起動
強さ。
その意味を考えてた。
そして、強いと呼ばれる人間たちは一種の風格を漂わせていた。
余裕と言い換えてもいい。
弱い者を強い者たちが取り囲んで自称タイマンをして笑みしか浮かべないように。
思うに、想うに、強いとは揺るがないことを言うではないだろうか。
もっと端的に言えば自然体。
そもそも強い人間は強さについて深く考えたりなんかしない。考えてしまうのは、余計な思考を巡らせるのは、それを狂おしいばかりに欲望する輩だけだ。つまり、こんな考えを巡らせる自分はどうしようもなく弱い人間と言えてしまう。
嫌だ。
そんなのは嫌だ。
逃れ難い事実を、折れた奥歯を寂れた廃工場の草村へ口内の流血と一緒に吐き捨てる。
ここは、俺はとある学校のスクールカースト最底辺の次席だ。
底辺当代が病欠で一週間休んでいるので暇つぶしのお鉢がこのデブでメガネでテンパの俺様に自然の摂理で巡り巡った結果である。
「ちくしょう――ッ……痛ぅ」
うちのクラスに転校して来たガリ勉のお陰で底辺当代から抜け出したと思ったらこれだ。
学校での成績は毎回火の車。
寸胴の超重量脂肪は非力の塊。
下駄箱に入れられた異性からの手紙に有頂天になって指定の場所へ駆け足で馳せ参ずれば、待ち構えていた同級生たちの良い笑い者の道化。
余裕なんて微塵の欠片も見当たらない。
ヨロヨロとふらつきながら誰にも見咎められない月下の通学路を一人帰宅する。
慣れ親しんだ人気の少ない道を歩いていくうちに、悪趣味なぐらいに豪華で、病的なまでに清掃が行き届いた両親がほとんど寄り付かない自分の家が寒村とした住宅街の中央で仁王立ちしている姿が見えてくる。
大屋敷の玄関へ靴を脱ぎ散らす。ピカピカフローリング廊下に土と埃で汚れた制服を脱ぎ捨てていく。
どんなに乱暴に扱おうが構わない。どうせ明日になれば綺麗に仕立て直された一式がだだっ広い居間の壁際にクリーニングのタグ付きで下げられているのだから。
馬鹿馬鹿しいマーライオンの風呂にも入らずに真っ先に自室のベッドへ倒れ込んだ。
低反発マットレスの下敷きに内臓されたスプリングの軋む音を鼓膜に受け止める。
辛い現実には存在しない安らぎをせめて断絶する意識の向こう側へ求めながら目蓋を閉じる。
痛みの滲む身体は驚くほど素直に眠りの深奥へ旅立った。
◆
「おら! もたもたすんなッ、置いていくぞテメエら!!」
暗い、暗い森の中で盗賊団の頭目がへっぴり腰の子分たちへ激を飛ばしていた。
「へえ、へい兄貴ぃ~ふひ、はひ、ふひゅ~」
「なんだなんだ、それでもお前ら悪名高い【常闇の猪】の一員かあ。お宝が目の前に迫ってんだ。ここで滾らなかったらお前ら本当に男に生まれた意味あんのか。ああん!?」
「実は団員の何割かが暗闇にびびっちまって上手く進めずにいるんです」
「なあにぃ~? 【常闇の猪】の本骨頂はこの月明かりも出ない暗中航路だろう。こんなの毎日平常運転だ」
「それが怯えている大半が、この間に補給した団員なんす」
「入って数週間の新人ってことか……かあッ、俺とさほど変わらねえ年の癖に一寸先も見えない闇程度に腰引くってかよ。仕方ねえ」
すうっと大きく息を吸い込む。
「【光よ在れ】」
独特の響きを持った文言に続いて、
急に、闇夜の森林地帯が真昼のごとく木々の隙間の彼方まで見えるようになったからだ。
それは魔法と呼ばれるこの世界で重宝される特殊な技術体系の一つだった。盗賊の頭が至らぬ部下たちへ付加したのは低級的な暗視の魔法である。
「これで平気だろ。さっさと混乱収めて先に進ませろ」
「へい! ありがとうございますザック親分!」
敬礼しながら移動する盗賊団の後方へ消えていく子分から視線を外して再び闇に覆われた前方へ瞳を凝らす。
術者であるザック自身には暗視魔法は付加されていない。わざわざ必要無い自分にまで無駄な魔法を掛けても意味は無い。それに魔法の行使には魔力と言われる生命エネルギーを消費しなければならない。いくら一晩眠れば全快に回復するのだとしても無駄遣いは極力避けなければここぞという時に使えなくて困るのが世の常である。
不安を取り除かれた一団の歩みは速まり、あっという間に目的の遺跡の前に到着した。
「よっし到着。他に誰もいないなら俺たちが一番だ」
巨人のゆりかご。
付近の村々からそう呼称される古代文明の遺跡である。
遺跡の入り口はまるで臭い物を入念に密封するように石畳の上から漆喰で塗り固められていた。
「しかし本当に大丈夫ですかね親分」
封印の執拗さから漂う剣呑な気配を沈黙する夜の帳が醸成する。
「いくら大昔の文明の遺産がゴロゴロ眠ってるお宝山でも、ここに足を踏み入れた奴らはみんな遺跡に巣食う亡霊の怨念に取り殺されたって実しやかに語られていますぜ」
「へッ――緒戦は全部ジーさんバーさんたちが口にしてた寝物語だろ。どんだけ昔の話だってんだ。へーきだへーき。ユーレイなんか怖くねえし罰なんて俺たちにはあたらねえよ。俺の感が大丈夫だとビンビン喚いてんだ。これまでこのザック様の感が外れたことが一度もあるか? 無いよな。有ったらとっくの昔に俺様は死んじまってる」
自分の今ある命を保障として子分たちへ語るザックの自身は二十四年の折り紙付き。
そんな悪運付き纏う半生を激動の戦乱の渦中で共に生きた団員のほとんどがザックの勘のよさには全幅の信頼を置いている。
