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―怪奇行―  作者: カンナビス
13/19

童心無道

 重人、柳、関谷の三人は三手に分かれていた。

 理由は今、廊下を全速力で走っている重人の後方――犬のせいだ。

 二階の二年C組を調べ終え、教室から出た時だった。

 重人達が上がってきた西階段と、廊下を挟んで反対に位置する、二階東階段。その突き当りに六匹の犬が居たのだ。

 重人達とは数十メートルの距離で向かい合う形になる。

 犬たちは三人を見ると間髪をいれず走り出した。

 三人は血の気が引く。言葉も交わす事なく全力で走った。

 柳は三階へ、関谷は一階へ。

 そして、今現在追われている重人は二階をぐるぐると走っていた。

 もう一周と半分くらい走っただろうか。

 百メートル十一秒半という瞬足が、こんな所で役に立つとは、と重人は亡き両親へ感謝した。

 しかし佐藤の能力で操られているであろう犬達に、体力の限界は無さそうである。

 それに引き換え重人はスタミナの底がつきそうだった。

「アイツ等マジ――足がなくても追っかけてきそうだなっ……」 きれる息をおしてでも冗談めいた事を言ったのは、絶望を和らげる為に違いない。

 不意に顔を横に向けた。

 走り出しから一周まわりきる直前くらいまでは、車でトンネルを走っているみたいに高速で景色が流れていた。しかし今では教室の席を幾つか数えられる程、速度が落ちている。

 これはいよいよ追いつかれる。

 腕か足か、生きたまま腹とか勘弁してほしい。いっそ首をガブッとやってくれよ、と彼は死に様を想像した。

 それからふと三人の事が頭に浮かんだ。

 ――そういや他の奴らは大丈夫か……。

 重人はその姿を思い浮かべる。

 柳は賢い。能力の性質上、一対一なら負ける事はないだろう。

 関谷はムカツクけど能力で安全に逃げれるルートを確保出来るはずだ。

 気がかりは春だった。

 道場へ向かったという事は素振り用の木刀でも取りにいったのか。それとも他に用があったのか。 

 ――ちくしょ! このまま道場に向かうわけにもいかねえしな。

「まあ、それ以前に体力がもう、もたねえわ……」

 重人は二年D組の教室へ逃げ込んだ。

 直ぐに二箇所のドアと窓を全て鍵まで閉める。

 そして黒板下の壁に背を預け膝を立てて座った。

 ――とりあえず休憩。

 数度深呼吸をして気を落ち着かせる。

 するとガタン、ガタンとドアから何かが強くぶつかる音がした。

 犬か、馬鹿め! と余裕ぶいていると凄い激突音が響いた。

 ドアではなく廊下側の窓だった。見ると薄くヒビが入っている。

「おいおい、マジかよ!?」 

 ベランダ側の窓はガラス製だが、廊下側は安全面からガラスよりも衝撃に強い、強化アクリルで出来ている。

 防弾とまではいかないが人間が思い切り殴っても、そうそう割ることのない強度持つ。

 警察でも似た様な材質の鎮圧用シールドが使われている、と聞いた事があった重人は驚愕するしかなかった。

 またも激突音。

 先ほどと同じ窓に背中から激突する中型犬の姿を重人は確かに認めた。

 ヒビがやや大きくなっている。。

 しかも、その窓には月明かりだけでもはっきりと分かるくらい犬の血液が、引き伸ばしたみたいに付着している。

 これは逸そ通報した方がいいのではないか。

 これまでの日常ではありえない状況に重人はふと思った。

 逸そ警察に言おう。彼らなら銃もある。

 ――だがまてよ。

『いい能力者とは限らない』 

 そういえば誰かが言っていたな、と重人は記憶を遡った。

 そして改めて考えた。

 通報して、なんて説明するんだ。仮に信じて貰えたとして、警察内に超能力者がいないとも限らない。それも飛び切り極悪な奴だったらどうする。結局また狙われて、命の危機に見舞われるんじゃないか。自身で打開しなければ、この先ずっと怯えながら生きなきゃいけないんじゃないか。

