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2-2

「橘に連絡を取らないと!」


俺の言葉に、みんなが一斉に動き始めた。それぞれがスマホを取り出し、連絡先を確認する。しかし——


「おい、橘の連絡先がない...」


青木が困惑した表情を浮かべる。


「私も。昨日交換したはずなのに」


夕音がスマホの画面を見つめながら言った。


「LINEのグループにもいません...」


柏木の声が震えている。


やはりそうか。橘の存在が薄れるにつれて、デジタルな痕跡も消えていく。これは柏木の「紫苑」アカウントが消えた時と同じパターンだ。


「ちょっと待て、昨日確かに連絡先交換したよな?」


「した!絶対にした!なのになんで...」


「これ...私のときと同じです」


俺も自分のスマホを確認する。LINEの友達リスト、電話帳、メッセージ履歴...どこを探しても橘沙也加の名前はない。


「俺のスマホには...」


必死にメッセージ履歴を探るが、橘からのメッセージは跡形もなく消えている。ただ、記憶の中には確かに残っている。昼休みは用事があって、放課後なら会えるって...


でも、どうやって連絡を取ればいいんだ?電話番号も、LINEも、全部消えてる。これじゃ連絡の取りようがない。


「マジかよ...昨日まで普通にメッセージのやり取りしてたのに」


青木が頭を抱える。


「私たちの記憶も、いずれ消えちゃうのかな...」


「怖い...本当に怖いです」


柏木が小さく呟いた。


「直接会いに行くしかないんじゃないか?」


「そうね。でも、どこにいるか分からない」


俺は焦りを感じながら時計を見た。昼休みもあと15分しかない。


「図書室?それとも部室?」


夕音が記憶を辿ろうとしている。


「はっきり覚えてません...記憶が曖昧で」


そうだ、俺たちの記憶も既に影響を受け始めている。橘に関する記憶がどんどん曖昧になっている。


「放課後まで待つしかないのか...」


その時、柏木が何かを思い出したように顔を上げた。


「あの、橘さんって文学部でしたよね?」


「そうだ!」


なんで気づかなかったんだろう。橘は文学部員だ。今すぐは無理でも、放課後の部活動の時間なら、文学部の部室にいるかもしれない。


「そうか、部活があるから逃げられないもんな」


「でも、部室にいるとは限らないよ?」


「それに、部員の人たちも橘さんのこと覚えてるでしょうか...」


確かに、橘の同級生や友人たちも、彼女のことを忘れている可能性が高い。


「でも、俺たちにも部活があるだろ?」


そこで気づいた。俺以外のみんなには、それぞれ所属している部活がある。青木は一応物理部だし、松井はバイトがあるし、柏木は美術部だ。


「まあ、俺の物理部なんて、先生も顔出さない幽霊部活だけどな」


「それって部活って言えるの?」


「活動実績はあるんだよ!月一でちゃんと実験してるし」


青木が開き直ったように言う。


「俺は帰宅部だから大丈夫だ」


「俺も今日は休む。これは重要だ」


青木の真剣な表情を見て、俺は改めて友達のありがたさを感じた。こんな突拍子もない話を信じて、一緒に行動してくれる。


「私は...バイトがあるけど...」


夕音の表情が曇る。確かに、バイトは簡単に休めるものじゃない。特に夕音の家庭事情を考えると...