「よーし一発派手にぶちかますぞ」
遥か太古から密封されし漆喰の壁に、物理的に足止めを被るがザックはまるでこんなの薄っぺらい紙装甲と言わんばかりの振る舞いで軽く首の骨を鳴らした。
「さっき暗視付与された奴は全員目え閉じろよーそんな状態で眩しい光を見ちまったら確実に目ん玉焦げ付くからなー」
慌てて両目を手で押さえる気配が所々から立ち昇るのを感じ取ってからザックは攻撃魔法の準備を開始する。
外観的には開いた利き腕の掌を目標へ向けるだけだが、男の内界では先ほどの暗視魔法とは比べ物にならない膨大な魔力がうねりを上げながら神経回路を流動し迸る。
イメージが現実を覆し凌駕する。
「【無限なる灰燼の劫火より来たれ破滅の担い手】」
現象として現れた空間の捩れを知覚したのは僅か数名。
残る大半は肌を痺れさせる轟音と爆光に思わす目が奪われた。
常しえなる闇を一瞬晴らした閃熱の衝撃に森に隠れ住む夜行性動物たちを騒然とさせた。そして数分後。すっかりまた静まり返った沈黙を収まった粉塵の上から降り注ぐ僅かな瓦礫が少しばかりまたザワつかせる。
立ちはだかっていた巨壁にぽっかりと開いた大穴を早速崩れた瓦礫を踏む閉めながら覗き込んだザックの顔に絶好の笑みが弓を引いた。
「うひょひょひょ、さっそくお宝発見!!」
確認を取るまでもなく辺り一面、全てが古代文明の産物でぎっしり満杯。
産物の単語を、お宝に置き換えればザックの大手を振り回した喜びようも理解できる。
勇敢で猪突猛進な親方に続いて遺跡へ足を踏み入れた子分たちの表情も似たようなものである。
「む~~~……うむふむ」
ご満悦な自身の顎を手でさすり、そこから指をパチンと鳴らすザック。
「と・り・あ・え・ず――全部お宝ってことで荷台へ放り込んじまえ。多少、乱暴に扱っても鉄で出来てるみてえだし大丈夫だろ。ぶっははは!!」
「「「アイアイサー!!」」」
親分の指示通りに、子分たちはよくわからないが金目の物になりそうな物品を片っ端から掻き出し、魔力によって駆動する移動拠点の荷台へ煮えたぎる鍋に食材を放り込むように詰め込み始める。
運び出される巨大な機械群やそのパーツ。
まるで力尽きて床に倒れ込んだみたいな姿形をしている珍妙な物もあった。
「いっせえの――っせい!!」
「っよし外れた。いっくぞ~」
「バッチコーイ」
壁や床と一体化していた何らかの機材が、鍛え上げられた簒奪者たちの力任せによって根こそぎ取り外されて、運ばれ、荷台へ放り込まれる光景はかつて存在した古代人が見たら噴飯モノの事態である。
時には、彼らには知りようもない高度な科学情報がインストールされた記録媒体が乱雑に扱われるが、この場にそれを咎める者は一人としてありはしなかった。
「親分~この人形も投げ込んじゃって大丈夫っすかあ」
「いいぜ、構わないからじゃんじゃん積み込め。夢と希望で満杯にするんだ!」
「なんだこれ。鉄で出来た……人形?」
「もっと詰めろ! 詰めろ! スペースを上手く使わないと大切なお宝を取りこぼすぞ! ――うん?」
背後から妙な感覚がしてザックは振り返る。
そこには今も尚続々と積み上げられていくお宝の山しか見当たらない。
「まさか幽霊とかじゃないよな」
子分たちには聞こえないように眉をしかめて呟くザックの首筋を夜半の冷気が風となって撫ぜる。
ザックたちは気づかなかった。自分たちを見つめる単眼の煌きに。
「お――親分んんんん~~!!?」
遺跡の奥深くへ足を運んだ奴らが暗闇から飛び出してくる。
それを追ってくるような地響きが闇の奥から手前へドンドン近づいてくる。
「ば、ばば、化け物が出たァアアア!!?」
闇の底から月光を浴びに現れたのは歯車細工の巨大な番兵。
古より主から忘れられし宝物殿の守衛を命じられた電子信号の傀儡が、恥知らずな盗掘者の行動に自然と喚起されたのだ。侵入者は排除あるのみと引き絞られるカラクリの単眼レンズが熱意無き戦意を振り構えた凶器の豪腕に集約させる。
あるいは、先ほど使われた爆発魔法ならばこの出現した巨人を粉微塵に吹き飛ばせたかもしれない。しかし、攻撃態勢に入ってからの実働はその鋼の突き動かす紫電と同じ電光石火。とても詠唱を必要とする魔法では人間をひき肉のように殴り潰す鉄塊の猛威に間に合わない。獲物に定められた子分の一人が逃れられない死に唖然とすると。
「安心しろ。俺様がお前たちを守る」
電光石火を上回る身のこなしで、子分と鉄巨人の間へ滑り込みながら、全長六メートルの巨体に比べたら小枝にも劣る百七十五センチメートルの人体がその攻撃を受け止めた。
受けた衝撃を踏ん張る両足の裏では、耐衝撃基準を超過した暴力的な圧力が遺跡の床面をクレター状に陥没させた。伝導する衝撃で床に積もっていた埃が一斉に舞い上がる。さざなみ打つ埃の波紋。埃舞い上がる情景。
「作業続けろ」
凄まじい威力を物語る光景を、語る背中が完全に防ぎ切っていた。
両腕を、肘を、硬く閉ざした城門のように彩る白銀の装甲色。
ザックの両腕に装備された手甲が人体の強度を飛躍的に向上させる。
「激鉄を鳴らせ。【聖騎士の手甲】」
アイテム。
使用もしくは装備することで効果を発揮する冒険の必需品。
