合流
「遠吠え!? えらく迫力のある……おいおい、佐藤って奴は狼まで操れるとかじゃないよな……」
関谷は狼狽気味に言った。
彼が今いるのは真っ暗な、本当に暗い、月明かりすらない闇だけの場である。
「ったく――くそ、なんで僕が」
イライラした口調で腕を前に出しながら、何かを探すように手を横に動かす。
「ど、こ、だ――おっ!」
どうやら目当てのものが見つかった様だ。
右手を腹の高さにある窪み引っ掛けると、その手を横に動かした。
ギィ、という重厚な金属音と共に、薄暗さが扇状に差し込んだ。
「まったく――」
関谷の背後にはモップやらバケツやら、掃除に使う用具が大量に並べてある。その後ろには白く太いパイプが一本と、光沢のない灰色の細いパイプが数本並んでいる。
「まさか用具倉庫にここまで感謝する事になるとはな」
出ながら銀縁メガネを直す。
左右に目配せして自身の能力を発動した。
関谷の見る景色に無数の光の線が重なり、同じ景色を形成する。光は常に色を変えながら眩しくない程度に彼の瞳を照らした。
「大丈夫そうだな」
言うと、光は視界の端へ四散するようにして消えた。
踏み出しながら犬がいない事を確認する。
「頭痛がしてきたな。能力の使用は控えねば」
今、犬に襲われればひとたまりもない。
重人の様な運動能力もなければ、柳の様に攻撃的な能力でもない。
関谷はしかめっ面をしながら廊下を歩く。
その胸の奥には微かな嫉妬心が湧いている。
超能力を使えるのは自分だけだ。
能力が発現した時、そう思って歓喜した。
ついに自分にも、他者を上回る確かなものを得た。
もう勉学だけに没頭し、凡才を磨く日々はおさらばだ。
しかし蓋を開けてみれば、他にも超能力者がいる。
しかも今、その超能力者に煮え湯を飲まされている。
未来を見れると言えば夢の様だが実際はどうだ。
数回の使用で頭痛をきたし、更に無理をしたなら脳が沸騰するかの様な感覚ののち気絶してしまう。
「一番にはなれない運命ってか」
関谷は忌々しそうに呟く。その眼前には階段がある。
彼は春の方へ行くか、二階へ上がって他の者をサポートするか迷った。
柳が上に向かったのを思いだす。
「やはり鈴置君の方へ……」
まてよ、と関谷は顎に手を当てた。
「山田の奴は真央美君と上へ行ったのか?」
記憶を辿った。
――そう、あの時たしか。
ぐっと閉じられた目を開くと彼は階段を上り始めた。
「確か、山田の方が、犬多かったよな」 用心に用心を重ねてゆっくり、足音を立てない様に歩く。
階段の踊り場が近づくにつれて緊張が高まった。
――あの角から、いきなりこないよな。
関谷は右手の壁に寄る。腰を下ろし上半身だけ前に倒す。
そのままの体勢で一段、一段、ゆっくり上がった。
まるで露天風呂の覗きスポットに近づく変質者の様だ。
「よし」
そう言った時、踊り場まであと一段という所まで来ていた。
関谷は途端に恥ずかしくなった。
――立って上がっても、見え方はそう変わらなかったな。多分。
そのままぐるっと左折する。
驚愕した。
「山田っ!?」 犬がいるかもしれない。そんな考えは吹っ飛んだ。
腕を真っ赤に染めた重人が、壁に背を預け座り込んでいた。
駆け寄り両肩を掴むと前後に動かす。
数度動かしたが目は閉じられたまま返事がない。
関谷はハッとした様に呼吸の有無と脈を確認した。
「よかった、生きてる――ちっ」
照れくさくなって悪ぶって見せた。
それから血まみれの腕を恐る恐る見る。
右袖はカッターシャツの吸収限界を超えてしまったのか、血が滴っていた。
そっと袖をめくる。深い裂傷があった。
犬に噛まれた傷だと直ぐに分かった。
