2-4
俺と青木は、アパートの階段を上って俺の部屋に向かった。鍵を開けると、見慣れた狭い玄関が俺たちを迎える。
「なんか、久しぶりに来た気がするな」
青木は靴を脱ぎながら、部屋を見回していた。
「そうか?」
「いや、なんか今日は妙に懐かしい感じがして」
何それ、詩人にでもなったつもりか?青木が感傷的になるなんて、明日は雪でも降るんじゃないか。
「まあ、上がれよ」
俺たちはリビングに入り、いつもの場所に座った。青木はソファに、俺は床にあぐらをかく。
「やっぱり椎名の部屋は落ち着くなー」
「そうか?特に何もないけど」
「それがいいんだよ。シンプルで」
シンプルって言えば聞こえはいいけど、要は殺風景ってことだよな…まあ、否定はしないけど。
しばらく他愛もない話をした。最近のゲームの話、授業の話、そして明日の天気の話。でも、お互いに本題を避けているのは明らかだった。まるで爆弾の導火線を前にして、誰が火をつけるか様子を見てるみたいだ。
やがて、青木が真剣な表情になった。
「で、本題に入ろうか」
ついに来たか。青木の「真面目モード」スイッチが入った。
「ああ」
「なんで単独で話したかったんだ?みんなと一緒じゃダメだったのか?」
「椎名、お前気づいてないのか?」
「何に?」
「透明化現象の内在的な原因だよ」
内在的な原因…?急に難しい言葉使うなよ。青木が賢そうなこと言うと、なんか違和感あるんだけど。
「どういうことだ?」
「たぶんだけど、これは強烈な感情と関係してる。それも心理的な、負の感情とね」
俺は青木の言葉を聞いて、ハッとした。確かに、思い当たることがある。
「実は…俺も薄々感じてた」
「やっぱりか。どうして?」
「柏木さんだけじゃない。松井も同じような…」
「他の人も同じ状況があったのか?」
俺は昨夜のことを思い出しながら話し始めた。
「昨日の夜、松井にそれとなく聞いてみたんだ」
「何を聞いた?」
身を乗り出しすぎだろ…そんなに興味深いか?まるでゴシップ好きのおばさんみたいだぞ。
「松井が最初に透明化したのは、電話を受けた直後だった。すごく動揺してて…その時に初めて透明化を観測した」
「なるほど…」
「それで、電話の内容を聞こうとしたけど、教えてくれなかった」
「まあ、プライベートなことだろうしな」
「でも、一つだけ重要な情報を引き出せた」
「なんだ?」
俺は一呼吸置いてから言った。
「松井は、その時『辛かった』って言ってた」
青木は大きく頷いた。まるで、パズルのピースがはまったような表情だ。おい、そんなに分かりやすく「名探偵が真相に辿り着きました」って顔するなよ。
「やっぱりな。柏木さんと同じパターンだ」
「ああ。何らかの原因で強い心理的負担を感じた時、透明化が起きる」
俺たちは同時に気づいた。そして、同時に沈黙した。なぜなら—
「でも、例外がある」
「橘沙也加だな」
そう、橘だけが違う。俺たちが知る限り、彼女には特に心理的な問題があるようには見えなかった。
「橘は…全然普通だった。むしろ明るくて元気で…」
あの底抜けの明るさは演技だったのか?いや、そんな風には見えなかったけど…
「そうなんだよな。松井も柏木さんも、確実に心理的負担があった。でも橘は…」
「しかも、今日は松井も柏木さんも大きな問題は起きなかった」
「柏木さんは一瞬透けたって言ってたけど」
「それだけだ。でも橘は完全に透明化した」
俺たちは顔を見合わせた。この矛盾をどう説明すればいいのか。推理小説なら、ここで「犯人は別にいた!」とか言い出すところだけど、現実はそう単純じゃない。
「もしかしたら、俺たちが何か見落としてるのかも」
「どういうことだ?」
「橘って、なんていうか…妙に落ち着いてるっていうか」
俺も同じことを感じていた。
「確かに。沈着冷静で、しかも活発だ」
まるでRPGの賢者キャラみたいな感じだよな。レベル99で全ステータスMAXみたいな。
「松井や柏木さんとは違うタイプだよな」
そこで青木が話題を変えた。
「そういえば、松井の家庭の事情って聞いたことある?」
「え?」
急に何だ?探偵ごっこから今度は身辺調査か?