 ――そうだ、いつだってそうしてきたよな。

 重人は荒れていた中学時代を思い出した。

 喧嘩の時はいつも心の隅に怖いという感情があったじゃないか。今回もそれらと同じだ。やってみれば意外と何とかなるものだ。

 教室の引き戸へ目を向ける重人。今置かれた状況を整理する。

 犬は三匹いる。まず三対一じゃどうやっても勝ち目はない。とにかく一対一に持ち込まなければ。

 この間もアクリル窓は破られようとしている。迷っているだけ無駄だ。

 重人は腰を上げて深呼吸を一回した。

 そして引き戸の前に立つ。

 恐怖で震える手を必死に押さえて、教卓側の引き戸の鍵をあける。それから心の中でせーの、と自身に発破をかけ、ドアを三分の一程開いた。

 牙を剥き出しにした犬達が我先にと向かってくる。

 一匹が室内へ侵入し、間髪をいれず二匹目が入ってこようとした。ドアを閉め二匹目の体を挟む。

「やべっ!」

 一匹目が重人へ向いた。

 直ぐに二匹目の頭を蹴って追い出し、鍵をかけるとその場から飛び退いた。

 机や椅子を盾にしながら、食いつかんとする一匹目の猛攻を凌ぐ。

 改めて実感するのは怖さ、それからやりづらさ。

 ネコ科程の敏捷性は無いが、それでも人間の運動量を上回るうえ小さい、そして低い。

 渾身のパンチを当ててやりたいと思っても、そうそう当てさせてくれるものではなかった。

 パンチ力だけじゃ上にはいけない。

 重人は何かで聞いた、そんなセリフを今改めて実感している。

 例えば格闘技者の様に、動く者に対して自身も動きながら攻撃を当てるという作業は、気が遠くなる程の反復練習でもって、身体に覚え込ませる必要がある。

 自身が強くなればなる程、相手も比例して強くなり、その都度その相手を想定して練習する。

 こうして研ぎ澄まされるセンスと打撃精度。大味に言うならば『慣れ』はド素人の重人が閃き程度で得るには叶わず。隙を見て犬にパンチをしてみるも低空を掻くのみであった。

 そもそも、これほど低く速く強い相手を想定した闘技など存在しない。

 スマートにやりあっては無理だ、と重人は顔を顰めた。

 相手も死に物狂いで食付きに来ているのだ。

 相手を呑む程の攻め気か策略でもなければ、この状況は打開できない。

 重人は徐に学ランを脱ぐと、左腕に巻きつけた。

 すると「ほら、美味いぞ」と、それを犬から見て丁度いい高さに、肘を曲げた形で差し出す。

 犬は当然の様に噛み付いた。頭を左右に激しく振って食い千切らんとしている。

 巻いた学ランを貫通して牙が腕に食い込む。

 重人は痛みに耐える為、歯を食いしばった。

 このままでは学ランを剥ぎ取られるのも時間の問題。だがしかし犬の動きは確実に制限された。

 ――ここだ! 

 重人は本能的にそう悟った。

 繰り出したのはパンチでもキックでもない。

 犬のいる下方へ向けてのチョップだった。

 重人のそれは手の小指側の腹をぶつけるものではなく、膝をおり腰を落とす事で勢いを増した、前腕であった。

 豪打を首へ受けた犬は、一瞬鳴き声を上げると数秒フラフラと何処へ行くでもなく歩き、倒れた。

「殺した……か……」 呟き、倒れた犬をその場から注意深く見る。

 胸が小さく上下するのを認め安堵した。

 どうやら頭部へ強い衝撃を与えれば、佐藤の能力は解ける様である。

 操られていなければ、こんな風に襲いかかって来たりはしないだろう。

「佐藤の野郎」

 自然と握った拳に力が篭った。ヒビの入った窓に目を向ける。

 夢中で気付かなかったが、未だに二匹の犬は体当たりをしていた。

 ――もういい、やめろよ。佐藤(あんな奴)の言う事なんて聞く事ねえよ。

 重人は胸が締め付けられる思いでそれを見ていた。

 ――どうしても……かよ……。

 窓に付く血が濃くなっていく。

 ――もう、知るか! どうにでもなれ! 

 そう思い教室のドアを開ける。

 胴体のいたるところを赤く染めた二匹の犬が、我先にと入って来た。

「上等ッ!!」

 逸そ楽にしてやろう。

 何故こう思ったのか。

 きっと春なら自分を犠牲にしたんじゃないだろうか。

 そう思考しながら自問自答する。

 ――俺が死ねば終わる? いや相手を殺れば終わる。

 重人はどうしても自分を犠牲にする気にはなれなかった。

 死にたくないからか、と問われれば当然YESと答えるだろうが正確には違う。

 重人は自分の中に何かドス黒いものを感じた。

 それを感じているせいなのか、噛み付かれる恐怖も、犬を痛めつける不快感も、佐藤に対する怒りすら感じない。背中にもぞもぞと何かが蠢く感覚を覚えた。

 重人が放つ回し蹴り……と言うには余に不格好。

 しかしその下方へ回し打つ様な左の蹴りは、一匹を確実に捉えた。

 その犬は数メートル床を転がると床にへたり込んだ。

 この間に、もう一匹の犬は重人の右腕に噛み付いていた。

 しかし脳天をつらぬく様な鋭痛よりも、犬を痛めつける感覚に重人は酔っていた。

 右前腕を持ち上げると、犬はぶら下がる形で急所である腹を顕にした。

 そこへ、下から突き上げる様に拳を叩き込む。

 犬は一発では離れない。いや、前腕の筋肉に牙を絡め取られ離せないのだ。

 重人は右腕を黒板に叩きつける。ぶら下がった犬が黒板に激突し離れた。

 床に落ちた犬は動かなかった。

 息を荒げ、床に倒れている犬達へ何度も目を向ける。

 動悸が激しくなった。

 左右の眼球が上下左右と小刻みに動き焦点が定まらない。

「俺……」

 覚束無い足取りで犬の傍へ寄り、しゃがみ込むと震える手で犬の頭を撫でた。

 一回、二回と、撫でる度に自分がした事を実感する。

 同時に犬を痛めつけている時の感覚を、まるで第三者として見ている気分になった。

 重人は強烈な吐き気に襲われた。

 犬を避ける様に身を翻し、床へ嘔吐物をぶちまける。

「何やってんだクソッ……」

 重人は口元を拭うと、左前腕に巻きつけていた学ランを床に落とし、ふらつきながら教室を出た。

 カッターシャツの右前腕部分は真っ赤に染まっている。

 そして、手から指先に夥しい量の血が滴っていた。

「くそ、血が止まらね」

 とりあえず圧迫すれば止まるかもしれない。

 テレビで見た様な、見てない様な、曖昧な知識だった。それでもやらなよりはマシかと思い痛みを堪えつつ、左手で右前腕を握った。

 息を切らしながら廊下の壁に肩を預ける。

 そして上体を壁に擦る様にして歩き一階へ向かう。

 これほど校内は広かったか。武道館までの道のりは長かったか。歩いても歩いてもつかない。

 重人の足は階段の中腹で止まっていた。座り込み、天井を見上げている。

「春……」

 瞼が重くなってくるのを感じた。

 ――眠い。少しだけ眠ろうか。起きたら、直ぐに行くから。

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