願望
王城内は重苦しい空気に支配されていた。
クレストール王家には血で血を争う一〇八名の王族が存命している。
筆頭である現国王ラース・クレストール――大地父神の再来と謳われる辣腕の才君に連なる王位継承者候補が城内の議卓へ集結していた。
「兄上、お分かりなられぬのように武功だけが雌雄を決するのではありません。古今東西、政が」
「それが軟弱と言っている!! そんなだからテッペリンの採掘場を南の阿呆共に奪われる失態を犯すのだ!!」
執り行われている議題は苛烈の様相を示していた。
「戦略的撤退とお呼び下さい。いいですか、兄上にも分かり易くお伝えすると、『馬鹿は煽てて木に乗せろ』です。馬鹿を登らせた梯子の外し方の詳しい説明は無駄なので省きますけど、これで我が国はかの軍事国家に借りを作れるのです。さらにさらに」
主な言い合いは短絡的な第一王子と第二王子。三~七は有力な二大王子の言動を注意深く観察しながら優雅に自分の意を遂げようとする。残り八~十三は己の地位に甘んじて特に発言しない日和たち。
「ええい、まどろっこしいことをしおって!!」
取り沙汰される題目は王国内で捉えられた一匹の暗殺者の処遇。
「いいから早くそのダークエルフをこちらによこせ! 調教して最前線に放り込めば硬直した戦に恰好のカンフル剤になるのだからな。煮ようが焼こうが、どう料理しようと旨味は全軍に行き渡る」
たかが暗殺者一匹に貴重な王族の時間を費やすのは、それがダークエルフだからに限る。つまり、一国を救済するほどの軍事力に匹敵する怪物をどうするかという極めて重大な会合だった。
というか、ダークエルフの暗殺者とか反則だろというのが大概の継承者候補たちの考え。まだドラゴンやゴーレムがそこら辺の田舎で門番しているって言われた方がまだ信じられる。
「だからですねえ」
「――あの」
知と武の両雄の総論にささやかな閑話休題を付け加える弱々しい議卓末席からの挙手。
「ごめんなさい、発言しても、いい?」
「そのようなことわざわざ確認を取らずとも構わないとまだわからんか?」
構わないと言いつつも、よくも話の腰を折りやがったなと苛立ちが透けて見える。
「はっ、いいかい弟よ。お前がそんな無駄な発言をし損なったのはこれで何度目だ? まあ十年ぶりなのは記憶しているぞ」
言外にあからさまな侮辱を第二王子は実の血を分けた家族に侮蔑として渡す。
美しく洗練された統治の行き届いた光の王国。その内なる闇の一端が議場を陰湿に彩る。
「あの、その、えっと」
「愛しき息子よ。どうした如何な要件であるか」
救いの手を差し伸べたのは父であり国王。
敵対する者に冷酷な宣告を賜わす治世者が、実の息子にいとおしげな眼差しで言の先を求める。
「焦らずともよい。ゆっくりと己が言の葉を説くがいい」
「その、その、っ」
第十三王子ブレイヴ・クレストールはしどろもどろに自らの意見を
「そのダークエルフの処遇を、この自分に、に、お任ちぇ、せ、して頂けないで――しょうか」
突飛な内容の上に重要なところで噛んだ。
お前は何を言ってると呆れて白けた雰囲気が周囲を包む。
論争の中心は第一と第二のどちらがダークエルフを預かるか。そこに末席が口を挟むどころか二人を差し置いて自らが預かり出るなど言語道断。それが分をわきまえている王位継承者候補全員一致の見解。
「面白い」
父王だけは違った。
「よかろう好きにせよ」
現国王の発言に、場が騒然とする。
快く許可を下した父親に、分をわきまえなかった息子が恭しく頭を下げる。
「感謝しますっ父上っ」
「馬鹿ッおまッ――っ死ぬぞ」
「だ、大丈夫、です。心配してくれて、ありがとう、兄上っ」
「心配ではなくてお前は口を」
臓腑を抉る大音響が全王位継承者候補の鼓膜で爆発した。
一定の静寂を保っていた空間が衝撃に震えた。
「ッ!!?」
誰もが唐突なアクションに視線を音源へ殺到させる。
「黙れよ」
集まった視線の先で、第一王子が拳を卓上へ炸裂させて第二王子に眼を飛ばしていた。
「俺の可愛い弟に文句たれ流すなや。ああ?」
「私の弟でもあります。そして私も兄上の弟なのですが」
「お前はお前。コイツはコイツだ。自分と他人の区別も付けられないしわからないオツムの方がよっぽど黙れ。いいぜ……采配、俺はコイツに任せてもいい」
「あ・に・う・え・え・え・えっ!!」
「ありがとうございます……兄上っ……!!」
二人の弟が極端に異なる感情を乗せた言葉を血のつながった兄へ口にした。
「おうおうやれややれや。頑張れよ~!」
「父は幸運を祈っておるぞ」
「はい! 父上っ、兄上――――っ!!」
父と兄と弟の暖かい家族談話がこれほど似つかわしくない場面もそうそうない。
「やれやれ、すっかり他人行儀に育ってしまいおって。それでも久しぶりに子供らしい笑みを見せてくれたか」
「……何故、そのような戯言を許可したのですか父上……兄上えええッ!?」
「それはこれが初めて自分から意見したからだ」
「親父の言う通りだ。ふはは、勇気に身を奮い立たせる姿は実に見物だった天晴れ!」
兄は別にして、父の賛成に納得がいかない様子たらたら。そんな頭脳で自分を勝る第二の息子の疑問に、年老いた父親はなに何と言うことはないとこともなく答える。
「なに、記念すべき一回目を父親として寛容に振る舞っただけである」
例え、それがあれの命でも贖い切れぬ難解であろうと。
「余としては正直もっと自分勝手を押し出しても構わぬと言うのに。まったく余の子らは皆極端に過ぎる。だがだがまだ余の思惑をそうは外れておらぬ。故に――ブレイヴが一歩抜きん出たぞ」
賢王は己が撒き育てた愛すべき種子らの未来に夢想の翼を広げる。
「むほう! こりゃあ弟に負けていられねえなあ!!」
「そうだ。この場の全員があれを見習うべきであるぞ」
「えへ、えっへへ」
こうしてクレストール王族たちの重要会議はつつがなく幕を引こうとしていた。
