 僕は、お母さんなの?

 じゃあ、


 「死が二人を分かつまで、ずっと一緒だ」


 僕は、誰――?


 ――そして悪夢から目覚める。


 目覚めた天蓋付きベットの上で流した涙は既に乾いていた。

 「ここは……」

 自分の部屋。

 第十三王子の私室であることは目覚めたばかりの脳味噌でも認識出来る。

 「えっと……えっとお……あ――そうだ」

 別離の記憶が忘却を拒絶する。

 「そっかそっか……進くんに振られちゃったか……あはは」

 渇いた涙の痕と飢えた嘆息が柔らかな羽毛へ沈む。

 「お母さんがいなくなっちゃったお父さんもこんな気持ちだったのかなあ……なんてね、ふふふ」

 涙で消せぬ焔渦巻く胸がグチャグチャになる。

 何時の間にか渇望するように涙と鼻水でグチャグチャになってしまう。

 「そんなに苦しいなら諦めろよ」

 「あに……うえ」

 部屋には勇気以外にもう一人。

 ブレイヴ王子を救った第一王子がベッドの横で椅子に腰を据えていた。

 兄として弟を心配する。

 「あんな鉄屑別の探せ」

 「進の代わりなんていない!! 彼しかいないんだよお……」

 空虚でいびつな貝殻に言葉は通じない。

 届かぬ星を見つめるような眼差しの第一王子は、伝えたい言葉が拒絶された兄は、

 「勝手にしろ」

 一人で自閉する弟を放置して多忙な第一王子は雑事を切り上げる。残され独りに帰る第十三王子。

 「どうして、僕を選んでくれないのさあ……?」」 

 俺はお前なんてどうでもいい。

 最後に宣告された進の離別が棘のように刺さり抜けない。

 「こんなにも君へのぶつけたい想いで胸が一杯で苦しいよお」

 遥か星辰の奏でる時の彼方まで想いは燻り飛翔する。

 ずっと、

 ずっと昔から、

 ずっと以前から、進学するその遥か以前から進の背中に羨望の眼差しを注いでいた。


 君は忘れてしまっても僕は覚えている。

 君と出会えたあの日を片時も忘れはしない。

 あれは大好きなおじいちゃんが元気に笑ってくれていた頃。


 「おおおおう~よく遠路遙々足を運んで来てくれたのうユウキィ~!」

 何時だって実の息子孫である勇気が両親と訪れると、おじいちゃんは毎日ボケが治っていた。

 まどろみに沈んでいた翁の双眸が叡智を取り戻して、元気ハツラツに孫との触れ合いを満喫する。

 「本当にユウキは思いやりのある優しい子じゃのう。そんだというのに娘孫の方は一度もここに顔出してくれん」

 「今は姉さんも仕事が忙しいんだよ父さん。今度仕事がてらに会ってくるからさ元気出しなって」

 「なんと、そこまでしてくれるとは、ありがたやありがたや」

 元気なアルジじいちゃんの顔を見れるだけで一つの収穫。

 それは勇気にとっても至福の時間で、お父さんとお母さんと同じにおじいちゃんも大好き。

 当時の勇気はそう信じきっていた。

 「魂が欠けた肥沃を求め訴えておるようじゃが、ちゃんと三食飯食べ取るか?」

 「天と地を背負い万物に向き合う。内なる己の想いに耳を傾ければ自然と答えは導かれてくる。湯水の如く沸き上がる心の源泉から汲み取る未来にこそ」

 「どれ一つ占ってやろう。何々……ユウキは女教皇(ハイプリエステス)。ふむ、これは恐らく次の段階へ進みたいと叫ぶ心の声じゃろうな」

 「押してダメな引いてみろ。何々引いたら壊れて怒られる。ふふふっ甘いのうユウキ、そんなの怒られなければよいのじゃ!!」

 「それでユウキは今、恋人が何人おるのかのう? ちなみにワシがユウキくらいの時はラッキーセブン」

 おじいちゃんの面白可笑しい愉快で小難しい物言いを聴いているだけで幸せが到る場所からここぞとばかり駆け寄ってくる。

 (あれはきっと、まだ進くんがお父さんから認知されていなくて、お母さんと一緒に地方各地を飛びまわっていた時……本当に僕らは偶然引き寄せあった)