「お前、松井と一晩過ごしたりしてるんだろ?何か聞いてないか?」
「一晩過ごした」って言い方、なんか誤解を招くんですけど…
俺は記憶を辿った。松井と過ごした時間は短いが、確かに気になることがあった。
「いや、家族の話は一切してない。前に引っ越してきたって言ってたくらいで」
「ふーん」
「それに…たぶん一人暮らしだと思う」
「ああ、だから夜中に出歩いても問題ないのか」
「そういうことになるな」
高校生で一人暮らしって、何か事情があるんだろうな…でも、詮索するのは良くない。
「お前、その辺のこと聞いてみた?」
俺は首を振った。
「いや。彼女が自分から話さないってことは、触れて欲しくないんだろう」
「確かにな。デリケートな話題かもしれない」
俺は青木を見つめた。
「それで、単独で話したかった理由って…」
「分かるだろ?こういう話、本人たちの前でするわけにはいかない」
確かにその通りだ。今日の柏木さんの反応を見れば、これがどれだけセンシティブな話題か分かる。女の子を泣かせる男なんて最低だしな。いや、今日は不可抗力だったけど。
「三人とも傷つけたくないってことか」
「そういうこと。特に今日の柏木さんの泣き方見たら…相当深刻な問題抱えてるんだなって」
俺も同意した。あの涙は、本当に心の底からの叫びだった。
「分かった。それは納得だ。でも…」
俺は青木を見た。
「なんでお前、今夜うちに泊まるんだ?」
青木は一瞬きょとんとした後、にやりと笑った。うわ、その顔やめろ。絶対ろくでもないこと考えてる。
「なんだよ、俺と一緒じゃ不満か?」
「そういうわけじゃないけど」
「あー、分かった!松井と二人きりの時間を邪魔されたくないんだな!」
「違う!」
何それ!?俺はそんなこと考えてない!全然考えてない!ほんの少しも!
「昨日みたいに、二人でイチャイチャしたいんだろ?」
「イチャイチャしてない!」
「じゃあ何してたんだよ」
「音楽聞いてただけだ!」
健全!超健全!これ以上ないくらい健全だから!
「ほんとにそれだけ?」
俺は顔が熱くなるのを感じた。朝の松井のすりすりを思い出してしまう。いや、あれは寝ぼけてただけだ。そうだ、寝ぼけてただけ…俺は何も悪くない…むしろ被害者…
「お、顔赤いぞ」
「うるさい!」
なんだこいつ、名探偵気取りから今度は恋愛探偵か?うざすぎる。
しばらくからかい合った後、青木が真面目な顔に戻った。
「実はな、俺も気になってるんだ」
「何が?」
「お前がどうやって熟睡できたのか。それに、あの光る牛乳のことも」
そうか、青木も不思議に思ってるのか。
「実は昨日の夜は、光る牛乳見てないんだ」
「え?でも見たって言ってたじゃん」
「それは一昨日の夜の話。昨日は着いた瞬間に寝ちゃって」
「ああ、そういうことか」
「しかも、すごく深い眠りだった。夢も見なかった」
あの爽快な目覚めは最高だった。人生で一番よく眠れたかもしれない。
「松井も寝てた?」
「たぶん…いや、よく分からない」
俺は朝の光景を思い出した。松井が俺の肩にもたれかかって、すりすりしてきた時のこと…これは言わない方がいいな。絶対に。墓場まで持っていく秘密だ。
「でも、朝起きた時には確かに寝てた」
「へー、どんな感じで?」
「普通に…寝てた」
「普通にってどんな風に?」
「いや、その…椅子に座って」
「それで?距離は?」
「え?」
なんだその質問!?距離を聞いてどうする!?
「お前と松井の距離だよ。どのくらい離れてた?」
冷や汗が出てきた。正直に言ったら絶対にからかわれる。でも嘘つくの下手だしな…どうする…
「普通の…距離?」
「普通の距離ってどのくらい?」
「隣の席くらい…」
「本当に?」
俺の目が泳いでいるのがバレたらしい。くそ、ポーカーフェイスの練習しとけばよかった。
「あー、これは何かあったな」
「何もない!」
「もしかして、肩とか触れ合ってた?」
ビンゴすぎる…!お前エスパーか!?
「そ、そんなことない」
「いや、もっとか?まさか抱き合って…」
「してない!絶対してない!」
してないから!肩にもたれかかられただけだから!すりすりされただけだから!