最後に予想外の氾濫はあったがそれは詮無きこと。現在の国王が決定した采配に候補者風情が逆らえる筈もない。しかし、議卓の中央にデンっと置かれている巨大な水晶球から荘厳なオーケストラ音楽が鳴り出したことで待ったの歯止めが掛かる。それは緊急通信用の高性能【千里の球】で、ザックが携帯していた一般に流通している量産品と異なり、数々の機能が搭載されている。その機能が一つ、リアルタイムの映像通信が始まる。
『会議中のところまことに申し訳ありません』
通信相手は国王と王位継承者候補に次ぐ権力者の国防大臣。薄暗い背景と石造りの構造から王城地下に存在する大監獄から通信していると予想される。そこは議題に出ていたダークエルフが一時留置されている場所である。
『ですが事態は火急を要すると判断し』
「そういのはいいから。ったく!」
イラついた歯軋り顔で礼儀を正す密偵に苛立ちをぶつける第二王子。
「早く申せ」
『ははっ――では……』
それは会議の根底を覆す重大な情報。
「ダークエルフが、だだだ脱獄した!?」
『はい……何やら胸騒ぎを抱き牢獄へ出向いてみればダークエルフを捕らえている筈の牢獄が開いて中で番兵たちが気絶して倒れておりました』
安心し切っていたブレイヴの心魂が混沌の惑乱へ誘われる。
「なな何で!? どうやって!? ふざ、ふざけ、けるなあ!! 何、変な鎧男が牢屋に押し入った!? ぐうう、ううう、ううああチクショウ持てる全権力行使して捕まえて拷問に掛けてやる!!」
慌てふためく様子にざまあ見ろなれぬ事をした当然の末路だと殺生な囁きが呟かれる。特に溜飲が下がったのが自分の立場を潰された第二王子。運に見放された愚かな弟を愉快愉快と滑稽な道化師として眼福する。
「それで、そいつはどんな姿をしていたの!? うん! うんうん!――――やっぱり拷問無し」
何? と誰よりも父王が仰天した。
激昂したかと思ったら、密偵の話を聞いている最中にその怒りが鎮火していた。まるで、怒る理由が無くなったかのような急な激変。
『よろしいのですか?』
国防大臣はブレイヴな急な変わり様にその考えを掴めずにいた。
「うんよろしい。放って置け。もう一度確認するけど、その鎧男は確かに自分のことをススムって言ったんだよね?」
『はい、気絶していた番兵たちの話によりますとそのようで』
「ならいい。追っ手とかも差し向けない……いや、とりあえず密偵は送るか。ただし、絶対に手を出すなよ絶対に。僕が指示するまでありのままの情報を正確に逐一報告させるように」
『御意に』
恭しく国防大臣が頭を垂れると途絶える映像通信。そして指示を出し終えて椅子にへたり込んだブレイヴは、他人から見れば最悪の開幕に震えで身体が止まらない。
「来た――来てくれた」
違う。
湧き上がる感情は歓喜。この最悪は彼にとっての最高。打ち震える全身に現れる。
「彼が、彼が――彼が来てくれた! この世界にっ!! やったあああ!!」
誰も、彼も、彼女も、聡明な父親ですらブレイヴの発した言葉を一つとして理解出来なかった。
「あは、あははは、あはははは!!」
終には椅子から崩れ落ちてその場で狂喜に笑い転がり回る始末。この場の家族全員がさっきまで知り及んでいた存在がまるで見知らぬ他人になったような異様さと居心地悪さを同時に味わう。
「ははははは、あ~ははははははは――ふひひっ」
ひとしきり笑いを終えてから見上げた虚空。そこに、何者かの姿形を投影しながら。
「待っててねえ、ふひゃひゃひゃ、すぐに楽しませてあげるから」
これから異世界の魂を秘めた人型機械とのファーストコンタクトが開始される。
◆
ダークエルフのルーティア。
彼女が実感する世界は殺風景な窓が潰された塔の中。己はその灰色な天井からぶら下がる真っ赤な殴打袋。延々と殴られ擦り切れ続ける闇の賜物。
それは過去か現在かはたまた未来なのか、宙ぶらりんに吊るされた物体が連打の応酬で赤く濡れる。
最初の人は一番怖い女。彼女の身体を貪るように傷付ける破綻者。
「はあ! はあ! くッ、どらあッ――」
破れた拳の皮から流血。真っ赤な斑点が床に転々と描かれる。止める者は誰もいない。進自身ですら己の肉体破壊を止めようとはしない。止められないのだ。全身が溶鉱炉へくべられたような超高熱に包まれていた。その胸を焦がす情動は性的欲求よりも激しく、哲学以上に難解極まった。まるで、こうして暴力行為で発散しなければ次の瞬間に破裂してしまいそうな憎悪が体内で渦巻いているよう。気を抜けば憎悪が皮膚を食い破って全身を壊死させてしまいそうなぐらいにその女は傷塗れの我が子よりも苦痛に満ちた表情で彼女を壊した。
二人目は優しい男。彼女の心を癒した救済者。
彼の為に、初めて優しさを温もりと一緒に感じさせてくれた男の為にルーティアは自分の叶う限り尽くした。でも最後は最初と寸分も変わらなかった。
捨てられた。棄てられた。
「大丈夫、恐がらないで。お嬢ちゃんを君を傷つけたりしない」
やめてよ。私はもうそんな薄っぺらい言葉でいいように動かされる安い女じゃないのよ。
女は糞尿の詰まった肉袋。男は精液の詰まった肉袋。中身が違うだけで人類皆汚物。ルーティアがその半生で磨き上げた絶世の美貌がその事実を剥ぎ開かす。男も女も彼女の前で醜い本能をさらけ出す。それが真実。それが真理。そうでなければ間違っている。のに、
そんなダークエルフの自分を助けてくれる誰かがいた。
それはルーティアの世界観を根本から打ち崩す破壊力を持っていた。
魔法封じの枷で四肢を鎖に繋がれた窮地はこれで六六六回目で、さてどうやって女日照りな牢屋を監視する兵士たちを蜘蛛の巣に絡め取るか楽しくプランを練ってすらいたのに、そんな彼女の当たり前な予想を全否定した非現実が枷も見張りも、ルーティアの戒めを全て粉砕していく。
「会いたかったよ。褐色肌のオネーサン」
人ですらない鉄仮面は、ルーティアが捕まった原因になった古代兵器。それがまるで意思を持ったように流暢な言葉を吐き出す。
