推移
厳重に繋がれたその囚人を目撃した者は、一目で高名な巨匠が命を削り出した美術作品と錯覚する。
百人が目にすれば百通りの感性がそこに他者を捕らえようとする監獄としての利便性を微塵も感じ取れない。
内包された病的なまでの執着心が一種の芸術美となって機能した思わぬ副産物が大衆を甘美なる魔貌で魅了する。人が多かれ少なかれ自他共に支配欲を抱き生きる以上はこの美からは逃れられない。その観点から見ればこの牢獄は完璧な芸術作品と呼べる。永遠に残すべきだと唱える好事家も探せばいるだろう。だが、そもこれは芸術でも嗜好品でもなくただの拘束具。そんな勝手な期待は外れるのがオチ。
クレストール王国の王城・ブレイヴ クレストールの私室。
大切に、大切に飾られ保存されて、十三のオリハルコン製拘束具に固定された模像勇者。
当の部屋主であるブレイヴは物言わぬ鉄塊の前に体育座りしながら、愛しい自分の王様が異世界へ到来する刹那を永遠に等しく待ち詫びる。
ピクリと、沈黙する鋼の一関節が痙攣する。
三眼レフが連続して切り替わり、格納されているデュアルアイがピントを引き絞る。
半永久的心臓炉から発せられた起電流が紫電の生気を運動機関へ回らせ巡らせ廻らせながら精緻極めるアトランティス術式内蔵システムを順次駆動していく。徹底隈なく実施されるこの起動認証モーションが停止期間中に駆体各部へ塵のように堆積した淀みを悉く洗い流す。
「――――ただいま」
在るべき自意識を取り戻したシステムが再開する。
第十三王子は歓喜の笑みで祝福した。すると、五体を張り付けにしていた金属パーツがまるで「その拘束具は貴方を守る為のモノなのよ」といけしゃあしゃあ語る口振りで頑なだったオリハルコン製錠前を盛大に解放していく。
「お・か・え・り・進くんっ」
鋼の在り処に帰った進は、
「トランスフォーム・モーターサイクル」
限界まで押しつぶされたバネの勢いで駆け出した。
ぶ厚く重い内開きの扉に挺身をぶちかまし炸裂させ、ひしゃげた蝶番の破片と共に宙を舞いながら広大な宮殿廊下へ前転宙返り。着地と同時に二輪形態へ変形完了。エンジンフルスロットルで全速回転始動する二輪のタイヤが接地するレッドカーペットを狂わんばかりに轍を刻み焦がす。
「【れぐぬむ こんくていぽてんていす でびな びた】」
鋼鉄汗馬の嘶き全速前進する廊下の曲がり角。
豪勢の二文字を装飾し施すステンドグラスの奥でを無限なる空が手招く。
ペダル踏み込む最大加速状態の車輪は激突したステンドグラスを星屑のように衝き壊すと、砕いた硝子が真昼の流星を見上げる番兵たちへ降り注いだ。
許されるならば広がる青空へ翼を広げて天高く羽ばたきたい切望も虚しく、舞い上がれぬ鋼は流星の末路を辿り、八本の昆虫脚部が落下衝撃を全て分散した。
大地から吸い上げた養分を練り上げるように、地球上の生物で最速を誇る神域の加速力が残像を発生させて、王族からの至上命令によって捕縛取り押さえようとした兵士たちを幻惑する。そして稚拙な人垣の檻を突っ切ると再び二輪でなだらかな下り坂を爆進していく。
「【みにまも まくしも こいんでいくとうお】」
止まらないフルスロットルの前方。
立ちふさがる最終関門は脆い硝子窓とは桁違いな堅牢なる城門。
機械行進曲を阻み、逃走劇に幕引くべく密集する戦力。
下級番兵だけでなく場内で最強の戦闘力を有する上級聖騎士数名を動員して待ち構える大扉は鉄壁不落の防御力を有する。そんな刻々と迫る鉄壁との距離を模像勇者の高精度センサーが正確に算出する。
「トランスフォーム・バスターキャノン」
急停止すなわち地面を射抜く二対のパイルバンカー。
四本の巨大な爪痕が射抜いた岩盤に深い溝を残し、前進に費やされていた慣性の法則が波状に砕け散る下り坂を際立たせる。
運動性・機動性皆無、代償に全機能を破壊の一点突破に集約した対艦固定巨砲台。
寸分の狂いなく照準を合わせる純白の砲身。
駆体循環するエネルギーラインを発生源たる心臓部から直接銃口深奥へバイパス処理。
チャージ時間を大幅に短縮。
放たれる、眩しすぎる閃光が、唸り猛り疾走開始した。
地の底を鳴動させながら、兵士と聖騎士たちの目が眩んでいる隙に後続の破壊光線が外敵の侵入を許さぬ堅牢な城門を脆いアメ細工のように内壁側から溶解貫通し吹き飛ばした。頭上から落下してくる即席の岩漿が有象無象へ降り掛かる。
進はその混乱を足蹴に、丸く溶貫された城門の貫通孔をサーカスの火の輪潜りの要領で二輪変形して走り抜ける。数回軽く車輪をバウンドしながらの勢いで城下町も一気に、
「【こいんしんでしあ ぽじとるむ どくた――――いぐのらんていあ】」
全力でブレーキを踏んだ先に広がっていたのは進が異世界で初めて訪れた王国城下町ではなかった。
聞こえてくる、見えてくる都会の息遣い。
スーツ姿の男性。真っ赤なヒールを履いた女性。学生。カップル。老若男女。
恐らくこの世界において進ともう一人だけが見慣れている喧騒風景。
スクランブル交差点の中央で二輪から人型へ戻った進が透明人間のように誰からも視線を向けられずにいる。数秒前に進が破壊した城門も綺麗さっぱりと消失している。
戻ってしまったのか。しかし、でも進の身体は鋼のまま。通行人が身体をすり抜ける訳でもなく、肩や背中をぶつけられながら進は困惑に苛まれながら導かれるように、誘蛾灯に吸い寄せられる羽虫の風体で辿り着いたそこには――自分がいた。
「男、棄えろ。女、奉げよ」
全人類の頂点に君臨した足立 進の未来像が古代神殿の祭壇を彷彿とされる台座で、えらく露出度の高い服装をした女性神官たちが両手に持つ巨大な団扇によって涼んでいた。傲岸不遜な態度の自然体で、これまた美女に剃刀で顎髭を剃らせている。
進の思い描く最低の悪夢を形にした光景である。
「お喜び下さいお館様」
王へ恭しく頭を垂れる信者の一人が全世界制覇後の進捗状況を告げる。
「王の威光に平伏せし支配地域から貢がれた奥方が本日記念すべき666人目に達しました。ますますのご精強振りに感服する他ありません」
侵入者を告げる警戒音が祭壇内に流れた。
アナウンスとほどなくこの場に足を踏み込む異端者。
「無礼者め。ここを誰の御前と心得ている」
威圧する信者と周囲を取り囲む女性守護者たちの圧力にも負けない勇敢なるその手にはどこで拾ったのか硬い石ころが握り締められている。殴れば凶器に早変わるそれを手に進の頭をカチ割る算段で目が血走っている。
「お前が天上天下唯我独尊王か」
「そうだが何かね」
「マリーを覚えているか。お前の妻だった女のことを」
彼は進の666人妻から脱落したとある女。
目の前の男にとってかけがえのない幼馴染。
「ボロボロのズタボロに変わってしまった、二度と微笑んでくれない彼女のことを」
男は幼馴染のことを愛していたが王へ嫁ぐ以上はこの気持ちは邪魔にしかならないと己が感情をひたかくした過去を持つ。
「知っている、知っているんだ、全てお前が悪い」
その押し込めていた感情が愛する女性の無残な亡骸によって噴出した。