高位の希少品は鎧われた特定部位に限らず、それこそ装着者の全能力値を大幅に向上させる。まるで背中に鳥の翼が生えたかの如く【聖騎士の手甲】を装備しているザックは一足跳びで鋼の巨人の頭上で月に背を晒した。
今度は巨人が地面に膝をめり込む番となった。一回の攻撃だけで宙を舞うザックのターンは終わらない。雨あられの流星群に等しい撃槌の腕撃が両者の間で佇む空間を幾度も弾けさせる。
破壊の嵐が拮抗する巨人の装甲を痛烈にひしゃげさせていく。巨人とザックの全長がかけ離れていたように、両者の力量は、レベルが違いすぎた。破壊と殺戮の古代兵器はそこらへんの草むらで出没する低級モンスターと変わらない有様で物言わぬ死に様を晒しながら床へ崩れ落ちる形で沈んだ。喝采が沸く。
「さっすが親分すげえええ!! あんな化け物をスライムみたいにちょちょいのちょいだなんて。そこに痺れるあこがれる!」
「うおおお兄貴! 兄貴! 兄貴!」
「うええん死ぬかと思ったあああ!!」
鳴り止まぬザックコール。
哀れ、自らの使命を果たせなかった鉄巨人の亡骸は、死に絶えた蝶の如く貪る団員たちの手でバラバラに分解されて荷台へ運び込まれる。
そしてザックたちは最後まで気づかなかった。
どんどん積み重ねられ、伏せた形で死角となっていた遺物の奥底で一瞬だが明滅する光が宿っていた瞬間に。
すっかり東の空が白み始めた頃合でようやく満足のいく限りの仕事が終了した。
満杯になった荷台を確認したザックが撤収の号令を子分たちへ告げる。
こうして顔を出そうとしているお天道様へ背を向けるように【常闇の猪】一団は再び移動を開始した。
◆
目覚めた瞬間から今日も一日が最悪だと脳を掻き毟る鈍痛から察した。
つまり毎日が最低最悪。
ただ普段ならそのまま綺麗にされた制服を着るところを、珍しく早起きした影響なのか浴槽で熱いシャワーを浴びることから一日が始まった。頭から熱湯を被り、剥がれ落ちた垢と寝汗。思考と体が多少なりと綺麗さっぱりに清められた。
「行ってきます」
冷凍ピザの朝食を完食して家を出る頃には頭痛の適切な居場所を脳内の片隅へ作り上げた。
閉じる玄関の扉の隙間から見えた寂れた自宅にしばしばの別れを告げる。
昨夜の夢を思い起こす。
ここじゃないどこか別世界の情景。
強大な鋼の怪物に一歩も引かない胆力と勇気。
そして迫る苦難を笑いながら踏破する眩しい背中。
あのカッコイイ人と一言でもいい言葉を交わしたい。いや、正直になろう。
あの人と肩を並べられたら良かった。いやいや、もっともっと素直になろう。
あんな風になりたい。さらに言えばあの人を上回りたい。
そんな夢が覚めた現実。
学校に着けば始まる足立 進の日常。日課。底辺と位置づけられた己へ下される上位の同級生が催す罵倒。
ふと、あのザックと呼ばれた男のようになれるとしたらどうすればなれるかと朝一番の挨拶代わりである罵倒を交わされた校門付近で歩みを止めずに思考してみる。
例えば、ほら先ほどから仲間と楽しそうに足立 進を罵倒しながら教室へ向かおうとしているその背後。無防備なその背中や尻や後頭部や肛門へ揺ぎ無い全力で拳や膝や指定靴の爪先を叩きつけたりしたらどうなるだろうか。この場で本当に強いのは無責任に人を馬鹿にするお前らじゃない。反論も反感も抱かせない強度で拳の皮を骨と骨がぶつかり合う衝撃ですりむく俺様であると周囲に知らしめるような
ザックは強かった。力が強かった。その拳は鋼の塊だって打ち砕いた。
(……何か違うなあ)
昔、悪戯で冷蔵庫に仕舞ってあった最高級和牛ブロック肉を何度も殴った気持ち悪い感触がありありと想起させられたので悪趣味な考えを打ち切る。そもそも、ザック率いる集団はそんあんな軽々しい暴力で統率を取っているようには甚だ感じられない。むしろそれとは対極。団員一人一人が培いあった絆や団長のザックへ対する子分たちの信頼や敬愛を中心として回っていた。
「難しいなあ」
仲間との絆や信頼なんて、進には縁遠い、空の彼方で霞んで見えるような代物だった。
四時限目を静かに受けながら窓際の自席で青空を仰いだ。
進の通う一年の教室は学内でも特別視されている。曰く主人公のいない学園漫画。混沌とした少年少女のカリカチュア。和気藹々とした学生ライフの裏側で横行する酷刑極まりし醜悪さ。当事者である進は入学直後からその肌に、その身に、深く深く刻み込まれている。それこそ、その痛みが当たり前の日常と化すぐらいの深度で。
後頭部に何かがぶつけられた。
いきなり殴られたとか、野球の硬球が直撃したとかそんな暴力的な衝撃ではない。とても軽い羽毛のような、それでいて秘められた暴力性は前述された物理現象を容易に上回る劇薬。制服の襟元へ落ちたそれを指先で探り、摘んだ人差し指と中指の先端に存在したのは授業中の定番である折り畳まれたルーズリーフの切れ端によるマイクロ便箋。中身に目を通せば、人目で不快に貶められる絵や文章のパッチワーク。
クスクスとしたせせら笑い聞こえないが感じられた。
この状況を受けて、先ほど自分ではザックのようになれないと断念した考えを飛躍させてみる。
ない者ねだりをしても手に入らないことは重々承知している。だから、底辺の現状の打破する為に、あのザックたち一同が持つ輝かしい結束力に変わる何かを活用出来ないか?