冷たい白い陶磁器を連想させる冷ややかな装甲板が、ルーティアの薄汚れた両手を優しく持ち上げながら熱く包み込む。
「俺の名前は足立 進。おっと悠長に自己紹介していたら誰かが騒ぎを駆けつけるかもしれない。早速こんなかび臭いジメジメした暗闇から出よう。そして一緒に冒険へ旅立とう。世界はこんなにも輝いてる」
虜囚の手を強く握りながら期待に満ちた声が牢内を春先に吹く風の如く流れた。
「俺はオネーサンに仲間になってほしい!!」
三人目はよくわからない機械だった。
それは馴れ馴れしくルーティアを懐柔しようと猫撫で声を頭部スピーカーから垂れ流す。
「だから俺はオネーさんみたいな綺麗なダークエルフの魔法使いさんと一緒に冒険しただけなんだよー」
ダークエルフの暗殺者を王国憲兵が守護する牢屋から脱獄させた進はその彼女を口説いてる最中だった。場所はクレストール王国の城下町を離れた大きな樹木の影。追いつかれないように距離を稼ぎ見晴らしの良いここであればどんな追っ手にも即時対応可能なベストプレイス。
当然ながらルーティアはそんな進の意見を真っ正直に受け止めはしない。かなり怪しんでいた。
「何が目的? ワタシの身体?」
「とんでもないよー下心なんてないよー」
「まずその気持ち悪い喋り方を止めろ」
「だからさ俺と仲間になっちゃおうよねえ?」
「……」
「そんな怖い顔しないでくれ。美人が台無しになっちゃう。スマイルスマイル」
信じられない。胡散臭い。疑わしきは頼るな。
これがルーティアが長年を生きながらえた秘訣。
「じゃあ、こうしよう」
進はルーティアが見ている前で、鎧のように折り重なった胸元の装甲版を強引に両の指先で拉げて広げた。紙を手折る気楽さで機体の重要部分を守る為の防御機構が凄まじい金切り音を響かせながら湾曲して中枢部が外部へ露出してしまう。聞いているだけで身悶えしたくなる金切り音に両耳を塞いだルーティアに見せるようにもう二度と閉じない穴の奥を指差す。
「このエネルギーパイプは俺の頭脳回路と直結してる。もし、君に何か危害を加えるような真似をしたらその時は躊躇せずこれを切断して構わない。それで俺死ぬから」
疑惑と警戒しか存在しなかった彼女の表情に一条の光が射す。
「……ッッッ」
すっかり無防備を晒した進の死角から無銘ながらも長年愛用した短刀をほぼノーモーションで抜刀して、露出した弱点に突き刺した。
「ぐぼあ!!? ちょまままままっ待って待ってまだ早すぎるうわ死ぬ止めてグリグリしちゃ嫌本当に死んじゃうから俺死んじゃううあ゛あ゛あ゛あ゛や゛め゛え゛え゛ッツツツ」
ちょいっちょいっと刃先を動かすだけで身の丈三十センチ差はある純白のカラクリが面白いように恐怖でビクンビクン痙攣しながら怯える。逃げる素振りは見せない。本気で死の恐怖に怯える気配が鋼の体躯へ密着する暗殺者の肌を伝わる。
「ウソではない、ようね」
言葉だけで確認し切ったと思い込む愚か者には決して真似できない素早さで突き刺した短刀を華麗に引き抜く。
「は、は、ひゅう……えがった、俺生きてる……トウ・ビー・コンティニュー……」
「……そんな弱点をやすやすと他人に教えて大丈夫なんですの?」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ――まあ知られない方が良いだろうけど。さりとて俺の頭じゃこれ以上の妙案が浮かばないし。それに」
自分勝手なワガママと理解しながら、それでもと己を突き動かす願いをルーティアへ伝える。
「例え不利益だとしても、仲間には俺のこと全部知って欲しい」
「……」
ウソを言っているようには感じられないが、注意は怠らない。
真実を口にしながら偽っている可能性は捨てきれない。だが、捕らえられた危機から救ってもらった恩義がルーティアの中でやかましく主張している。普段なら簡単に切り捨てるそれを今回はどこか居心地悪さを感じて身をよじった。
「わかりましたわ。アナタの提案を了承します。少しの間であれば構わ」
「よしゃあ!!」
腹の底から喜びを全身で表現しながら進はルーティアの両手を取って握り締めた。朋友の誓い。
「よろしく! これから俺ら二人は苦楽を友にする仲間だ!」
「仲間……」
「ところで、俺さ地理とか全然疎くて、どこへ行けばいいのかわかんねえんだけど」
「……初心者ならまずは近隣の村や町を目的地にする。ここなら東のオクサーナが丁度良い……ですわよ」
「よし、じゃあ行こう。今すぐ出よう。今日中には到着しよう!」
「今日中って……少なくとも一日は掛かる道程ですわよ」
「ふふふ~そこは俺に秘策があるのだ~」
機械の指先が回転する三つ目の単眼の側面を軽快にタップする。
「うん、いけそう」
何を。とルーティアが質問する前に、
「レッツ、トランスフォーム」
駆動する内骨格が咲き乱れる花のようにバラけて展開した。
内蔵された歯車の連動が進の意思に従って切り替わっていく。人の形をした機械が長距離移動に適した形態へ移行する。
「じゃじゃ~ん、俺様バイクっ」
ルーティアに見下ろされながら、白色の装甲が栄える思考内臓型バイクが日光に眩しく誕生した。
「さぁ俺に乗って乗って! 冒険はこれからだ!」
「え、ちょ、待って――きゃあッ!!」
排気ガスを機械の胸一杯に吐き出しながら急発進する進バイク形態の加速能力がルーティアの想像力を上回る。強引に乗せられたフロントシートに慌ててしがみついた。
「うっひょおサイコー! 女の子とタンデムだぜヒャッハー!」
「あわわわっっ」
触れている影響で魔法の肉体強化が使えないルーティアの頭は転倒事故の恐怖で満たされていた。
「わわわわ――」
唯一の支えである進から伸びる突起物を両手でしっかりと掴む。
恐る恐る瞑っていた目蓋を開くと地面が川の流れのように残像を残す。
慌てて顔を上げた先に広がる普段と違った光景。
全身を柔らかい空気の感触が包んでいる。
「…………」
その恐怖が湧き上がる好奇心と爽快感を下回るのに時間は掛からなかった。