愛する者の幸せを祈りながら、その結果がボロ雑巾のように打ち捨てられた結末の怒りは蒼い焔となって男の心を地獄に貶めている。
「どうして彼女は死ななくちゃならなかったんだ。どうしてあんな酷い仕打ちが出来るんだ」
怒号する下民に対する答えは、
「くくくっ」
「何が可笑しい」
「いやなになに、これを笑わずにいられるか」
心底面白可笑しいという口調で王は平民に尋ねる。
「お前は尻を拭いた紙を愛でられるのか?」
「ふっざけんなあああ!!!」
王の傲慢なる質問は下民の怒りに触れた。
投げられる飛礫、狙いは外れて王ではなくその傍ら。
「あッ」
王の頬に赤い一筋。
不運にも飛礫がぶつかった衝撃で手元が狂い、髭を剃っていた刃が誤ってこの世の王を傷つけた。
青ざめる巨乳の髭剃り係。
「申し訳ございません、ございません、ございません」
この世の終わりを感じさせながら絶望に震える。
「斯くなる上は、この命を持って贖い奉ります」
死ぬよりも恐ろしい目に合うより先に命を絶とうと王の血で濡れた剃刀で自ら喉を掻き切ろうとする。
「よいよい」
その手先が止められる。
傷つけてしまった王である進自身の制止によって。
「今日の俺は機嫌が良い。この程度の些事、寛容に済まさせろ」
慈悲に満ちた声色に強張っていた剃刀係の緊張が解れる。
慈しみながら、愛しながら、完全に警戒心を解いた女性に歩み寄る。そして、ほっそりとした美しい白魚の指先を拾い上げながら進は王として寛容に、
「機嫌が良いから二本で許してやろう」
手弱女の人差し指と中指が真っ赤な血に染まった。
「そうか、むせび泣くほど嬉しいか。そうかそうか」
絹を裂く叫び声の心地良さに笑う王様。
「では次はお前の番だ」
世界の王である進に歯向かった愚か者。
そこに寛容さが入る隙間は一ミリだってありはしない。罪人に許されるのは乱した王の心を愉しませる道化の役割。この世で可能な限り面白可笑しくけったいで底知れぬ残酷さに満ちた処刑方法で罪人は罰せられる。
ざっくりと言葉にすれば、王様に物を投げ付けた罪人はアジの開きで一ヶ月間天日干し。
早々に処置が行われる。
「楽しいなあ。楽しいなあ。愉しいなあああははははははっ――」
「バスターランチャー」
高笑いが光の粒子に飲み込まれた。
悲鳴を上げる暇も与えずに醜悪な人肉を芯まで炭化させる我慢の限界の結果。
「ふざけやがって、こんなモノのどこが面白い」
しっかりと伝わる手応えはこのおふざけが実態を伴う証明。幻覚なんてちゃちな代物ではない。周囲一体を時空間丸ごと切り取り世界から隔絶させて内部に術者が望む空間を描く創造魔法。こんな聞きしに勝る高度で希少な魔法の使い手は一人だけ進に心当たりがあった。その名はクレストール王国第十三王子。そしてあの苦界である現実に進を縛り付ける同級生。
「勇気ぃ――ッ」
確かな幻の都会都市の青き曇天へ向けて咆える。
「呼んだー?」
現れたのは本人ではなく、蜃気楼のように儚い王子の分身。
吹けば霧散しそうな干渉力零の王子の分身に進は意気揚々と宣告する。
「こんなことをしても無駄だ。俺は王様になんかじゃない。お前の言う通りになんかならない」
「本当に君は自分の価値をわかっていないんだね」
そんな進の態度が返されるとわかっていながら根気強く粘着質な王族のストーカーは勝手に話を進めていく。
「僕が教えてあげる。君自身の正しい可能性の導き方を」
「そんなこと」
「全然わかってないよ。進くん、君は自分で自分の手足を縛り付けて両目を塞いでる。まったく君、をこんなにまで貶めた奴らを皆殺しにしたい気分だよ」
苛立ちを口にしながら表情は優越感に浸る笑みが綻んでいた。それからブレイヴの肉体の勇気は前髪を片手で掻き揚げ、今だ続く天上天下唯我独尊王の治世に両手を広げる。
「醜悪かい? ありえないと鼻で笑う? それこそ間違いの源。この光景は何も僕だけが作り出している訳じゃない。この世界を作り上げているのは君と僕。進くんが大本になってる。否定しても、この王道は君自身の内側から溢れているモノなのさ。そうだよ未来は一つじゃない。これも所詮は足立 進という一個人が実現可能な行く末の一例。可ない能う性の一つに過ぎない。それこそがこんな異世界では実現不可能な君本来の力、権力、名声」
父親と母親。
息子を省みず炉端の石ころ同然に放逐する暴君だち。
彼らから進へ繋がる脈々と受け継がれし血族が彩る繁栄の歴史は、世界を傾け得る財力と権威を誇示する。そんなことは言われなくても進本人が嫌と言うほど理解させられている。この王子は、ブレイヴは、その正体である早乙女 勇気はそんな忌み深き現実を切開して再び進自身に曝け出させようとしている。
「時間はたっぷりある。君が素直になるまで。自分の生まれ勝ち取った宝物の価値を認められるようになるまでずっと、ずぅ~~~~っと」
善意の裏から顕現するどんな拷問にも勝る極限の苦痛。
「僕が死んでもこの結界は終わらないからさあ」
遥か高みに居座る創造主の意思が次なる場面へ切り替わる。
出口の見えない悪夢の鳥かごに捕らえられた囚人とそんな彼を傷つけようとは更々欠片も思い浮かばない独善の獄守。これは互いの意思を削りながら行われる消耗戦。
「嫌だ。ここから出せ」
危険を紙一重の冒険を繰り広げた勇者が始めて怯えていた。
目前に迫る破壊の嵐よりも厄介な首元を真綿でジワジワ締め付けるような独りよがりの善意。
見えない恐怖が進の全身を悪寒と共に纏わりつく。
「独りはもう十分だッッツツツやめてくれ! やめてくれえええ!!」
望まず持たされた術を可能性と呼ばれると虫唾が走る。
鋼の奥で絶望に首を背ける進の魂は温もりを求める。
「ルーティアアアアアアアアアみんなあああああああああ!!!」
伸ばしたマニュピレーターはどこにも届かない
冒険活劇への扉は軋む音を響かせながら閉ざされた。
◆
褐色の元暗殺者はこの世の暗黒を久々に駆け抜けていた。
長期間、進と肩を並べて冒険していた今のルーティアには多額の賞金が賭けられてた。加えて王族から直属の捜索部隊が派遣されている噂話も巷には流れている。
「ススム、無事で居て……っ」
そんな危機的状況に陥っていながら彼女は自身よりも連れ添った仲間の安否に気が気でなかった。
目を覚ました時にはもうススムは別の場所へ運ばれた後だった。ルーティアを取り押さえようとする魔手から逃れるので精一杯。それは数々の要素を加味した最適解でありながら彼女は自分の不甲斐無さに眉間に皺を寄せる。
仲間も自分も両方無事でなければ意味なんてない。
奇しくもそれは進がアルメンドラとルーティアの間に飛び込んだ時の心情とまったく同一。遠く距離を隔て離れ離れになっていても二人の心は親身に繋がり合っている理想の関係。だからこそ、半身に等しいパートナーの不在が重く彼女の身体と心を疲弊させていた。
だからか、寂れた六感がその気配を感じ取るにはほぼ接近しなければ不可能だった。
差し向けられた追っ手から逃げ切ろうという寸前で、前に進むしかない闇路地の前方にかつての暗殺者は動体反応を検知した。何時でも戦えるように、どんな状況でも逃走出来る心構えと体勢を整えた。
来る――ッ!!
