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読者の皆様へ
いつも作品をお読みいただき、誠にありがとうございます。
長らく更新が滞ってしまい、大変申し訳ありません。
実は、第三章の構成の作成に詰まってしまい、なかなか筆が進まない状況でした。
ですが、この度ようやく納得のいく形で書き上げることができました。
これから本格的に執筆を再開いたしますので、次回の更新まで今しばらくお待ちいただけますと幸いです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
朝の図書館は、いつもより静かだった。窓から差し込む柔らかな光が、本棚の間を優しく照らしている。俺、橘、そして柏木の三人は、歴史資料のコーナーにある大きなテーブルを占領していた。
テーブルの上には、新選組に関する本が山のように積まれている。土方歳三の伝記、幕末の歴史書、当時の風俗を記した資料集……どれも分厚くて、読むだけで一苦労だ。
俺は本を開きながら、心の中で今日の作戦を整理していた。
今日は松井が透明化する番だ。俺たちの推測通り、橘、柏木、そして今日は松井……三人が順番に透明化している。これは偶然じゃない。何か規則性があるはずだ。でも、その理由はまだ分からない。
とりあえず、松井の透明化を利用して、芸術祭の参加者を調査することにした。透明なら、誰にも気づかれずに情報収集できるからな。
青木は学校と俺の家の中間地点で待機している。もし松井が俺の能力範囲から外れても、戻ってきた時にすぐ感知できるようにするためだ。
なんというか……スパイ映画みたいな作戦だな。我ながら大げさだとは思うけど、でも必要なことだ。
俺はふと、昨日の午後のことを思い出した。
(回想):
俺の部屋に集まった五人は、テーブルを囲んで真剣な表情をしていた。
「なあ、こっそり他の参加者を調査するのはどうだ?」
「え?でも、それって……ズルじゃないか?」
「いや、考えてみろよ。向こうだって色々準備してるはずだ。情報戦も勝負のうちだろ?」
橘は何も言わず、ただニコニコと笑っていた。あの笑顔……なんか企んでる時の顔だな。橘のこういうところ、正直読めなくて怖い。
「そもそもさ、これは『諜報活動』って言うんだよ」
「スパイごっこじゃん」
「違う!これは立派な戦略だ!」
青木のやつ、どこでそんな言葉覚えたんだ?漫画か?絶対漫画だろ。
「でも……見つかったらどうするんですか?」
「大丈夫!俺には完璧な作戦がある!」
「どんな作戦だよ」
「名付けて『ステルス・ミッション・インポッシブル作戦』!」
「……」
「……ネーミングセンス最悪」
「映画のパクリじゃない」
「パクリじゃない!オマージュだ!」
オマージュって便利な言葉だよな……パクリを正当化できる魔法の言葉。
「あの、作戦の内容は?」
「えー、まず第一段階。俺が見張り役として廊下に立つ」
「それで?」
「第二段階。透明化した人が美術室に潜入」
「待て、透明化は明日の話だろ」
「あ……そうか」
「計画性ゼロじゃない」
「い、いや!これは大まかな構想だから!詳細はこれから詰める!」
「じゃあ、誰が潜入するの?」
「えーっと……」
こいつ、全然考えてなかったな。
「私、そういうの向いてません……」
「まあ、明日透明化するの私だろうし」
「そうだ!松井が最適任だ!」
「なんで私なのよ」
「だって、俺一人じゃ調査しきれないし!それに、俺が一人で学校うろついてたら怪しまれるだろ?」
「確かに、青木が一人でうろうろしてたら不審者だな」
「おい!」
「でも本当は、一人じゃ怖いんでしょ?」
「ち、違う!純粋に作戦上の理由だ!」
「でも、透明なら誰も見えないから、怪しまれることもないような……」
「あ……」
「ぷっ……」
「う、うるさい!とにかく二人組が効率的なんだ!」
「ねえ椎名、この作戦本当に必要?」
「まあ、情報はあった方がいいかもな」
「椎名がそう言うなら……」
「なんで俺が言っても信じないのに、椎名が言うと納得するんだよ」
「信頼度の差じゃない?」
「ひどい……」
まあ、普段の行いの差だな。
「と、とにかく!誰が行くかは置いといて、調査は必要だろ!」
「でも、本当に大丈夫かな」
「大丈夫!俺に任せろ!」
「不安しかない……」
松井が俺の近くに寄ってきて小声で話しかけてきた。いい匂いがする……って、集中しろ。
「じゃあ、青木くんは外で待機、松井さんが中を調査。何かあったらすぐ連絡、でいいんじゃない?」