模像勇者が変形した自動二輪がダークエルフの暗殺者を乗せて無限の大地を疾走する。
「――ふふふ」
自然と笑みが湧き上がる。
ルーティアは流れる髪で風を切りながら背後へ去っていく景色へ両手を広げる。
「ハイヨーシルバ~!」
「あはははははは! 速い、速い~!」
「へいへい調子に慣れてきた! さらにぃスピードアァァァッッップ!!」
「きゃはははははは!」
全装備マニュアルドライブ。
「ゲームスタートだ!」
一人と一機は大声で新世界を堪能する。
◆
耳を塞いでも届いてしまう笑い声。
あの女の憐憫と嘲笑どこまでも追ってくる。
だから僕には彼が必要だった。
それは品行方正かつ極めて愉快な学校での昼休み。
体育の授業でもないのに複数の男子生徒が毎回食後の腹ごなしに軽く全力疾走で汗を迸らせていた。他愛ない雑談と弾むバスケットボール。零れ落ちる汗の雫がキラキラと輝く爽やさ満開な笑顔で土埃を蹴り上げながらスラムダンクが決まる。
「でさでさ天王寺先輩が」
ガールズトークに花咲く教室の窓枠。
「でも、らしいよ」
「なにそれキモ~い」
化粧の濃いアイメイクが歪み、ケラケラと嗤い捨てる。
「頭を打たれた影響でクルクルパーになったんじゃないの」
天下の青少年少女の聖域を、楽しいせせら笑いのどよめきに支配された絆を育む生徒たちで占められた肩身の狭い廊下を、前方だけ凝視して早歩きに集中している。
彼にとって学校とは白昼の地獄。
横隣をすり抜けていく自身の背中を、傍観者たちは気味悪げに視界の隅で観察していた。そうに決まっている。そんな何年も続く生理的嫌悪感に耐え凌ぎながら静かに、気付かれずに、何度も何度も遠回を繰り返して、偽装した行き先で嫌いな同級生たちの眼差しを掻い潜り、駆け込んだ先が校内の薄暗い男子トイレの個室。
そこは早乙女 勇気がこの地獄でもっとも安心出来るライフスポット。全身の緊張を背筋から吐き出して、俯いた素顔が個室の薄暗闇へ沈む。この場所が完全なる自己の解放空間へ昇華されるのに必要な要素が今日は欠けていたからだ。
「こんちにわ進くん。無事でよかった。君にまた会えて嬉しいよ……って言いたかったのにな」
彼の安否が気が気で仕方なかった自称友人が隣り合う壁越しの無人へ不安を零しながら目蓋を閉じた。
「君は今どうしているの?」
◆
雲海が瞬く星空を隠す連夜。
薪の炎を囲みながら一人と一機は野宿を決めた。
木々を押し潰す一寸先の闇夜。薪の炎が光ある世界を切り取り、暗中模索の危険からちっぽけな人影を守り抜く。
「本当だってば」
「ウソおっしゃい」
ルーティアとパーティーを組んでからの三ヶ月間、進は休息を必要としなかった。
正しく一所懸命の必死。彼の現在の肉体が睡眠や食事を摂取せずとも構わない鋼細工の鎧なのも大きな要因ではあるが、それでもただ熱心に前を向いてひた走る姿は見る者の心に何かを残した。
「鉄の鳥に魔法の箱。そもそも死んだ異世界人の魂が乗り移った鉄人形という話すら眉唾モノですもの」
「本当だってば~」
「いいえ、この目で直に確認するまでは信用しませんわ」
「そんなあ」
自然に笑うルーティアもそんな者の一人。今では進に全幅の信頼を置いていた。
「ススムは何故ワタシを仲間にしようと想ったの?」
「うんにゃ俺は思いっきり前衛の戦士タイプだから後衛の魔法使いが仲間ならいいな~って」
「それだけ?」
「それだけぞい。下心は決して無かったぜ!って、どうした不機嫌な顔して」
「なんでも、なんでもありません。ええ、ありませんったら。ふんだ」
燃え尽きる薪に追加をくべながら砕ける木炭の音色が夜半の森へ囁く。
「未開諸島のティエス族に連れ去られた際の騒動は今では冒険ギルド内で語り草の物種」
「うんうん、彼ら特有の呪術的な何かで鋼の身体を生身に変えられた瞬間が一番キモが冷えた」
「しかも、アナタが変身させられたのは女の子」
「あそこ外側の血から招かないと基本男しか生まれないって話だったからなあ」
「あの時はまだアナタが胡散臭く感じられたので見捨てようかと考えてましたわ」
「今更発覚の驚愕事実!? ひょっとして一つボタンを掛け違えてたら俺は今頃多夫一妻のママンになっていたかもしか!?」
短くも激しく愉快な冒険譚の内容をピックアップしながら二人の会話は深まっていく。
「あんなこともあった。こんなこともあった。全部昨日のことのようなのに懐かしいなあ」
たった一ヶ月間を感慨深く語るのはそれだけ日々を楽しく生きたから。進と出会ってからルーティアの生活は劇的に光を帯びた。そしてこの日は、明日が重大な転換点になろう日。一人と一機が明日死のうが生きようが変わらない現実。
忌竜アルメンドラ。
このフェアライン大陸で四凶と称される強大な古代種と明日死闘が幕を開ける。進とルーティアが所属した冒険ギルドにあるSランク任務を彼らは受注した。その依頼は冒険ギルド設立から誰一人として志願者がいなかった最大級の仕事。報酬に見合う命の危険がそこにあるからだ。
「進はどうしてそんなに一生懸命なの?」
これまで何度も聞こう聞こうと考えながら、ふと何時も聞きそびれていた疑問にルーティアは遂に機会を得た。
「憧れてたから。かな」
「憧れていた?」
「そう、ずっと、焦がれていた」
暁色に照らされるレンズが映すのはここではない遠い彼方。遙か遠く、決して手が届かない。けれど、振り返れば何時でもすぐに顔を上げる背中合わせの写し鏡。
「他の誰かと一緒のゲーム(冒険)が羨ましかった」
追憶の中で、これから××んちに寄ってゲーム大会だと粋がる同級生たちを、一度もまともに会話へすら加われなかった子供が爪を噛みながら物欲しそうな恨みっ面を地面に伏せていた。
待ってよ。置いていかないで。一人だけ仲間外れは寂しいよ。
ボクもそこへ行きたいんだ。
みんなとゲームをしたい。
独りじゃない実感を頂戴。
――ねえ……
少年の願いは歪に叶えられる。
――君も……独り?
