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―怪奇行―  作者: カンナビス
17/19

Hush a Bye Baby

 重人と春が並んで武道館を出た。続いて柳と関谷が。それに遅れて檜高も。

 重人は出て直ぐに違和感を感じ、足を止める。

 それを見て春も、後続する柳、関谷も同じように動きを止めた。

 檜高は前に佇む木偶たちを、不思議そうに見つつ歩を進める。

「お前ら動くな」 

 重人が声を上げた。

 ――なんだ、この感じ。

 内心でその奇妙な感覚を思見る。

 色で例えるなら黒。質感で例えるならどろどろ――へばりつくタールだ。

 彼は原因を探ろうとした。しかし防衛本能が邪魔をする。知らないほうがいいと彼の中で警報が鳴った。悪寒と不快感が強まった。

 重人は気付いてしまう。

 見られていると。睨められているのだと。

 彼は顔を左――この感覚の原因に向ける。すると十数メートル先、簡易玄関『裏口』に人が立っていた。

 細面で整った顔。細身で口元はぬらりと赤くテカっている。

 そのせいか重人は一瞬それを女性だと錯覚した。

 しかし直ぐに誰なのか気付き、同時に

「ちって――ッ!!」

 叫んだのは柳だった。

 皆、言葉を待たず、その場から飛び退こうと力んだ。

 それに遅れて『裏口』に立っている細面が跳んだ――十数メートルを一足飛びにして着地。刹那、それは右腕を振り下ろす。

 その場の誰もがネコ科の引っ掻きを連想し、それは最後に武道館を出た檜高の左腕を、肘上で両断する。傷口から蛇口をひねったみたいに、どぼりと血が流れた。

 そして糸の切れた人形の如く彼女は倒れる。

 飛び退きながら春は叫んだ。

 関谷は目を強く閉じた。

 柳は次の手を思考する。

「のなかぁっ!!!」 

 重人は叫びながら着地、体勢を整える事なく野中に向かって二歩出ると、転びそうになりながら右拳を叩きつける。

 しかし、

「ちい――」 

 彼は拳を引いて一歩退くと顔を顰めた。

 ――こいつ……

 その視線が一瞬拳へ向く。拳骨の皮が捲れ上がっている。

「こそばいな」 

 野中は殴られた頬を掻きながら呆れたようにぼやいた。

 全く効いた様子がない。まさに蚊に刺された程度なのだろう。

「檜高さんっ!」

 春は涙を溜めて檜高に駆け寄ると、必死で傷口を押さえた。

 ――お願い お願い 止まってよっ!!

 圧迫しても流れ出る血の勢いはとどまる事を知らない。

「おいおい鈴置、そのまま逝かせてやれよ。その状態で目を覚ましたら悲惨だぞ?」 

 野中が放つ冷酷な慈悲を受け、春はキッと細面を睨みつけた。

 これに対し細面が暴虐な笑みで応える。

「ゲス野郎が」 

 春と野中の遣り取りを見て、重人は奥歯をすり合わせた。

 拳に残る感触がまだ新しい。

 ――硬てえ。しかも重てえ。鉄でできてんのか、コイツ。

 思いながらグーとパーを数度繰り返す。

 見た目は普通の人間なのに、肉は分厚いタイヤ、骨は鋼の様だった。

「野中先生」

 興奮気味の重人や春、狼狽気味の関谷とは違い、柳は平静だった。

 いや、平静を装っているのだ。

 しかし、その声からは焦り、恐怖、怒りといった感情を微塵も悟らせない。

「流石、柳。こんな時でも冷静だなぁ。最近は、どうやったらその顔を歪ませられるかをテーマに、食事をする事もあるんだよ」

「食事? あなたの能力が関係あるの?」

 柳は出来るだけ声の抑揚を抑えて訊いた。その手は汗でびっしょりだった。

 もし檜高に行った高速移動をされれば念打でも捉えられない。つまり逃げる事が出来ないのだ。野中から数メートル圏にいる自分達は、既に彼の殺傷圏内。美麗な少女は密かに奥歯をすり合わせた。