――くうううん~……
闇から現れたのは弱々しい小動物。
愛玩用に繁殖された子犬だった。
薄汚れた毛の塊がルーティアの張り巡らせた警戒網に獣毛一本たりとも引っ掛からずに足元へ擦り寄ってくる。同時に、緊張していた彼女の心の隙間にもするりと滑り込んだ。
「……よしよし、良い子ね。あなたは、独り?」
彼女はきっと温もりを感じたかったのだろう。
精神と肉体両面の武装解除をして子犬を優しく抱き上げる。
受け取る代わりに温もりを与える。
そして――子犬がその体積と質量を数倍にも増加させていた。
「え――?」
完全に、不意を突かれて、ケダモノに押し倒されて組み伏せられる。
唾液塗れの犬歯がルーティアの視界を埋め尽くす。
「あ」
数多の命を奪い続けた暗殺者の末路は呆気なく、
「美人が死ぬのは世界の損失だぜ」
魔犬が爆散した。
赤黒い血流が風船を破裂させたように驚愕するルーティアの肌を熱く塗りたくる。
「危ない危ない。見かけに騙されるなんて冒険者にとっては初歩の初歩だ。つってもそんな基本のキの字がすっぽぬけるぐらい心ここに有らずなんだろうけど」
建物の影と影の隙間から姿を表した見慣れ男が初対面のルーティアに馴れ馴れしく話しかけてくる。
「それに相性も悪かった。ネーチャンみたいな人は敵意や殺意や憎悪に敏感でもその真逆、向けられた愛情には鈍感になっちまう。だから、こんな場合は易々と喉元に牙を突き立てられて可愛い間抜け面の屍を晒す。世の中には好きだから愛しているから殺したいってイカレとんちきがわんさか溢れてるのにさ。おっと待ちな綺麗なネーチャン。俺はあんたの敵じゃないぜ。ただの雇われた案内人だよ」
紙風船みたいなノリで喋る男はルーティアの知らぬ闇の抜け道を親指で示す。
「着いてきな。ネーチャンの仲間たちの元へ案内する。全員、首長くして待ってるぜ」
そして案内された先は、
「ようこそ【煉獄】へ」
天高く永劫燃え盛る太陽の威光が地殻の絶対障壁に阻まれる大地の底。
月光の道標も失われる地下深く奥底に存在する巨大な空洞。
地土木作業に重宝される光源型モンスターのレイアントが闇の地下世界を燦然と輝く王冠の如き光で満たす。
「この世の財と贅は全て俺の所有物だぜははッふははははははッ!!!」
という台詞を本気で叫べる紳士淑女の皆様愛好の監獄。
広がるのは欲望滴る金銀財宝の背徳都市。
「ここで叶わない願いはない。愛だってお金で買える。どうぞご贔屓に」
火照った身体を養う目抜き通りは、金づるの男たちの後ろ髪を引こう躍起になる女たちのかましい喧騒に満ちている。
「ちょっとちょっと」
「はッ、如何しましたか」
「女に飽きてさあ、男も食傷気味だからさあ、何か他に面白いことをしてくれないか?」
「畏まりました。では、このような宴は如何でしょうか」
どんな無茶な注文にでも即座に答えるべく動く欲望都市の住人たち。
彼らにすれば性別の垣根も商品に張られたラベルのように容易い。
「粒ぞろえの両性具有による酒池肉林でございます」
「おおお、おおおこれはいい、最高だ」
用意されたご馳走の満干全席を一人で平らげながら注文客は官能のため息を吐き散らす。
「女で男の身体がこれほど美味いとは!! プリンプリンでコリコリと顎を伝う歯ごたえがたまらない!! 勃起る!! この睾丸のスープはなんて絶品だ!!」
どんな禁忌だろうと金さえあれば論理を踏む潰して実現させられる。
日の目を見れぬ世界で許される乱交がこの空間における主要産業
その業と欲に埋没した地中の深海をルーティアは謎の案内人に連れられて泳ぎ進む。辿り着いた【煉獄】の果ての果て。巨大な半円形都市の外周部、地下世界の最果てにある石造りレンガの境界線にひっそりと立てかけられた古ぼけた木戸に向かってコンコンコンコン、ココンコンココッと一定の規則に基づいた符丁で扉を叩くと
「合い言葉は?」
確認を求められた。
「生きているだけで最高さ」
数秒の空白が横たわった後に、
「よし入れ」
重い錠前が開かれ、秘密の扉が軋みながら解放された。
【煉獄】の終着点から更に長い長いトンネルを通り抜けたその先には一面の人集り。
これ全部が進を救出すべく自発的に集結した同士たち。
つまりルーティアの仲間であった。道先案内人であった男は陽炎の佇まいで先導していた道程の先を譲る。人員が錯綜するそこには、膨大な人数の中でも進と何度か冒険にも出かけた経験のある数名が首脳会談の態度で磨き上げられたテーブルに腰を据えていた。
「ダルシム、アルジ、仲間って貴方たちのことでしたのね」
「久しぶりじゃのう」
「サイカイ、ウレシイ」
腰を落としている中で、ダルシムと呼ばれたテーブルに座っている他全員が小人のように見えるカタコト言葉の巨人と、アルジという名の飄々とした態度を常に漂わせるローブ姿の老人、この二名はルーティアも何度か顔を合わせた共通の知人。もう二名は完全に彼女の知らないところで進と誓いの絆を交わした初対面。連れてこられたルーティアを含めて全員で五名。一つだけの空席は無論彼女だけに約束されし右側。
「そちらの二人は」
「俺はクラスタ。よろしくルーティアちゃん」
五人の中でもっとも印象の薄い……というか、どこかの村人と呼ばれても差し支えないレベルで存在感が希薄な二十代半ばの人物が、これまた平凡に人当たりのそこそこ良さそうな朗らかさで挨拶を済ませてくる。
「……」
そして最後の一人が、目つきの悪い視線をずっとルーティアに突き刺し続ける野性味溢れる美女。
雪のように白い肌に獅子の鬣を連想させる雄々しい蒼髪。エルフの中でも美人に属するルーティアに肩を並べる絶世の花魁。
「それで、このムスってしている子がネメアちゃん」
「勝手に人の名前を呼ぶんじゃねえ。金払え」
目にも伺えない極細の蜘蛛糸と体表の五パーセント以下の布面積で構成された全裸よりずっと扇情的なシースルドレスのスカートを股開きで裂いた美脚がテーブルに踵を落とす。
「あ、ごめんごめん。あははは」
苛立ちの気配が舌打ちと共に立ち昇る。
「……腹立つな、てめえ。何が可笑しい、ああん?」