「――ススム。ススムってば」
うっかり過去に飛んでいた意識が仲間の呼びかけに現実へ戻る。
「可笑しなススム」
癒えぬ傷跡を埋没させる冒険の旅路は、だからこそ恐い。
この楽しい瞬間が夢で、目を覚ましたら消えてしまいそうで、進が繰り広げた冒険の旅は不思議と何か大きな力に支えられているように始まり、駆け抜け、明日を貫こうしている。しかし、万事が丸く収まる旅路がこれからも続くとは限らない。むしろ今までの帳尻合わせを報いるのではないかと……進は心の底で思い描いてしまった不吉な予感を消し去る。
「私たち二人なら大丈夫だよススム。絶対、生きて帰りましょう」
この豊かな森の先に存在するなだらかな雪原で遭遇する最強のモンスターに恐怖を駆逐する勇気を漲らせる。
「俺たちの冒険はまだまだこれからだ」
この幸福な異世界生活を守る為なら進はどんな禁忌であろうと平然と踏み倒せると確信していた。
◆
翌日。
「親分~こっちで本当にいいんですかあ?」
「寒いっす。吐いた息がキラキラしちゃってもうダメっすよお」
「だまらっしゃい。お前らは黙って俺様に付き従えば問題無し! 何時も通りに良い思いさせてやるからなあ!?」
雪中行軍は不明瞭な視界の膜を突き進みながら深雪に足跡を刻んでいく。
「今日も大口の依頼でウッハウハ。そろそろ嫁探しも考え時からもしれねえぜ!」
初々しい処女地の雪原の見通せぬ彼方をザックの凶悪な蛮族スマイルが見据える。
時を同じくして、彼らより遥か雪原の深奥。
《……待っていた。汝らの存在を》
広大な山脈に囲まれ貴重な古代林が生い茂る肥沃な大地。それを天上から見下ろせる目があれば一部に奇妙な白い空白地帯が存在していることに気付けるだろう。
《我が全力を行使するに相応しき相手を》
それはただ独りのドラゴンが己が肌から外へ伝える環境に対する影響。本来は自然の摂理に動植物が対応すべきという順序が異常なことに真っ逆さまに反転している。我の存在こそが全て故に皆諸共我に従え。絶大なる存在感が唯一にして絶対なる極寒の雪原世界を空想具現化せし法則。
《待ち望んでいた。我に、造物主より賜りし四天の称号に怯えず比肩しうる猛者を》
四天は魔王が直々に産み落とした戦闘種族。生体兵器に相違は無かった。そんな意思ある破壊兵器であり今は亡き主より与えられた永遠に等しい命を誇る彼らの悲哀とは、その研ぎ澄まされた武威が安穏たる泥濘に沈み朽ちていくことに他ならない。
《永き微睡みの惰眠より、これで解放される。ありがとう。ありがとう。幾度、感謝を重ねても足りぬ能わぬ。故に――我が全身全霊の第二――最終形態でお相手死合おう……ッッッ!!!》
魔王が存在したと語られる古代より最強と謳われる四天が一柱と熾烈を極めていた進とルーティアの眼前で、国の二つ三つを滅ぼすと噂される武力ですら本領の三十%に過ぎなかった真の姿が開放される。
「ゴジラじゃなくてメカゴジラなのか」
アルメンドラと対峙する勇敢なる二人組の片割れ。どこか彼自身と似た気配を感じる鋼細工が何やら懐かしそうな口調でそう言葉を口にするが、この場の誰にもその意味は理解出来なかった。しかし、語る口から匂う感情は、恐怖よりも歓喜が勝っているのは進も、ルーティアも、アルメンドラだって同じ。
この雑草はこれまでと毛色が異なる。
笑っていた。楽しそうに、愉しそうに込み上げる笑いを抑えようともせずに向かってくる。こんな奴は初めて。聖剣ですら刃の立たないこの胸を抉る動悸は一体何なのか。最強の一角たる古代種は、生まれて初めての激情に身を震わせた。
《威くぞッツツツ――!!!》
鋼鉄のように硬い鱗と歴戦の英雄たちに勘違いされ続けたメタリックシルバーボディ表層に堆積した角質汚れを超振動で振るい落として展開させた背部バーニアが輝く轟きを叫びながら大地を削り取った。
「こいやああああああ!!!」
死者たちの嘆きが積み重ねられた鉄壁の牙城に崩壊の序曲が奏でられる。
気高き眼光は至高の剣を見据え一時として揺るがない。
純白の闇夜に浮かぶは蒼き月光。
歴戦の英雄たちが掠り傷口一つすらつけられなかった山塊の化身に進の腕に装着されたアイテムから現出した高密度光粒子がミクロ単位で切断していく。
模像勇者専用ビームブレイド。
発掘された古代文明の異物から発見した進だけが使える専用武器。その切れ味は伝説に名を残すアイテム群にも負けず劣らずの破壊力を発揮している。
「ラッシャッアアア!!!」
裂帛の気合が篭った兜割りがアルメンドラの最大防御力を誇る逆鱗の部位へ肉薄する。
剣戟の間隙を突いたここ一番の強烈な会心の一撃に天が轟いた。
同時に、進の右腕が間接から不安な破砕音を鳴らす。大量の負荷が生じる戦闘を長丁場で連戦した結果金属フレームが限界に悲鳴を上げたのだ。ゆっくりと重力に引かれようとする利き腕。
「回復ゥ!!」
「オッケイ了解!」
ビームブレイドを握り締めながら脱落しようとしていた右腕に針に糸を通す正確さの火炎魔法が
トチ狂って使用する魔法を間違えた訳ではない。その証拠に見よ。進の腕に絡みついた炎がコップの水を飲み干すように鎮火していく様子を。そして炎が失われていくに連れて脱落しかけていた各関節フレームやシリンダーが時間を逆回しに加速させているが如く栄光を取り戻していく。
進の全身を構成する物質は魔封じの枷などに使用される希少金属と同様の性質を有しており、特にその塊である進の身体はその場に存在するだけで周囲の自然や生物から自動的に魔力を吸収する。更にその吸収した魔力は損傷箇所の修復エネルギーとして応用される。つまりこのように攻撃魔法が直撃すれば、進の勇者ボディは炎の灰から蘇える不死鳥の如く再生を果たす。
「ナイスアシスト! でもちょっと回復量が弱いかも」
「あらもっとお熱いのが好み? だったら極大火炎呪文で」
前線から催促された注文を元に放たれるこれまた無詠唱の大爆炎。渦巻く光の中から顔を出すピカピカボディフレーム。
「ミディアムレアはいかが?」
「全回復だぜウッシャアアア!!」
勿論、回復に徹するだけがルーティアの役目ではない。むしろ攻撃にこそ彼女の本領は発揮される。
忌龍を中軸に螺旋を渦巻く豪雪風。吐息すら凍らせる煉獄の戸口に負けないと豊満な胸を揺らしながら褐色の美声が絶唱する。喉を鳴らさずとも彼女の思うがままに発動される無詠唱魔法が大劇場のオーケストラ演奏曲のように美麗なるダークエルフの旋律を完全サポート。ルーティアは彼女だけに許された特別な戦場のコンサートホールで自由流麗猛々しく戦いの凱歌を歌い紡ぐ。無詠唱魔法のアンリミテッド・ガトリング。詠唱混成による大儀式魔法のバーゲンセール。そして本人自身の肉体強化魔法と培われた経験則による近接戦闘能力の高さ。全てが高次元で融合しながらアルメンドラをジリジリと削り落としていく。所詮、魔法使いなどフッと吐息を掛ければ脆く拉げる軟弱生物でしかなかった最強モンスターにとって彼女もまた予想の埒外にいる異形。無論、ダークエルフ一匹だけであればこうも苦戦を強いられる結果にはならない。
「ルーティア――乗れ!!」
進の言葉が先んじる次の刹那。
右肩から右腕部全体の稼動機構を犠牲にするオーバーロードでルーティア目掛けて最速の五爪が馳走された。敵を引き裂くよりも先に空気の壁が壊された衝撃で舞う雪と積もる積雪が放射状に破裂してルーティアの姿を丸ごと隠すが、その白き半球形ドームへ突き刺す体勢で、直撃地点の大地は開かれた手の形に傷を刻まれる。全てを掴み、捻り、引き千切りながら、柔らかな人肉をミンチに丸めながら。
否――忌龍の爪に敵を引き裂いた手応えは感じられなかった。
そして白い噴煙を切り裂き、生身の人間が堅牢なる鉄壁城砦を見上げる躯体を有するアルメンドラの頭上すら遥かに飛び越え飛び出した影の正体は純白の八足昆虫。
人型から一瞬で蜘蛛を模した形態へ変形し終えた進は、予め声を掛けることで飛び乗らせた相方のルーティアを背に乗せてアルメンドラの強烈な一撃を八足からなる俊敏な加速と跳躍力で見事回避し果せたのだ。直撃していれば生身のルーティアは一溜まりもなかった強烈な爪痕のクレーターを眼下に納めながら代償として生じた無防備な滞空時間。
「「だああああああ!!」」
それすらも彼ら二人にすれば恰好の得物。進が蜘蛛形態のままで腹部にマウントされていたあの光る刃を熱き魂を咆えながら前方へ展開すれば、完全に意識をシンクロさせたダークエルフの風魔法による爆発的突進力が中空で上乗せされる。天空から大地への重力加速度すら味方に引き入れたすれ違い様に、音速の壁を叩き破りながら無敵不落の逆鱗に浅くも鋭い切れ味が刻まれる。あと一歩回避が遅れていればこれで勝負は決していた融合攻撃。
強力な斬撃に加えて多彩多様な変形機構を駆使する精神的疲れ知らずの進。
魔法使いとして世界最強クラスのルーティア。
この一人と一機の抜群なコンビネーションが自己が内包するポテンシャルを最強に並べられる忌龍に対して互角を上回るパフォーマンスへ存分に昇華させていた。
自らの構造的弱点の一箇所に傷を負わされながらアルメンドラは直感する。
この勇敢なる猛者たちを倒すには我も全力を発揮しなければならない。
今でも十分に全力は出している。だが、これでも足らない。これではあたわぬ。それは自分ですら指を数えるほども経験したことのない魂を振り絞る全身全霊。最善の戦闘思考の先の先の先の先。己ですら忌避して躊躇しかねない奈落の断崖絶壁へ駆ける翼無き全力投魂。そうでなれば――負ける!!!
