白銀の髪は風に散り、雪は紅く染まった ~救済という名の略奪、ある冬の日の伝承~
本作は『ヴィルディステの物語』に登場する伝説『白炎の鬼姫』の真実を描いた、一話完結の短編です。
本編を未読の方でも、一つの「悲劇の物語」としてお楽しみいただけます。
「白銀の髪をなびかせ、少女は魔法で皆を救いました——」
子供たちが読み聞かされる幸福な童話は、ひどく、冷たく、嘘に満ちている。
私の手の甲に残った、あの涙の熱さだけが、唯一の真実だった。
◇
私の中に蘇る彼女の姿は、いつも雪の中にある。
幼い頃。
真っ白な雪野原に、白い髪を風になびかせて、私の前を駆けていく。
時に私の手を引き、時に遠く雪を蹴立てて駆けていく。
風に揺れる白い髪と舞い上がる純白の雪。
冬の淡い陽光をうけて、きらきらと輝いて。
私に向ける笑顔は、それ以上に輝いていた。
決まって思い出すのは、弾けるような笑顔と、煌めきながら舞い散る雪片。
私の 声が変わり、背が伸びても、彼女は少しも変わらなかった。
相変わらず小柄で幼子のような無邪気な笑顔を見せていた。
それでも、やっぱり私の手を掴むようにして、雪の中を前へと進んで行く。
流石に走って置いて行かれるようなことはなくなっていたけど。
でも、私の前を行く彼女を、彼女が放つ輝きを見ていることが何よりも心地よかった。
あれは確か街から戻った時のこと。
私は成人すると、親方に連れられて街へ行くことが増えていた。
あの時も長く村を空けていた後だった。
冬が街を覆いつくし、村へ辿り着く前に村へ戻りたい。
親方と私は無言のうちに足を速めていた。
この時期は陽が落ちるのはあっという間。
村の灯りが見える辺りまで辿り着いたはずだが、低く厚い雲に覆われた空が村の様子を隠してしまう。
門のかがり火が見えるはずなのに、けぶったような灰色で、それすらはっきりしない。
門が閉まる前の刻限であれば、村人が交代で番をしているはずなのに、人影がない。
足をより速めてみるのだが、見えてきたのは崩れ落ちた門柱に、門扉であったろう何かが倒れている様子。
かがり火が明るく照らしている頃合いなのに、灯された跡もなく、蹴倒されていた。
親方も私も駆け出していた。
それに合わせるかのように、空からは白いものが舞い落ちてきた。
薄暗い中、舞い落ちる雪片は、キラキラと輝くこともなく、ただ勢いを一気に増して足元を覆い始めた。
何が起きたのだろう、起きているのだろう。
門は酷く乱暴に叩き壊されていた。
だが、その付近に村の誰かが倒れている様子もなかった。
村の中へ目を向けても、略奪の跡も、争った形跡も見当たらない。
ただ、静かすぎるのだ。
夕暮れ時の物音が何もしない。
竈から立ちのぼるはずの煙も、夕餉を知らせる母親たちの呼び声も、泥にまみれて走り回る子供たちの喧騒も、すべてが深い雪の下に埋もれてしまったかのように、音を失っていた。
親方と二人、恐る恐る村の奥へと足を進める。
ゆっくりと、辺りを見回しながら。
人がいない、いつもはその辺りをぶらついている犬も、羽をばたつかせる鶏の一羽すら見当たらない。
奥へ奥へ......。
!
狭い路を抜けて出た先は広場。
広場は、巨大な“光の繭 ”に包まれていた。
それは、命あるものの体温を拒絶するような、凍える冷たさを帯びた光だ。
舞い落ちる雪片さえ、その青白い光に比べれば、どこか温かいものに思えるほどだった。
その光の檻の中に、彼女がいた。
そう、彼女......なのだろう。
私が知っている彼女より、ずっと背が高い。髪もずっと伸びていて。
でも、その紅い瞳は彼女のもの。
でも、その少し尖った耳は何?
その額にある、白く輝くものは“角”?