…あれ?口に出して考えると結構アレだな。
必死に否定したが、かえって怪しくなってしまった。
「まあいいや。とにかく、俺も体験してみたい」
話題が変わってホッとした。青木の追及から逃れられた。
「だから今夜一緒に行くってことか」
「そう。もし本当に熟睡できるなら、俺も試してみたい」
「分かった。じゃあ2時頃に行こう」
「松井も誘う?」
俺は少し考えた。
「今日は松井、夜勤じゃないはずだ」
「そういえば、お前と松井、二人とも不眠症だよな」
「ああ」
「それで二人とも同時に眠っちゃった。でも、店員は大丈夫だったんだろ?」
「確かに…」
「つまり、影響を受けるのは特定の人だけ」
俺も同じことに気づいた。
「俺と松井は特殊な存在…でも青木は普通の人間」
普通の人間って言い方もアレだけど、まあ事実だしな。
「そう!もし俺が影響を受けなければ、普通の人は大丈夫ってことになる」
「なるほど…青木が保険ってわけか」
「そういうこと。お前らが寝ちゃっても、俺が起きてれば観察できる」
確かに理にかなっている。もし俺たちがまた急に眠ってしまっても、青木なら—
ドンドンドン!
突然、激しくドアを叩く音が響いた。うわっ!なんだ!?借金取り?いや、借金してないけど。
「誰だ?」
ドンドンドン!
ノックはさらに激しくなる。明らかに苛立っている。これ、ドア壊れるんじゃないか?修理代払えないぞ。
俺は立ち上がって玄関に向かった。ドアスコープから覗くと—銀青色の髪。松井だ。
なんでそんなに怒ってるんだ?まさか朝のこと根に持ってる?
ガチャ。
ドアを開けると、松井が仁王立ちしていた。両手には買い物袋。
「遅い!」
「え?」
いきなり何?俺、約束とかしてたっけ?
「ドア開けるの遅いって言ってるの」
彼女は俺を押しのけるように部屋に入ってきた。ちょ、ちょっと!勝手に人の部屋に!しかも土足…あ、ちゃんと靴脱いでる。えらい。
「ちょっと、勝手に…」
「あんたたち、もう話終わった?」
青木がリビングから顔を出した。
「松井さん?」
「腹減った。すき焼き作るから手伝って」
俺と青木は顔を見合わせた。は?すき焼き?なんで急に?つーか、なんで俺の家で?
「は?すき焼き?」
「そう。材料買ってきた」
彼女は買い物袋から、牛肉、白菜、春菊、豆腐、しらたきなどを次々と取り出していく。めっちゃ本格的じゃん…てか、牛肉高そう。
「いや、でもなんで急に…」
「べ、別に…あんたたちと食べたいとかじゃないから」
明らかに嘘だ。耳まで赤いし。分かりやすすぎる。
「ただ、一人ですき焼きは寂しいし…材料も多く買いすぎちゃったし…」
一人前の材料じゃないもんな、これ。最初から三人分のつもりで買ってきたでしょ。
青木が俺の肩を小突いた。にやにやしている。うざい。その顔やめろ。
「と、とにかく!お腹すいてるでしょ?一緒に食べればいいじゃない」
俺は時計を見た。確かに夕食の時間だ。そして腹の虫が絶妙なタイミングで鳴った。ぐぅ〜。恥ずかしい…
「まあ、確かに腹は減ってるけど…」
「じゃあ決まり!」
強引だな…でも、すき焼きは魅力的だ。
「松井さん、遠慮しなくていいのに」
「遠慮なんかしてない!」
「素直に『一緒にご飯食べたい』って言えばいいのに」
「違う!そんなんじゃない!」
でも、耳まで赤くなっている。
「分かった。一緒に作ろう」
「…そう」
よかった、これで機嫌直してくれるかな。
「俺も手伝うよ」
こうして、急遽すき焼きパーティーが始まることになった。まさか今日、男二人の部屋がこんな賑やかになるとは…
俺はまずテーブルを片付け、カセットコンロを出した。土鍋もちゃんとある。一人暮らしには不釣り合いな調理器具だが、これは母さんが残していったものだ。
「へー、ちゃんと土鍋あるんだ」
「たまに鍋するから」
嘘だけどな。ほとんど使ってない。でも捨てられなかった。
「一人で?」
「…たまにな」
一人鍋って響きが悲しすぎる。言わなきゃよかった。実際は、ほとんど使っていない。でも、捨てられなかった。
俺は手際よく材料の下ごしらえを始めた。白菜を切り、春菊を洗い、しらたきを適当な長さに切る。母さんに教わった通りだ。こういう時、教えてもらっててよかったと思う。
「手際いいね」
「まあ、一人暮らし長いから」
豆腐を切っていると、松井が横から覗き込んできた。近い近い!髪がふわっていい匂いする!集中できない!