行動は決定された。次は結果を示すのみ。
高く、遥か高く、無数のカラクリ変態機構を進が駆使したとしても、ルーティアの協力を得ても容易には届かない遥か高き蒼穹の御座へアルメンドラは自らを居座らせる。遥かな大地を、豆粒のように小さくなった最強英雄勇者二人を一望する高空度で固定されたように滞空する。
《発射口、解放》
開かれた胸襟の奥深くで眠る極寒たる負の絶対熱量渦巻く小宇宙。目覚めの時を世界中に鳴り響かせる。
《エネルギー充填》
それは禁じられた機構。
創造主すらその威力を危惧して幾つかの枷を厳命して使用を封じた対世界最終審判機構。
新世界の夜明けを告げる極光。しかし、開闢する世界は、人の営みを根こそぎ残さず否定し破壊する。
《発射します》
黎明たる極寒の新世界が僅かでも運動する原子核へ牙を剥き空間を貪りながら疾走を開始した。
「これが……ッ!」
あわや絶対絶命の窮地。
「――ッ今だ! ルーティアアアアアアァアアァァァア!!!」
反転させれば絶好のチャンス。
勝負を左右する雄叫びに、ルーティアは事前打ち合わせの通りに電撃的速度で背負っていた道具袋に両手を突き込んだ。道具袋から出現させるアイテムは、彼女の身の丈をすっぽり飲み込める大物。
「営む清流の頂より奈落へ至れ――【枯渇の天水桶】!!」
そして周囲数百メートルに及ぶ冷気・雪原が融点を省みずに水流へ変貌した。濁流と化した陸の大海がルーティアの構えるアイテム【枯渇の天水桶】へ渦を巻きながら己から貪られていく。
忌竜とのバトルクエストを受注した進たちは、まずそのモンスターに関する事前情報の獲得に全力を注いだ。謎の大ボスに対する詳細なステータス情報が有るか無いかだけで戦闘の負担は格段に変わる。そしてとある失われる寸前の伝承に記載されたアルメンドラ最強必殺技の存在にたどり着いた。これぞまさに値千金。勝負の行く末を左右する決定打。そして次にその対応策を探し出す。
とある秘境の廃村で眠っていた周囲のあらゆる水分 (氷や雪も含む)をどこともしれぬ虚空へ放逐すると言われた曰く付きの大型アイテム。
戦場において情報戦こそが戦局を左右するように、二人が手にした情報は正鵠を得ていた。最強の一角が魂を滾らせ漲らせ迸らせる一撃必殺すら【枯渇の天水桶】の効果から逃れられない。だが、
「くうううッツツツツツツ!!!」
桶を構えるルーティアの両腕に、本来の三倍は超過する負荷が圧力となって襲い掛かる。
無限の容量と語られた【枯渇の天水桶】ですら天地開闢規模の威力に吸収速度がギリギリ追いついている様子。
「負ける――もんかあああ!!! 私はッ、私はッ、もう――」
振り絞る心より先に肉体が限界を迎えようとする。
「『私たち』だろ?」
そっと力強く崩れかけた背中が支えられる。掲げる【枯渇の天水桶】に重ねられる鋼の指先。
「ススム」
「間違えんなよ。独りで抱える必要なんて無い」
「……うん」
「――いっくぞおおおおおお!!!」
「うん!!!」
支えあう人の文字は無限の力を発揮する。こうして全ての威力が、蓄えられた水量が桶内で攻撃へ転換されていく。生み出されるは
進のかつて生きていた世界で言うならダイヤモンドカッターと呼ばれる代物。それは何十倍、何百倍、何千倍にも高密度へ圧縮された空前絶後の領域において鍛えられた最早神が振るうべき神威の化身が天空の玉座を墜落させるべく矛先を定め――高圧縮された水柱の神槍が堕ちる龍の逆鱗を深々と貫通した。
《がッ……はッ……》
天空より奈落へ墜ちていく地に堕ちた最強龍。
《これが――悔しいという……感情か》
初めて知るそれは彼が、アルメンドラが敵対する者たちへ与え続けた感情。その硬き駆動フレームと外骨格が貪り続けた敗北者たちの嘆き。最強の存在はようやく弱き者たちの心根を理解する。
《滾らせ、漲らせ、全身全霊を魂の底から迸らせても望んだ先へ届かぬと知った時に抱く感情……ずっと……我には無縁だと……ばかり……》
落ちる、墜ちる、堕ちる。
《――嫌だ。悔しい。このまま終わりとうないッ》
しかし忌龍の心はまだ敗北を訴えていない。
《そうだ。これで終わりではない。終わりで、はないッ》
強く切なく辛辣極まる勝利への渇望が罅割れる全身へ隈なく伝導していく。
《我の戦いはまだまだこれからだああああああッ――》
空へ叫びを残しながら崩れていく龍体は粉塵を巻き上げながら大地へ激突した。
《……さあ、第三幕を始めよう》
終わりを告げる鐘の代わりに放たれる健在を示す弱々しくも気力に満ちた言葉。
晴れた粉塵の向こう側で肩膝を突きながら右拳を陥没した大地へ押し付ける――人型。
《これぞ最終を超えた我の最新形態なり》
竜無き大地に、丸い後光を背部に輝かせる巨大な骨大工翼の騎士が存在した。
進とほぼ同程度の身長体格へ至る。あの背中の球体からはアルメンドラが外部へ露出させた心臓部の輝きに瓜二つ。滑らかに立ち上がるその一直線に揃えられた人と変わらぬサイズの剣指に込められたのは、先ほど最終形態で放たれた必殺技と同等のマイナスエネルギー。一瞬で人型となった忌龍は桶を抱えて疲弊した褐色ダークエルフの懐へ電光石火の如く忍び入り、
《【絶対凍結波動】》
収斂させた絶対零度の手刀が褐色の左肩から右脇腹を横切った。柔らかい豆腐に筋を入れるようにルーティアの女性らしさに富んだ肉体が一滴の流血すら零さずに二つに分かれた。最早人の形ではない肉の塊が二つ地面に落ちる。
続けて、硬く堅牢な進のボディフレームを貫通した。
アルメンドラに及ばぬがそれでも高レベルな冒険者や戦士たちの中でトップクラス最強レベルの物理的防御力を有する金属躯体がまるで紙細工のように易々と左肩口を貫き落とされる。無理も無い、暗黒の波動を巡らせるこの手刀こそ天地魔三界に勝る者在らずの絶剣。