 対面を気にするお母さんの言い付けで仕方なく出向いた片田舎の祭り。

 大人たちの本御輿とは別の小児たちが担ぎ練り歩く小御輿。

 その担ぎ手を率先していた彼に出会った。

 現在の異世界における活発さが生身に押し殺される以前の屈託無く笑えた進は、同い年で私服姿の勇気を見つけて担ぎ御輿の参加者と勘違いしたのだ。

 「お~い、もうすぐ始まるぞ!」

 この時の彼は、元気でスマートな溌剌少年を絵に描いた利発男子。

 全身が太陽で作れられたような熱い熱量を秘める右手で左肩を荒々しくも親愛の情を漲らせて掴まれるまで祭りの荒波に揉まれて泡食っていた勇気はその接近を察知出来なかった。

 「ほらよ!」

 「な、なに君うわ! ちょっ、なにその捻りハチマキ!? 止めて! お洋服脱がさないで恥ずかしいキャアアン!!?」

 「おいおい何を女見たいな悲鳴上げちょるかおぬしはガハハハそれでも男か度胸見せろやあらよ! 一丁上がり!」

 こうして他の小御輿に参加する子供たちとそっくりな田舎魂燃え上がる赤色青色コントラスト栄えるハッピ姿に強制変更されてしまう。

 「こっちだぜレッツゴー!」

 充満する人混みを掻き分けながら走る力強い手に、有無を言わせずに引き連れられた先に広がる新世界の一員に勇気は力押しで加えられた。

 「みんな、準備はいいかあああ!?」

 「「「「おおおおおお!!!」」」」

 「僕は無関係だよおおお助けてえええ!?」

 無関係な勇気を飲み込んだ子供御輿はそのまま祭りの終わりまでぶっ続けはやし立てた。

 「「「「「ワッショイワッショイ!」」」」」

 「ワッショイ……ワッショイ……」

 「「「「「ワッショイワッショイ!」」」」」

 「ぶふう、ワッショイ、ワッショイ」

 脳に酸素が行き届かなくなり軽い酩酊状態になる。

 汗雫が濁流の如く汗腺の老廃物を発散させる。

 「「「「「ワッショイワッショイ!」」」」」

 「ワッショイワッショイ……」

 頭の中が空っぽになる。

 祭りの熱気が空洞に流れ込み、見も知らぬ赤の他者と感情が共有されていくような気分になる。

 「……」

 「「「「「ワッショイワッショイ!」」」」」

 その辛さは、大勢と一体になって楽しさを味わう幸福感を連れてきた。

 「――ワッショイワッショイワッショイショイ!!」

 最初は自分の喉から出たと最初は気付けないほどのはやし声。

 単純な音量とは異なり轟く。

 「おおっと! 威勢のいい掛け声だ! ふはは俺も負けないぜえええ!!!」

 ワッショイワッショイと、進と勇気は最後まで御輿担ぎの楽しさを共有し合えた。

 思えば、それが勇気にとって一番最後の幸福な記憶。

 おじいちゃんが亡くなったのはそれから程無くした雨の日。

 無理をしていたのだ。

 勇気の人生が変わったのは、それからかもしれない。

 勇気が憧れた進の背中が闇に堕ちたのも。

 他者を惹きつけていた光の輝きが、他者が吐き散らす汚泥の闇に縋りつかれてしまったのは。

 (今の進くんはかつての輝きを徐々に取り戻している。でも、まだ、決定的に足りない)

 実際、彼が心から笑えるのは異世界だけのことで、現実に苦痛を感じている限りはまだ失い続ける。

 失わされ続けている。

 その事実は、不当に感じられる現実の状況に改めて憤慨する。

 そして悟る。知らずに隠してしまった本当の自身の願いを。

 (そうだ、僕の本当の願いは、僕の大切な友達の綺麗な輝きを取り戻して欲しかっただけなんだ)