例えば、そう、普段なら握りつぶすか黙認するこのマイクロ便箋に対して返事のお便りを返したりしたら発信者はどう反応するだろうか。絆の反対語は独、溝、村八分である。こういった負の響きを感じさせる語句は、実際に社会全般からの致命的な隔離を意味するが、無理にでもメリットを見出すとそういったしがらみや枠組みから外されて自由に振舞いやすいと言えた。
つまり流言飛語を流しても影響された他者から被害を受けにくい。
むしろ俺には関係ないからテメエら勝手にかましく騒いでろ。そうやって手紙に書き記した全て本当の汚らしい交友関係の裏側 (色々と踏みにじられる立場という視点は普通に生活するよりもそういったキナ臭い鼻摘みしたくなる交友関係や秘密などが見え易かった)は、どうせ確認する術を学園裏サイトなどでたくさん持っているのだから風の便り又聞き嘘の中に混ざった一片の真実を放り込めばあとは彼らが勝手に醜く痴話揉める算段である。
(……面倒くさい。なんで俺がわざわざアイツらへ話題を提供しなけりゃいかんのだ)
結構いい筋入っていると妄想して、しかしこれもまた始めようと考えた次の瞬間に切り捨てた。
ノートの切れ端の残骸が視界の隅でヒラヒラ舞い落ちた。
昼休みになれば誰もいない場所で買った焼きソバパンをモソモソペットボトルのお茶で飲み下していく。そして、こういう場所には誰にも会いたくない俺と同じような立場の人間が来るのがお約束である。
「やあ進くん」
「よお早乙女。風邪治ったのか」
「うん、一週間も休んじゃったけどお陰ですっかり元気になれたよ」
「そうか、それはよかったな」
これで俺の負担も元通りに減るという本音は口にせずに仲良く暗いジメジメとした男子トイレの個室の壁越しに顔も見せ合わずに会話を続ける。
現れたのは進と同じく、だけどそれよりも確実に下であると誰に決められた訳でもなく道を踏み外された中性的な見た目の男子生徒服。
現・スクールカースト底辺当代である早乙女 勇気。
「それだけ時間が有り余ってたんだからどうせ取り貯めておいた今期新作タイトルは最低でも十回は見直しているんだろ」
「あは、バレちゃってるか。うん、実は最後の二日間は自分の部屋で只管アニメ鑑賞してた」
当代と次席の両者は掃き溜めの底で意気投合。
もっぱら最近のアニメ談義で花を咲かせる。
「それでねそれでね」
「待て待て、これ以上は時間切れだ」
そろそろ食事も終わり、昼休みも終焉へと近づいていく。
「そろそろ教室に戻って机に突っ伏さないと午後の授業に遅れてしまう」
スクールカーストに加えて教師陣から目を付けられてはたまったものではなかった。
「あのさ進くん」
去ろうとした進の気配に親しき友人が残すアドバイスのような言葉。
「気をつけてね。また会おうね」
進はその意味をこの場で知ることは無かった。
実感させられたのはそれから数時間後。
「おい! 待てや、そこの豚!!」
終わりのホームルーム後の放課後に、縁も所縁も存在しない同級生たちに意味不明に絡まれた。
そうだ同級生たち。ぶっちゃけクラスメイト全員とその他全ての同級生たち。ところによっては上級生や下級生が何故だか足立 進という個人を剣呑な空気を発散しながら取り囲んだ。
「授業中によくもあんな真似して」
「お前なんかが粋がって言い訳ないだろ」
「調子に乗るな」
「ちょっと、本当にあれに書かれていたことは本当なんですの!?」
何のことだかさっぱりわからない。
炯々なる瞳の群れ。しかしてその実態は強烈な思念に突き動かされた烏合の衆。
感じられたのは恐怖の色。生命の抱く感情の中でも特に強烈な生存欲求の背中合わせ。
「アイツ、くそ、お返しに、後悔させてやる!!」
威嚇するように、つまり本音は怯えながら叫ぶボコボコニ殴られ、蹴られ、踏み躙られた重症を抱えた男子生徒たち。彼らは進を馬鹿にした生徒たちと一致していた。
今の発言は、まるで俺が彼らに害を為したように聞こえるがまさか。
そして今朝、校門でも妄想から三時限目の授業まで記憶が進の脳内から不思議と綺麗さっぱり飛んでいた。
「……」
握られた拳には何時施されたか知らない包帯が巻かれていた。白い布地から危険な赤い色が薄っすらと染み渡っている。そうやって拳を動かしただけで目の前の同級生たちが顔を強張らせた。まるで、その拳の行き先が自分たちへ向く可能性を実感しているように。
「もしかして、今朝から、俺」
考えたことをそのまま実行していたのか?
思わず、自然に、無意識で。それならこの虐めっ子たちの敵意に満ちた眼光にも説明がつく。ちらほら見える怪我した生徒たちも恐らくは足立 進の垂れ流した現実的妄想の被害を被った一端なのだろう。そうだ一端。欠片。これで全てな筈が無い。俺の妄想が真に妄想通りに現実世界へ流出していたならその実害は目に見える程度で収まる筈がなかった。
いやはや、そうなると奇妙だ。というか、俺は何でこんなに冷静に考えを巡らせているのか。巡らせられているのか。可笑しい。ここに至って自己の異常を自身が認識した。
これじゃ俺を馬鹿にしていた同級生たちが怯えて暴力に帯びえるのも仕方ないじゃないかと自分でも思う。とまたもや冷静に客観的にどこまでも沈静化された思考中枢が静かに頷く。しかし、冷静でも混乱はしていたのだろう。
後頭部に衝撃がお礼参りされたのだから、困惑して周囲への注意が疎かになっていた証拠。
(ああ――そういうことか)
急速に近づく地面をゆっくりとした思考の中で観察しながら悟る。
この奇妙な冷静さの正体について。
それは進に群がり暴力の連鎖を繋げようとする不良たちの戦々恐々する表情にあった。