「貫通してないよな……」
腕を少し持ち上げて前腕の内側と外側を見る。
骨まで達してそうな傷に思わず息を呑んだ。
まだぬらぬらと赤いテカリがあるものの、傷口とその周辺は乾いてきている。
「血は止まってるな」
関谷は大きく息をついた。
重人と向かい合う様に腰を下ろす。
「ったく……むちゃしやがって」
――しかし、これからどうする。いや、何考えてんだ俺は……どう考えても救急車だろう。
関谷は学ランの内ポケットから携帯を取り出す。
「えー、普段使わないからな……いち、いち」
――九。
ボタンに指が触れた途端、薄暗さが濃くなった。
関谷は前倒しにしていた頭を持ち上げる。
「うおっ!?」 思わず声を上げた。
「なー……にが、うおだよ……」
重人が立ち上がっていた。その顔はどこか寝ぼけ眼だ。
ボーっとした表情とは裏腹に、額、頬、鼻の下、に汗をかいている。
痛みと疲労で立ち上がるのも辛いのだろう。
「びっくりさせるなよ!」
関谷は狼狽気味に言うと改めて携帯のボタンを押そうとした。
しかし重人は「やめろ」 と一言。
「何言ってんだ! 重症だぞ!」
関谷は身振り手振りで病院へ行こうと促す。
「出血し過ぎだ! 傷も深い! 化膿したらどうする! 破傷風というものがあってだな!」
そう真摯に訴えた。
「バーカ、もう治ったって!」
重人は右腕で力こぶを作って見せた。
歯を食いしばったその顔は、笑っている様にも怒っている様にも悲しんでいる様にも見える。
「無理するな」
――こいつはつくづく馬鹿だ。大馬鹿だ。何を意地になっているんだ。
関谷は大きく溜息をつくと頭を振った。
「心配しすぎだって」
「へばっても置いてくからな」
「ああ、OK、OK」 重人は右手の人差し指と親指で丸を作った。
「まったく……そう言えば、ゆっくり雑談してたらまずいだろ。お前を追ってた犬はどうした?」
訊かれて重人は一瞬目を伏せる。
「殺したよ」
「やるせないな」
仕方がない。向こうも殺す気だったのだから。正当防衛だ。
関谷はそう心中で言うしか出来ない。かわりに重人の目を見据え一回頷いた。
「関谷、お前まさか、そっちの趣味ないよな!?」
重人は左の五指をピンと伸ばし右頬へ持っていく。
「はあっ!?」 関谷は声を荒げる。
重人はニシシと歯を見せ笑うと階段を上がった。
「おい、上へ行くのか? 鈴置君は武道館だぞ」
「ああ、だからだよ」
「なんで」
関谷が尋ねる。
意図がわからない。柳真央美はかなり攻撃的な能力だ。向かうなら能力に攻撃力のない鈴置春の方だろう。
重人は振り返ると困惑気味の関谷を見る。それから右の眉を上げた。
「今、痛みで頭爽快なわけよ。んで思ったわけ」
「何を?」
「春は武道館に向かったんだろ?」
「ああ」
「あこにゃあ素振り用の木刀があんだよ。木刀持った春が負けるわけねえ」
重人の表情には確信めいたものがある。
俄には信じがたい。
しかし付き合いの長い重人が言うのならそうなのだろう、と関谷は頷いた。
「それじゃ、真央美君と合流するか」
「ああ、それがいい。三対一で確実に相手をたたく」
「だな」
会話をしながら二人は歩き出した。犬がいないか注意深く見回しながら進む。三階まで上がり右折。関谷が右手側を見上げた。札がついており三年A組と書かれている。
二人は一度顔見合してから教室を覗いた。誰もいない。
二人同時に息を吐いた。
「それにしても」
関谷が口を開く。
「何?」
「意外だな」
「意外?」
「ああ、相手を倒すならもっとこう、タイマンでぶっ飛ばしてやる! みたいなテンションなんじゃないのかお前らって」