「えー、俺も中に入りたい」
「邪魔」
「直球すぎる……」
「でも、外の見張りも大事ですよ」
「まあ、そうか……」
結局、青木は外で待機になったか。その方が安全だな。
「そうだ!作戦名を考えよう!」
「『普通に調査』でいいでしょ」
「センスない……」
「『透明人間大作戦』は?」
「それだ!」
「普通すぎませんか……」
まあ、青木の案よりはマシか。
「よし、作戦の詳細を詰めよう!」
いつの間にホワイトボードなんて用意したんだよ。
「いつの間にホワイトボード用意したんだよ」
「常に準備万端だ!」
絶対さっきコンビニで買ってきたやつだろ……レシート見えてるし。
「ねえ、本当にこれでいいの?」
また俺に聞いてくる……なんか頼りにされてる感じがする。
「まあ、青木も頑張ってるし」
「椎名がそう言うなら、仕方ないか」
「なんで椎名の言うことだけ……」
「まあまあ、団長の威厳ってやつよ」
「俺だって副団長くらいには……」
「なってない」
「全員一致かよ!」
こうして、なんとなく作戦が決まっていった。本当に大丈夫かな……
その後、俺たちは俺の能力の範囲を測定することにした。
「じゃあ、俺はここで動かないから」
「私が柏木さんと一緒に、学校の方向に歩いていくのね」
「で、でも……もし橘さんが私のこと忘れちゃったら……」
「大丈夫。すぐに戻ってくるから」
俺たちは電話を繋いだまま、実験を開始した。
橘と柏木が少しずつ離れていく。10メートル、20メートル、30メートル……
電話の向こうから、二人の声が聞こえる。
『まだ大丈夫よ。柏木さんのこと、ちゃんと覚えてる』
50メートル、70メートル、100メートル……
『うん、まだ平気。でも、なんだか……少し記憶が曖昧になってきたような……』
150メートル……
『あれ?私、何してるんだっけ?誰かと一緒にいたような……』
限界点だ!
「橘!戻って!」
しばらくして、二人が戻ってきた。柏木の目には涙が浮かんでいた。
「橘さんが……私のこと『誰?』って……」
「ごめんなさい!本当に一瞬だけ忘れちゃって……」
「うぅ……怖かった……」
なんか子供みたいだな……でも、確かに怖いよな、友達に忘れられるなんて。
「つまり、椎名の能力範囲は半径150メートルってことか」
「学校までの距離を考えると……ギリギリ届かないね」
「だから青木が中継地点にいる必要があるんだ」
「なるほど、そういうことか」
現在に戻る。
橘が本から顔を上げた。
「私、透明化してた時に調べ物してたの、覚えてる?」
「ああ、図書室で新選組の資料を……」
「そう。でも途中で松井さんを追いかけることになって、中途半端になっちゃったのよね」
そういえばそうだった。橘も大変だったんだな。透明化しながら調査なんて、精神的にきつかっただろうに。
「それで、今日続きを?」
「そういうこと」
三人はそれぞれ違う資料を手に取った。俺は土方歳三の生涯について書かれた伝記、柏木は当時の風俗や文化に関する本、そして橘は……
「なんだそれ?」
『日本神話と陰陽道』『星座と運命』『都市伝説の心理学』……どう見ても新選組と関係ない本ばかりじゃないか。
「気になる?」
「いや、新選組と関係ないだろ、それ」
「そうでもないわよ。だって、私たちが経験してることって、完全に超自然現象でしょ?」
確かに……透明化なんて、どう考えても科学じゃ説明できない。むしろオカルトの領域だ。
「それに、私、星空に興味があるから、こういう神秘的なことも好きなの」
星空か……そういえば星野茧も天文部だったな。何か関係があるのかもしれない。
「へえ……」
「もしかしたら、この現象を解明するヒントが、こういう本の中にあるかもしれない」
なるほど、一理ある。常識的な方法じゃ解決できない問題なら、非常識な方法を試すしかない。橘の発想は柔軟だな……俺なら絶対思いつかない。
柏木が心配そうな表情で俺たちを見た。
「松井さんと青木くん、大丈夫かな……」
「大丈夫だよ」
本当は俺も心配だけど、柏木の前では強がらないと。リーダーなんだから、しっかりしないと。
「もし青木くんが途中で自分が何してるか忘れちゃったら……」
ああ、その心配か。確かに青木なら忘れそうだ。あいつ、集中力ないからな。
俺はニヤリと笑った。
「その対策はバッチリだ」
「え?どんな対策?」
「青木の腕に、重要なメッセージを書いといた」
「どんなメッセージ?」
橘も興味深そうにこっちを見てる。二人とも好奇心旺盛だな……女の子ってこういうの好きなのか?