(そんな表情が俺に向けられたことなんて一度だってない)
せいぜい取るに足らないゴミ虫汚豚と貶される程度が関の山であった脆弱な己に対して他者が明らかに怯える様。それがどうしようもなく現実味を欠いていたから他に無い。
(もしかして……俺もずっとあんな表情を浮かべていたのかな――)
意識を失いながら、
「気をつけてね。また会おうね」
この展開を予期してたであろう早乙女の台詞が果たされるか不安になった。
進は遅すぎた実感を掴みながら闇に飲まれた。
◆
「模造勇者ァ?」
遺跡から持ち出したお宝の山の調査を依頼したジャンク屋から告げられた言葉はザックにとって想像の埒外だった。
「そうだ若僧。耳をかっぽじって神妙に拝聴せよ歴史的大発見を」
年甲斐もなく動機を抑えられないのは持ち込まれた品がジャンク屋の店主史上最高の名品であるが故の高揚感。この時ばかりは歴戦の骨董商も童心に返り咲く。
「大昔、魔王に対抗する為に古代人が希望に縋りながら造り上げた模像じゃな」
「魔王って――爺さん」
心を襲った衝撃に目が眩み、立ち方を刹那忘却したザックが多々良を踏みながら口元を手で隠した。響く、空気が抜ける音。
人はそれを笑い声と呼ぶ。
「そんな与太話を信じてるんかよ傑作だなおい! あれか魔王ってあの魔王様々のことかよ。わらっちまうぜ、ぷぷぷっ」
「何も可笑しくはないぞ。これはその全てのモンスターの頂点に君臨した絶対的破壊神打倒を目的とした逸品。付属している取説にそう書いてあるからのう。読んでみるか?」
「そんな古代語の羅列が俺様に読めるかーっての。ははっ」
ザックが贔屓する古代遺物や骨董品の修繕・調査・販売を行っているジャンク屋があるのは大陸五指に君臨する王政国家クレストール。彼が率いる【常闇の猪】が重視する拠点地の一つである。クレストール・フロセミド・イグザレルト・ガスター・アーチストの強豪五カ国がこのフェアライン大陸で互いに睨み合い均衡を保っている。
「古代人様々は存在しないモノに労力を割ける暇人だったってのはよくわかったぜ」
「どこまでも信じぬつもりかお主は」
「だってさあ」
多種多様、古今東西の古代遺品が乱立するジャンク屋店内から城下町の街道へ視線を仰いだ。
「そんな悪玉どこにもいない」
人が行き交う活気に満ちた目抜き通りは王国経済が順風満帆に回っている証拠。
健全な王政が敷く戒律と法整備の下で民草は日々平和で穏やかなそして希望に満ちた明日へ今を生きている。人々を脅かすモンスターの頂点? 世界を滅ぼす破壊の化身? そんなレトリックな英雄譚に登場する必要悪はこの人の世にはそぐわない。
「証拠だって一つも見つかってねえんだから仕方ないだろ」
「じゃからこのカラクリ仕掛けがその証明に」
「魔王を倒す為に作られた秘密兵器です~それで魔王本人の証明証はどこに」
そもそもザック自身が勇者などという誇大妄想と幻想に興味が微塵もなかった。
「俺を突き動かすのは夢と希望――そうだ夢と希望の大金持ちウッハウッハだははは!! 歴史的重要文化財? 知るかそんなの金にならねえんなら一銭の価値も見当たらないぜ。俺の動かしたければ金金金・金・銀・財宝……札束の海で溺れたい」
「物の価値もわからんとは嘆かわしい」
「そこまで言うなら聞くけど――この勇者様フィギュアはお幾らになる?」
「まさか! おぬしは美しい朝焼けや高台から見通す地平線に値段を付けられるか?」
「商売にするなら一時間で鑑賞料三百ゴールドだな」
「これぞ天文学的な歴史的遺産に恐れ多くて値段など付けられぬわ!」
「うげ、金にならねえのかよ」
「金、金と、この俗物め」
「いいもん~俗物で構わないからな~それに特別な誰か一人程度に救われるほど俺たちの暮らすこの世界はちっぽけなのかよ。違うぞジイさん。勘違いしちゃダメだぜ。人間は自分が一番大切なんだ。世界なんて二の次で、だから勇者とか超面白れー」
「そこまで言うならワシはもう何も言わん。精々笑ってろ。その代わりこの歴史的大発見はワシが丁寧に研究機関へ届け出てやろうではないか」
「はあ!? ざけろ!!」
こっちはお得意さんの依頼で持ち込んだのだ。
それを納品前に横からピンハネされては堪らない。
「ありがとうなジイさん! それじゃあまた今度!」
急いで鑑定して貰った大荷物を電光石火の速度で背負い店から飛び出した。
「ちょ、待てこの歴史的大発見――ドロボ~ッ!!」
何も盗んでいないのに泥棒扱いとは。
背後へ去っていくジャンク屋へ王国の警備兵が叫び声を聞きつけ集まる前にザックは余計な厄介ごとからトンズラを決めた。
――魔王。
その必要悪的存在が選ばれし勇者と彼と絆を結びし仲間たちの手によって葬られてから幾数千年。伝承は風化し、かつての脅威をただの訓戒めいた童謡へ変える。大地の遥か地下から掘り出される原生生物の化石のような存在を追い求める人間も少なくはないがそれにしたって夢を追いかけていることに変わりはなかった。
「ふう! ほっ! ほっ! ほっ!――うおおメッチャ重い! やっぱり手押し車置いてくるべきじゃなかったか!? いやいや悠長に荷台へ乗せてたら血走った目のジイさんに捕まりそうだったし仕方ない! これでいいのだ! けど重い~!!」
緑生い茂る草原から荒々しく険しい山岳まで日常的に踏破しているザックはそんな彼ですら辟易する重量を圧し掛かってくる背中のブツに悲鳴を上げながら人の並を器用にすり抜けていく。
めげるな俺! 背負っているのは金塊の詰まった銭袋だ! そう考えればこれは嬉しい悲鳴!