「滅相もない! これは可笑しいから笑ったんじゃなくてコミュニケーションを円滑にせんと身体が半ば反射的に」
「ぐちぐちぐちぐちと、うっせえよ……喰うぞ」
本当に今すぐにでも骨の髄まで捕食されそうな雰囲気。
「まあまあそうカリカリ怒りなさんな若いの」
「ケンカ、ダメ、キケン」
「と、アルジさんとダルシムくんも仰って下さっているのでここは矛を収めてどうか」
「……ふんッ」
そして始まる進の仲間たちによる彼の救出作戦会議。
「おい、ダークエルフが居るなんてあたしは聞いてなかったぞ」
開口一番の批判が提案の流れ出す蛇口をきつく締めた。
「こんな疫病神がダーリン救出の役に立つのかよ」
色白肌で蒼髪という褐色肌で薄桃色髪のルーティアと印象が正反対な野獣美女。
彼女が何者であるかの一端を素肌隠す要素0の魅惑な紐下着に絞られた体臭が語る。それは男を、雄を、異性を虜にする魔性のフェロモン。加えて先ほどの口論時における喰うという発言の意味を鑑みると、
「あなた淫魔ですのね」
「ああん、なんだいその口振り、あたしに文句でもあんのか?」
文句を口にして文句を返された側が更に文句を繰り返す。
「あたしはただ、あんたらみたいな得体の知れない長耳相手に頼らなくても問題ないだけだよ」
「頼らなくて問題ない……ふふふっ」
気の利いたジョークを耳にした身振り手振りで頭を抑えたルーティア。
「人に創られた紛い物の劣化品が言いますわ。生まれた瞬間から他人の手を借りているような種族ですのに」
淫魔はその昔、人間族が作り出した生体兵器が野に逃亡したことが起源にある。とある魔法に長けた長寿の種族の贋作。紛い物。
オリジナルとコピーと呼び合う両種族はそんな馴れ初め故か昔から仲が悪いと相場が決まっていた。わざわざたてなくてもいい荒波にわざと巨石を投じるレベルで。
「てめえ、老害が偉そうに」
「まあまあ、喧嘩なさんなご両人」
場を取り仕切る仲介者としてクラスタが荒立ち始めた揉め事の種にハサミを入れた。
「トモダチ、タスケル、イチバン」
「テハイサ村の勇者殿もこう仰ってる通り今は一分一秒だって惜しい筈。種族間の諍いを持ち込んでもお二人個人には何の得も生まれやしない。そうだろ?」
ぐうの音も出ない正論に反論する者はその時点で発言全てに恣意的感情が込められていると判断されて議論から排除される。討論なんてやってる場合じゃねえとも言う。
「目的を見失うんじゃねえぞハバア」
「お前が言うな小娘」
一旦、種族間の軋轢による場外乱闘も回避されたことなので話は進められる。
「お主は一人ではないということじゃよ」
枯れ萎んだ骨ばる両手に杖を突きながらフォフォフォと笑うアルジ老人、真理の最果てに住まう隠者が澱んだ空気を笑い飛ばして健全にする。これでどうにか始められる。
「では話し合おうか。我らの愛すべき同胞を救出する策を」
◆
欲望が支配する地上の煉獄は人類が作り出す性。人が、あるいはそれに準ずる知性体が文明を築き生を謳歌する限り永劫消え去りはひない。それは、どのような世界であろうとも変えられない絶対の真理。
移り変わって進と勇気の現実世界。
二人が暮らす日本の首都東京に古くから根差す一大歓楽街。
眠らない町――歌舞伎町。
暴力と権力が渦巻く折衝地帯に、哀れな草食動物が愚かにも足を踏み入れた。
現実世界で退院早々の休日に、望んでもいないのに生身の身体で蘇えった進。
長期間寝たきりだった肉体は贅肉がごっそり削ぎ落ちて細いシルエットに加工されている。それは全身から発散される気配にも作用して、今にでも倒れてしまいそうな虚弱さを外界へ露呈してしまっている。そんなに状態で連れ出されたのだから厄介事にも惹かれやすい。
「よーよー兄ちゃんよーちょっと俺らに金貸してくんねー」
例えば、歌舞伎町の人足が少なくなる横路地裏。
パツキンで目鼻耳元ピアッシング済みのあからさまな不良にバッド片手に脅される窮地にも出くわす。
「早くしてくれないと俺気が短いからさー何するかわかんねーよー相棒の鉄バットちゃんが火を噴いてもしーらなーいぞーキヒヒヒ!」
「ほらよ」
背負っていたリュックサックを正直に投げ渡す。
「素直だな兄ぃちゃん。それでいいよいいよ、なんたって俺らのバックにぎょーさんおっかない人がたんまり控えているからさあ正直が身のため身のため。いい顔出来なくて残念だけどなはははは! さてと中身中身、うんと、あれ、ファスナーが上手く開かないッ」
「違う違う、そうじゃなくてもっとゆっくり」
「こうか? あれれ、チャックが布に食い込んじゃう」
「ああもう、そうじゃないって、ほら貸しなよ、持っててあげるから」
「お、おおう、ありがとう。これで、両手を、よし一気に、開いた!」
調子の悪いファスナーが元の持ち主の強力でスルリと戸口を開く。
「そうかそれはよかったところで」
パシンッパシンッと掌を叩きながらニッコリ微笑む。
リュックサックを開けるのに邪魔だから預かった鉄バットを片手に。
「奪ったモノ返せ」
一瞬で知恵の輪を外すように不良の行動を誘導して脅しに使われている武器を奪い取る。
ドラゴン退治に比べたら不良のチンピラなんてスライムにも劣る。
レベル1の初級冒険者の踏み台的なスライムが高レベルな進に笑ってくる。
「素人が持ったところでまともに人を殴れなんか」
近場にあった壁の配管を不良の頭に見立て全力で粉砕した。
生意気なことを言ってくる雑魚モンスターにきちんとした力関係を教えるにはこれが手っ取り早い。これでもまだ足りないならばと続けて同じこと二度三度実行する。プラスチック片が木刀で叩き割られた浜辺のスイカの如く湿った路地裏に溶け込んでいく。
「これでも不可能だと?」
ここで初めてチンピラ側がこちらの圧力に怯んで僅かに後ずさった。
「逃げようとしても、こっちが今優勢だからって逆に警察呼んでも無駄だよ」
加えてとある事情で進と一緒に歌舞伎町に足を踏み入れた学園カースト底辺の勝ち誇った様子。
「僕が肌身はなさず携帯しているボイスレコーダーにはちゃんと不良くんのキメ台詞が残っているんだから。えっへん」
謀らずも絶妙なコンビネーションプレイ炸裂。
不良は渋々指示に従う。
「おい、君ィ」