「秘密」
「えー、教えてよー」
その膨れっ面、反則だろ……可愛すぎる。でも、ここは我慢だ。
「ダメダメ、後でのお楽しみ」
「そういえば、芸術祭の具体的な要求って覚えてる?」
急に真面目な話か。橘のこういう切り替えの速さ、時々ついていけない。
「えーっと……二人一組で作品を作るんだよな?」
「そうよ。でも、形式は自由なの。今年のテーマは『共鳴』」
「絵画、写真、彫刻、インスタレーション……何でもありです」
そうだった。でも、ちょっと待てよ……
「待てよ……二人一組って言うけど……」
俺は指を折って数え始めた。
「青木と松井は今調査中だから、とりあえず置いといて……俺と柏木で二人、それに橘が加わったら三人だ。これ、ルール違反じゃないか?」
橘の悪戯っぽい笑顔……あ、これは何か企んでる顔だ。嫌な予感しかしない。
「ねえ、私が何部の部長か知ってる?」
「文学部だろ?」
「そう。で、文学部の部長として……」
ん?文学部の部長として……まさか……
「あ!」
やられた!こいつ、最初から別チームで参加してたのか!
大きな声を出してしまった。図書館の他の利用者たちがこちらを見る。
やばい、また怒られる……図書館で騒ぐなって小学生でも知ってるのに。
すみません、と小声で謝ってから、橘に向き直る。
「まさか……」
「そう、私も参加者なの」
柏木がきょとんとしてる。まだ理解できてないみたいだな。無理もない、俺も今気づいたばかりだ。
俺は我慢できずに笑い出した。
「ははは……本当にお前らしいな」
橘のこういうところ、ずるいけど嫌いじゃない。むしろ、こういう抜け目なさが橘の魅力なのかもしれない。
「え?え?どういうこと?」
「橘も芸術祭に参加してるんだよ。別のチームで」
「ええええええ!?」
また大声……これは完全に司書さんに睨まれるパターンだ。
案の通り、司書さんが厳しい顔でこちらを睨んでいる。柏木が慌てて頭を下げて、顔を真っ赤にして服の中に顔を埋めた。亀みたいで可愛いな……って、また変なこと考えてる。
「で、でも……なんで……」
「だって、文学部の部長なんだもの。率先して参加しないとね」
確かに、リーダーの責任か。でも、それにしても……
「でも、なんで部室で会った時、みんな『橘さん』って呼んでたんだ?『部長』じゃなくて」
「うちの文学部の伝統なの。堅苦しいのは嫌いって」
なるほど、自由な雰囲気の部活なんだな。橘らしい。
「でも、そうなると……」
ライバルを手伝うって、どういう神経してるんだ?普通しないだろ。
「俺たちを手伝いながら、自分も参加って……問題ないのか?」
「ルールのどこに『他のチームを手伝ってはいけない』って書いてある?」
また出た、橘理論。でも、確かに書いてない……くそ、反論できない。
「いや、書いてないけど……」
「じゃあ問題ないわね」
この理論展開、さっきの松井と同じじゃないか。類は友を呼ぶってやつか?
柏木が何か言いたそうにしている。多分、手加減してくれるかどうか聞きたいんだろう。
「橘、手加減してくれる?」
橘は少し考え込んだ。この間が怖い……橘が真剣に考えてる時の顔、なんか迫力あるんだよな。
「さあ……どうかしら」
「なんだよ、その返事」
はっきりしろよ……まあ、橘らしいといえばらしいけど。
橘の表情が少し真剣になった。
「確かに、あなたたちには透明化っていう深刻な問題があるわ。でも……」
あれ?橘の雰囲気が変わった。いつもの明るさが消えて……なんか寂しそう?
「表面的な解決じゃ、きっと上手くいかないと思うの」
その言葉、重い……橘も何か抱えてるのか?でも、今は聞くタイミングじゃなさそうだ。
俺がさらに聞こうとした時—
♪〜♪〜♪
げ、図書館でスマホ鳴らすとか最悪だ!また怒られる!
着信画面を見ると、青木からだった。
「ちょっと失礼」
俺は慌てて図書館を出て、廊下で電話に出た。
『もしもし—』
『てめえええええ!!!』
うわ、鼓膜が……なんでこんなに怒ってるんだ?