少しでもポジティブシンキングで肉体に掛かる重量を精神的に軽量化させる。
「ぶ! ぶ! ぶひゃあああ~~……ここまで来ればもう大丈夫だろ――おッ」
陽気で軽快などこかの民謡曲がザックの鼓膜を木霊した。
それは彼にしか聞こえない物体に記憶された音声で、導かれるように手をポケットに入れる。ブルブル振動することで着信音を骨伝導させている球体の正体がこれ。長距離通信用アイテム【千里の球】。片手ですっぽりと握り包められるサイズの青色水晶球体をザックは親指から中指までの三本指で掴みながら聞き耳へ宛がう。
「はいはいもしもし、こちらは安心と信頼の万屋傭兵団【宵闇の猪】の頭目を勤めさせていただくザックと申します。夢と希望と前金たんまりに満ちたご依頼であればなんなりと」
《親分~~っ》
「何だお前らか」
《今どこにいるんっすか~~っ》
「ジャンク屋のジイさんのところから出たばっかりだ。何だ困り事か。お得意様との商談なら俺様抜きでも進められるだろ。むしろ俺がいない方がいいだろ」
《リーダーが自分不必要発言してどうすんですか……ジャンク屋ってことは、親分、あの妙な鉄人形を勝手に持ち出したんですよね》
「ああそうだ。残念ながら凄いお宝過ぎて値段が付かないらしいけどな」
《今すぐそれ持って帰って来てください! じゃないとウチが、【宵闇の猪】が潰されちゃいます! お得意さんの国家権力に~~!!》
「――はあ?」
【千里の球】から伝わってくる部下の泣き言は本気の色を滲ませている。
本当に、ザックがこの古代遺物を持ち帰らないとお得意様の国家権力に【宵闇の猪】が排除されるらしい。一体、どんな経緯で。
「どういうことだ。詳しく話せ」
《この間掘り出したお宝を依頼通りにお得意さんへ引き渡そうとしたんすけど、いきなり怒り出して。「欲しいモノが入ってない!」とかなんとか。どうやら話を整理すると親分が勝手に持ち出したソレをご所望らしいんです。他のは全部取るに足らないオマケにすぎないって》
「これが?」
これを欲しいと?
あの王子様もまさか勇者マニアの一人だったか?
続く泣き言がザックの考えを中断させる。
《もおおお穏やかだった人が憤怒の形相でド激しい剣幕なんですよおおおうわあああん》
「わかったわかった。すぐに行く――やれやれ、これだから俺様がいないとダメなんだから」
通話を終了させた【千里の球】を再び仕舞いこみながら、引く手数多の万屋傭兵団の頭目という現在の自分の現状に思慮を巡らせながらザックは空を仰ぐ。綺麗な、地平線の彼方まで澄み渡る快晴の蒼穹が彼の視界を覆った。
「……ずいぶん遠くまで来れたなあ」
故郷での田舎暮らしに辟易して裸一貫で飛び出した十四の刻。
あれから随分死に掛けたり、死に掛けたり、うっかりと死に掛けたりしたが持ち前の幸運で死線を潜り抜けて今では王族にお抱えの顧客までいる最高の傭兵団を結成するまでに至った。十年以上前の記憶がまるで昨日のことのように思い浮かぶ。
「たまには故郷の土踏んでみるべかあ――はッ! ち、違うぞあんな頑固親父のことなんて爪の垢ほども気にしてないし」
意固地な三男坊は正直ではない。
「兄貴たちが絶対に上手くやってくれているからこれは不安じゃないもんね! ね!! さ、さーてと子分たちの為にも急いで帰らないとなーなー」
子分の為という大義名分で心に浮かんだ郷里の念を打ち消して歩きだそうとする。
前兆は、微妙な光の屈折であった。
露店の立ち看板が横斜めに断ち割れた。
真空の刃が獲物めがけて牙を剥く。
金槌を鉄板へ向かって振り下ろしたようなたわむ金属音が街道を占拠した。爽やかな晴れ空の空気が真っ赤な鉄錆び臭さに侵食される。両腕の支えを失って大地へずり落ちる歴史的大発見遺物。
「あっぶねえ」
口調は平常時と変わらないが現実は惨憺な有様。
詠唱は聞こえなかったが恐らくは真空系の攻撃魔法。この切り口の鋭さに反して出血量が異様に少ないのが証拠。五度連続して襲い掛かった音速の断頭刃。咄嗟に背負っていた重荷を盾代わりにしたザックだったが唯一、避け切れなかった一撃をまともに受けた左腕が彼の足元に転がっている。喚き散らし錯乱しても可笑しくない現状を、ザックは異常なほど冷静に落ちた肉棒を片手で拾い上げる。少ないとはいえ暴力的な血流が続く鮮やかな肉色の切断面へグリグリと断絶した二の腕の先っちょを押し付ける光景は傍目から見てとても痛々しい。
「【天と地は一つであり天は地に使いをもたらす】」
切り落とされた腕の接合箇所からピタリと出血が止んだ。
「こんな真似して誰だお前」
回復魔法。血管と神経が十全に再結合した右腕を上下に動かしながら掌を繰り返し握り確認する。
「殺すなら一撃で首を落とすべきだったな。あるいは心臓を、まあ心臓貫かれても速攻回復すれば助かるか」
襲撃者も無論そのつもりであったのだろうが殺害対処の鋭敏な危機感知能力によって決定打を回避されてしまった。それすら理解してあえて言葉にするのは嫌味以外の何者でもなかった。
「ふふふ」
心底面白いと、含みを込めた笑い声がザックの耳に届く。何時の間にか人の気配が消えた街路の影から、まるでのその影自体が形を持って浮き上がったかのような漆黒の異容が闇を漂わせながら具現する。日の光を飲み干す黒のボンテージ装束。褐色の全身をこれでもかと皮の拘束帯で締め上げることで色気が立ち上る肉体に更なるメリハリを生み出す美乳を支える形で両腕を組む淡い桃色髪の美女。人形のように整いすぎる面容の左右から突き出た両耳はザックや他の人類と違い鋭く尖っている。
「――ッ! うっひょおダークエルフ――ッ」
ザックの警戒度が一気に戦闘領域へ引き上げられる。