 俯いてしまった貴方に、もう一度無限の青空を眺めて欲しい。

 あの力強く勇気の手を引いてくれた輝ける閃光の君と再会したい。

 一緒にいれば何でも叶えられるそんな友達。

 確かに彼と一緒に力を合わせて現実を駆逐したい気持ちは大きいが、それは勇気の本当の願いを叶えた後に為すべきこと。今すべきは欲望に流されず自らが欲する真なる望みを成就させること。

 (おじいちゃんだって言ってたじゃないか)

 亡き祖父の言葉が再生される。

 「内なる己の想いに耳を傾ければ自然と答えは導かれてくる」

 勇気に残された道は二つ。

 更に拒絶される覚悟で前に進むリスクを抱くか、これ以上の関係悪化を避けて安定を望むか。

 「……ず、ずむ、くん……ッ」

 抱き締める道を望んだ。

 決めたら即行動。進への伝言を頼むと、勇気は急いで現実に意識を戻す。

 僕の気持ちを正面から彼に伝えよう。

 今度は絶対に手を出したりなんかしない。

 彼に僕の想いの丈を真っ直ぐに伝えて、それから、どうなろうと仲良くなろう。

 進くんが僕をどう思っていても、僕はもう一度君と友達になりたい。

 そんな勇気の背中を、

 「ゆ~う~き~ちゃん」

 悪魔がポンっと掌で触れた。



 

 「誰だ!?」

 「俺だ」

 降って来た声に聞き覚えがある。

 トドメを邪魔したあの男の声。

 第一王子が日陰に輝く太陽のように燦々(さんさん)と殺意の威圧感を照りつける。

 「我が愛しい弟の為にちょっと面貸して貰おうか」

 腰元の日本刀と酷似した形状の長剣が鍔鳴らされる。

 二つ三つと、飛翔する斬撃が間を置かずに進を断罪せんと狭い一本道の路地を押し寄せる。

 「王族直々に処断される光栄の悦に浸れ」

 「それで死んだら元子もないだろが! くそッ――うあああ!?」

 開始の鐘を鳴らした第一王子から一方的な攻撃ターン。

 だが、強襲(アンバック)で敗北する惰弱は冒険の金網により振り分けられている。

 そうでなければ冒険の日々で進は仲間たちを道連れに全滅していた。

 負けじと紙一重で鋭い斬鉄剣撃の回避を断続敢行。

 「ここだッ――!!」

 次第に斬撃の隙間を算出して反撃へ転じようとする。

 「待て」

 止めたのも第一王子。

 「何か勘違いしているようだが、俺はお前を初めから壊すつもりはない。弟以外で畜生以下の鉄屑未満に興味を持つ数奇者がいてたまるか」

 「……」

 「俺はお前に、この高貴にして崇高なる聡明絢爛な第一王子がわざわざ喋る鉄人形相手に伝える言葉があるから出向いたに過ぎない」

 「伝言って誰の」

 「俺の弟に決まってるだろ十三番目の」

 ブレイヴ王子の、勇気のことを口にする。

 もしも、この男は実の弟がまったくの他人の魂で動かされている死体人形だと知ったらどうするだろうかと進は考えた。

 「最近引き篭りから脱却しつつあるのだが、それを解消するにはどうしても貴様なんかと仲直りしないと気が済まないそうだあの馬鹿弟。まったく、ダチの一人と不仲になって程度で死にそう顔するなっての」

 信じないか信じるか、信じたとして弟の肉体を勝手に動かす勇気にどう反応するか。

 予想は幾らでも立てられるが、この場での結論は保留とする。

 そして重大な疑惑が口元から飛び出す。

 「……そんな言葉信じ難い」

 「信じようと信じまいとそれが真実だ。何度も言うが俺に貴様なんか壊すつもりは更々無い」

 「この右腕落とした一撃は何だよ。明らかに殺しの切り口だ」

 「それはあれだ、壊すつもりはなかった。けどうっかり殺しそうになった」

 「ああ言えばこう言う」

 「つべこべ言うな鉄屑。だったらムカついたからだ、それでいいんだよ。この間、俺の王城(いえ)を一部崩壊させたこと忘れてないだろうなあ?」

 「うぐッ」

 「修繕費用を請求してやろうかあああん?」

 その通りで、交わした会話に含まれる空気には命を奪う気がないと読み取れた。

 「つーか王族としての権力を行使すればこんな真正面から決闘じみたことなんてするかよ。それぐらいわかるだろ?」

 「……わかった」

 「うむ、では本音は叩き切ってスクラップに変えたいのは山々だが、弟には優しい兄で通っているこの第一王子様々は約束を絶対守るので定評がある。よって、この偉大なる口から発せられる曇りなき事実を賛美して拝聴すべし」