「あ、豆腐もう少し大きく切った方が…」
「こんなもんだろ」
「でも、大きい方が食べ応えあるし」
「じゃあ松井が切れば?」
「え?私?」
俺は包丁を差し出した。
「ほら」
「えっと…」
彼女は恐る恐る包丁を受け取り、豆腐に向かった。包丁の持ち方からして危なっかしい…大丈夫か?
ガタッ。
豆腐が崩れた。
「あ!」
やっぱり…
「力入れすぎ」
「だ、だって…豆腐って柔らかいし…」
言い訳が可愛い…じゃなくて。
「松井さん、まさか料理できない?」
「で、できるわよ!ただ豆腐が苦手なだけ!」
豆腐が苦手って何だよ。豆腐に親でも殺されたのか。
俺は崩れた豆腐を見て、ため息をついた。
「しょうがない、これは豆腐ステーキにでもするか」
「ごめん…」
一方、青木はネギを切ろうとしていたが—
「なあ、ネギってどう切るの?」
俺と松井は同時に振り返った。
「は?」
まさかネギの切り方も知らないとか…どんな生活してるんだこいつ。
「ネギの切り方も知らないの?」
「だって、普段料理しないし」
自慢することじゃないだろ…
「斜め切りだよ、斜め切り」
「こう?」
バラバラの大きさに切られたネギを見て、俺は頭を抱えた。これ、ネギの虐殺現場じゃん…
「もういい、俺がやる」
「そうね…青木には触らせない方がいい」
「ひどくない?」
ひどいのはお前の包丁スキルだよ。
こうして、結局俺が大部分の下ごしらえをすることになった。まるで料理教室の先生になった気分だ。生徒は二人とも落第点だけど。
松井は横で見ているだけ。時々「あ、それは…」と口を出そうとするが、実際にやらせると失敗する。見てるだけなら誰でもできるんだよなぁ…
青木に至っては、完全に戦力外。割り箸を配るくらいしかできなかった。それすら危うい感じだったけど。
材料の準備が整い、いよいよすき焼きの調理開始だ。俺は土鍋を火にかけ、牛脂を溶かした。
「まず肉を焼いて…」
ジュー。
いい音がする。香ばしい匂いが部屋に広がった。これだよ、これ。すき焼きの醍醐味は最初の肉の香りだ。
「ぐぅ…」
「松井さん、お腹の音聞こえたよ」
「う、うるさい!」
可愛いなぁ…って、また何考えてるんだ俺。料理に集中しろ。
俺は肉に砂糖と醤油をかけ、野菜を加えていく。
「白菜、豆腐、しらたき…」
手際よく具材を並べていく。松井と青木は、その様子を食い入るように見つめていた。二人とも目がキラキラしてる。まるで餌を待つ子犬みたいだ。
「本当に慣れてるね」
「プロみたいだ」
「大げさだよ」
でも、褒められて悪い気はしなかった。料理できる男はモテるって言うしな…って、別にモテたいわけじゃないけど。
最後に溶き卵を用意して、準備完了。
「さあ、食べよう」
三人でテーブルを囲んだ。狭い部屋に、すき焼きの湯気が立ち上る。なんか、家族みたいだな…って、何考えてるんだ。
「いただきます!」
「いただきます」
俺も手を合わせた。
「いただきます」
青木が真っ先に肉に箸を伸ばした。さすが、肉には目がないな。野生の本能か。
「うまっ!」
夕音も肉を口に運ぶ。
「美味しい…!」
「そりゃよかった」
二人の幸せそうな顔を見て、作った甲斐があったと思う。俺も肉を食べる。確かに、上手くできた。甘辛い味付けが、肉の旨みを引き出している。
「椎名、マジで料理上手いな」
「本当。レストランみたい」
「すき焼きくらい誰でも作れるだろ」
嘘だけどな。実は結構コツがいる。
「そんなことない。私なんて…」
彼女は言いかけて、口をつぐんだ。
「松井さん、一人暮らしなのに料理しないの?」
「す、するよ!たまには!」
その「たまに」がどれくらいか聞くのが怖い。俺は疑いの目を向けた。
「たまにって、どのくらい?」
「…今まで、1回くらい?」
「それじゃ普段何食べてるの!?」
「コンビニ弁当とか…カップ麺とか…」
栄養偏りまくりじゃん…大丈夫かそれ。俺と青木は顔を見合わせた。
「それはダメだろ」
「栄養偏るよ」
「だって、一人分作るの面倒じゃない」
まあ、その気持ちは痛いほど分かる。一人分の料理ほど虚しいものはない。確かに、その気持ちは分かる。俺も最初はそうだった。
「慣れれば簡単だよ」
「そう?」
その期待に満ちた目、反則だろ…
「今度教えてやるよ」
「本当?」
「おー、料理教室か。いいねぇ」
また始まった。青木のニヤニヤが止まらない。
「べ、別に二人きりでとかじゃないから!」
「誰もそんなこと言ってない」
でも、二人きりで料理教室も悪くないかも…って、何考えてるんだ俺!
