(28) 我もまた、貴様の剣となろう
再び、あの禍々しい魔力が渦巻く空間へと足を踏み入れた。
湿った空気と、腐敗と瘴気が混じった悪臭。
世界樹の根の奥深くへ続く道は、以前にも増して不穏さを強めていた。蠢く黒い根、滴る瘴気の雫。すべてがアノンの侵食の深さを物語っている。
いくらも進まないうちに前方から異質な気配が迫ってくる。黒い瘴気を纏い、血走った赤い眼をしたエルフたち――アノンに操られた黒エルフたちが、進行を阻むため立ち塞がった。虚ろな表情に、自我の影はなく。ただ命令に従い、本能のままに襲いかかってくる。
「……かつての同胞に刃を向けなければならないとは、辛いものです」
リィゼルが悲痛な面持ちで呟いた。だが、その手にはすでに聖なる杖が握られている。
彼女の使命は、世界樹と世界の調和を守ること。今は感情よりも、果たすべき責務が優先される。
「迷うな、リィゼル。彼らはもう、かつてのエルフではない。アノンの傀儡だ。ここで立ち止まれば、アノンの思う壺だぞ」
聖剣エクス=ルミナを構え、前へと踏み出す。
風のない空間で、長い黒髪が揺れ、鋭い視線で黒エルフたちを射抜く。迷いはなかった。
「突破するぞ」
俺の声を合図に、ラズが前に出た。赤い目が妖しく輝き、背後から漆黒の翼が広がる。堕天使の力と魔族としての威圧が、周囲の空気を震わせた。カルナスはリィゼルをかばいながら臨戦態勢に入る。琥珀色の眼差しには、野生の獣のような鋭さが宿っていた。ミルティナスは詠唱を始め、彼女の周囲に幾重もの光の輪が展開する。
黒エルフたちが同時に襲いかかる。瘴気を纏った武器が雨の如く降り注いだが、こちらの動きは彼らを圧倒していた。聖剣の閃光が黒き傀儡たちを次々と無力化していく。魔力を極限まで高め、あらゆる魔法を駆使して敵を撃ち倒す。
ラズは羽根を刃へと変え攻撃。カルナスは精霊の加護を宿す剣で敵の攻撃を捌き、ミルティナスの多重結界が黒エルフたちの猛攻を遮断していた。
彼らはもはや生者とは言えず、聖剣の力は彼らの存在そのものを根本から消し去る。剣を振るうたびに瘴気が煙のように消えていった。
どれほど時間が経ったのか。終わりの見えなかった黒エルフたちの波状攻撃は、ついに終息を迎えた。浄化された空気の中に、かつての同胞たちの痕跡が静かに横たわっていた。
激戦を終えたにもかかわらず、疲労よりも、目標へ近づいた覚悟が胸に満ちていた。アノンの元へ、確実に一歩、迫っている。
聖剣を握り直し、意識を刃に集中させた。
(エクス=ルミナ……聞こえるか?)
剣が熱を帯びた意識で応える。
(俺は、魔王として、勇者として、仲間とミルザ、この世界樹――どれも救いたい)
『ああ、アイザワ。貴様の決意、しかと受け止めた』
剣の意識が一層強く共鳴する。
『魔王であろうと勇者であろうと、貴様は貴様だ。その心にある光は、本物。迷うな、アイザワ。我もまた、貴様の剣となろう』
その瞬間、魔力が体内で爆発的に高まり、灼熱の奔流が全身を駆け巡る。視界が澄み、思考は冴える。
――聖剣の真の力。
(ありがとう、エクス=ルミナ)
心の中で剣に礼を告げる。
視線を前へと向けた。
アノンの気配はすぐそこにある。今なら、必ず倒せる。
「行くぞ!」
短く叫び、踏み出す。仲間たちもそれに続いた。眼差しには、これまで以上に強い決意の光。
俺は、魔王ゼルヴァとして、勇者アイザワ・ナオートとして、全てを懸けてこの戦いに挑む。それが、「二度と後悔しない生き方」に繋がる、ただひとつの道なのだから。