 大言荘厳に剣を収めた。

 「我が弟から伝言はこうだ」

 入れ替わりに鋭い口先を開く。

 「僕たちの生まれてしまった場所で待っているだそうだ。意味がわからん」

 元々、伝言のついでに小うるさい二番目の弟と口喧嘩でたまった苛立ちを軽く発散しただけの第一王子は伝えることを口にすると相手の反応を窺いもせずに王城へトンボ帰りしてしまう。この往復に小一時間が経過した。最後に、

 「おい弟、お前の伝言しかと伝えて」

 「兄上~~っ!!」

 第一王子が扉を開こうとした直前に、扉の方が先に開いた。

 盛大に開放された戸口が無防備な顔面へ激突する。

 「ッッッぁ~~~!!!」

 最強の鎧で覆われていない顔面への衝撃が彼の高い鼻頭をへし折る。

 「ッッッ~~お前ぇッ」

 涙声で文句と拳骨一発覚悟させようとした逞しい首筋に、

 「兄上大好き!!」

 小柄な弟が花も綻ぶ笑みを咲かせながら抱きついてきた。

 「は?」

 「みんな大好き! 全部大好き! 愛してる~~ぅ!!!」

 口から出るのは好意・愛情・希望・生命賛歌。

 「アイ・ラブ・ザァァァ・ワールドォォォッツツツ!!! あはははははははははははははは!!!」

 第一王子が戻るまでの短い一時で、内気なブレイヴ王子の性格が根本から変革されていた。

 「何だぁ」

 一体、弟に何が起こった?



 「現実に戻ってたまるかよ」

 伝言を受けた進であったが、本人は勿論無視する腹積もりであった。

 「俺はこの異世界が好きなんだよ」

 切断された右腕を残った左腕で脇に抱える。

 「あんな現実にいるぐらいなら一秒でもこっちに居」

 「ダ~リンどこおおお?」

 「よし気分転換に現実へ戻るか!」

 声の近さから逃げても追いつかれると判断。

 逃げ場を欲情で目が真っ赤なネメアでは来られない現実へ変更する。

 ついでに、あくまでついでに勇気が何を言うか聞いてみる気になった。

 現実へ戻ると真っ赤な血で滲んだ背景に鴉の鳴き声が暁空に遠ざかる。

 (夕日は嫌いだ)

