(21) 我らの苦しみなど、理解できぬだろう
その時、不穏な気配が瘴気の奥から急速に近づいてきた。明らかに殺意と破壊衝動を伴っている。
「来るぞ……!」
カルナスが叫び、琥珀色の視線を鋭く光らせる。紋様が発光し、彼の引き締まった体が戦闘態勢を取る。
次の瞬間、通路の奥から現れたのは、全身に黒い鉱物のような装甲をまとった異形の存在たち。まさに、黒エルフの強化体・黒根の使徒第一隊だった。彼らの姿には、かつてのエルフの面影はほとんど残っていない。
そして、その先頭に立つのは、右腕が巨大な刃へと変化した男。彼の赤い単眼が、俺たちを正確に捉えていた。
「先ほどは、挨拶せずに失礼した。私はレイストル=グラウという」
言うと、大げさに一礼をする。
「お急ぎのところ、申し訳ないが、少しばかり余興に付き合っていただく」
無機質な声で告げられるその言葉からは、感情の欠片すら感じられない。
「すまないが、急いでいる……!」
俺は少しばかりいら立っている。
エクス=ルミナを構え、真っ先にレイストルへと飛び込んだ。踏み込んだ一歩が地面を深く抉り、魔力の波動が周囲に広がる。
レイストルが振り下ろす巨大な刃は、まるで巨大岩の落下を思わせるような質量と破壊力を持っていた。世界樹の根が軋むほどの衝撃が周囲に走る。
キンッ!
エクス=ルミナと刃が激突し、激しい金属音が鳴り響く。火花が散り、腕に痺れるほどの重さ。俺は我流の剣技でその一撃を受け流し、体勢を整える。
「ちっ……!」
けん制に魔法の矢を発動するが、硬質な音と共に弾かれてしまう。
レイストルは意に介さず、緩慢ながらも圧倒的な力を持った一撃を次々と繰り出してくる。
『アイザワ、奴は『無機融合』の禁術を使い、周囲の物質を肉体と融合させている。あの装甲、並の攻撃では砕けぬぞ!』
エクス=ルミナが鋭く警告する。刃が青く光り、正確な情報を伝えてくる。
その言葉通り、魔法も剣も効果を与えられず、さらに奴は傷を瞬時に修復する『肉体再生』の能力を有していた。
「愚かな……。無駄な足掻きはよせ」
感情のない声が響く。赤い単眼が冷酷に輝き、巨大な刃が俺を討たんと振り下ろされる。
避けられない!
「ニャア!」
その時、どこからともなく、可愛らしい鳴き声が響いた。
レイストルの背後、ちょうど死角となる位置から、漆黒の毛並みを持つ小さな黒猫が俊敏な動きで飛びかかる。
「なっ……!?」
レイストルは不意の攻撃にわずかに体勢を崩した
その隙に防御魔法を左手に展開して受け流す。
「数が多い!」
ベリシアの声が飛ぶ。彼女は火炎と冷気の魔法を駆使して、黒エルフたちを牽制していた。銀髪が乱れ、紫紺の視線が戦況を見極めるように鋭く光る。魔法剣レイピア「凍える炎」が、冷気と炎を纏い、次々と敵を薙ぎ払う。
カルナスは、足場を腐食させる術『根侵』の影響をものともせず、俊敏な剣技で攻撃を受け流す。左目の紋様が空間の歪みを察知し、的確に回避を助けていた。
「くそっ、厄介な相手だ……!」
レイストルの横薙ぎの一撃を受け流し、体勢を崩す。そこへ別の黒エルフが死角から飛びかかってきた。放たれる瘴気は、俺の魔力をもってしても完全には防げない。
「陛下!」
ラズがケープを翻し、俺の前へ飛び出る。彼女は魔獣を召喚し、敵に襲いかからせた。怒りを宿した赤い目が燃えるように輝いていた。
リィゼルは離れた位置から神聖魔法で回復支援を行い、仲間の疲弊した魔力を癒やしている。銀色の髪が動きに合わせて揺れ、表情にはこの歪んだ状況への深い憂慮が感じられる。
ミルティナスは瘴気の中、目を閉じて集中していた。空色の瞳が魔力の流れと禁術の術式を読み取ろうとしている。
「……レイストル=グラウの肉体再生は、世界樹の根の魔力を直接吸収しています。この環境では、彼の再生能力はほぼ無限に等しい……!」
彼女の冷静な声が、絶望的な事実を告げた。この根の奥深くでは、レイストルは無敵に近い。
「そんな……!」
ベリシアが息を呑む。圧倒的な破壊力とそれを凌ぐ再生力に、俺たちは苦戦を強いられていた。魔法も剣技も決定打にはならない。
『魔王、このままでは埒が明かぬぞ! 奴の再生は、世界樹の根の魔力に依存している。何らかの対処をせねば……!』
エクス=ルミナの声が焦りを帯びて意識に響く。その通りだ。このままではジリ貧だ。俺は目を閉じ、必死に打開策を探った。
面倒なことは先送りせずに対処する。それが俺の信条だ。だが、今この瞬間、その信条が試されているかのようだった。
俺たちは、レイストル=グラウの圧倒的な再生能力と破壊力の前に、苦戦を強いられていた。世界樹の根が腐敗し、瘴気が充満するこの環境は、彼の『肉体再生』と『無機融合』の禁術を最大限に引き出していた。エクス=ルミナによる剣技も、高位魔法も、彼を倒す決定打にはならない。
言葉通り、レイストルの装甲は砕いてもすぐに再生し、その巨腕から繰り出される一撃一撃が、俺たちの陣形を押し潰そうとしてくる。
ベリシアは冷静に戦いながらも、表情には疲労の色が見え始めていた。火炎や冷凍魔法でレイストルの配下である黒エルフたちを牽制するが、それでも数は多い。カルナスは琥珀色の視線を鋭く光らせ、身を挺して仲間を護ろうと奮戦していた。精霊の加護を受けた剣技は鮮やかだが、疲労は確実に蓄積している。
