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番外:偽装和牛

読者の皆様へ


こんにちは。今回の番外編は、物語の第一話が始まる少し前、椎名と青木のちょっとした日常を描いたお話です。


……とはいえ、決して作者である私が今日、同じような馬鹿げた出来事に遭遇して、いてもたってもいられず筆を執った、なんてことは断じてありませんからね!


まあ、そういうわけで、箸休め的な番外編のギャグ日常回だと思っていただければ幸いです。

「なあ、椎名。今日はしゃぶしゃぶ食いに行かないか?」


「は?急にどうした」


「いや、最近バイト代入ったからさ。たまには贅沢したいじゃん」


「……お前が奢るなら」


「はあ?なんで俺が奢らなきゃいけないんだよ」


「じゃあ行かない」


「ちょっと待てよ!割り勘でいいだろ、割り勘で」


まあ、たまには外食もいいか。最近カップラーメンばっかりだったし、栄養偏ってるのは自覚してる。


「で、どこ行くんだ?」


「駅前に新しくできた『和牛亭』ってとこ。クーポン券もあるんだよ」


「クーポン券?」


「ああ、2000円以上で500円引きになるやつ」


2000円か……結構な出費だな。でも青木が珍しく誘ってくれてるし、断るのも悪い気がする。


「……わかった。何時に?」


「6時くらいでどう?」


「了解」


「おー、結構いい雰囲気じゃん」


店内は思ったより落ち着いた雰囲気で、照明も程よく暗い。カップルとか家族連れが多いな……俺たち高校生男子二人組は明らかに浮いてる気がする。


「二名様ですか?」


「はい」


「こちらへどうぞ」


案内された席に座ると、青木がすぐにメニューを開く。


「すき焼きにしようぜ、すき焼き」


「すき焼き?しゃぶしゃぶじゃなかったのか」


「いや、メニュー見たらすき焼きの方が美味そうでさ」


まあ、どっちでもいいけどな……腹に入れば同じだし。


「これにしよう。『特選和牛すき焼きセット』」


「1800円か……高くね?」


「だからクーポン使うんだって。あと200円分何か頼めば500円引きになる」


なるほど、そういう計算か。でも200円分って何があるんだ?