「能力の詳細は聞いていないのか? それに」

「それ?」 

 春が聞き返すと野中は檜高を一瞥し、

「俺にとって人間は、等しく餌でしかない」 と虚ろげな目で宙を眺めた。

「餌って言ったな。どういう意味だ? どうしてそれほどの力を――」

 関谷は周章狼狽していた。これが同じ人間か、と。

「そのままの意味さ。関谷直志くん」

 鮫の様な目を向けられた関谷は一瞬呼吸が止まる。

 ――これが人間の目かよ……。

 思いながら目を伏せた。

「そのままっていうのは?」 

 発作でも起こしそうな関谷の代わりに柳が訊いた。

「人が俺の栄養源なのさ」

「どういう意味」 

 春は改めて野中を睨む。

「人を食べるのね」 柳は口元を押さえて言った。

 野中以外はその様子を想像した。そして言葉を失う。

 野中は憐れむ様に「おいおい、そんな顔するな」 と言うと言葉を続けた。

「この力のイイところはな、食べた人間を百パーセント栄養に還元できる所だ。そして栄養の吸収限界が食べる度に上がっていく」

 つまり食べる度に強く、強靭になっていくという事だ。

 これまで何人食べたのだろう。

 思いながら重人は目を細める。

 そして自分の拳を一瞥した。

 何人食べれば、ああなってしまうんだ。

「能力の次元が違う」 

 関谷が呟いた。畏怖の篭った声だった。

「ちっ――関谷、どっちの味方だよ!」 

 重人は野中を見据えたまま声を上げる。

「いえ、関谷くんの言う通りだわ」

「柳さんまで!?」 春も声を荒らげた。

「鈴置さん。私、考えていたわ。何故、超能力が私達に備わったのか。もしこれを『進化』と仮定するなら、攻撃性や殺人本能がそれを促進させる源になる事は間違いない」

「キラーエイプ仮説――」

 関谷が繋げる様に言った。

「ええ、野中浩彦の能力は、まさに進化する為の本能を具象化したかのようだわ」

「なるほど。面白い事を言うな」

 野中はクスリと笑う。

「僕も思っていたよ。もしかしたら、この超能力はただデタラメに備わるわけじゃないんじゃないかって。それぞれが持つ強い性質。それは自信だったり、コンプレックスだったり、野中先生のみたく、本能の様なものだったり。それらに左右されて発現するのかもしれない、って」

