これでキス、してもいいわよね
リビングに戻ると、先輩が嬉しそうにウロウロしていた。
目的を持った足取りではなく、何か考え事をする時に頭を整理するための運動。
「葉音は行ったの?」
「あぁ、うん」
俺に気付いた先輩に声をかけられる。
扉の音が聞こえないほどの考え事なのか。
とりあえず帰ることはできなさそうだしソファに腰を下ろすと、先輩が俺の様子を窺いながら隣に座る。
部屋で二人きりというシチュエーションにドキドキするのが自然で、できるなら俺もそうなりたいところだったが、その前に聞いておいたほうが良いことがある。
「あのさ、涼ちゃん」
「どうしたの?」
「も、もし勘違いだったら聞かなかったことにしてほしいんだけど、俺のこと――」
「好きよ」
即答だった。
まだ感謝の可能性も残っていたし、ナルシストみたいで聞くのを躊躇っていたが、言い切る前に答えを提示される。
「俺に記憶がないって知った上でも?」
「もちろん。その理由は言わなくても……分かるわよね?」
理由とはきっと、俺が巻島から伝えられたものと同じだろう。
記憶があろうがなかろうが俺の「行動」から好いてくれ、「あの日」の俺と同一人物であると、天王洲を助ける時に証明された。
「でも、すぐに答えがほしいなんて言わない」
よっぽど俺の顔が険しかったのか、先輩はくすりと笑いながら、身体一つ分こちらへ寄せる。
「葉音っていう強いライバルがいるし、他にもいるでしょう。私たちは誰もが悟のことを本気で想っていて、一人を選べないのは優柔不断だからじゃないわ。選ばれないくらいなら他を巻き込んでもいいんだし」
怖い文が混ざっていた気がするが、今すぐ決断しなくていいというのは正直、安心した。
俺と巻島も、俺と先輩も、まだお互いを知るには共に歩んだ道が短すぎる。
手のひらに落ちる桜の花びらを、夏の日差しと夜の柔らかさの違いを、肌寒さで感じる秋の終わりを、処女雪を踏むかどうかを、二人で探ることが心で通じ合うということだ。
「じゃあ……俺はちゃんと涼ちゃんに向き合えるように頑張るよ」
俺が言うと、彼女は「うん」と頷き、ほっそりとした手を自分の胸に置いた。
「今日から覚えていてほしい。私は悟が好き。あの日助けられてからずっと、あなたに夢中なの」
それはまるで誓いのようだった。
そして、宮下パークの時のように身を乗り出し――
「――これでキス、してもいいわよね」
ソファに置かれていた俺の手に、先輩の手が重なった。
敵意を向けられたことのある唇は脆く、少しでも踏み込めば壊れてしまいそうだ。
鼻先が何度か触れ合う。
先輩は目をつぶっていた。
このままでいたら気絶してしまうと言うかのように、頬が真っ赤に染まっている。
距離が離れてからも彼女は目を開けなかった。
幸せを細かく嚥下して、ようやく目を開ける。
「好きな人と触れ合うだけなのに……こんなに幸せなのね」
声色には照れが含まれていた。
「……あれ、涼ちゃんって恋愛経験あるんじゃなかったっけ?」
聞くと、彼女は「なんのことだろう」と訝しみ
「あぁ、嘘に決まってるじゃない」
「嘘!?」
「キスどころか手を繋ぐのだって初めてなのよ、私は」
自慢じゃないけど、と付け足される。
「そ、それなのに知っているふりを……?」
「だって、そうでもしなきゃ悟に近づけなかったんだもの。ほら、私って同年代の子に比べたら大人っぽいじゃない? だから騙せるかなって」
見事に騙されていたのだから何も言い返せない。
予想もしていなかった事実に打ちひしがれたような気分になっていると、先輩が無駄に凛々しい顔付きになった。
「……これくらいで緊張していちゃダメよね。だって、これからもっと凄いことをしてしまうんだから」
「もっと凄いことって……何?」
「ふふっ、悟ったら言わせたがりね。分かるでしょ?」
瞬間、俺の背筋が危機を察知してピンと張る。
これはマズイ。おそらくこの人は――手首を掴まれた。
「ちょっと待って涼ちゃん。一日のうちにそんなに色々な体験をしてしまうのはどうかと思う。今日はキスまでにして――」
「私は葉音から痛いほど学んだの。チャンスは逃さないということをね」
先輩の目が捕食者のそれに変わっていた。
「あなたに勘違いしてほしくないから言っておくけど、葉音に対抗してるわけじゃないのよ。本当にあなたに捧げたくて勇気を出してるの」
巻島と同じで急に力が強くなっている。俺が抗えないほどに。
「ま、まだやめておこう。人の家だし、まだシャワーとか浴びてないし!」
「良いことを思いついたわ!」
ダメだ、俺の話は完全に届いていない。
「朝の数時間じゃ上書きできないくらい、濃密に溶け合えばいいのよ! それとも私に消えない傷をつけてくれても――」
「何も良くないから! 頼むから落ち着いて――んんっ!?」
キスで口を塞がれる。
さっきはあんなに恥ずかしがっていたのに、何かのスイッチが入った先輩は動じていなかった。
「――悟、大好きよ」
こうして、俺はいつぞやと同じような展開という名の波に流され……というより呑み込まれた。
そして翌日、カラカラに干からびた状態で授業を受けることになる。
涼と葉音はバチバチしないと思いましたか?
バトルフェイズは終わらないぜ!
2章の狙いとしては、1章でヘイトを集めていた涼を可愛いと思ってもらうことでした。
そう思ってくださったなら、私が他に望むことはありません。
嘘です星が1番欲しいのでぶちこんでください。
次回、二人のヒロインの関係性がどう変わったのか判明します。