「でも、橘さんのことも心配だし...店長に連絡してみようかな」


「無理しなくていいよ。俺と青木で行ってくる」


でも、夕音の表情には迷いが残っている。きっと、仲間を見捨てるような気持ちになっているんだろう。


「でも...私も関係者よ。一人だけ蚊帳の外なんて嫌」


「松井さんの気持ちも分かるけど、バイト代も大事だろ?」


「...うん。」


夕音が小さく答える。


「私も行きます!美術部は今日は自由制作の日なので」


柏木が手を挙げた。


「え、マジで?いいの?」


「はい。みんなそれぞれ個人作業だから、一人くらいいなくても目立ちません」


こうして、放課後に文学部を訪ねることが決まった。でも、それまでの時間が長く感じられる。


「しかし、あと数時間か...長いな」


青木が時計を確認しながら言った。


「橘さん、無事だといいけど」


夕音がため息をつく。


その時、俺はふと思いついた。


「待って、確認したいことがある」


「何?」


全員の視線が俺に向く。


「俺の...能力について」


昨日から薄々感じていたことだ。田中さんが柏木を思い出したのも、店員が松井を認識したのも、全て俺が介入した後だった。


もしかして、俺には人の記憶を呼び覚ます力があるのかもしれない。いや、そんなオカルトな話...でも、現実に起きていることを考えれば。


「能力?何それ、中二病?」


「青木こそ、さっきから冒険とか言ってるじゃない」


「それとこれとは話が違う!」


「いや、真面目な話だ」


俺は昨日からの出来事を振り返りながら説明した。


「考えてみて。田中さんも、松井の職場の店員も、みんな俺が近づいた後に相手を思い出した」


「確かに...言われてみれば」


夕音が思い出すように呟く。


「あ!そういえば、昨日も椎名さんが田中さんに話しかけた後...」


「偶然じゃない可能性が高いな」


青木が分析的に言った。


「そうだ。だから試してみたい」


「なるほど、実験か」


「でも、人を実験台にするのは...」


夕音が慎重な表情を見せる。


「それに、もし失敗したら...」


「田中さんで試してみる。彼女なら橘のことを覚えているはずだ」


「確かに、里奈ちゃんが橘さんを紹介してくれたんですから」


でも、すぐに全員が同じ結論に達した。


「いや、絶対覚えてないよ」


「だよな。パターンから言って」


「きっと私の時と同じように...」


「でも、それを利用するんだ」


俺は昨夜の松井との会話を思い出していた。もし本当に俺に「忘れられた人を思い出させる」能力があるなら、それを確かめる絶好のチャンスだ。


みんなの記憶も、さっき俺が橘の名前を出すまで曖昧だった。でも俺が説明したら、徐々に思い出し始めた。これは偶然じゃない。


「じゃあ、教室に戻ろう。田中さんがいるはず」


「でも、里奈ちゃんを実験に使うなんて...」


柏木の優しさが言葉ににじみ出ている。親友を「実験」の対象にするなんて、確かに心苦しいだろう。


「実験って言うと聞こえが悪いけど、橘のことを思い出してもらうだけだ」


「まあ、害はないよな」


「むしろ、橘さんのためでもあるし」


「そう...ですね。橘さんを助けるためなら」


俺たちは屋上を後にして、教室へと向かった。


廊下を歩きながら、青木が口を開いた。


「でも、椎名に超能力があるなんて...まるで漫画の主人公だな」


「案外、他にも隠してる能力があったりして」


夕音がからかうように言う。


「そんなのないよ」


「透視能力とか?」


青木がニヤニヤしながら言った。


「青木、最低」


夕音がジト目で睨む。


「い、いや!そういう意味じゃ!別の意味で!」


「どういう意味よ」


「えーっと...その...」


俺は苦笑いを浮かべながら、二人のやり取りを見ていた。こんな他愛もない会話ができることが、なんだか嬉しかった。


教室に戻ると、予想通り田中さんは自分の席で友達と楽しそうに話していた。俺たちが近づくと、彼女は笑顔で振り返った。


「あ、ゆかりちゃん!どこ行ってたの?」


「ちょっと...」


柏木が曖昧に答える。


「この子、最近謎めいてるのよー」


田中さんが友達に向かって言った。


「恋バナ?」


「ちが、違います!」


柏木が真っ赤になる。


和やかな雰囲気に、俺は少し気が重くなった。この平和な空気を壊すようで申し訳ない。


俺は深呼吸をして、単刀直入に聞いた。


「田中さん、文学部の橘沙也加って知ってる?」


「橘...沙也加?」


彼女は首を傾げて、一生懸命思い出そうとしている。でも、その表情からは困惑しか読み取れない。


「沙也加ちゃんって子、知ってる?」


田中さんが友達に聞く。


「知らないなー」


「どこの子?同じ学年?」


やはり...完全に忘れている。


「昨日、芸術祭の打ち合わせで一緒だったじゃないか」


「え?昨日?」


彼女の表情がさらに困惑を深める。必死に記憶を辿っているようだが、何も思い出せないらしい。


「ごめんね、私友達多いから...名前と顔が一致しないのかも」


「里奈ちゃん、本当に人付き合い広いからね」


「そうそう、だから記憶がごちゃごちゃになっちゃって...ごめんね、椎名くん」


その瞬間、俺は視界の端で何かを捉えた。


柏木の体が、一瞬だけ透けて見えたのだ。


え...?