アスファルトに火花が散る。
バットを握るは見下し笑顔の勇気くん。
「有り金、全部置いて頂戴」
「お前が脅すんかい」
それは心底愉しそうな恫喝風景であった。
うぐッ、とカツアゲしようとしたら逆にされ返された愚鈍なチンピラの額に青筋が浮かぶ。ピクピクと痙攣する顔筋の下で煮え滾る屈辱がお株を奪われた小悪党の両肩を小刻みに震わせていた。
「っこんな真似して、あとで後悔するぞお前ら」
「殴るよ?」
「わかった! わかったから出す! くそ、気の短い奴だ」
「殴」
「わかったから!!?」
怯えながら急ぎ有り金を提出する。
「服を脱げ」
連続二回攻撃。
勇気のターンがまだ終わらない。
剥き出しの裸体に見下し笑いが突き刺さる。
「あらら、貧相な本性が薄汚い身体に現れているねえ」
視線を下に落としながら、
「可愛い小指」
嘲り笑う。
二重の意味で不良の尊厳がズタボロに引き裂かれる。
「ふざ――けろッ」
進の聴覚でも、不良の脳内血管が三本立て続けにブチ切れた音が確かに聞こえた。
「そんなに強く言われたら弱く見えるもん。ねえ、進くん」
勇気の挑発は終わらない止まらない。
「俺に振るなよ」
「だってえ」
そんな二人の会話がより一層不良の堪忍袋をブチ切れ寸前へ追い込む。
「へへへ、お前ら、いい気になっているのもそこまでだ」
限界ギリギリで切れないのはまだ猶予が残されているから。
「言ったよなあああ……俺の後ろには怖い人たちがいるって」
三人だけの路地裏に複数の高級革靴の足音が硬質に響き渡る。
どう見ても堅気じゃないスーツ姿の集団が一人、二人、三人――十人。
鉄バット一本と二人程度では対応不可能な戦力にほぼ真っ裸の不良が擦り寄る。
「これでお前らお終いだ」
この不良が所属するギャングチームの後ろ盾になっている歌舞伎町を牛耳る極道の一家。
「こっちですこっち! こいつらです! どうかこの生意気な反感者をシメてやってください!!」
打開の鍵は、暴力でも策でもなく運が良かった。
あるいは悪かったのか。全ての結果は因果の流れるままに集約される。
頼れる助っ人の登場に胸躍らせた不良に待ち受けていたのは、
「なめたことしてくれたなあああ……ッオラァ!!!」
自らのチームを後ろ盾てくれる筈の味方による手痛い仕置きであった。
「ブ――ゲラッ!!?」
棒立ちの自然体が天然のつっかえ棒になって指輪だらけな拳の凶刃さを余すことなく発揮した。鈍い打音と共に凹凸の歪みを顔面に生じさせた不良が背中からぶっ飛ばされた。路地裏のコンクリート壁面と縫うように這う配管に激突した背中の痛みに呻く間もなく横倒れた哀れな小悪党の顔面凹凸へ、
「ギニャアアア!?」
鋭い靴の爪先がより深く陥没させる。
「誰に手ぇ出してんのか、わっかんねえかなあああ。わっかんねえのかよオラァ!!! 飼い犬が手ぇ噛んでんじゃねえよオラオラァ!!!」
「なんッブゲ! どうっしグハ! イ゛ギァ゛ァ゛ァ゛許し゛て゛ぐざだい゛い゛い゛」
ヤクザの怒りを買った理由は不明だが、不良の滅多打つ暴力の嵐は紛れもない真実。
人体サンドバックは鼻頭が捩れて血流に染まっても延々と終わりを見せない。
「ったく……おい、お連れしろ」
「へい」
進に対して尊宅な物言いをした集団の頭が部下に彼の案内を任せる。
血飛沫と圧し折れ砕けた歯が散乱する裏世界の一面が現出した路地裏から進とその連れ人である勇気は移動した。
取り囲まれるように案内された二人が辿り着くのは歌舞伎町の一角。天下一通りに面する仁王門を連想させる数階建てビル入り口から伸びたエレベーターの最上階。
「組長、お連れしました」
扉を開けた先は、壁一枚隔てた別世界。
黒光りするソファーにガラステーブル、高級木製デスクの背後には【諸行無常】と草書体で書かれた掛け軸、部屋全体に染み付いた煙草の臭いが鼻腔を突く。
「ご苦労、下がっていろ」
へい、と開いた扉を礼儀正しく静かに閉めて去っていく行儀が行き届いた手下。
暴力と任侠を限界まで混ぜ合わせて高温で熱した鋼鉄の背中からはトップの風格が溢れ出している。
そこには、龍がいた。
人の皮を被った龍が、鷹の眼光で進と勇気を視界に納めた。視線がそっくりそのまま重圧になったような漂う緊張感を背に、代紋を掲げる極道者が口を開く。
「ご無事ですか、若」
「その呼び方は止めて欲しいな」
そこに広がった光景は、武力的に圧倒的に勝っている巨漢極道者と病状を脱したばかりの虚弱学生が親しげに言葉を交わす場面である。
関東最大規模の極道連盟の中核的存在の一。
堂島組組長・堂島 隆吾
そんな彼と進は、二人は、昔ながらの知己であった。主に進の父親関係で何度か顔を合わせた関係。
「堂島の兄ちゃん」
「そう呼んで頂けるのは三年ぶりでしたね。それで、こちらの」
視線が勇気に向く。鋭い、身体の奥深くの内面を全て貫き見通すような視線がどこか戸惑いながら勇気をマジマジと眺めている。どうやら、発言に困っているように見える。察した進が代わりに答える。
「俺のとも……だちの早乙女 勇気」
「そうでしたか。これは失礼を口にするところで」
中世的な見た目と服装から、男か女か判断が付き難かったようである。
「何時も若がお世話になっております」
「だから若はやめてって」
「こちらも若くんにはお世話になりっぱなしで」
「お前もかっ」
からかうような勇気の若発言に、隆吾の縦横無尽に傷塗れな表情が笑顔に緩む。
初対面の顔合わせは互いに好印象。
案外、隆吾と勇気はどこか気が合うのかもしれない。お互いが自然と互いの似通った部分を察しあっているような感じである。見た目は正反対ではあるが。
「それで本日はどのようなご用件で」
「あの、実は、まあ、その」
「歯切れが悪いですよ、若」
「だから若って言うなよ。だから、その」
考えて、口に出そうとしてまた考え直して、最終的に決意する。
「実は目的なんて何も無」
軽く、肘で背中をせっつかれる。
(ねえ)
幽霊がすすり泣くような向けられた進以外には聞こえない蚊の鳴く声量で、勇気は顔色一つ変えずに進へ確認する。
(あの異世界に二度と行けないとしたら、悲しいよねえ?)