 太陽照りつける青空と星の煌き帯びる夜空、そのどっちにもならない暁。

 そのくれないは幼少時代から零れ落ちた涙を飲み干している。

 嘆きの淵は必ずといって紅の空が彼を待つ。

 (早く下りろとばり

 とりあえず勇気が待っていそうな校内の場所から一つずつ探していこうと女子トイレの前を横切ったその時に鼓膜を叩いた話し声。

 知らない女生徒の笑い声の一つに、

 「すっごマジ傑作」

 全身の毛穴全てが逆立ち泡立つ、そんな想像を絶する悪寒に襲われた。

 その楽しげな純粋さに、この世の邪悪をあらん限り煮詰めた漆黒が含まれていた。

 一秒前まで平然と歩けていた肉体が酸素を求めて肺を過剰に馬車馬働かせる。

 「掲示板に上げといた」

 知っているこの邪悪を。

 隠れる。

 見つかるな。

 複数。

 談笑。

 立ち去った気配を遠くに感じて、

 「ぶはッ――!!」

 止まっていた酸素供給を再稼動させた。

 息もしていられない恐怖とおぞましさが少しずつ身体から抜けていく。

 嫌な冷や汗が女子トイレの前で廊下へ吸い込まれる。

 この中に勇気がいる。

 確かな予感が鼻腔を熱く燃やす。

 男子が女子トイレに入る危険はこの恐怖の前に消え去る。

 勇気はいた。

 あった。

 「勇気……お前……」

 個室に詰め込まれていた光景を目の当たりにした瞬間、実際その目で直に目撃したにも関わらず、

 「本当にこんなのが現実でいいのかよ……ッ!!」

 正気を疑った。

 それは一種の醜悪な調度品。

 制服は破かれて、身体中は何を浴びせかけられたのか海へ突き落とされたようにびしょ濡れでアンモニア臭が漂う。剥き出しになった素肌をどどめいろの自傷痕が、他人から付けられたグロテスクな傷痕が制服に隠れる皮膚を我が物顔で席巻している。

 そこにいたのは傷付き汚れ果てた女の子。

 勇気は女の子だった。

 「勇気……おい……勇気……?」

 この場所に存在していることが怖かった。

 こんなことがまかり通る現実が恐ろしかった。

 それでも竦む足で逃げなかったのは置いていけなかったから。

 傷ついた彼女と一人になんて出来なかった。

 「……す、すむ……くん……」

 勇気の命は現実に留まっていた。

 「僕は……なんで……こんなところにいるの?」

 記憶障害で短期記憶が失われているのかと進は最初考えたが。

 「なんでこんなところにいるの?」

 それが別の意味であるとすぐに理解させられた。

 右に左にフラフラフラフラと、もつれながら進む歩み光景は生きながら死霊に身をやつした絶望に眼を窪ませている。光をまったく失った虚ろな双眸に対して、進は何も言えない。言える言葉をこの衝撃的な瞬間は忘れてしまった。

 「そうだ、そうに決まってる」

 進への言葉?

 いや、これはもっと違う漠然とした世界へ呟きかけている。

 「やっぱり可笑しい。異常なんだ。ああああああああああああ……間違ってる」

 暗黒の超重力に進は吸引される。

 「進くんは……どっち? ……君も……そっちなの……?」

 進は答えない。

 まだ答えられない。

 「……ふざけんな」

 注意しなければ聞き漏らす小さ囁き。

 「ふッッッざ――けんんんなああああああああああああああああああああああ!!!」

 眠っていた悲しみが怒りに呼び覚まされた。

 「僕は男だ僕は男だ僕は男だ僕は――――――男の子なんだあああ!!! お前らみたいな、汚物に、汚らわしい、女なんかじゃないんだあああああああああああああ!!!」

 感情が高ぶりマグマのように噴出する。

 それなのに、

 進の耳にその叫びが虚しく響いた。

 「見てよ!! この逞しい胸襟を!! 毎日鍛えてるんだからさ!! ほら!! ほらぁあああ!!?」

 叫び喚きながら背中を海老反りする腹筋は確かに美しく鍛えられている。

 筋肉のラインが引き締まった腰幅から薄っすらと浮き上がっている姿は鍛えすぎず衰えすぎず適切な肉体美を示している。故に、胸板で踊る豊かな脂肪の塊は見過ごせない。サラシで押し潰されていた乳房はどう見積もっても第二次性長期を迎えた女子のそれにしか見えない。むしろ男らしく鍛えれば鍛えるほどに勇気の、彼女の女としての魅力が皮肉にも磨きが掛かっている。

 まるでダイヤの原石を削り出すことで秘められた輝きを発露させるかのように。

 「こんなに立派な胸襟は男の中の男だろ!? なあ見てよ見てよ見てよ――見ろよおおおぉおおぉぉツツツ!!?」

 本人だけが知らない。気付かない。わからない。理解が不可能。

 狂ってしまった彼女の精神は、自らでも気付かずに己が忌み嫌う女らしさを自動的に身に付けていく。

 「見てよおおおぉぉぉ……見てよぉぉぉ……みて、みてえ……ッう……ぐううあ……」

 慟哭に悲しみが混じり始める。

 何をそれほど悲しむのか、狂ってしまった己に対してか、否、自らが狂っている自覚すら不可能だからこそ狂気と呼ばれる。だから、彼女が悲しいのは彼女が認識可能な狂気の外側。幾ら狂っても壊れてもきっと死ぬまで逃れられない魂の渇望。