まるで陽炎のように、彼女の輪郭が揺らめいた。ほんの一瞬だけ。すぐに元に戻ったが、確かに見えた。


まずい...柏木の症状がまた...


でも今は、それを指摘している場合じゃない。


「もっと近づいて。能力を試して」


松井に小声で促されて、俺は田中さんに一歩近づいた。彼女は特に気にする様子もなく、俺を見上げている。


これで本当に効果があるのか...?まるで漫画みたいだな。「俺の能力で記憶を呼び覚ます!」とか...恥ずかしい。


でも、やるしかない。


「もう一度、よく思い出して」


俺は田中さんの目をまっすぐ見つめながら言った。なるべく真剣な口調で。


「えーっと...」


彼女は太陽穴を押さえ、眉間にしわを寄せた。そして今度は顎に手を当てて、上を向いて考え込む。


「橘...沙也加...文学部...」


ぶつぶつと呟きながら、必死に記憶を探っている。


青木たちも固唾を呑んで見守っている。特に松井は、俺の「能力」が本物かどうか、真剣に観察しているようだ。


「里奈ちゃん、大丈夫?なんか必死すぎない?」


友達が心配そうに声をかける。


「うん、ちょっと待って...大事なことのような気がして」


その時、俺は奇妙な感覚を覚えた。まるで頭の中で何かが動いているような...いや、正確には、田中さんの頭の中に向かって、何かが流れているような...


これが俺の「能力」なのか?


「やっぱり思い出せな——」


その瞬間だった。


彼女の目が大きく見開かれ、まるで電撃が走ったかのように体が震えた。


「あ!」


きた!何か思い出した!


「文学部の橘さん!もちろん知ってるよ!」


間違いない。思い出した。


「え?さっきまで知らないって...」


友達が驚いている。


「あれ?なんで忘れてたんだろう?」


「茶色のショートボブで、すごく頭良くて...昨日も一緒だったじゃない!」


彼女の記憶が完全に戻ったようだ。さっきまでの困惑した表情は消え、今は確信に満ちている。


「でも、今日は連絡ないんだよね。どうしたのかな」


俺たちは顔を見合わせた。間違いない。俺の「能力」は本物だ。


「おい...マジで思い出したぞ」


青木が小声で驚愕を隠せない。


「本当に...能力があるんだ」


「すごい...」


でも、田中さんの前であまり騒ぐわけにもいかない。


「そうか、田中さんも連絡ないんだ」


「うん。普段はよくLINEでやり取りしてるのに」


また嘘だ...田中さんのスマホにも、橘とのやり取りは残ってないはずだ。でも、記憶は確かに戻っている。


「ちょっと待って、さっきまで知らないって言ってたのに...」


友達が混乱している。


「そうだっけ?記憶にないな...」


これは面白い現象だ。記憶が戻ると同時に、忘れていたという事実まで忘れてしまうのか?


青木が俺の袖を引っ張った。


「もう十分だろ。確認できた」


確かに、これ以上田中さんを巻き込むわけにはいかない。


「ありがとう、田中さん」


「え?なんでお礼を?」


「いや、答えてくれたから」


「そんなの当然よ。友達でしょ?」


友達...そうか、俺も田中さんにとって友達なんだな。


俺たちは田中さんから離れ、教室の隅に集まった。


「おい、これヤバくないか?」


青木が興奮を抑えながら言った。


「超能力者じゃん、完全に」


「漫画かよ!なんで椎名にそんな力が!」


「俺にも分からない...」


本当だ。なぜ俺にこんな力があるのか、全く見当もつかない。生まれつき?それとも最近何かのきっかけで?