 関谷は言いながら耽った。

 自分は効率よく一番をとれればと思っていた。安易で浅はかな考えだ。

 そして発現した能力は、そんな自分の上っ面を具現している。

 関谷は視線を、柳、春の順に移す。

「まあ、何でもいいじゃないか。この辺で“授業”は終わりにしよう。今、凄く腹が減ってるんだ」

 言いながら、野中の双眸は光を増した。

 それを受けて皆の緊張が一気に高まる。

 野中は品定めでもするみたいに視線を流す―――春、檜高、重人、柳、関谷。近い順に眼光が睨めた。まるでお菓子を前にした子供の様だ。

「春離れろ!」

 重人が前に踏み出しながら言った。

 ぐいっと袖を捲る。その腕には痛々しい傷が見て取れる。

「お前からか山田」

 舌なめずりしながら野中も前に出る。

 互の額がくっつくか、くっつかないか、という所で二人は足を止めた。

 重人は頭を横に倒し渾身のメンチをきる。

 突如、

「退いて!」 叫んだのは柳だった。

 距離的に有効打にはならない。

 それでも、何もせずに殺されるわけには、食われるわけにはいかない。

 彼女は顎を引き、意思の篭った黒瞳を射るように野中へ向けた。

 全身全霊の念打が一発二発と野中の頭部を捉える。

 彼の頭がずれたのを見て、重人は思い切り体当した。

「邪魔!」 

 柳の喝が入る。

 重人は声の方を一瞥して飛び退く。

 彼女は距離を詰めながら念打を連射した。

 急所もくそもなかった。

 当たればどこでもいい。

 精度よりも威力を優先した。

 一二三四、五六――七八九――十! 念打の弾幕は見えない壁となり、野中を校内の壁とサンドウィッチに押し潰した。

 しかも最後の一撃は正真正銘、触れるか触れないかの距離から放つ渾身打であった。

 壁の塗装が剥がれ石膏が舞っている。

 野中はその中で、壁に背を預ける様にして座り込んでいた。

「はあ、はあ、はあ――」 

「やったな! 流石だぜ」 息を荒げる柳に重人が賞賛を送る。

「だめ……」 柳の気が萎んだ。

 野中は何事もなかったみたいに立ち上がり、太股と胸を擦る様にはたく。

「これで終わりかな? それじゃあ――」

「しゃがめ!」

 関谷の声が柳に当てられた。

 柳はハッとして膝を曲げる。

 遅れて靡いた髪に野中の爪が引っかかり、千切られた髪が宙に舞った。

 彼女は目だけを前方へ動かし、屈んだまま後ろへ跳ぶ。

 それから体勢を戻し、野中の動きに注意しつつ「ありがとう、関谷くん」 と礼を言った。

「偶然さ」

 間一髪、と関谷は内心呟いた。

「関谷の能力か?」 野中は手に絡みついた髪の毛を不思議そうに見ていた。

 そして徐にそれを口へ運ぶ。

 ねちゃねちゃと、舌と唾液を絡ませる音がその場を戦慄かせた。

 本当に食うのか、と皆が思った。

 曖昧だった『人を食う』という様が脳内で映像化される。

 誰もが根源的な恐怖を感じずにはいられない。

「うんうん、流石柳だ。いいリンスを使ってるな。艶やかでいい髪をしている」

 本来なら褒め言葉であるはずが、野中が言えば最高の脅し文句に違いない。

 柳はじりじりと後退して関谷の傍で足を止めた。

 関谷は柳の後ろから何かを呟くと春に目配せした。

 ――頼む、分かってくれよ鈴置君。

「山田! お前はさがってろよ!」

「なにっ!?」

 不服そうに重人が返す。

「ごめんね山田君。これは最後の賭けなの」

「重人――」

 柳も、春までも、関谷の言う通りするよう促す。

「ちっ」

 重人は自身の無力を噛み締めながら退いた。

 野中は楽しそうにその様を見ていた。

「授業でもそのくらい協調性を見せてくれたらなあ」

 ぼやき、鼻で笑う野中。

 それに対して春が「成長したでしょ」 と睨んだ。

「ふ、いいだろう! こい!」

 野中は両腕両脚を大きく開き『大』の字に構えた。

 それを合図に柳が駆け出し、屈んだ。

 瞬間、頭頂部スレスレを野中の左手が薙いだ。

 柳は、確信に満ちた表情で右に跳ぶ。

 すると彼女の左側を野中の右打ち下ろしが吹き抜けた。

「ちぃ」 野中はもらしながら柳へ体を向ける。

 彼女は振り向く彼に念打を二発叩き込むと、真っ直ぐ跳んだ。

 念打を苦にせず向いた野中は

 馬鹿か、と内心で柳を弥次った。

 そして五指を伸ばし剣と化した手で宙の柳を貫いた、かに思えた。

「柳!!!」

 重人が叫ぶ。

 柳は剣の遥か上方にいた。

 天井に両足を向け舞っていたのだ。

 そして完全に野中の真上――死角を陣取った。

 ――ここ!