第三幕は進と人型アルメンドラの一騎打ちの様相を為す。
ルーティアはまだ生きていた。
生きていられたというべきか。アルメンドラ最新形態の右手。その最速の光すら喰らう零の極地は切り裂いた生身の肉体の時間すら凍結させていた。まだ間に合う。道具袋から適切なアイテムを多量投入すればまだ。
アルメンドラは沸騰する戦闘渇望を冷静な戦況分析でコントロールする。そして明確に即座に再び今だ生存していられている肉塊化しているダークエルフへ向かって最強の魔拳を振り下ろそうとする。弱った相手から即座に仕留めるのは戦場の定石。更に、瀕死のルーティアが戦場復帰した際の戦力比較を考慮した正確な判断。ここで彼女の始末を後回しにすれば一時の優勢は劣勢に軽く覆される。
進は決断を迫られる。
ここで逃げ延びることが出来ればまた楽しい冒険の日々を謳歌できる。
逆に最新形態になったアルメンドラからルーティアを守りながら単独で戦えば死は免れない。
一瞬の迷いも無く徐々に意識が漏電していく五指で地面を抉り掴みながら進は、己が欲望に従った。
「うおおっ――ルゥゥゥティアアアアアアアアアアアア!!!」
崩壊に一歩近付きながら、ルーティアへ突き出される絶命の痛恨なる一撃を受け止めるべく両者の間へ滑り込んだ。
ここから生き残ったとしても、進一人では意味が無い。むしろ志半ばに落命する以上に最低であった。進にとって、
「仲間と一緒に生き残らなけりゃ死んだのと変わんねえええよおおお!!!」
彼女は生きる上での必須要素。
進はもう独りに戻れない。
《砕けよ》
吸い寄せあうように振り抜かれる二つの拳。
絶対停止の時空凍結があらゆる分子の運動を強制停止させて、触れた存在は、如何なる者でも。
例外は、時すら凍らせる刃は進が前に突き上げた右掌の表層で止められていた。
《我が絶対拳を如何にして》
答えは受け止めた掌が物語っていた。
「俺の右手が真っ赤に燃える」
白熱するほどに煮え滾る固形状のマグマ。灼熱に支配された地獄が右腕の形に具現化されたような絶対零度に拮抗する無限熱量。
《面白い。だからこそ我は汝らに恋焦がれた》
負と生の絶対熱量がぶつかり合い鬩ぐ。
最強の矛と盾ならぬ矛と矛。同一でありながら両義に分かれ交わることを許されぬ万象を構成する大元素が矛盾すら逸脱する。
《ふおおおおおおおおおおおッ――》
「――うおおおおおおおおおおッ!!」」
世界が啼いた。万物全てを消し去る破壊の螺旋が光の塔となって立ち昇る。
この日、この世に生きとし活ける全ての生命が地上を覆い守るオゾン層すら突き破るバベルの塔を一斉に見上げた。
◆
「おー壊れてる壊れてる」
万物を消滅させる破壊力を内包した光の塔が消え去ってから少し経って、元々そこを目的地にしていたザック率いる【宵闇の猪】一向が依頼人と共に到着した。遠くから彼らが肌に感じた衝撃も凄まじい威力を秘めていたのだから発生地点の被害は言うには及ばず。雪原にポッカリと穴を開けた剥きだしの大地。天空すら原子の根源から破壊され尽くした天上からは神々しくも毒々しい光がペンペン草一本たりとも生えない荒野のあり方を肯定するかの如く祝福する。そんな根こそがれた世界でザックたちの瞳に映し出されるのは残骸と化した物体のみ。
「むしろあの破壊の渦巻きの爆心地に居ながらにギリ原型保ってると誉めるべきか。このネーチャンだって一応亡骸が残って」
光の渦の破壊力を遮る形で膝から崩れている影には真っ二つの女体。残念そうに眉を下げながら女体である塊二つへザックは腰を下ろして、たまげて飛び上がった。
「うおすげぇこんな状態でまだ心臓動いてる肌温け。生きてる? さすがダークエルフのネーチャン。大自然の生命力ハンパねえ」
「こっちの白い鉄人形はうんともすんとも反応しませんっす」
「あーうんーわかったーそいつはお前らに任せるからーそれと絶対に近付けんなそれ。俺に」
首閉められて以来、視界の端っこにあの鉄仮面を捉える度に何度もあの瞬間が蘇って若干トラウマ気味のザックはささっとルーティアに応急処置を済ませていく。前に自分を殺そうとした暗殺者でも美女の死は全世界の損失に他ならない。
(それに、『まあ貴方様を殺そうとしたこの罪深き私の命を快く救って下さるなんて、なんて素晴らしい殿方。ステキ! ムチャクチャに抱きしめてえ!!』っていう裏ルートの可能性が一筋でもあるかもしれないし。しれないから。しれないよきっと……ウヒヒッ)
頭の中でそれやあれやナニやらの妄想を膨らませながら外見上は元通りの姿へルーティアを回復させたザックは子分たちに命令して慎重に移動荷台へ運ばせる。
「致命傷で状態でよく動ける」
あとは腕の立つ治療魔法の使い手を紹介してポイントアップを画策するザックが明確な意思を込めた言葉で語りかける。少なからぬ警戒心と共に。
「忌龍さんよお」
ボロボロのグチャグチャでメキメキ。
全体の構成するパーツに比べれば無傷である心臓部の球体も輝きが薄れて弱々しく明滅している。
「まだ戦うか? 命が惜しければオススメしないぜ。特に、俺様たちを相手にするなら」
《……否》
ほとんど破損して欠落した掌の爪先を扇のように広げて仰ぐ。
《それは意志無き伽藍堂》
健闘を讃え合った四天の龍は、充足に満ちた心持ちで戦う謂れを無くした器を指し示す。
《宿敵の魂は何処へ旅立った。よって我が戦う理由も失われている》
水蒸気のような煙が彼を取り囲むの視界からアルメンドラを消し去った。
白亜のカーテンが開かれた向こう側には、暴力の化身である鋼の竜が再度再構築されていた。。アルメンドラは元の竜の姿でくずぶる気持ちを言葉に残す。
《宿敵らに伝えよ。いずれまた合間見えんと》
ヒトの形を得たことで成長アルメンドラはそう言い残すと自らを練磨すべく一瞬で天高く姿を消した。次に出会った時には確かにより強靭に生まれ変わっているであろうと予感させる飛翔の旋風が波乱を孕みながらも遠くへ過ぎ去る。