ぞわり、と背中を嫌な汗が流れ落ちた。
見知った彼女なのに、まったく知らない彼女が“戦っていた”。
彼女が相手にしていたのは、とても綺麗な身なりの男の人達。
男の私から見ても美しいと思えるほど。
特に真ん中に立つ人は、背も高く堂々として。
彼女と戦っているのでなければ、どこかの偉い人、騎士様かお貴族様と思えてしまう。
だけど実際は違う。
彼は掌から白い光を放ち、彼女を傷つけようとしている。
その指先から放たれるのは、冬の朝の光のように清らかな白。けれど、それが地面に触れた瞬間、硬い石を飴細工のように易々と抉り取っていく。
温もりを一切持たない冷酷な光。
その光はあまりに無慈悲で、美しかった。
思い出した。
街で噂になっていた人達だ。
——悪い神様や、荒ぶる神様から救済してくれる人達がいる。
その人達は強く美しく、白い光を以って神様から護ってくれる——と。
でも、待って欲しい。
彼女は神様じゃない。悪い人でも、困ったことをする人でもない。
ただの村娘だ。少し成長が皆よりも遅いだけ......のはずだけど、今目の前にいる彼女は......。
いや、そんなことより。
いったい彼らが救っているのは誰なのだろう。今、地面を抉られ、雪を血に染めようとしている彼女は、彼らにとって“悪い神様”なのだろうか、“救うべき相手”ではないのだろうか。
蒼穹から舞い落ちる雪片は、繭の中も、私が立つこの場所も、分け隔てなく降り続ける。
男が放つ光は、雪も石も、そして彼女の尊厳さえも抉り取っていく。
身軽な彼女は、舞い踊る雪片の隙間を縫うように、冷酷な光を躱している——地を蹴り、身を翻し。
彼女が残す足跡は小さく、降り積もる雪に塗りつぶされていく。
男が何かを告げ、彼女の白い髪が激しく揺れた。
繭の中の音は聞こえない。だが、男の眉が不快げに歪むのが見えた。
直後、彼女に向けてより激しく、絶え間なく光が放たれる。
紅い雫が舞った。
真っ白な頬に、流れる紅い筋。
気付いた時には、私は叫びながら駆け出していた。
◇
雪を蹴立て、光の繭の中へと走り込む。
その中は......音に満ちていた。
彼女が雪を蹴る音、光が空気を切る音。
「......危ないっ!」
彼女の悲鳴が響く。
私を狙って放たれたわけでもない、男の指先から漏れた端切れのような光が、私の背をかすめた。たったそれだけである。だが、背にあった荷物は音もなく消えていた。
身体の均衡が突然崩れ、そのまま雪の中へ私は倒れ込んでしまった......。
雪に突っ伏した腕は、自分のものとは思えないほど細く、震えていた。懸命に戦う彼女を前に、私はただ雪を掴み、這いつくばっているだけだ。視界が、恐怖と情けなさで歪んでいく。
——私は何をしているんだ。こんなところへ出てきて、何ができるというのだ......。
倒れ込んだ私の下へ、彼女が駆けてくる。
だが、それはいつもの笑顔ではない。目を見開き、私の名前を叫び、今にも泣き出しそうだ。
「ほう......」
男の口の片端が上がり、細められた瞳が光る。
次の瞬間、彼の指先が私に向けられた。
来るな、逃げろ、と叫びたかった。けれど声が出ない。
彼女は私の前に立ち、その光を、その身に受けていた。
白銀の髪が白光に焼き切られ、風に散る。微かに漂う焦げた匂いさえ、どこか芳しい香りがするような、あまりに清らかな暴力。飛び散る紅い鮮血——彼女が私を守るために流した血が、雪を汚していく。
「やめて......お願い。この人は関係ないわ。この村だって、関係ないはずよ」
「ならば来い。我らと共に」
——駄目だ、行ってはいけない。行かないでくれ!
私は叫びたかった。恐怖で凝り固まった喉は、掠れた声さえも出せなかった。
だが、心の声が届いたのだろうか。ゆっくりと彼女が振り返り、その紅い瞳を私に向けた。
紅い瞳は微かに震え、溢れ出しそうになる何かを我慢している。
「......ごめんね。怖いよね、醜いよね。こんな私、あなたに見せたくなかった......」
囁き程の小さな声。風が吹けば紛れてしまうほど。
けれど、私の耳にははっきりと聞き取れた。
醜い? 君のどこが醜いというのだ。
額に伸びた白き角も、すらりとしたその立ち姿も。私にとっては、かつて雪野原を駆けていたあの頃の彼女のままだ。なのに、彼女は絶望に瞳を濡らし、私に背を向けようとしている。
「何をしている。下民など構うな。禍根を残さぬように、やはり村ごと滅したほうがよいか?」
いつまでも動かない彼女に、しびれを切らしたのか、男がその手を村へ向けた。
「やめて! お願いだから......私だけが目的なのでしょ? もう十分でしょ?」
「ならば、早くしろ。そのような羽虫にかまけるな」
一言、そう告げると男は村の外へと足を向けた。後ろに控えていた無言の男達も彼に従い去っていく。
彼女は......。
「......お願い。私のことは忘れて」
彼女の瞳から、我慢していた何かが溢れ出ていた。
頬から静かに零れるそれは、雪を掴む私の手に熱を残した。
彼女は一度も振り返らなかった。白い雪原に、彼女が踏み出すたびに赤い染みが点々と続いていく。その背中が、男たちに追いつき、見えなくなるまで——私はただ、雪を掴むことしかできなかった。
手の甲に落ちた涙だけが、ひどく熱い。
顔を上げ、もう一度彼女の姿を彼方に追うが、やはりそこには何もなく、いつの間にか、光の繭も消え失せていた。
そして、蒼穹から舞い落ちる白いものが、彼女が残した紅い印を音もなく、静かに消し去っていった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
前書きにも記しましたが、本作は連載中の『ヴィルディステの物語』(https://ncode.syosetu.com/n0331jd/1/) の外伝になります。
本編の時間軸からは、遥か昔のお話になります。