 「みてえ……うぐ……みてよ……みて……僕を……みと……」

 認めてよお。

 勇気の声無き言葉は、そう口を動かした。

 「……はあ」

 ため息の元は進むの口。

 進が自分の表情を省みることが可能であれば、そこに苦渋に満ちた呆れ顔を見たに違いない。

 どうしようもなく呆れて、醜悪で、可能なら生まれ直したい。

 「気持ち悪い」

 ビクンっと震える肩越しに恐怖が滲んでいる。

 「……うあ……あうう……い……ひゃ……」

 指で突いただけで崩れてしまいそうな脆さにはっきり言ってやった。

 「男らしい」

 「え――?」

 その台詞に勇気の激情がストンと治まった。

 恐る恐る、勇気が涙目で膝を震わせている。

 「どう、見えてる、の? 僕の」

 どう見ても、どう吟味しても年頃の青い蕾の少女としか頷けない細身。曝け出された乳房から進は視線を外すどころか睨みつけて悪態を吐く。

 「いいから早くその逞しい胸板仕舞ってくれ。もしかして露出的あるんなら人のいないところでやれ。つーか何だよその腹筋は嫌か最近までデブ街道直進していたインスタントガリ男に自慢ですか。正直そんな男らしい身体見せ付けられると男としての自信無くすわー」

 嘘、偽り、虚構、勇気が狂気の淵で眺めている在り得ざる現実認識に進は平然と受け答えする。

 否定ではなく肯定。あらんばかりの勇気にとって好ましくて心地よい都合の良い台詞がツラツラとよどみなく口上で紡がれる。最後に汚れた勇気の身体を嘗め回すように眺めてから提案する。

 「シャワー貸すから俺んち来いよ」

 頭から小便ぶっかけられた姿を誰にも見られないように注意しながら進は誰もいない自宅へ勇気を招いた。シャワー後、自室の物置からゲーム機を一つ運び出した進の前に現れた勇気はトランクス一枚と首から下げたバスタオルだけという思春期の男子が目にすれば赤面物のあられない姿。

 「ゲームしようぜ」

 平然とソファーの隣にドスンと腰を落とす。

 座った直後は怯えた様子を見せた勇気だが、進がゲーム機の電源を入れてタイトル画面が始まるまでのテロップをやきもきして注視しているとわかって強張っていた最後の警戒を解いた。