「……ふう、肝が冷えたぜ」
一度戦闘を開始すれば勝利か全滅しか選択肢が見当たらない強敵が完全に去った事実に、ザックは冷や汗を拭う。負けるつもりはないが勝てるかも怪しい。依頼内容には場合によってあの忌龍との戦闘も含まれていたが戦わないに越したことはない。大金も大切だが、苦楽を共にした仲間の価値は同じ質量分の金塊を積まれようが足元に及ばない。こうして場の安全を確認したザックは背後へ控える子分たちへ戦闘状態の解除命令を伝令させてから珍しく同伴を求めたお得意様の依頼人に今後の予定を尋ねようとした。
「そんでこれからどうすんだい大しょ――」
息が止まった。
剥き出しになった極寒の大地に再び新雪が降り積もる中で雇い主である第十三王子――ブレイヴ クレストールがもんどりと崩れ落ち停止した純白の鋼を固く、強く抱き上げていた。
「安心してねえ。君の身体は僕が守るから。誰だろうと指どころか吐息一つ曇らせないから。絶対」
法悦の表情で垂涎の口元が青白く凍ることも厭わず抱き付き、抱き締め、すがりつく光景はまるで偉大なる者の亡骸へ最初に触れる栄誉を得た熱狂的な使徒さながらで、吹雪が止み天上の雲間から射す光の梯子が怖気立つ神秘さを現実に描き顕す。
「待っててねえええ進くぅぅぅんんん~~っ」
◆
開いた重い目蓋には白い天井が覆っていた。
意識を取り戻した進はその病的なまでに白色に占められた無機質な蓋を押し詰められた芋虫のようにまともな身動ぎすら叶わず密閉されている状況に気付かされる。
知っている。この光景を。
閉じ込められた囚人たちの心象風景を代弁する空虚なる監獄施設を。
「――――ッ……づ、あ……ッ」
医療用ベッドから上半身を持ち上げるだけで肉体の末端や各関節に痛みの電流が奔る。痛い、苦しい、頭が重い、まるであの夢と希望に溢れる異世界における幾多の冒険で潜り抜けた死闘において、鋼のロボットボディで疲労をまったく感じなかった進の魂に対して嫉妬した現実がその帳尻を強引に合わせようとしているような気味の悪い不一致感。岩石のように凝り固まった首筋をやっとの思いで傾けると透明なガラス窓に写る変わり果てた見慣れた風貌。狂的な清潔さをイメージさせる肌蹴た患者服。骨に生皮を貼り付けただけの見慣れない死に体が餓鬼の風貌でアバラを浮き上がらせている。ふと、何か硬いプラスチックのような物を落とす音が視界の背後で響いたので首だけで振り向いた。そこには、驚愕に双眸を開きながら抱えていたカルテを病室の入り口に落としていた。そのナースは進が永い目覚めていることに驚きを隠せない。居ても立っても居られずにカルテをそのままで踵を返す。
「先生、先生ッ! 足立さんが、足立さんが意識を取り戻しています!!」
血相を変えて走り去っていくナースの足音が現実感を強引に進のしなびた脳細胞へねじ込む。冬場の蚊のような虚弱な全力でのっそりと手の感触を追うと、焦点がまだピンボケな渇いた眼球が捉える鎖のように絡みつく点滴チューブと肌色の枯れ木。かさかさに瑞々しさが損なわれ風が吹いただけで折れてしまいそう。それは肥太ましい面影は根こそぎ失せてはいるが間違いなく生身の、進が十数年を連れ添った腐肉の原罪。
「――――――――あ゛、あ゛あ゛」
冒険をした。
仲間を得た。
生きることが楽しいって教えて貰えた。
それら全てが何一つこの身体では感じられない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ――――――――!!!」
奇跡に嘆き呪うは腐臭群がる蠅声の慟哭。生きている事実が苦痛を伴いながら皮膚の下を蛆虫が蠕動するように襲い掛かる悲しみは、進が実の母に存在を否定された幼き頃の誕生日以来。
どうして、今更、こんな、非道いあんまりだ。
これでは絶望する為に幸福を与えられた道化。あれほどの幸せを味わって、あれほどの心と信を交わせる絆を得て生きていると実感出来たのに、もう嫌だ。返してくれ。あの異世界にそうじゃないと。
「死んじゃメっ。だよ、進くんっ」
第十三王子ブレイヴ クレストールが何時の間にか次元の壁を越えて苦しみの嗚咽に悶える進の病床の横隣に腰を掛けていた。
「……早乙――女?」
その姿は同級生。あの異世界へ旅立つ前の進と同じもしくはそれ以上に悲惨なスクールカースト底辺。早乙女
「君が冒険している姿は見ていて飽きなかったよ。どこかへすぐ飛び出しちゃうから追いつくのも精一杯。本当にカッコいい」
しかし勇気は知っていた。体験していた。あの世界における進の活躍を。
「楽しかっただろ。面白かったでしょ。手に汗握る冒険が、仲間と背中を合わせて乗り越えるハチャメチャアドベンチャーは心躍って止まなかったよねえ? でもね君だけの力じゃない。勿論絆を繋いだ仲間たちのお陰でもない。全部は僕。僕が仕組んであげた。僕が君の旅路をバックアップしてあげた」
それが進の為に出来る勇気の為の行為であるから。彼の為にしてあげられる自分の為の行為であるから。
「ねえ褒めてよ。ねえねえ褒めてよ。僕って使えたよねえ? 僕って最高のパトロンだよねえ? 僕って君のツボを心得ている一番の理解者だと思わないいい?」
一体何が目的か、ニイヤ――と狂的な笑みが中性的な面貌に花開く。
「ずっと君のことばかり考えていた。進くんしかいなかったんだ」
そこにいたのはクレストール王国の第十三王子ではなかった。この現実において社会的立場は進が上回っている。
「あの異世界で王族の僕なら進くんの願いを何でも叶えてあげる。実現させてあげる。だから」
全てが手には入る異世界では叶わない望みを口にした。
「この世界で君が――僕の王様になってよ」