「でも、これで説明がつくことがある」


「どういうこと?」


「私の職場での問題も、柏木さんの件も、全部椎名が介入した後に解決してる」


「確かに...偶然じゃないよな」


でも、俺は疑問を感じた。


「いや、待って。柏木さんの場合は違う」


「そうですね。昨夜、椎名さんとは会ってません」


「それに、俺の力が届く範囲も限られてるはずだ」


俺は田中さんの例を挙げた。俺が近くにいる時は思い出すけど、離れたらまた忘れてしまうかもしれない。


「でも柏木さんは、朝からずっと普通に認識されてる」


「それは確かに変ね」


「もしかして、症状が改善してるとか?」


その時、俺は言いにくそうに口を開いた。


「実は...さっき、柏木さんがまた透けて見えた」


「え!?」


全員の視線が柏木に集中する。彼女は慌てて自分の手を見つめた。


「私、透明になってたんですか?」


「ほんの一瞬だけ。すぐに戻った」


「つまり、問題は解決してない」


「なんか複雑だな...椎名の能力で一時的に良くなるけど、根本的な解決にはなってない?」


「やっぱり...私、消えちゃうんでしょうか」


柏木の声が震えている。


「大丈夫よ。椎名がいるから」


でも、俺にもわからない。この能力の限界は?持続時間は?


みんなが深刻な表情で考え込む中、田中さんが近づいてきた。


「みんな、どうしたの?なんか深刻そう」


俺たちは慌てて表情を取り繕った。


「な、なんでもないよ」


「本当?でも今、透明がどうとか...」


やばい、聞かれてた!


「あー、それは新しいゲームの話!透明になるアイテムがあってさ」


青木が機転を利かせる。


「へー、そうなんだ」


でも、彼女の表情にはまだ疑問が残っている。


「でも、なんか椎名くんが能力がどうとか...」


「それも!ゲームの話!」


夕音が慌てて答える。


「そんなゲーム?リアルだね」


「最新のVRゲームだよ。もう現実と区別がつかないレベル」


ちょうどその時、チャイムが鳴った。


「あ、もう授業か。また後でね、ゆかりちゃん」


彼女が席に戻っていくのを見送ってから、俺たちも急いで自分の席についた。


「危なかった...」


「青木のアドリブ、意外と上手かったわね」


「まあな。とっさの機転は得意分野だ」


授業が始まっても、頭の中は橘のことでいっぱいだった。そして、ふと思い出した。


あの謎のメッセージ...


俺はこっそりとスマホを取り出し、メッセージを確認した。


「君は、覚えているかい?」

「時間がない」


この二つのメッセージ。送信者は不明。でも、これは偶然じゃないはずだ。


もしかして、この現象について何か知ってる人物からのメッセージ?


俺は思い切って、青木にメッセージを送った。


『さっきの謎のメッセージ、関係あると思う?』


すぐに既読がつく。


『どんなメッセージ?』


俺はスクリーンショットを撮って送った。


『うわ、不気味』

『でもタイミング的に関係ありそう』


そうだよな...このタイミングで来るなんて、偶然とは思えない。


『何の話?』


松井も会話に参加してきた。俺は彼女にもスクリーンショットを送る。


『これ...警告?』


『それとも助言?』


柏木まで参加してきて、4人でのグループチャットみたいになった。


『「時間がない」ってのが気になる』

『何の時間?』

『橘さんを助ける時間?』


その可能性は高い。もし橘が完全に忘れ去られたら...


『とにかく、放課後すぐに文学部に行こう』

『了解』


授業中にも関わらず、俺たちはメッセージのやり取りを続けた。


『送信者の特定は無理か?』

『番号も表示されてない』

『ハッキング?』

『怖い...』


確かに不気味だ。俺たちを監視している何者かがいる。


『敵か味方か』

『少なくとも、俺たちのこと知ってる』

『この現象についても知ってるはず』


この謎の送信者...一体何者なんだ?