そんな中、ミルティナスは額に汗を滲ませながらも、集中力を研ぎ澄ませていた。
「陛下! この瘴気は、本来、世界樹の根の生命力と精霊たちが混ざり合った歪んだ魔力です! これを遮断できれば……!」
彼女の声に呼応するように、空色の瞳が一層強く輝いた。彼女は世界樹の根や精霊学に関する膨大な知識を持っている。魔力を集中させ、複雑な魔法陣を展開した。それは、探知魔法とは異なる結界術の一種だった。
「――魔障結界≪マナウォール》』!」
ミルティナスの詠唱と共に、俺たちの周囲に淡い空色の光の壁が展開される。それは本来魔法攻撃を防ぐ防御魔法だが、レイストルが根から魔力を吸収する経路を一時的に寸断する効果があった。
『ほう……! やるではないか、エルフの娘よ!』
エクス=ルミナが感嘆の声を上げた。
同時に、リィゼルが清らかな神聖魔法を発動する。
「皆、今です! 聖なる恩寵≪ホーリー・グレイス》!」
銀色の長髪が神聖な輝きを放ち、慈愛の光が溢れ出す。その光は疲弊した俺たちの体に染み渡り、魔力と活力を回復させていった。レイストルの『根侵』によって受けた細かな傷も、みるみるうちに癒えていく。
『チャンスは今だ、魔王!』
聖剣エクス=ルミナが叫ぶ。
この千載一遇の機会を逃すまいと一気に間合いを詰めた。全身から圧倒的な魔力が噴き出す。それは、魔王としての威圧と勇者としての決意が混ざり合った、純粋な破壊の意志だった。
「――くらえ!」
エクス=ルミナの刀身が漆黒の魔力と聖なる光を同時に宿し、禍々しい輝きを放つ。俺はその剣を、レイストルのひび割れた装甲目掛けて渾身の力で叩き込んだ。
けたたましい金属音と共に、装甲がまるでガラスのように砕け散った。巨体が吹き飛び、世界樹の根の壁に叩きつけられる。そこから大量の黒い液体が噴き出し、肉体再生能力も完全に機能不全に陥っていた。
「ぐあああああああっ……!」
レイストルは苦痛の叫びを上げる。仮面のような顔が苦悶に歪んだ。一撃は、彼の禁術の核を完全に破壊していたのだ。
その隙を逃さず、ベリシアが追撃の魔法を放ち、カルナスの剣が黒エルフの兵士たちを薙ぎ払う。ラズの魔獣たちが残りの敵を圧倒している。
戦いが終わると、黒猫がふわりとベリシアの肩に飛び乗った。
「ニャ」
可愛らしい鳴き声と共に彼女に頬をすり寄せる。その小さな体から、温かな魔力が伝わってきた。この妖精は俺たちを助けてくれた。
「助かったよ」
そう言って黒猫の頭を撫でた。
レイストル=グラウ率いる黒根の使徒の一隊を打ち破った。砕けた装甲の破片と黒エルフたちの遺体が散乱する中、瘴気は依然として濃いが、わずかに薄まっているように感じられた。
レイストルが倒れた場所へと歩み寄った。彼の体は黒い霧となって消えかかっていたが、わずかに残った意識が俺たちに語りかけてきた。
「……愚かな。お前たちには、我らの苦しみなど、理解できぬだろう」
かすれた声の中には、深い怨嗟と絶望が込められていた。
「我らは……エルフどもによって、世界樹の根の底に追いやられた……。穢れた存在として、蔑まれ、虐げられてきたのだ……」
この言葉に、リィゼルとカルナスの表情が僅かに揺らいだ。エルフの歴史の中で、黒エルフが経験してきた苦しみを知っていたからだ。
「世界樹を護るという大義のもと、我らを奴隷のように扱い……捨てた……」
レイストルの声は怒りに震えていた。
「もう我らに未来はない。だからこそ、アノン様は……『秩序なき進化』を提唱された……。この世界を、一度全て破壊し、新たな法則で再構築する……。エルフに汚された世界を、清めるために……!」
彼の言葉に狂信者に近いものを感じた。アノンというものの思想に彼らが心酔している。彼らは、自分たちの行動が種族の未来のためだと信じていた。エルフに対する根深い恨みが、彼らの行動原理となっていたのだ。
「ルミリアズ……あと少し時間かせぎ……を」
レイストルの声は次第に弱まっていく。彼の肉体は、完全に霧散寸前だった。
「お前たちには、我らの絶望は分からぬ……。我らこそが……この世界の新たな秩序となるのだ……」
それが、レイストル=グラウの最後の言葉だった。彼の体は黒い霧となって消え去った。
重苦しい沈黙が訪れる。彼の言葉は、俺たちの心に重くのしかかった。完全に理解することはできなくても、彼らがなぜ歪んだ道を選んだのか、その一端を垣間見た気がした。
「……確かに、彼らの恨みは、容易に消えるものではないでしょう。しかし、だからといって、世界を破壊しようとすることは……」
リィゼルが、悲しげに呟いた。翠の瞳には、複雑な感情が浮かんでいた。
「しかし、ミルザを利用し、生命の尊厳を顧みない行為は、決して許されるものではありません」
ベリシアが固い口調で続ける。表情には、ミルザを救うという強い決意が宿っていた。
「……面倒な問題だ」
俺は黒猫の妖精をそっと撫でた。妖精は「ニャァ」と鳴き、指に頭を擦り付けてくる。
俺たちは、再び足を踏み出した。