隆吾からは見えない死角からの軽い圧迫で脅迫。
「……兄ちゃんに頼みたいことがあって」
「ほう、若がこの私に頼みですか」
「発案は俺じゃなくて、この勇気なんだけど」
異世界への往復切符という利点を有する国民の願い事を叶える為に王様が口聞きする。
「ちょっと人殺しの手伝いして貰えないかな」
◆
「出来ません」
一時間費やして計画内容とそこへ至るまでの経緯を語り終えると、一瞬でソロバンを弾き終えた堂島組組長はその提案を却下した。
「今の命令には従えません」
「命令じゃなくてお願いなんだけどね」
お上から下された命令なら実の親であろうと躊躇無く引き金を弾く縦序列社会の一角を担う漢は確かに仕える主の息子に否と断言した。例え、それで自らの首を跳ねられようと恐れはしない決意が感じられる。残念そうなのは勇気一人だけ。
「ごめん、無理言い出して。でもさ、こんなのは兄ちゃんしか頼める人いないから」
「そのような事案で私を必要として下さるのならば今後はより自分の身の振り方はお気をつけ下さい。何故なら」
堂島は進の、その背後にそびえ立つ誰かを見通しながら彼をたしなめる
「貴方は関東元締めのご子息なのだから」
「無駄に孕ませた種の一つだろ」
親の肩書きを下らないと笑い捨てる。
「若」
「兄ちゃんだって知ってるだろう。ウチの節操なさは、オブラートじゃ包み隠せないし密閉容器に隔離してもまだ足りない。肉ばっか食ってるから長男次男三男四男五男六男七男八男九男とポコポコポコポコ……妹が妊娠るまでやめる素振りも見せない」
血を分け合った家族全員が一同に介したことは一度も無い。
ダメ親の素振りを反面教師にしたくても、父親も愛人関係の母親もほとんどまったく絶無で家に帰ってこない。そもそも、愛人に与えた一軒家を自宅とは認識すらしていないだろう。
「親が下らなければその子供も下らない。下らない、こんな下らない世界」
こんな下らなすぎ世界に生まれた墜ちてしまった滑稽な自分自身。
「下らない俺」
笑う、自らを笑い扱き下ろす、薄ら笑う進の、
「そんなことはないよ」
否定を切り裂く勇気の言の葉が、堂島に先んじて進を肯定した。
「みんなが「そうだ」と口を揃えても、僕だけは「違う」と答えられる」
まっすぐで直情過ぎる物言いには、虚言を含めるような余地が無いのは誰が見ても明らか。
勇気の純情さは、ウソを口に出来ないほどに卓越していた。どれぐらい卓越しているかと言うと、大気圏より遥か天上高くから地上のマントル中心核に座する奈落へ真っ逆様に墜落するぐらいである。
「進くんを下らないと言う人間の方が下らない」
つまり生きていられるのが不思議な欠点にしかなりえない精神的欠陥。
「進くん、君の否定は、他人から言わされている台詞なんだよ」
もしも、勇気が一言でも虚言を口に出来る賢しさを兼ね備えられたら少しはマシな、最低でも学園カースト底辺に定まるような現実にはならなかっただろう。
「そんな粗大ゴミはさっさと捨てちゃいなよ」
そんな愚かしさ故に、
「若……いいご友人をお持ちになられましたな……っ」
或いは無知故の奇跡か、伝説と呼ばれる極道の胸を打つ。スーツで武装した武闘派ステゴロの何万回も人を殴って変形した親指と人差し指が感極まった涙腺を押さえていた。
勇気はどんな滑稽な台詞でも、内包された言語の感情を齟齬無く伝えられた。
悪意も憎悪も、善意も愛情も。きっと勇気ぐらい素直に想いを伝える為には七日七晩一睡もせずに費やしても不可能である。一生を費やしても半分伝わるかどうか。
「五月蝿いだけさ」
百パーセント相手に気持ちが伝わる言葉にどう答えるのは人それぞれ。
極道は潤み、言葉を向けられた当人は下らないと吐き捨てる表情を変えない。
「またまたもう、そんな詰まらないワードは言わなっしんぐ。進くんはもっと王者として自覚するべきだよ~っ」
進を王様と讃える唯一の人民がそんな王様にダメ出しする。
「だってさ、君が覚醒めればこの世に叶う者は存在しないんだもん。だからそんな弱音は意味なっしんぐ……むしろ害悪?」
一体どこからそんな確信を込めて断言するのか、他称王様は二人ぼっち王国民から向けられるキラキラした瞳の輝きを自身だけが共有出来ずにげんなりする。
「別に俺以外だって同じだろ」
探せば進と同じ人間は世界のどこにだっているだろ。
近場ならば例えば進の腹違いの兄弟など、だから俺に関わらずそっちに託けてくれと願う気持ちで洩らした台詞に、
「ふえ?」
鳩が豆鉄砲を喰らったようなキョトンとした顔で勇気が目をパチクリさせる。
「……あはっ、あははは」
まるで気の利いたジョークを聞いて腹を押さえるように笑った。
「あははは、何を言うの。君以外で同じ人なんて、誰にでも出来ることなんて、絶対ありえないよ。無理、絶対、不可能、理屈に合わない、もしそんなものがあるとしたら」
笑いが止まらず息苦しそうに勇気は断言した。
「それは君にしか出来ないこと、誰にでも不可能なことだけだろうね」
そう言い残した直後に、勇気は事務所の床に倒れた。
盛大だった。
前触れもなかった。
顔面から90度直角の危険な倒れ方だった。脳震盪を起こす危険性が最も高いと言える危険極まる五体とうちがその場の体感気温を冷や水に没するほどに低下させた。
異常は進にも発生していた。
この感覚は、肉体から魂が旅立つ前触れ。
地面に急接近する視界が激突寸前で切り替わる。
魂が、進の意識があの麗しき異世界へ召喚されていく。
「帰ってこれた……」
再起動する模像勇者イン進がガッツポーズで喜びを表現する。
先んじて異世界に召還されていたブレイヴ王子イン勇気は、何時間眠っても床ずれを起こさない最高級ベッドから既に身を立て直している。息を大きく吸って吐いて声を張り上げながら呼びつける。
「お~い影」
「御衣、ここに」
瞬きもしていないのに、誰もいなかった勇気の背後から声と漆黒装束で全身を包んだ密偵が膝を床に着いて主へ頭を垂れていた。
まるで勇気の影から姿を現したような、実際に影から浮き上がるように姿を顕した第十三王子直属の密偵。
「影は常にお館様の背後にありますゆえに」
「就寝中の僕を叩き起こすなんてただ事じゃないでしょ。何が起こったの? 起こっているの?」
「侵入者でございます。恐らくはお館様が以前より予測されていた一団であるかと思われます」
数度、言葉を交わした主従は意見交換を完遂する。
「拙者も迎撃に向かいます」
「頑張ってねえ~影ながら出来るからさあ~」
戦場へ去っていく影の気配。
影が後にする王子の部屋。
「ねえねえしようよ~世界破壊して変革しようよ~」
進が首を縦に振るまで諦めない勇気は通算49回目の嘆願に出た。
「だああうっさい、堂島の兄ちゃんにダメって言われたんだから諦めろよ」
「そこは進くんが眠れる才能を覚醒させてだね」
「他力本願め、そもそも何で苦労してまで現実を変えたがる。異世界だけで十分だろ」
「僕はどっちも楽しくないと嫌なのッ」
口にした疑問は、刹那もしないで返される。