そこら辺の雑魚モンスターを相手にするのとは段違いのレベル。モンスターでも特に強大な力を有する古代種と対面した時と同程度に心臓の高鳴りが固定されるが流石は一つの傭兵団の陣頭を歩みリーダー核は伊達ではない。戦慄する心境を欠片も臆面に出さず不敵な笑みでダークエルフに軽口を叩く。
「どうやら俺様の鰻上りな評判もあながち悪い方へ転がる訳じゃないようだ」
この数年間で【宵闇の猪】は本拠地に据えているクレストール王国の王族の一員に顧客として優遇されるまでに急成長を遂げた。それは飛ぶ鳥を落とす勢いで邁進していく出世街道。だが、同時に落とした鳥たちの恨みを必然的に買う結果を生んでしまう。だから、こうなることは予期すべき必須事項。想定外と言えば、その逆恨みの相手から差し向けられた刺客が魔法戦においては最強と謳われる種族の堕天した存在であったことのみ。
「こんなでらべっぴんさんと巡り合える場を設けてくれたんだらかさあ」
「お世辞が上手い男は好きよ。特に、自分を殺そうとしている女に向かって堂々と口説ける男は」
「俺もさ。奇遇だな、もしかして俺たち結構気が合いそうか? 正直、あんたみたいな好みのネーちゃんとはお近づきに一杯咲かせたいもんだけど……」
これは一つの分岐点。
一先ず仲間たちの居る場所まで逃走するか、それともこの場で最強の魔法使い相手に戦闘を開始するかの二択。
「……人様を殺そうとしたんだ。何されても――文句ねえよなあ?」
ザックは女子供に背中を見せて逃げ出す軟弱者ではなかった。
「お好きになさって構いませんわ」
ただし、と前置きしてから次の台詞を口にする。
「アナタの命があればですけれど」
切られた火蓋が開始の合図となった。
先手は魔法の詠唱を真っ先に終えた側。
「俺のターンだ」
無人と化した王国の一区画で超重量の岩石同士が衝突し合う轟音を皮切りに、空間と空間が鬩ぎ削り合う度に世界が引き裂かれる音速の悲鳴が時空間を砕く破竹の勢いで轟き渡る。危険を顧みないベテラン冒険者と伝説的な堕落種族の戦闘は凌ぐ都度に衝撃で周辺が歪曲する。
ダークエルフが流星の身のこなしで短刀を振るい、ザックは怯まず鎬合う。
白刃と舞うダークエルフが武器の玄人であれば、ザックは相手が武器を持っていることを前提とした無手のプロフェッショナル。白銀の五指の描く技撃軌道線は達人が錬磨した業物の鋭さに負けず劣らず。体は肩と繋がり肩は肘と繋がり肘は拳と繋がり全身が触れた対象にダメージを与える。
欲望と危険で練磨された生命力を滾らせた熱視線が数千年を生きる極上の雌体を爪先から頭頂部まで隅々舐め回すように這い回る。しかし、込められた熱量の割合には雄が雌へ向ける欲情はこれっぽっちも含まれておらず、それどころか爬虫類染みた冷徹さが双眸に光る。
ルーティの詠唱はまだ終わらない。
歌う。詠う。謳われる。
「【燃える暁に想わしめよ。我等なにをなすべきか。この蒼き星影の滅びて全てを見遥かしうる時に、茶と金に染まる秋の葉を思わせるのか】」
瑞々しい唇から唱えられる詠唱はザックの端的で発動される魔法の属性を容易に想起させられる文面と異なり、まるで戯曲の一場面を歌い上げるような美しい音楽。
詠唱混成。
魔導の深遠に指を掛けた魔法使いや賢者が好んで用いる高等魔法技巧。一つの文脈内に複数の詠唱を組み合わせる。詠唱終了と同時にそれらの魔法が術者の設定に従い順次発動する仕組み。魔法の発動スパンを短縮する目的で考案された技法だがその難易度は通常詠唱の十数倍。しかもそれを命のやり取りが横行する戦場で実行するとなれば難易度は更に跳ね上がる。よって、唱える謳われる詩歌がどれほど流麗かつ美麗であるかによって術者の技量は自ずと把握させられる。その視点で見ればこのルーティというダークエルフは数百年を生きる賢者すら凌駕していた。同時に見えてくる事実。それは、
「なめんなよ、べっぴんネーちゃん――ッ!!」
圧倒的強者による弱者の嘲笑。
これだけの技量を誇るのであればわざわざこんな長ったらしい混成を用いる必要はない。それこそ通常の魔法詠唱ですらベテラン冒険者であるザックに対して圧勝可能な実力を端々から匂わせている。だが、笑みを絶やさないダークエルフはそれをしない。出来ない、ではなくしてこない。
なめられているのだ。
何時でも殺せる。今も繰り返す近接戦闘ですら汗一つかかない。でもそれじゃつまらない。だから、少しでも長く楽しめる方法を選ぼう。そういう魂胆がザックを見つめる美麗に吊り上った口角に滲み出ている。
(その綺麗なお顔を歪めてやる)
ザックは明確な勝機を見据えていた。
魔法の行使者が必ず留意している弱点。それは魔法発動直後は確実に無防備な懐を晒すという欠点である。大魔法使いだろうと賢者だろうとエルフですらこの原則からは逃れられないと決まっている。長い長いダークエルフの物語の終わり。その瞬間こそが。
「【無垢の銀塊で壁面が覆い尽くされた煌めく洞窟を彷徨う】」
城下町に降誕した七つの星々からなる光の断罪十字架。
大地へ突き刺さりながら爆発的に七色の衝撃波を膨張させた。
ザックは生命活動を許さぬ極限領域の渦中へ放り出された。
「うッ!? ――――お゛お゛お゛お゛お゛お゛ッツツツ!!?」
叫ぶ傍から喉が焼けていく。
吸い込む熱気に肺が爛れ落ちる。
全身を貫く激痛。苦痛の現実からザックは逃げない。真っ白な光の闇黒を傷に塗れながら前進する。
真空の刃が光の帳を貫通した。
「ぶがッ――」
混成魔法の技判定に削られて威力は激減していたが、猪突猛進を止めるには十分。
受けたダメージを信じられない気持ちでザックは認識する。
攻撃? 魔法? 正面から?
