メタ視点への気づき
「お嬢様……お着替えを、持ってまいりましたわ」
入ってきたのは、一人のメイドだった。
だが、その目は激しい憎悪に濁り、手にした盆の下には――隠しきれていない、鋭利なカミソリの銀光。
(……あら? 彼女、私を『殺そう』としていませんこと?)
王子の呼んだメイドではない。
かつて私が……いえ、この『ティアラ』という女がいびり抜き、人生を狂わせた、復讐に燃えるメイド。私の心臓が、歓喜で早鐘を打つ。
「まぁ! 殿下ったら、なんて気の利いた『デザート』を用意してくださったのかしら!」
私は、満面の笑みで彼女を招き入れた。
メイドは私の反応に一瞬たじろいだが、すぐに意を決したようにカミソリを振り下ろした。
「死ね……! 死んでちょうだい、化け物!!」
鋭い銀閃が私の細い腕を切り裂く。
普通なら悲鳴を上げるところだけれど、私はその傷口から「ピピピッ」と線を描いて飛び出す鮮血を見て、うっとりと吐息を漏らした。
(あぁ……なんて瑞々しい赤! 白い寝具に点々と散るその様は、まるで雪原に撒かれたルビーの欠片だわ!)
「お、お嬢様……? なぜ笑って……っ!?」
「惜しいですわ、メイドさん。今の角度だと、血が横に流れてしまうわ。もっと手首をスナップさせて、壁に綺麗な『ストライプ模様』を描くように振ってみて?」
私は自分の腕を差し出し、まるでピアノのレッスンでもするように「殺害のコツ」をレクチャーし始めた。
ふと、頭の隅で冷静な声が響く。
(……思い出したわ。あの時のパーティーで確信した。あの時、私は確かに急所を刺された。本来なら、即死していてもおかしくない一撃だったはずよ)
ドクン、と胸の奥で心臓が跳ねる。それは恐怖ではなく、未知の扉を開いた高揚感。
(つまり、乙女ゲームの強制力で、私は『断罪イベント』まで、どんな毒を盛られても、何度刃を突き立てられても、決して死なないように設定されているのね。……ふふ、なんて凄まじい法則かしら)
その事実に気づいた瞬間、私はがっかりするよりも先に、とてつもない悦びに支配された。
(ということは……卒業式(本番)が来るまでは、どれだけ切り刻まれても、どれだけ血をぶちまけても、死ぬことなく何度でもこの『死の一歩手前』を味わえるということじゃない!?)
「なんて素晴らしいボーナスステージなのかしら……! さあ、メイドさん、遠慮はいりませんわ。私の体を、貴女の憎悪で鮮やかに染め上げて頂戴!」
「ひ、ひぃっ……! 来ないで、化け物……っ!!」
殺そうとしたはずのメイドが、恐怖に顔を歪めて後ずさる。
私は包帯を引きずりながら、ベッドから這い出して彼女を追い詰めた。
「逃げないで? 貴女の殺意は、もっと美しく輝けるはずですわ!」
そこへ、新しい着替えを手にしたシオン王子が戻ってきた。
「ティアラ、新しい服を持って……っ!?」
王子が目にしたのは、血まみれの腕を広げ、泣き叫び逃げ惑うメイドを「もっと刺して」と笑顔で追い回す、狂気のお嬢様の姿だった。
ガシャリ、とお盆が床に落ちる。
「……あ、あぁ……。ティアラ……っ」
王子の顔からみるみる血の気が引き、その黄金の瞳が絶望に染まっていく。
彼は震える手で、血に濡れた私を、まるで今にも崩れ去る砂細工を守るように抱き取った。
「僕だ……僕が、君を壊したんだ。あんな言葉さえ言わなければ、君がこんな……こんな風に笑うはずがなかったのに……!」
(あら、殿下? そのお顔……もしかして、私の『演出』に感動してくださったのかしら?)
「ごめん……ごめん、ティアラ。頼むから、もう自分を痛めつけないでくれ。これ以上、僕に君への罪を重ねさせないでくれ……っ!!」
王子の目から一筋の涙がこぼれ、私の頬を伝う血と混じり合う。
その腕は激しく震え、彼自身の心が悲鳴を上げているのが伝わってくる。
(あぁ、殿下……なんて悲しげで、美しい罪悪感かしら……っ! もっと、もっと私に溺れて、一緒に奈落まで落ちてくださるのね!?)
王子の胸の中で、私はこれ以上ないほどの歓喜に身悶えた。
互いの想いは、一ミリも噛み合わない。
それどころか、向けられた「救済」を「悦楽」へと変換する少女の狂気が、二人の運命を――取り返しのつかない、鮮血色の愛へと加速させていく。