こんな感じか? とパンチのモーションをしてみせる関谷。
「お前らってのがよくわかんね」
「だから、不良だよ」
重人は「ああ」 と呟く様に言う。
関谷の中で自分はそういう括りか、と。
「別に不良ってわけじゃねえよ」
「そうなのか?」
「本当に不良なら佐藤とか、檜高が眠ったとこを拐うんじゃね?」
「物騒だな」
「だよな」
重人は他人事の様に笑った。
そんな危ない世界の奴らと一緒にするなよ、とでも言っている様だ。
「ここは居ないな」
重人が駆け足でB組まで行き、覗きながら言った。
「おい、犬がいたらどうするんだ」
関谷は中腰のまま重人に寄る。
「東栄平和だったのにな~」
感慨深げに重人は言った。
「どうしたんだ、いきなり」
「いや、別に」 と言いながら重人は駆け足でC組まで移動する。
関谷はそれに続く。
まるでTVゲームのフィールド移動の様だ。
「お!」
「どうした山田!」
関谷は庇う様に重人の前へ乗り出す。
C組の教室内には犬が二匹転がっている。
「真央美君がやったのか?」
「多分な」
二人は用心しながら二匹の犬へ近づく。よく見ると胸が弱く上下している。
「どうやら死んではないみたいだな」
関谷は襲われる心配も忘れて安堵した。
「そうだな」
どこか切なげに重人は言った。自分にも超能力があれば、手心を加える余裕があったのだろうか。彼は、そう自分に問う。
「おい山田、大丈夫か?」
「ああ。てか、柳は大丈夫そうだな」
「うむ」
関谷は気絶している犬を見て唸った。
そして、これまで描いていた柳真央美という人物を胸の奥で更新する。
「神様ってのは不公平だよな」
重人が忌々しげに呟いた。
関谷は驚いた。自分が言おうとしていたセリフだったからだ。
まさかこいつと意見が一致するなんて。
――超能力以上に驚きだ。
だが関谷はこの胸の内を言葉にする事はなかった。
今、自分は彼と同じ位置に立っていると思ったからだ。
俺はもっと上なのだ。そう隣で佇む山田重人に、そして自分自身に思い込ませたかった。
「とにかく真央美君を探そう。一体何処へいったのか……もしかしたら既に鈴置君と合流しているのかも」
「だな」
二人は教室を後にして階段を下った。
一階へ着いた時、関谷が口の前に人差し指を立てた。
「し。山田、気をつけろよ。俺を追っかけて来た犬がまだいるかもしれない」
聞いた重人は嬉しそうに
「お前、倒してないの?」 と意地悪を言った。
「当たり前だろ。俺はお前みたいな体力馬鹿でも、真央美君みたいなエスパーでも無いんだぞ!」
「ほほう。まあ褒め言葉と受け取っておこう」
「褒めてない!」
「つかエスパーって」 重人はクスクスと笑う。
漫画かアニメの様な響きだが、倒された二匹の犬を見た後なら彼女はそう呼ぶに相応しい。
と関谷は畏怖と敬愛から名づけたつもりだった。
しかし重人が思い浮かべたのは、ボストンバッグに入ろうとする小柄なオッサンだった。
「お前、なんで笑ってるんだ?」
関谷は訝しんだ。バラエティ番組を殆ど見ない彼には、重人が何故笑っているの分からなかった。
「いや、何でもない――ッ」 言いながら重人の小さな笑いは続いている。
「兎に角、犬には気をつけろよ!」
関谷は不機嫌そうに言うと、重人を置いていくかの様に大股で歩く。
重人は、はいはいとそれに続いた。
正面に武道館の入口が見えた。
あと数十メートルくらいだろうか。
そのドアからは明かりがもれている。
重人も関谷も足早になった。
二人は半開きのドアを思い切り開け開き
「春っ!!」
重人が叫んだ。
何だかんだで心配だったんだな、と関谷はほくそ笑んだ。