「…うぅ」
和やかな雰囲気の中、すき焼きは進んでいく。野菜も美味しい。特に、肉の旨みを吸った白菜は絶品だ。
「これ、マジでうまい」
「白菜ってこんなに美味しかったんだ」
「すき焼きの白菜は別格だからな」
すき焼きマイスターみたいなこと言ってる俺。
俺たちは夢中で食べ続けた。途中、しらたきを巡って青木と松井が争いになった。
「このしらたき、俺の!」
「私が先に目をつけてた!」
子供か、君たちは。
「いや、俺の箸が先に触れた!」
「触れただけじゃダメ!掴まないと!」
なんだこの低レベルな争い…子供みたいな争いに、俺は苦笑した。
「しらたき、まだあるから」
「でも、このしらたきがいい!」
何が違うんだよ…全部同じしらたきだろ。
結局、じゃんけんで決めることになった。
「じゃんけん、ぽん!」
「よっしゃ!」
「むぅ…」
負けた時の松井の顔、めっちゃ可愛い…じゃなくて。
青木は勝ち誇ったようにしらたきを食べた。
「勝利の味は格別だな」
うざい。めっちゃうざい。
「…次は負けない」
負けず嫌いだなぁ。そういうところも可愛…いや、もういい。
こんな感じで、賑やかな夕食は続いた。なんか青春してる気がする。これが普通の高校生の日常なのかな。
気がつけば、鍋はほとんど空になっていた。
「ふぅ、食った食った」
「お腹いっぱい…」
二人とも、幸せそうな表情をしている。食べ物の力は偉大だな。さっきまでの深刻な話も忘れて、みんな笑顔だ。
「シメは雑炊にする?うどん?」
「雑炊!」
「私も雑炊がいい」
即答かよ。まあ、俺も雑炊派だけど。
俺は残った出汁にご飯を入れ、卵でとじた。ネギを散らして、完成。
「はい、どうぞ」
「これまた美味そう…」
「いただきます」
雑炊も、あっという間に平らげられた。みんな、どんだけ腹減ってたんだ…
「最高だった…」
「本当に美味しかった。ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
後片付けは、三人で協力して行った。松井が皿を洗い(途中で一枚割りそうになったが)、青木が拭いて、俺が片付ける。危なっかしいけど、なんか楽しい。
「なんか、こういうの…いいね」
「確かに。たまにはこういうのもいい」
俺も同じ気持ちだった。一人の食事も悪くないが、みんなで囲む食卓は、やはり特別だ。これが家族ってやつなのかな…なんて、感傷的になってる場合じゃない。
片付けが終わり、三人でリビングに戻った。時計を見ると、もう9時を過ぎていた。
「そろそろ準備するか」
「そうだな」
「2時にコンビニ集合?」
「いや、松井も一緒に行こう」
「え?いいの?」
いいのって…一緒に行きたくないわけじゃないだろ?
「人数は多い方がいい。何が起きるか分からないし」
松井は少し迷った様子を見せたが、最終的に頷いた。
「分かった。じゃあ、一回家に帰って準備してくる」
準備って何するんだろう…まあいいか。
「1時45分に、ここで集合な」
「オッケー」
「うん」
松井は立ち上がり、玄関に向かった。
「今日は…ありがとう。すき焼き、美味しかった」
「いや、材料は松井が買ってきたんだし」
「でも、一人じゃ作れなかった」
その笑顔、反則だろ…
彼女はそう言って、部屋を出て行った。青木と俺は、リビングに残された。
「いい夜だったな」
「ああ」
本当に、いい夜だった。こんな普通の幸せ、久しぶりだ。
「でも、これからが本番だ」
「分かってる」