「野菜セットが200円だな。これ追加しとく?」


「ああ、野菜も食べた方がいいしな」


青木がタブレットで注文を入れる。最近の飲食店って全部タブレット注文なんだな……時代の流れを感じる。


「注文完了っと」


「……なあ、青木」


「ん?」


「このメニューの写真、野菜入ってなくね?」


「え?」


二人でメニューの写真をじっくり見る。確かに肉しか写ってない。


「……まあ、きっと写真は肉メインで撮ってるだけだろ」


「そうだよな……」


なんか嫌な予感がするけど、まあいいか。200円だし。


「お待たせしました〜」


鍋が運ばれてきた。見た目は確かに豪華だ。霜降りの肉が綺麗に並べられていて、その横には……


「……野菜、めっちゃ入ってるじゃん」


「……」


白菜、春菊、しいたけ、ネギ、豆腐……一通りの野菜が既に鍋の中に入っている。


「青木、これ……」


「……200円、無駄にした」


「だよな」


追加で頼んだ野菜セットが運ばれてくる。白菜、春菊、しいたけ、ネギ……全く同じラインナップ。


「どうする、これ」


「……食べるしかないだろ。金払っちゃったし」


野菜だらけのすき焼きか……まあ、健康的でいいのかもしれない。いや、よくない。明らかに野菜過多だ。


「つーか、なんで写真に野菜写さないんだよ」


「肉をアピールしたかったんじゃね?」


「それにしたって……」


まあ、愚痴っても仕方ない。とりあえず食べよう。


「意外と美味いな」


「だろ?高いだけあるわ」


肉は確かに柔らかくて美味しい。でも野菜が多すぎて、肉を探すのが大変だ。


「野菜ばっかり食ってる気がする」


「健康的でいいじゃん」


「お前、さっきまで文句言ってただろ」


「過ぎたことは忘れる主義なんだよ」


都合いいやつだな……でも、そういうところが青木らしいか。


「あ、肉なくなってきた」


「マジで?」


鍋の中を見ると、確かに肉が残り少ない。野菜はまだ山ほどあるのに。


「なあ、今いくら使った?」


「えーと……1800円と200円で、2000円ちょうど」


「クーポン使うには2000円以上じゃなきゃダメなんだろ?」


「あ……」


二人で顔を見合わせる。


「『以上』ってことは、2000円じゃダメってこと?」


「……たぶん」


「マジかよ」


なんでこう、微妙に計算ミスするかな……まあ、俺も気づかなかったから人のこと言えないけど。


「何か安いの追加で頼もう」


「100円くらいのやつあるか?」


タブレットでメニューを確認する。サイドメニュー、ドリンク、デザート……


「あ、これ安い。『偽装和牛』280円」


「偽装和牛?」


変な名前だな……偽装って、何を偽装してるんだ?