 「これでようやく二人以上でスマブラやれる」

 「僕やったことないよお」

 「説明書読め。あとは実際プレイして慣れろ。はいサンドバック開始」

 「え、あわわわ」

 使用キャラクターを選んで対戦すること一回、二回、三回。

 十回目で、負けっぱなしの進が血管ブチ切れた。

 「うおりやあ!!」

 「痛いよお!?」

 露出した脇腹に小さく鋭い脇チョップして操作を妨害するも十一回目の敗北は変えられない。

 「うっせえ半裸あ! 初めてとかウソだろ二回戦目からハメ技使いやがって」

 「ウソじゃない本当だよお。ただ」

 「ただ?」

 「やってみたら結構簡単だったから、あ、スキ見っけ」

 「ぐう~~俺が一人でコツコツ極めたゲームテクを見稽古だけて追い抜くとか天才かてめえ強過ぎんだよオラリアルアタックル!!」

 「横暴だあよおお~~!?」

 二人がそうしてじゃれ合っていると、玄関の呼び鈴が押された。

 「ぐるじいい~~タイム! ほらお客さん来てるよお!?」

 「このこのこのオラオラ――俺に来客?」

 こんな夜に自宅を訪れる人間に進は心辺りがない。

 加えて、

 「勝手に鍵を開けて入って来ただと? ……やだ怖い」

 緊張に二人の喉がなる。

 しかし、居間へ通じる廊下の扉を開いて現れたのは見知った巨漢。

 「あんちゃん? どうしたのこんな時間に」

 堂島 隆吾。

 堂島組組長で進の父親から連なる子の一人。

 「お二人だけですか?」

 「見てわかるだろう。なあ?」

 「は、はひ」

 「そうですか、それは仕方ありません」

 隆吾が勇気を見つめている。

 「部下からの報告で、若が何やら若い女性を自宅にご招待したと聞き馳せ参じました」

 勇気の全身が凍りに包まれたように強張るのを進はつぶさに感じ取る。

 「どうやら情報が間違っていたようです。どうもこんばんは早乙女 勇気くん。今宵も若とお付き合い頂けてお礼を申し上げます」

 「え」

 絶対凍土が一秒で氷解する瞬間も正確に知覚する。

 「まったく幾ら何でもこんな勘違いは醜態に値する。これは下が緩んでいる証拠だ。あとで締め付けを徹底させねば」

 「ああ、そういうこと」

 隆吾の物言いに、手を打ちながら納得したように首を縦に振る進。

 ご愁傷様と勇気の肩を軽く叩いた。

 「どうやら勇気、お前、女と勘違いされたらしいぞ」

 一瞬だけ呆けてから遅れて、

 「こ、困るよ~僕は男だってえええ」

 喜びで一杯のにやけ面で勇気は答える。

 「と早乙女 勇気くんは仰っておりますけど?」

 「お詫びとしてこの堂島が腕によりをかけた豪華ディナーをご馳走しましょう。どうかご堪能下さい」

 着替えだけの短い時間が、夜の奥底まで二人の談笑を続行させる。

 「あはは、こんな楽しい現実初めて」

 さすがに終始トランクス一枚は見苦しいと進から押し付けられたジャージ上下の袖をブカブカさせながら腕まくりする勇気。

 「俺も誰か食事するなんて現実じゃ久しぶりだ」

 親から徹底的に仕込まれたテーブルマナーで綺麗に料理を平らげる進。

 「ところで現実大改革しようって話なんだけど」

 「またそれかよ」

 「でもでも、今みたいに楽しい時間が増えるんだよお?」

 「……」

 「じゃあ明日、明日中に君の心を変えてみせる」

 「そりゃ洗脳でもするのか」

 「違うよ、僕が帰るのはこの腐った現実だよお」

 一組長が調理した晩餐は、その深い味わい以上に進と勇気の心を安らぎへ導く。

 終わりもまた優しい夜闇に見守られながら。

 「またねー進くん」

 「ああ、また明日。くれぐれも自殺しようなんて思うなよ」

 「ふふふ、考えておくねえ」

 勇気は星空の下に消えていった。

 玄関を施錠して居間に戻る。

 隆吾と二人になる。

 「若」

 「だから若って呼ばないでって」

 「こんな女生徒の話を聞いたことはありませんか」

 お互い視線を合わせずに言葉だけが交わされる沈黙。

 「母親が浮気で蒸発して精神の均衡を失った父親に酷い性的虐待を受けた女生徒が若と同じ学園に通っています」

 「へえ、それは苦しい過去を背負っているな。同情する」

 「元々誠実な人柄な父親がそんな狂気に陥っているとは職場の人間は一人も気付かず、女生徒への虐待は長年に渡って続いてしまった結果彼女は現実に耐え切れず事実を捻じ曲げました。自らの認識を刷新して」

 「ふうん、どんな風に」

 「僕は男だからお父さんとあんなことはありえない」

 「そうか、俺には関係無い話だな」

 「ええ、若とはまったく関係ありません」

 あいつはれっきとした男だ。

 進は勇気の真実を全力で保障する。

 「もしも、もしもだ、もしあいつを、勇気を女だなんて戯言口走る奴が万が一にでも居たとしたら」

 誰が何と言おうと断言する。

 「そいつの脳味噌がイカレてる」

 彼女(かれ)狂気(げんじつ)おかすことは絶対に赦したくはなかった。

 