『まさか、椎名の能力を知ってる?』

『それは...』


考えてみれば、俺の能力について知っている人がいるとしたら、この現象の全体像も把握している可能性が高い。


『味方だといいけど』

『でも、なんで正体を明かさないんでしょう』


確かに、助けたいなら直接会って説明すればいい。なぜこんな回りくどい方法を?


「そこ!また携帯いじってる!」


またか!


俺たちは慌ててスマホをしまった。今日だけで何回怒られたことか。


「まったく...特に椎名くん、最近たるんでいませんか?」


「す、すみません」


「いくら成績が良くても、授業態度がそれでは意味がありません」


クラス中の視線が俺に集まる。恥ずかしい...


「青木くんも松井さんも、同じですよ」


三人揃って怒られてしまった。


「柏木さんも、友達に流されないように」


「はい...」


これ以上怒られる前に、俺たちは大人しく授業に集中することにした。


でも、頭の中では様々な疑問が渦巻いていた。


柏木の家族の件、橘が見つけたという情報、そして俺たちの異常な熟睡...


そして、あの謎のメッセージ。「君は、覚えているかい?」


覚えている?何を?


全てが繋がっているような、でもまだ見えない大きな謎があるような...


チラッと後ろを見ると、松井も心ここにあらずという様子で窓の外を見つめていた。


きっと彼女も同じことを考えているのだろう。


やっとのことで放課後になった。チャイムが鳴ると同時に、俺たちは示し合わせたように立ち上がった。


「よし、行くぞ」


「ごめん、私やっぱりバイトに...」


「大丈夫。後で報告する」


「気をつけて。何かあったらすぐ連絡して」


彼女は心配そうな表情を残して、教室を出て行った。


「文学部は3階の奥ですよね」


「俺、場所知ってるから案内する」


へー、青木が文学部の場所を知ってるなんて意外だな。


俺たちは廊下を歩きながら、もう一度作戦を確認した。


「まず、部員に橘のことを聞く」


「最初は覚えてない可能性大」


「その時は、椎名さんの能力で」


「うん。でも...」


俺には一つ心配なことがあった。もし俺の能力に限界があったら?全員を思い出させることができなかったら?


いや、今は考えても仕方ない。やってみるしかない。


文学部の部室前に到着した。ドアには「文学部」と書かれたプレートが掛かっている。中から話し声が聞こえる。


「準備いい?」


「はい...」


俺は深呼吸をして、ドアをノックした。


コンコン。


「はーい、どうぞー」


中から明るい声が聞こえてきた。


ドアを開けると、部室にはソファに座って本を読んでいる3人の部員がいた。でも——


橘の姿はどこにもなかった。


部室は思ったより広く、本棚が壁一面に並んでいる。窓際にはテーブルと椅子があり、文学的な雰囲気が漂っている。


部員の一人、眼鏡をかけた男子が顔を上げた。


「あれ?どうしたの?」


俺は単刀直入に聞いた。


「橘沙也加さんを探してるんですが」


3人の部員は顔を見合わせた。そして、予想通りの反応。


「橘...沙也加?」


「誰それ?」


やはり...完全に忘れられている。


「ごめん、そんな名前の部員いたっけ?」


青木が俺の肩を軽く叩いた。


「ほら、出番だぞ」


そうだな...俺の「能力」を使う時が来た。


でも、3人同時は初めてだ。上手くいくかな...


「ちょっと近くに来てもらえますか?」


「え?」


俺の突然の要求に、部員たちは戸惑った表情を見せた。


「なんで?」


確かに怪しいよな...知らない奴に「近くに来て」なんて言われたら。


「あの、大事な話があって...」


「大事な話?」


「文学部の存続に関わることかもしれない」


お、青木ナイスフォロー!


その言葉に、部員たちの表情が変わった。


「存続!?どういうこと!?」


「ちょ、ちょっと待って」


3人はソファから立ち上がり、俺たちの近くに集まってきた。


よし、これで距離は十分だ。


俺は3人の顔を順番に見つめながら、もう一度聞いた。


「橘沙也加さん、文学部の2年生です。茶髪のショートボブで、とても頭が良くて...」


集中しろ...俺の「能力」よ、働いてくれ!