「こっちは楽しいさ。こっちなら美味しい食事もフカフカのベッドも想い合える家族も沢山いてくれる。叶えられる願いも一杯。でもね……あっちが苦しいと、こっちの楽しさが霞んじゃうよ」
勇気の双眸が、二つの世界の記憶で揺れ動いている。
「じゃあ現実の身体を捨てちまえよ。そうすればずっとこっちにいられる」
「それは君ぐらい思い切れないと無理だよ。僕は怖い」
「俺があっちの身体を処分しようとすると何時もお前が邪魔してくるからな」
「だって、もしそうして異世界に来れなくなったらどうするの?」
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味だよ」
勇気は高さに限度のある部屋の天井を見上げる。
「結局、僕たちがこうして異世界で意識を保てる理屈はまだわからず仕舞い。とりあえずは原因解明の為に古代文明の遺産解読を進ませているから遅かれ早かれ理論は確立される。けど、今は何をどうしたらどんな影響が出るか……せめて、それまでは待ってよ。君だってケアレスミスでこの異世界と永遠に別れたくないでしょ?」
確かに、勇気の言う通り。
現実から一刻も早く去りたい、この異世界にずっと居たいという思考が先走って進の考え方は足元を疎かにしていた。
「それに君は現実を変える必要無いって言うけど、考えてみてよ、異世界で体験したハラハラドキドキな経験の全てを」
勇気に言われて思い返す冒険の数々。
深い絆で結ばれた仲間たちとの旅路。
「それをそっくりそのまま現実で味わえる」
空想が世界の壁を飛び越える。
現実で、登校時間が同じルーティアやネメアと一緒に学校の正門を潜り抜ける。
昨夜、クラスタと夜通し遊び抜いた新作ゲームの疲れで居眠り扱いていると、数学教師のアルジが投擲したホーミングチョークが眉間に衝突する。
昼休み、仲間全員が屋上に集まって弁当箱を広げあう。何気に一番料理が上手いのが巨漢のダルシムで女性陣はかなり独創的な味付け。
「僕もそこで一緒に」
みんなで、勇気も加えて放課後は全員帰宅部で制服を着替える暇すら勿体無く遊びに出掛ける。
最後はみんなで一緒に夜空の星を見上げる。
同じ星の下で進たちは生きていた。
そんな夢想が脳内で花咲いた。
「どうかな、考えるだけで楽しいでしょ? ねえ?」
「……楽しいな、確かに」
「そうでしょうそうでしょう~っああ良かった、初めて進くんと意見を合わせられた。これなら」
会話はそこで寸断される。
さっきの影とは別の隠密が王子の部屋に姿を表したのだ。
「何だよ、今は話中なんだけど、え、影が破れた……負けちゃったか。う~もっと進くんと話ていたかったのになあ」
残念に肩を落としながら背筋を伸ばして首を鳴らす。
「仕方ない僕の出番だ。あ~肩凝る~」
このブレイヴの肉体も、進の模像勇者ロボットと同様に勇気があちらの現実に意識が存在している間は活動を停止している。
「ねえ進くんは身体硬くならないの?」
「ならない、俺の間接部には駆動効率を最適化するマグネットコーティングが施されている。非接触の磁力式。つまり……そもそも腕も肩も関節が繋がっていないから凝る訳が無い」
「うわあ羨ましいなあ~ッ痛たたた、首が、首がつってッ」
ずっと寝たきりの肉体がどうなるかは、筋肉が固まりやせ細った入院患者姿を見れば察しがつく。
事実、現実へ帰還した進はその状態からのリハビリに苦労させられた。
「それじゃあ僕は侵入者撃退してくるからゆっくりしててねえ」
閉じかけの扉の隙間から顔を覗かせて手を振り振り。
「それと、よかったらあの話のことでも考えておいてね、誇大妄想に思えるかもしれないけど僕は本気だから、じゃあね~」
閉じると同時に、物理的・魔術的においてフェルマーの最終定理並みに難解で堅牢な施錠が幾重にも部屋全体を密封した。
「誇大妄想、じゃなくて狂人だろ」
籠の中の機械がさえずる。
生身の肉体から電子の頭脳へ移行した進は、以前に勇気の口から告げられたとある計画について声帯代わりのスピーカーから
現実と異世界、その二つの垣根を越える壮大さでありながら内容を陳腐極まる。
何故かと言うと、その計画内容を掻い摘めば、学校のむかつく人間全て殺そうぜ。である。
進と勇気にしか出来ない方法で。決して人殺しの痕跡を残さない手段で。
二人が最大効率の幸福を得られる選択で。
「…………」
見回す。
見通す。
見納める。
どんな状況にせよ逃げる気分は起きない。起こせない。
第一回目の逃走劇後に知らされた事実に、進が異世界における行動で必須とするこのロボットボディには古代技術を変態なまでの執拗さと執念で解析した勇気ことブレイヴ王子手製爆弾が常人では決して解除不可能なシステム中枢に組み込まれてしまっている。仮に、最初の逃走が成功していれば勇気は駆体内に潜む爆発物を切り札に逃亡した進を追い詰めていたに違いない。そして、もし自分の思い通りに絶対ならないとわかってしまえばああいう手合いは躊躇なくスイッチを押す。王様と讃える機械人形の跡形もなく自らの手で。
こんな八方塞の進に残された選択肢は少ない。
それは仲間を信じること。
だから、信じることにした
この異世界で、冒険の旅路で出会い、絆を深め合ったパーティーメンバー。
彼らが自分をきっと助けにきてくれるという確信を鋼の胸に抱きながら来るべき時を待ち望む。
◆
時間は少し遡る。
異変を察知した勇気が進を連れて異世界へ渡る数十分前。
面倒な仕事を任されちまったが愛するマイダーリンの為と思えばなんのそのでお茶の子さいさい。
「うしっ! 一発かますぜ!!」
見さらせ女の花道。
「異常無し、と」
傾き、地平線へ沈んでいく太陽を眺める番兵は普段通りと伝令する。
至極まじめに、そしてつまらなそうに遅れて長い長いため息が吐き出される。そんな相方の様子に、片割れの番兵は相棒の様子に理解を示す。
「交代まだかよおおお」
「あと少しの辛抱だ、ってこれ言ったの何度目だ」
こうやって話しながら暇を潰さねば一日中立ち仕事なんて耐え切れない。
「あ~内門の警備担当が羨ましいぜ。あいつら椅子あるんだせ椅子。こっちにも分けて欲しいぜ」
しかも仕事内容的にほとんど変わらない外門には腰を据える椅子が与えられないのが、衆目に晒される王城を外観をだらしなく座する兵士たちの姿で汚したくないという現場の状況を理解しない国防大臣等の美化政策の影響であると知ってしまえばやる気も削がれる。身嗜みは大切があるが時と場合による。
「だよなだよなあああ~~……うん?」
ピクリっと番兵の片割れが前方に眉をしかめる。
警戒態勢に移行した。
誰か、何か、いる。
得たいのしれない気配。
夕暮れの暁が逢魔が時に変わる緊張感。
「もしもしどうもっ、こんにちわ」
現れる最大の敵。それは、
「仕事終わりも迫った披露困憊なそこのあなたたち。淫魔出張所の仮設新装開店でこざいます~見てらっしゃい来てらっしゃいナニらっしゃい~っ」
あっは~んでうっふ~んなエロい蒼髪おねえさんが襲来した。
「あたしと楽しいに無酸素運動しない?」
淫らで猥らな姿に、
「い――淫魔か!?」