 翌日の早朝。

 勇気の宣言どおりに現実が劇的に変革を始めた。

 それは定期的に行われる校長スピーチ。全校生徒の大半が眠そうな顔で頭を揺らしていると予定されていた安眠作用のある校長の長話は今回急遽取り止められた。

 「この僕、早乙女 勇気は虐められています」

 代わりに勇気の独白が始まり、全生徒の眠気が吹っ飛ぶ。

 「証拠ならあります。どうぞ僕の身体を見てください」

 同じ壇上へ祭り上げられたのはイジメの主犯とされた女子四名。

 実際に加担した生徒を告発すれば糾弾される全生徒の三分の一が民主主義に則り弾き出した生贄。

 「これが僕の身体です」

 全校生徒に耳朶に己が学園生活で体感した地獄絵図を全身で歌い上げながら両手を天井高く開く。

 この場にいる人間全てを抱きしめるような姿は晴れ晴れしい喜びに満ちていた。

 「どうですか女の子に見えますか。残念ながら僕は男の子です。男の子なんです」

 ここぞとばかりに女生徒たちが各々言葉で勇気の狂気を否定する台詞を機関銃の速さで捲くし立てる。

 時には今回の話とはまったく関係無いイジメ側にとってだけ都合の良い弁明を殊更に披露する。

 「君たちがどれほど虚言を積み重ねようと無意味だ」

 しかし、どれか一つだけでも臓腑を抉る悪性に満ちた汚声の数々を一身に浴びながら勇気は大地に根ざした千年樹の如く微塵も揺らがない。

 「彼が示してくれた真実には届かない」

 女生徒たちと現在の勇気では桁が違った。

 女生徒たちが機関銃なら勇気の心は鉄壁の要塞。

 どんな鋭い言葉で切り掛かろうと勇気を全力で信じ認めた進との対話に刃も立たない。

 「見て下さい。僕の身体に刻まれた傷跡を。酷いですよね。彼女彼らはこんな誹謗中傷を笑いながら楽しそうに僕をこんなに汚し貶しめました 中にはありえない嘘で僕を傷つけたりして、ほら胸のここ。それに背中のここ。さらにおしりにべったり油性マジックで。これじゃまるで僕が女の子みたいじゃありませんか」

 キッカケは進だ。

 進が彼女の、彼の背中を押した。

 自分の身体は間違いなく男なのだと第三者から、他人からようやく認めて貰えた勇気は構築した秘策を披露する決心がついたのだ。

 他の誰かに否定されてもかまわない。だって自分は既に肯定されているのだから胸を張れる。

 「この音源は僕が毎日虐められる際に隠し持っていたボイスレコーダー。ちょっと放送委員にお願いしてコピーデータを流させて貰っています。これでもまだ足りませんか? ならもっと、虐めの証拠なら幾らでも保管してありますので必要なら申しつけ下さい」

 勇気は全員を滅ぼすつもりである。

 一人たりとして逃さないと微笑みが語っている。

 「どうして、今頃ッ」

 勇気の底知れぬ笑みに気おされた女生徒の一人が後ずさりながら問いを投げる。

 彼女たちそして彼女たちの後ろで安心しようとしている生徒の大半は戦々恐々としていた。

 絶対に反逆しないと慢心していた日常の崩壊に。

 「今だからだよお、正確には昨日からだけど。昨日、僕の世界はある人のお陰で生まれ変わった。それで気が付けた。馬鹿だな僕は、欲しい言葉(もの)はこんなすぐ近くにあったじゃないかって。そして今の僕には……どんな試練も不可能とは思えない」

 これまで好き勝手に蹂躙してくれたツケを全て返させる。

 今度は逆にこっちから同じ苦痛を満遍なく平等に与える。

 「空気が美味しい。身体が軽い。僕はこの現実が大好きだ。そう愛している。大切だから何度も言わせて」

 世界中のスポットライトを一心に浴びたヒーローの勇ましさで限りなく無限な跳躍飛翔。

 善悪の区別無く、彼女を知覚する人間全員が視線を奪われる。

 「この現実が大好き。アイ・ラブ・ザ・ワールド」

 彼女の宿す狂気が希望を孕んだ。

 進が植えたその場凌ぎの言葉(たね)が、涙で濡れる彼女の心に満開の自信(はな)を開花させた。それは支配階級を打ち砕く英雄の産声。これより目撃するは革命の序曲。

 現実から逃げ出した少年はきっと変えられると断言した少女の奇跡を目撃する。

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