部員たちは必死に思い出そうとしている。額に手を当てたり、目を閉じたりしている。


そして——


「あ!」


「橘さん!」


キター!二人は思い出した!


「そうだ、橘さん!なんで忘れてたんだろう」


「今日見てないよね?どうしたんだろう」


よし、2人は完全に思い出した。でも——


「え?え?誰の話?」


あれ?一人だけ思い出してない?


俺は部員Cに近づいた。もっと近くなら効果があるかもしれない。


「もう一度よく思い出して。橘沙也加。君たちの仲間だ」


「橘...沙也加...?」


彼の眉間にしわが寄る。本当に必死で思い出そうとしているようだ。


でも——


「ごめん、本当に分からない」


なんで?他の二人は思い出したのに?


俺はさらに近づいた。もはや、顔と顔の距離が30センチもない。


これでもダメなら...


「橘沙也加!文学部員!」


「ちょ、近い近い!」


「どうしたの?橘さんのこと覚えてない?」


「嘘でしょ?いつも一緒に活動してたじゃん」


「本当に知らないんだって!」


これは...まさか...


青木が険しい表情で呟いた。


「もしかして...椎名の能力にも限界があるんじゃ...」


「限界?」


俺も同じことを考えていた。3人のうち2人しか思い出させることができなかった。これは偶然じゃない。


もしかして、俺の能力には人数制限があるのか?それとも、別の条件が?


「あの...君たち大丈夫?みんなして存在しない人の話してるけど」


「存在しないって!橘さんは実在するよ!」


「そうだよ!昨日も一緒に活動したじゃん!」


でも部員Cにとっては、俺たちが集団で幻覚を見ているようにしか見えないだろう。


「なんか怖いんだけど...」


まずい、このままじゃ部員Cが逃げ出してしまう。


俺は必死に考えた。なぜ彼だけ思い出せない?何が違う?


思い切って、部員Cの肩に手を置いた。


「うわっ!」


「頼む、思い出してくれ」


今度こそ...!


しかし——


「ご、ごめん!俺もう帰る!」


彼は俺の手を振り払い、部室から飛び出して行ってしまった。


「逃げられた...」


「大丈夫でしょうか...」


「悪いね。あいつ、ちょっと臆病なところがあって」


「でも無理もないよ。急に知らない人が来て、存在しない...じゃなかった、自分が忘れてる人の話をされたら」


俺は深いため息をついた。


初めて、俺の能力が通用しない人に出会った。これは重要な発見だが、同時に不安でもある。


もし橘を見つけても、全員に思い出させることができなかったら?


「それで、橘さんがどうかしたの?」


そうだ、橘の行方を聞かなければ。


「今日、橘さんを見ませんでしたか?」


「見てない。朝から一度も」


「そういえば変だな。昨日は『明日は重要な調べ物がある』って言ってたのに」


重要な調べ物...それが、橘が俺にメッセージで言っていた「気になること」か?


「どこで調べ物を?」


「図書室って言ってたような...」


図書室!


「今から行ってみるか?」


「そうしましょう」


俺たちは部員たちに礼を言って、部室を後にした。


廊下に出ると、青木が真剣な表情で話し始めた。


「椎名の能力、完璧じゃないんだな」


「ああ...正直ショックだ」


万能だと思ってた。でも、限界がある。当たり前だけど。


「でも、3人中2人は思い出せました」


「なんであいつだけ思い出せなかったんだろうな...」


「わからない。でも、何か条件があるのかもしれない」


俺たちは歩きながら、さっきの現象を分析した。


「あるいは、物理的な距離?」


「心理的な距離かもしれません」


どれも可能性がある。でも、今は橘を探す方が先決だ。


「とにかく、図書室に行ってみよう」


「橘さんが無事だといいですが」


俺たちは急ぎ足で図書室に向かった。


果たして、橘沙也加は見つかるのだろうか?


そして俺の能力の限界は?


答えは図書室にあるかもしれない。

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