「だああッ!!!」 柳らしからぬ叫び。

 いや、これが本来の彼女なのかもしれない。

 剥いた目の先には延髄。

 そこへ渾身の念打を叩き込む。

 彼女の意思が首を支点に脳を揺らした。

 しかし着地までは考えてなかったのだろう。

 膝から地面に激突して彼女は蹲った。

 野中は茫然自失に立ち竦む。視界が揺れる。膝が笑う。

 事態を把握する為に彼は辺を睨めた。

 憤怒を宿した双眸が床へ向く。

 それが横へ移動し何かを認めた。

 そこには隻腕の少女が頭だけ持ち上げている。

 声こそ出てないが、その口は確かに『クタバレ』と動いていた。

「ひぃだかぁッ!!!」

 野中が牙を剥いた。

 文字通り、黄土色の犬歯を覗かせたのだ。

 しかし、春は既に構えを終え繰り出していた。

 その手に握られた銀光が、無垢な怒りを乗せて、人体の最も弱い箇所――野中の眼球を貫いた。

 途端、悲痛の叫びが雷鳴の如く大気を震わせた。

 恐らく超能力を発現してから初めて感じた痛みなのかもしれない。

 倒れこみ、床や壁を壊しながらのた打ち回る。

「食わせろ! 大人しく食べられろ!」

 野中は左目を押さえながら叫び立ち上がった。

 距離感がないのか二、三度宙を殴り、押し出すように春を突き飛ばした。

 春は壁に叩きつけられ突っ伏した。

 その手からカランと握っていたバタフライナイフが転がる。

「こんなもので――」

 野中は悔しそうに呟いた。

「こんなものが刺さるはず――」

 歯を擦り合わせながらナイフを睨む。

「得体の知れない力だ」

 野中の双眸が鈍く光り春へ向いた。

「決めた。最初はお前だ鈴置」

 野中の口が不気味な音を立てて耳まで裂けた。

 びっしり並んだ歯は、全て人間の犬歯の様に丸み残し尖っている。

 彼はその口を目一杯ひらく。

 そして人間が丸々入りそうな大口で、春の右肩に噛み付いた。

 骨の砕ける音が第三者にまで聞こえ、春は「ぁぁ……」 と弱々しく声を漏らした。

 柳も関谷も檜高も、最早、行われる行為を止める余力など残ってなかった。

 関谷は気絶し、檜高は生きているのかすら怪しい。

「やめ――て、」 

 柳が辛うじて声を出した。その目からは涙が溢れている。

 痛い。

 苦しい。

 助けて。

 絶望。

 死。

 春から感情が伝わってきた。

 超能力ではない。そんなもの介さずとも伝わるほど強いモノだ。

 それはまるで波の様に絶え間無く、そして次第に弱くなっていく。

 痛い。

 苦しい。

 助けて。

 絶望。

 死。

 痛い。

 苦しい。

 助けて。

 絶望。

 死。

 痛い。

 苦しい。

 助け。

「ぁ……」 柳は口元を押さえた。

 もう見ていられない。諦めてしまえば終わる。目の前の悪逆も。この胸の傷みも。そう思い柳は目を閉じようとした。

 途端、何かが野中を弾き飛ばした。

 鉄色の金属質な光沢をもった、それは宙を畝っていた。

 驚くべきはそれが重人の背――右の腎臓あたりから服を突き破り生えているのだ。

 野中がのっそりと起き上がる。

 そして仰ぎ、尋ねるように「触手――?」 目を細めた。

 この世のものとは思えぬ異様さ。

 一本の野太い円錐が宙をうねっているのだ。

 それは再度ムチのように放たれた。鉄光が野中の脇腹を捉えると、そこを支点に曲がった体が数メートル近く飛んだ。そして床に激突すると共に、さらに数十センチ床を削った。

 野中は起き上がり嬉しそうに笑う。

「まさか、こんな能力もあるのか」

 彼の口から出た言葉は感嘆に近いものがあった。

「のなぁかっ!!」

 重人は突っ込む様に駆けると、同時に触手の先端を後方へ引き、勢いをつけて放つ。

 野中はこれを上体を反らし回避、更に体を戻す勢いで跳ね、大口を開く。

 噛み付きが頭に触れるという所で、重人は触手を横合いから口へ滑り込ませた。

 こんなもの噛み砕いてやろう。男はそう思ったに違いない。しかし、その牙が触手へ食い込む事はなかった。それどころか傷一つつく気配がない。

 野中は触手を吐き捨て距離をとった。

「硬いな」

 呟き、目を細める。

 その双眸には畏怖の念が篭っている。

