塀の上の猫さま
私の部屋の窓辺は、すぐ外がアスファルト塀になっている。
田舎の小さな一軒家で、気ままな一人暮らしの私は、仕事終わりに夜な夜な窓辺のデスクに向き合って、ゲームをしたり、ネットを読み漁ったり。
文句を言う同居人もいないし、窓から見える景色が、半分塀で暗くても、夜しか活動しない私には無関係だった。
けど、なぜか今日はその塀が視界に入って、そしてその塀にいた【生き物】と目が合ってしまった。
暗やみに光る大きな目。
塀の上に座り込み、じっとこちらを見ている黒い生き物。
なぜか文句ありげな雰囲気の、黒猫がじっとこちらを見つめていた。
(なんか人間くさい猫だな…。)
前足を組んでいるように見える。今は目を細めてこちらを見ているように見える。
意味が分からない。
猫って、こんな人間くさい仕草をするものだろうか?
これが、この黒猫との出会いだった。
はじめての出会いから数日、
この黒猫は夜な夜なネットを徘徊する私を、監視するように毎日現れた。
何をするでもなく、初日の時のように文句ありげに、ただ見つめてくる。
(まじでなんなんだ…)
おかげでパソコンに向かう時間が、ここ数日減った気がする。
なんとなく責められている気がして、早めに床につく日々か続いている。
(今日もここまでにしとくか…)
「ミャー、ミャー」
この日は、今までと違った。
はじめて黒猫が鳴いて、窓ガラスを前足でたたく。
「どうしたの?」
「ミャー」
窓を開けてほしそうに、再度前足で窓をたたく。
「入りたいの?」
「ミャ」
そうだ、と言いたげにうなずく。
(野良猫だよね、大丈夫かな?)
猫はおろか、ペットを飼ったことがない私に、動物の扱いなんて分からなかった。
けど、ここ数日で変な親しみを覚えてしまったのか、結局、ずっと窓をたたく姿が可哀そうに思えてしまい、窓を少し開けた。
その瞬間、猫は前足で器用に窓の隙間を広げ、するりと部屋に入ってきてしまった。
「ちょっと!入ってたら困るってば!」
いまさら慌てた所ですでに遅く、黒猫は、私のベッドの隅にうずくまり、さっさと寝る姿勢になっていた。
「何?ここで寝るの?」
かすかにうなずいた気がした。
「はぁ?うそでしょ?」
もうテコでも動かない、といった様子の黒猫。
「…もう、なんなの?」
明日は運よく仕事が休み。明日の自分、どうにかしてくれ…。
私もあきらめてベッドに入り、もうどうにでもなれ、と眠りについた。
ピチチチ…
鳥のさえずりが聞こえる。
ぺろぺろ…
頬を、湿り気を帯びた暖かいものが這う。
「…っ、なに!」
一人暮らしの我が家で、ありえない他者の気配に飛び起きた。
「おはよう」
「…っ?……だ、だれ?」
狭いシングルベッドの上で、私以外に、見たこともない男が横たわっていた。
黒髪に、男の人にしては大きな瞳。
「だれってヒドイな。分からない?」
わからない。まったくもって分からない。
「あなたなんて、知りません…!」
「えー、本当に分からない?」
じっと瞳を細め、こちらを見つめてくる。
その姿に既視感を覚える。
ここ数日、ずっと感じていたような…その視線。
「…黒猫さん?」
そんな訳がない。どんなファンタジーだ。
だけど、その返事に男はニンマリと口角をあげた。
「あたり!」
「は?あたり?」
あたりって何?
「それに、小さい頃にも会ってるんだよ?夏休み、夜の神社で会った。覚えてない?
君はあの頃と、ちっとも変わってないねぇ。」
そんなこと言われても…?
起きぬけの働かない脳みそを必死に動かして、言われるがままキーワードを思い返してみる。
小さい頃…夏休み…夜の神社……。
『……ねえ、大きくなっても覚えていてね?ぜったいに会いに行くから。』
小さな男の子が私の手を握り、泣きながらそう言う風景が、ぼんやりと頭に浮かんだ。
当時は頻繁に夢に見ていた事も思い出す。
「……会いに来てくれたの?」
「…! 思い出してくれた?」
うっすらと思い出す少年の姿。
夢だと思っていたから今まで気にしていなかったが、確か少年の頭には【黒耳】がついていたように思う。
目の前の生き物は何だ…?
思い出すと同時に背を冷汗がつたい、ベッドから起きて目の前の男から逃げるように動くが、あいにく男の方が扉側。私の逃げ場は阻まれ、壁に追い込まれる。
「なんで逃げるの?」
(そりゃ逃げるだろ。あんた何者?)
そもそもこの男はさっき、自分を黒猫だと言った。化け物か?
そう頭で思っても口には出せなかった。
「化け物なんてヒドイな。神様の使いだよ?」
「…!? 化け物なんて口にしてないのにっ」
「御使いをなめてもらったら困るな。心を読むなんて簡単だよ。」
そう言って男は、私を壁との間に閉じ込める。いわゆる【壁ドン】で。
「ようやく人型になれて、主様にも許可がもらえたんだ…。
今日からは〈ずっと一緒〉だよ。」
大きな瞳を細め、恍惚とした表情の男に囚われる。
「…は?なに勝手なこと言ってるの?」
「勝手じゃないよ。当時、約束したでしょ?一緒に住もうって。
大変だったんだよ、主様に許可を貰うの。
自分を鍛えるのもだけど、後任も育てなくちゃいけなかったし。
でも、もう大丈夫!」
まったく何が大丈夫なのか分からない。
「人間の戸籍も手に入ったし。君の寿命が尽きるまで、ずっと一緒に暮らそうね?」
ただでさえ生き物は寿命が短いんだから、夜ふかしなんてしないで、これからは健康にすごしてもらうからね?などと言う、目の前の黒猫様(自称)は、私に頬ずりをしたまま、それから数分離れなかった。
これから、どうなってしまうのか…。変なものに捕まってしまった…。
この時の私は、ただただ放心するしかなかった。