「あら、もうバレちゃった? 敏い男は嫌いじゃないわ。ますます好みで気に入っちゃった。そんなあなたはあたしの身体で悩殺してあ・げ・る。そうすればあなたの魂は全てあたしの所有物あは~ん、あなたの願いを叶えてあ・げ・る」
「そんな猟奇的な恋愛はお断りだ。イージーモードで頼む」
「はあ、残念……でもそこが、そ・そ・るっ。そ・れ・で・あたしにお幾ら払って下さる?」
「ちょっ、俺は持ち合わせが」
「ふふん」
音もなく忍び寄られた女体の胸元にすくい上げられた金欠兵士の手のひらが優しく強く重ねられる。
指先が谷間に沈み、伝導するマシュマロボインボイン。
「あなたの心に浮かんだ値段。それが私の価値」
スマイル0ゴールド。
「1ゴールドでも100万だろうと、それはあなたがあたしを認めてくれたあ・か・し」
エロス無量大数。
「いらっしゃい」
「「うほおおおおおおっ~~!!!」」
聖なる淫魔スマイルが脳幹直撃した男性二人組は兵士としての役目を忘れた。
群がって、貪って、二人の番兵は人生で最高の時間を過ごす。
誰にも邪魔されない夢の中で。
「ごめんな、以前のあたしならお触りOKだったけど」
謝罪を口にするのは二人に文字通り嬲られて嬌声しか上げられない激しさに身を置いている淫魔本人。ただしそれは夢の中での話。現実は異なった。
「今は愛しのダーリン以外には肌を許さないって決めてるからさ」
艶めかしい姿勢でポーズを維持するネメアの足元には
死んではいない、二人とも幸せそうな表情を浮かべながら熟睡していた。
「いい夢見ろよ」
あばよ、と汗腺から分泌する特殊な汗が揮発して発生する催眠香によって深い眠りの底へ誘った罪無き番兵たちを踵の高いヒールで優しく踏み抜きながら無防備となった外門の一つに両手を当てる。
先ほどの会話のどこまでが現実なのかは彼女以外誰にも知る由はない。
「よし……潜入、完了」
淫魔ネメアの卓越した手腕は第一段階の成功と直結する。
時刻は城下や城壁に篝火が焚かれる刻限。
潜入成功したルーティアを含む進救パーティーの取るべき行動は、無音を隠れ蓑に進が捕らえられている王子の部屋まで闇に紛れて移動するのが最良。
「ちょっと急ぎなさいですら」
「バーローこっちはハイヒール履いてんだよ、べた足のてめえと一緒にすんなこの淫乱」
であるのに沈黙を破る二人の口先。
「あ~ら誰が淫乱でしたかしらあ? あれ~もしかしてご自分のことを蔑まされたのかしらあ?」
「四六時中ボンテージ衣装着こなしている奴なんてのは極限のSかMのどっちかって相場で決まってんだよ。それ以外は見たことないし」
「あほほほっ、それはさぞや狭い見識で過ごされたようですわね残念な女性だこと。貴女だってほぼ全裸じゃありませんの」
「生まれたままの姿が恥ずかしい訳ねーだろ」
「なるほど生まれた瞬間から恥塗れということですわ」
「煩い妖怪」
「黙れ公衆便所」
口論が増長の一歩を辿る隠密行動には致命的な状況は、
「トモダチ、タスケル、イチバン、ホカ、イラナイ」
「それどういう意味だ」
「どういう意味ですの」
「オマエ、ラ、ジャマ」
ダルシムは彼は彼で黒光りする日焼け肌に動物の骨片を砕いて塗りたくった象形文字の白化粧で着飾った三メートル強の半裸姿が筋骨隆々と漲らせながら五月蝿い牝犬たちを見下している。
「のらりくらりが人生一番大切じゃのう」
そして罵り合いを止める気零なアルジは自分のペースで歩調を変えない。
てんでばらばらのチームワークが、三分に一回の割合で足を引っ張り進む遅々とした潜入行動で到着した大広間。
「マッテ」
野生で培われた第六感が暗がりに潜む危険を嗅ぎ取る。
「ワナ、ススム、バラバラ」
端的に待ち受けているトラップの内容をダルシムは体感で説明する。それを聞いた全員が、
「行きますわ」
「これで清々する」
「モンダイ、ナシ」
「では互いに手慣れた歩み方で」
一斉に一歩をバラバラに踏み出す。すると、ダークエルフと淫魔と隠者と巨人と影はバラバラに分断された。一人一人が王城の別区画へ。その結果は、
「奴ら、パーティーを分断したのに留まるところを知らない。徒党を組んでいた時よりも進行速度が段違いだあああっ!!」
盛大に逆効果であった。
天突く身の丈から予想も付かぬ俊敏さはまるで瞬間移動と錯覚する空中浮遊。
足場の無い中空を自らの領域と定める天仙巨人のくびれが一瞬で膨らみ、大風船の腹部をベコンっ!とへこませながらのジェットストリーム。
「イネエエエッッツツツ」
暗闇に劫火の大火輪。
両手につがえし黄金の円刃刀を猛々しく照らす。
世界樹の神木から数千年に一度だけ削り出される至高の錫杖。
その所有者は焦らず急がない。
自然体でありながら、どこかへ散歩に出掛けるような歩調で襲い来る兵士番兵聖騎士の群れを身を切る風の如く真正面から切り開く。
「善哉善哉」
時間停止、加速、逆行。
真理の探求者は友人を助ける名目で歪めた真理の断頭刃を執行する。
ダークエルフの少女は震えていた。
怒っていた。
己の半身に等しい相方を想って、最大効率の魔力回路を脈動させる。
「取り戻したい大切な人がいるの――どきなさぁぁぁいいい!!!」
最強レベルの魔法波動砲が王城の一角を削り去る。
夜風に薄桃色の髪先が靡く。
淫魔の美女は昂ぶっていた。
焦がれていた。
マイダーリンとの再会に胸躍らせ、魅了の魔眼が最大威力で発動される。
「てめえら邪魔どけやオラ――吹き飛べえぁぁぁあああ!!!」
遺伝子レベルで作用する最高位魔眼による命令を受けた人体が全て体内から破裂した。
蒼き鬣が百獣の女王の風格を発散する
場外庭園でパーティー全員が再集結する。
ルーティアとネメアは危機を乗り越えて、
「「一緒かッ」」
お互い変わらない嫌悪感がフォーエバー。
そして合流した彼らが出会う暗黒からの使者。
「よくぞ参った」
庭園に設営された美化目的の噴水を取り囲む支柱、その突端に重力を軽減する特殊な体術で主の命を受けた影が直立不動で眼下を見下ろす。
「しかしここで貴様らはここで行き止まりである」
さめざめとした月光を背に影は躍る。
「どうして拙者がこの庭園を戦場としたか理解出来るか」
月光に見守られながら、
「それは拙者が本気が出せば護るべき天守閣を破壊してしまうであるゆえに」
影の結んだ印が効果を発動する。
「「「「「「「「「「「「拙者たちの全力は」」」」」」」」」」」」
影の声が何十にもブレた。
幾数十万にも木霊する月の無い夜が具現する。
質量すら増大させる多重分身実体化アイテム【影遁】。
一人一人が術者と同等の能力を有する数の暴力。
その数はなんと64万人、単純な物量故にその脅威は計り知れない。
暗黒の波動が迸る。
不埒な侵入者を撃退すべく闇に忍ぶ者は秘めた刃を煌かせる。
「月の無い夜に抱かれて眠れ」
「ムフフフっ」
王城各所に配置された戦力と影という強力無比の難敵を突破した進の仲間たちが謁見の間へ集結する。
「君たちが進くんの仲間か。羨ましいな、羨ましいなあ」
空っぽの王座に腰掛ける王子様。
「ねえ君ぃ」
それは誰を指して口にした言葉なのか。
「その身体、僕と替わってよ」