 そして、それとは裏腹に口元は緩んでいた。

「何、笑ってやがる」

 言いながら重人は、背後の床に触手を突き刺し、途端、触手が屈伸。

 あっ、という間に宙を駆け、床を削り野中の眼前を陣取る。

 刹那、鉄光の落書き――触手が奔った。

 膝。

 顎。

 頭頂。

 肝臓。

 側頭。

 鳩尾。

 打撃音は一つ。

 凡ゆる方向から猛打を受けた野中は、後方へ飛ばされ、自身の体で壁にクレーターを作る羽目となった。

 全身を伝う痛みから、男は宙を仰ぎ嗚咽を漏らす。それから怒りで顔を歪めると、飛び上がり重人を遥かに越えて着地した。

 そして視線を落とし今日一番の厭らしい笑みを作った。

 その双眸の先――直ぐ傍には春が倒れている。

 野中は彼女の胸元を掴み上げ、左手を首に這わせた。

「どうするやまだぁ? 鈴置大事だよな?」

 言いながら手に力を入れる。

「てめえ――」

「それを消せ。いや、仕舞え、なのか?」

 重人は宙を畝っている触手に目を向け「わかったよ」 と一言。『消えろ』と念じる。

 消し方なんてわからなかったが、何故かそうすれば消える様な気がした。

 思った通り、触手は重人の体に沈む様にして消えた。

 それを確認した野中は、約束通り春を……放った。

「てめっ――」 言いながら彼女を抱きとめた。

 口に手を当てると本当に弱くだが呼吸している。

 重人は、一息吐いた。

 ――はる……。

 ホッとするのも束の間、重人は背に粘りつく様な殺気を感じて振り返った。

 野中が背後に回り込んでいたのだ。

 その人食いは齧り付こうと目一杯口を開いている。二人いっぺんに噛み殺そうとでも言わんばかりに。

 重人は瞬間思考した。

 春を突き飛ばして対応するか。

 ――嫌だ放したくねえ!

 彼女を強く抱きしめる。

 その顔が精悍さを増した。

 同時に背から触手が生えた。

 それを野中へ放ち、巻きつける。

 脚、腰、両腕と胴を一体に。

 さらに首を押さえ込み、野中は一本の棒と化した。

 重人は歯を食いしばる。

 どういう原理で触手を動かしているのか不明だが、その体には異常な程の力みが見て取れる。

 対する野中も全身を力ませていた。

 少しづつ両腕と胴に隙間が形成されていく。

「ギギギ」 野中の口から獣の嗚咽が漏れる。

「クソがぁ……」 

 ――力がはいらねえ。

 重人はもう限界にきていた。

「なぜ――絞めを選んだ山田ァ!!!」

 ぐん、と隙間が大きくなる。

 重人は両目を強く瞑った。

 ――わりぃ……みんな。はる、ごめんな。

「なあ、山田!」

 重人は目を開く。野中の顔を見た。顎まで裂けた口が見えた。

 笑っているみたいだ。

 鮫の双眸が目に入った。

 そこには死んだみたいに眠る少女が映っている。

 ――はる……

 瞬間、重人の内に純粋無垢な感情が湧いた。

 犬を殺した時にも感じたものだった。

 ――気付かないふりしてたんだ……これは、おれは。

 重人は全身を駆け巡る感情に身をゆだねる。明らかに気質が変わった。

「殺してやるよノナカぁ」

 途端、呼応する様に重人の背――左右の小円筋から一本づつ、より長く太い『触腕』が生えた。

 それが触手の上から巻き付く。

 指先と足先以外の露出を許さず。

 野中はぬらりと光る鉄色の塊と化した。

 重人は本能的に悟っていた。

 これが最も殺意を伝えるのに適していると。

 絞まる。

 絞まる。

 絞まる。

 絞まっていく。

 塊がぐんと小さくなった。

 途端、金属を引きちぎるような音が重なり鳴った。

 同時に重人は口元を緩ませる。

 それは猛悪な笑みであった。

 触腕が解かれる。それから触手も。

 そこには一メートル以上も背が伸びた赤白い塊があった。

 それはびちゃりと地面に落ちた。

 殺意の矛先を失った二本の触腕は、それぞれ壁を打ち、触手は床を叩く。

 何度か辺りを打って三本とも床に落ち着いた。

 春を抱えたまま重人は膝をついた。

 ――意識が遠……ダメだ……

 そして、気を失った。

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