可笑しい詠唱は聞こえなかった。
「期待を裏切ってごめんなさい」
詠唱ではない言葉で掛けられる謝罪。
魔法発動の必須事項とは別の言葉を紡ぎながら、光の渦の外側に立つ黒い影周辺で無詠唱魔法が五方星を背景に展開される。
「実はワタシ、混成しなければ詠唱必要無いんですの」
「うっそお」
光の闇の底で五大属性の絨毯連撃が人間一人に豪華にも振舞われる。
光が途絶えた跡。残された豚ならぬ人の丸焼き。
「……ッぁ……」
途中から自身の回復を優先させたザックの英断の結果。
皮膚が炭化せずに煤で黒ずんでいるだけでも奇跡的な軽症。
「あら――見込み違いかしら。困ったわ」
不満と失望を吐露しながら黒の暗殺者はまなじりを下げる。
「もっとこう、猛々しい男の本流を期待していたのに残念。これじゃあ前回の殿方がまだ愉しませて」
パシっ! と深い小麦色の左手が不意の投擲物を受け止める。
「プレゼントありがとう」
避けるまでもないと回避より防御を選んだ怠慢。
それこそがザックの求めし不覚。
「受け取ったな」
ザックの声色が一オクターブ高まる。
「【装備】したな」
本命が相手に届いたと確信した声。
瞬間、ダークエルフの動きが硬直した。まるで、時間が止まってしまったかのように。
「アイテムにはこういう使い方もあるッ――!!」
九十九個までアイテムを収納可能な道具袋から取り出されたのは【ホープダイヤ】。
それをダークエルフへ投擲――投げ渡した。渡された装備アイテムを受け止めた――装備したダークエルフはそこに込められている呪いの威力を一身に受け入れる結果と。
「そうこなくっちゃ!」
呪いで停止していなければならない褐色肌の美貌が歓喜に沸いていた。
「はッあ!?」
さすがに完全無効化している様子ではなく大部分の身動きを阻害されている風だが、限界ギリギリまで回復魔法行使してそれでも重症の自分自身とどっこいどっこいである。可笑しいぞなんで動ける。いやそれよりヤバいこの間合いは。
「あ~~~もっとワタシを愉しませて! 安心して! アナタはワタシが優しく大切に殺してあげるから!」
「そんな猟奇的な恋愛はお断りだ!」
能力を大幅に弱体化させながら、先ほどまでより鈍重な素早さで、それでも常人の二倍はある速度で互いに利する形で距離を詰めようとする。
この時のザックは、ダークエルフの女も同じだが、本人もあとから思い返すと迂闊にもほどがあった。戦闘中でありながら危機感による焦燥感によって周囲への警戒を疎かにしてしまった。ザックとダークエルフのどちらもこの瞬間は互いの姿しか瞳に映っていない。故に、両者にとって予期せぬ乱入物の出現を許してしまう。
二人の間でそれはムクリと身を起こした。
「な」
「え」
激突しかけた両者を、それは黄ばんだ白亜色の両手を左右に突き出して反射的に掴み止めた。
それは、ザックが背負い運んでいた物言えぬ古代の遺物。
骸骨を想起させる装甲と稼動フレームが身に纏った気配は殺意の波動そのものだ。そう思い込んでしまうくらいに、ザックの目の前で突如として駆動開始した戦闘兵器は遥かに荒唐無稽で陰惨不穏な負のオーラを発散していた。
「ウソ、魔法が出せない」
驚愕に満ちたダークエルフは硬い岩盤のような感覚から必死に逃れようと足掻くが、十八番を奪われたダークエルフは翼をもがれた鳥が墜落するように、魔法強化抜きで彼女の筋力は同年代の人間女子と然程変わらない。触れたら折れる小枝。蕾萎み枯れ果てた老女の脆弱さ。殺意の波動に任せて駆動する双腕万力が軽く掴む力で骨の髄まで粉骨砕身へ突き進む。
「あ――あ――うッ」
苦痛に身悶えする美女の苦悶を背景に、起動したばかりの電子頭脳が明確な敵意の矛先を決定する。
「ちょっと待てなんで俺様見て」
グリンっと三眼レフの単眼が回転しながら照準が無関係なザックへ定まる。
ここで運という要素が絡んでくる。
人の持つ運勢とは満天の夜空で輝く星々が宵闇に光明を示すようにふと活路を握らせる。それはそれだけの幸運を兼ね備えた本人には気づかせないように、場合によって不幸や余計な重責を負わされたようにも見える形で齎し、発揮させ、条理を覆す。ザックの手首を掴んでいた破砕の五指が離される。そしてすぐさま頚動脈を握り潰した。頚椎に迫る危機。
ウソだ。待ってくれ。なんでだどうしてこんな急に。
こんなところで俺は死ぬのか。
こんな場所で俺の夢が人生が途絶えるのか。
嫌だ! この世に泣きながら生まれてきたんだ! 死ぬ時は満足に大笑いしながら逝きたい!
あれほど嫌いだった父親の後姿がザックの脳裏を過ぎった。
「や゛め゛ろ゛」
喉を絞められたダチョウを更に煎じ詰めたような濁った嘆願に答える道理がなかった。
「や゛め゛よ゛お゛お゛お゛」
口から泡を吐き散らしながら垂れ流れる糞尿が吊り上げられた人体の直下を濡らす。
「あ゛――…………」
力を失った眼球が裏返り、両腕が事切れた人形のようにブラリブラリと宙を彷徨う。重々しい肉塊を落とす鈍い衝撃が石畳へ染み渡った。
◆
意識が朦朧とする。
寝起きで霞のかかった思考が捉えたのは、異様な全身のけだるさだった。
いや、これはけだるいというより、なんか重いような。
ノロノロと上体を起こしながら眠気覚ましに頭を掻こうとした。両手に変な感覚を掴んで、とりあえず片方へ視線を上げた。
昔、自分を虐げた同級生の中心人物に目鼻立ちが近似していた。
長年堆積していた負の感情が針で突く様に破裂した。
人違いと理解する前の愚考が巡らせる怒り、憎しみ、憎悪。重い扉を開くように、己の内なる言葉が発せられる。
――死ね。死んでしまえ。俺を害する者は全て。
汚いモノが泡を吹き始めたところで意識が加速的に浮上を開始した。復活した理性と倫理観が慌てて手元の力を緩めるように頑なな腕筋へ命令した。
勘違いの憎しみ捨てた先には、これまでと、足立 進の知るどの頂とも異なる景色が広がっていた。
ここがどこかはわからない。
自分がどんな状況にあるかも不明だ。
一つだけハッキリしたことはある。
この生身と言えぬ身体を撫でる風。
それは進の知る日常よりも輝きを孕んでいた。