「写真見る限り、和牛っぽく見せた肉巻きとかじゃね?」


「ああ、なるほど。安い肉を和牛風に見せてるってことか」


「たぶんそんな感じ。280円だし、ちょうどいいじゃん」


確かに、これなら2280円になってクーポンも使える。


「じゃあ、それで」


青木が注文する。


「お待たせしました、偽装和牛です」


運ばれてきたのは、確かに見た目は和牛そっくりの何か。綺麗な霜降り模様が入っていて、一見すると高級肉に見える。


「へー、よくできてるな」


「だろ?パッと見、本物の和牛と区別つかないわ」


手に取ってみる。


「……冷たくね?」


「冷凍だったんじゃね?」


「でも、普通解凍してから出すだろ」


触ってみると、確かにひんやりしている。でも、見た目は完璧に和牛だ。


「まあ、鍋に入れれば解凍されるだろ」


「そうだな」


青木が偽装和牛を鍋に投入する。


「あ、すみません。火をつけますね」


ちょうどいいタイミングで店員さんが来て、鍋の火を調整してくれた。


「ありがとうございます」


「ごゆっくりどうぞ〜」


「野菜、まだこんなにあるのか」


「追加で頼んだ分がね……」


黙々と野菜を食べ続ける。なんか野菜の味が変わってきたような……


「……なあ、青木」


「ん?」


「この野菜、なんか甘くない?」


「え?……言われてみれば」


すき焼きの割り下は元々甘めだけど、それにしても甘すぎる気がする。


「砂糖入れすぎたのかな、店が」


「かもな」


でも、なんか違和感があるんだよな……この甘さ、砂糖の甘さじゃないような。


「そろそろ偽装和牛も火が通ったろ」


「だな。取ってみるか」


青木が箸で鍋の中を探る。


「……あれ?」


「どうした?」


「いや、見つからない」


「は?さっき入れただろ」


「入れたよ。でも……」


俺も箸で探してみる。野菜はたくさんあるけど、肉が見当たらない。


「底に沈んでるんじゃね?」


「かもしれない」


お玉で鍋の底をすくってみる。


「……ない」


「マジで?」


「マジでない」


二人で必死に鍋の中を探る。野菜を全部端に寄せて、スープの中を徹底的に探す。


「おかしいだろ、これ」


「だよな。さっき確実に入れたのに」


10分くらい探し続けたけど、偽装和牛は跡形もなく消えていた。


「……なあ、椎名」


「なんだ」


「ひとつ、恐ろしい可能性を思いついたんだが」


「……俺も思いついた」


二人で顔を見合わせる。顔面蒼白だ。


「この異常な甘さ……」


「偽装和牛の消失……」


「まさか……」


震える手でタブレットを操作する。メニューを開いて、カテゴリーを確認する。


肉料理、野菜、ご飯もの、そして……デザート。


デザートのカテゴリーをタップする。


そこにあった。


『偽装和牛 〜和牛に見立てたチョコレートムース〜 280円』


「……」


「……」


沈黙が流れる。重い、とても重い沈黙。


「俺たち……」


「デザートを……」


「すき焼きに入れた……」


「そして溶かした……」


チョコレートムース入りすき焼き。この世で最も奇怪な料理が、今俺たちの目の前にある。


「どうりで甘いわけだ」


「そりゃ甘いよな、チョコ入ってるんだから」


「……食える?これ」


「無理だろ」


でも、残すのももったいない。280円払ったんだし。


「とりあえず野菜だけでも食べるか……」


「チョコ味の野菜か……」


人生で最も奇妙な食事が始まった。白菜を口に入れる。確かに野菜の味はするけど、後味がほんのりチョコレート。


「……意外と」


「食えなくはない……?」


「いや、やっぱ無理」


「だよな」


「お会計お願いします」


「2280円になります」


「あ、このクーポン使えますか?」


「はい、確認しますね……申し訳ございません、こちらのクーポンは2500円以上のご利用が条件となっております」


「え?」


「2000円以上って書いて……」


「下の注意書きをご覧ください。『※土日祝日は2500円以上』とあります」


今日、土曜日だった。


「……」


「……」


結局、クーポンも使えず、野菜を大量に残し、チョコレート味のすき焼きを体験しただけの食事になった。


帰り道。


「今日のこと、誰にも言うなよ」


「当たり前だ。死んでも言わない」


「つーか、なんでデザートが『偽装和牛』なんて名前なんだよ」


「シャレのつもりなんじゃね?見た目を和牛に偽装してるから」


「紛らわしすぎるだろ」


「まあ、普通の人はデザートのカテゴリー見てから頼むからな……」


「俺たちが普通じゃないってことか」


「……そういうことになるな」


しばらく無言で歩く。


「なあ、椎名」


「なんだ」


「今度から外食する時は、ちゃんとメニュー確認しような」


「ああ」


「あと、クーポンの注意書きも」


「ああ」


「それから、デザートは最後に頼む」


「当たり前だ」


翌日、学校。


「おはよう、死人面」


「……おはよう」


「どうした?いつも以上に顔色悪いぞ」


「昨日の夕飯で胸焼けして、あまり寝れなかった」


「夕飯?何食べたんだ?」


「……すき焼き」


「へー、豪勢だな。美味かった?」


「……まあ、忘れられない味だった」


「そりゃよかった」


青木がにやりと笑う。こいつ、絶対わざと聞いてるな。


「ところで、椎名」


「なんだ」


「最近、駅前に面白い店ができたらしいぜ」


「……」


「『偽装和牛』っていうデザートが名物らしくてさ」


「……」


「今度一緒に行かないか?」


「断る」


「即答かよ」


「二度と行かない」


「まあ、そう言うと思った」


青木が笑う。俺も少し笑う。


馬鹿なことをしたけど、なんだかんだで楽しかったのかもしれない。チョコレート味のすき焼きなんて、一生に一度の体験だ。


「でもさ、椎名」


「ん?」


「あの店、実は他にも面白いメニューがあるらしいんだよ」


「……やめろ」


「『偽装フォアグラ』とか」


「やめろ」


「『偽装キャビア』とか」


「もう行かないって言ってるだろ」


「冗談だよ」


また青木が笑う。


まあ、こういう失敗も、後になれば笑い話になるんだろうな。10年後くらいに「そういえば高校の時、デザートをすき焼きに入れたことがあってさ」って笑いながら話せる日が来るかもしれない。


「ていうか、よく考えたら280円のデザートにしては手が込んでたよな」


「確かに。見た目は完璧に和牛だったし」


「あれ作るの、結構大変だと思うぞ」


「だな。ある意味、280円は安いのかも」


「……でも、もう食べたくない」


「同感だ」


そんな会話をしながら、いつもの一日が始まる。


チョコレートすき焼き事件は、俺と青木の間だけの秘密として、永遠に封印されることになった。


……たぶん。


「あ、そうそう。昨日の写真撮っといたんだよな」


「は?」


「チョコが溶けてく瞬間の」


「消せ」


「やだ」


「今すぐ消せ」


「一生の思い出じゃん」


「悪夢の間違いだろ」


結局、写真は消させた。証拠隠滅完了。これでもう、あの惨劇を思い出すことはない……はずだ。


でも、すき焼きを見るたびに、あの異常な甘さを思い出すんだろうな。一生、すき焼きがトラウマになりそうだ。


「次は普通の店に行こうな」


「ああ、普通の店がいい」


「クーポンなしで」


「クーポンなしで」


「メニューはちゃんと確認して」


「全カテゴリー確認してから頼む」


「「二度と同じ過ちは繰り返さない」」

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