『このクソ野郎!!美少女って松井のことかよ!!』
ああ……バレたか。でも、嘘は言ってないぞ。松井は確かに美少女だし。
『確かに美少女だけどさ!!認めるけどさ!!でも急に目の前に人が現れるって怖いんだよ!!』
認めてるじゃん……じゃあ何に怒ってるんだよ。理不尽すぎる。
『俺、めっちゃ期待してたのに!!どんな美少女が来るかってワクワクしてたのに!!』
そんなに期待してたのか……単純な奴め。でも、その単純さが青木の良いところでもあるんだよな。
電話の向こうから、松井の声も聞こえてきた。
『何か文句でもあるの?』
うわ、この声……完全に怒ってる。青木、死んだな。
『い、いや!文句なんてない!全然ない!』
『じゃあなんでさっき「期待はずれ」みたいな顔したの?』
松井、鋭い……青木の表情なんて一瞬だったはずなのに。
『してない!してないから!』
『嘘。絶対がっかりしてた』
『だって、もっとこう……ファンタジーな感じの美少女が来るかと……』
ファンタジーって何だよ……エルフとか期待してたのか?アホすぎる。
『は?私じゃ不満?』
この会話、完全に青木が追い詰められてるな……自業自得だけど、ちょっと可哀想。
『椎名!助けて!松井が怖い!』
「自業自得だろ」
お前が勝手に期待して勝手にがっかりしただけじゃん。
『薄情者!!』
「で、調査の方はどうなんだ?」
『あ、ああ……それなんだけど……』
夕音の声が割り込んできた。
『ちょっと、スマホ貸して』
『え?あ、はい……』
完全に松井に支配されてるな、青木……将来、絶対尻に敷かれるタイプだ。
『もしもし、椎名?』
「ああ」
『あのね、すごく重要なことを発見したの。今、一人?』
え?急に何だ?声のトーンが完全に変わった。
「え?」
重要なこと?まさか……新たな透明化現象?それとも神秘の牛乳の正体?いや、もしかして星野茧の手がかり?
俺の頭の中で、様々な可能性が駆け巡る。
もしかして、参加者の中に既に完全に透明化してる人がいるとか?それとも、俺たち以外にも同じ現象に巻き込まれてる人たちがいるとか?
いや、待て。もっと深刻かもしれない。もしかして、この現象の黒幕を見つけたとか?それとも、俺たちを監視してる何者かの存在に気づいたとか?
『ねえ、聞いてる?一人なの?』
沈黙が続く。俺の心臓が早鐘を打つ。
「あ、ああ……一人だ。何があったんだ?」
『えっと……その……』
なんだよ、じれったいな。早く言ってくれ。
『あのね……これ、本当にびっくりすることなんだけど……』
俺の心臓が嫌な予感で締め付けられる。松井がこんなに言いづらそうにしてるってことは、相当ヤバいことなのか?
『参加者リストに……橘沙也加の名前があったの』
……
……
……
は?
……
……
それだけ?
『もしもし?椎名?大丈夫?』
「あ、ああ……」
『分かるわ、ショックよね。私も最初見た時、信じられなかった……』
いや、ショックとかじゃなくて……
「うん……」
『でも大丈夫よ。橘さんは私たちの味方だから。きっと何か理由があるはずよ』
そうじゃなくて……これ、どう言えばいいんだ?
『まさか文学部が参加してるなんて思わなかったでしょ?しかも橘さんが代表なんて……』
「えっと……」
『大丈夫?すごくショック受けてるみたいだけど……』
ショック受けてるんじゃなくて、どう反応すればいいか分からないだけなんだけど……
「実は……」
『うん、何?』
「それ、さっき聞いた」
『……え?』
「橘から直接」
『ちょ、ちょっと待って。橘さんから直接?いつ?』
「ついさっき」
『さっきって……私が調査してる間に?』
「そう」
『じゃあ……柏木さんも知ってるの?』
「うん、知ってる」
『……』
長い沈黙。
やばい、松井が固まった。怒りのゲージが溜まってる音が聞こえる気がする。
『なによそれええええ!!!』
きた!
『私、すっごく悩んだのよ!?どう伝えようかって!ショック受けないようにって気を使って!』
「いや、その……」
『青木にも内緒にしてたのに!重大な秘密を掴んだって思ってたのに!』
青木の「なんか怒ってる……」という小声が聞こえる。
『もう知らない!バカ!』
ガチャン!
電話が切れた。
あー……怒らせちゃった。でも、これは不可抗力だろ……
俺は図書館に戻った。
橘と柏木が心配そうな顔で待ってる。
「どうだった?」
「順調……かな」
松井が怒って電話切ったことは言わない方がいいな。
「なんか歯切れが悪いですね」
「いや、大丈夫。ちゃんと調査してくれてる」
「もしかして、私のこと?」
さすが橘、鋭い。
「まあ、そんなところ」
「あらら、先に言っちゃってごめんね」
「いや、橘は悪くない」
松井の純粋な調査魂を踏みにじったのは、結果的に俺たちなんだけど……まあ、仕方ない。
俺たちは再び資料に向かった。
とりあえず、後で何かお詫びしないとな。
ああ、女の子の機嫌を取るのって難しい……