(20) それでも、俺はミルザを救いに行く
ミルザが黒エルフに連れ去られた後を追う工程は、重苦しい沈黙が支配していた。
足音だけが、ひたすら世界樹の根に響いていた。誰もが口を閉ざし、深く沈黙していた。無言の中に、それぞれの葛藤や感情が渦巻いているのが痛いほど伝わってきた。
目の前に続く道は、瘴気の気配とともに、どこまでも暗く、重たく感じられた。木の根が複雑に絡み合い、時折、地面が不気味に脈動する。世界樹そのものがうめいているかのような振動が足元から伝わってくるたび、胸がざわついた。
怒り、後悔、そして何よりも、胸を締め付けるような無力感。それが、皆の表情に刻まれていた。
カルナスの背は普段よりもわずかに落ち、ベリシアの口元は固く結ばれていた。リィゼルは視線を下げたまま、時折、巫女衣の袖を強く握りしめていた。
『アイザワよ……』
エクス=ルミナの、いつになく真剣な声が、意識に直接響いた。
「わかっている……」
その言葉は、ただの返答ではなかった。自分自身への確認でもあり、決意でもあった。
立ち止まり、傷の手当を済ませた俺たちは、後ろを進むリィゼルに目を向けた。
「リィゼル……世界樹の壊死は、黒エルフが関連してるのだろう?」
「……私も確信しました。私たちは、見たくないものを見ないふりしていました。黒エルフと断絶したままで、それでも世界樹があれば何も心配がないと――」
彼女の声はかすかに震えていた。その横顔には、これまで見せたことのない無念さが浮かんでいた。
「ああ。でも実際は、破滅は確実に進行していたのだろう?」
リィゼルは似合わない自嘲めいた笑みを浮かべ、首を横に振った。
「長老評議会も、結局は自分たちの都合しか考えていなかったということです」
彼女だけの問題ではない。俺もまた、自らの王国において、最終決定権を握る者として、それを胸に刻む必要があった。
ベリシアもラズも無言のまま進んでいた。特にベリシアの顔には、深い悲しみと苛立ちが混ざり合っていた。
「それでも、俺はミルザを救いに行く。そう決めた」
前を向き、歩を進める。
「……俺は、黒エルフの討伐を決意した」
その一言に、空気が変わった。瞬間、カルナスの琥珀色の眼差しが鋭くこちらを捉えた。
「……エルフの側に立っていただける、と」
「俺は、魔王だ。だが、同時に、勇者でもある」
腰の聖剣に手をやり、力強く言い切った。
「異なる種族も理解し合えるはず。それが、俺の信条の一つだ。黒エルフが、なぜ歪んだ道を選んだのか、その背景に何があったのか、理解しようと努める。だが、彼らが世界を破壊しようとするならば、力で止めなければならない」
その言葉に、カルナスはわずかに目を伏せた後、振り返って言った。
「私は、ゼルヴァ殿の言葉を信じます。世界樹の苦しみが、これ以上増すことは、決して許されません。ミルザ様を救い出すことこそが、今、我々が為すべきことです」
「ああ。でも、これだけは覚えていてほしい。――この闘いの後、俺も、エルフも、黒エルフも――この戦いにかかわった者は、それぞれに責任を取らねばならないだろう」
その言葉に、リィゼルは静かに、深くうなずいた。
「はい。陛下のお話は、全て承知しております」
「私の考えは、いかなる犠牲を払ってでも使命を全うすること。とにかく動きましょう」
カルナスに続き、ミルティもまた、一歩前に進み出た。
「わたくしも、全力で支援いたします。わたくしの持つ技と知恵を、全て世界樹のために使わせていただきます」
彼女の空色の目は、曇りなく使命に燃えていた。その瞳に宿る光は、弱さを微塵も見せなかった。
ベリシアの表情にも、かすかな変化が現れていた。まだ悲しみの影は色濃いが、紫紺の目には、かつての冷静さと、俺への揺るぎない信頼が宿っていた。
「ゼルヴァ様……わたくしも、全てをかけて、必ず取り戻します」
その声は普段よりも柔らかく、けれども、その決意は誰よりも強かった。
「私も、微力ながら、お力になります」
ラズの落ち着いた口調に、鋼のような意志が宿るのを感じた。
全員が、揺るぎない思いを胸に携え、前を向いていた。俺は改めて皆の顔を見回し、深く頷いた。
「よし。面倒なことは先送りせずに対処する。それが、俺のもう一つの信条だ」
「先を急ごう。ミルザを救い出し、世界樹の、そしてこの世界の未来を、俺たちの手で掴み取るぞ!」
その声は、世界樹の奥深くに満ちた淀んだ空気を震わせた。絶望を打ち破り、新たな希望の火を灯すように、力強く響き渡っていた。
向かうのは、黒エルフの研究都市「黒環サーヴァ」。
世界樹の根の街――闇の奥にある、最終の戦場だ。
進むにつれて、空気はさらに重く淀み、精霊たちの苦悶が混じった瘴気が肌を刺すようにまとわりつく。
世界樹の根は、もはや本来の生命力に満ちた姿ではなく、黒く変色し、異様な脈動を繰り返していた。
進む道中、ミルティナスの知識が役立った。彼女は常に冷静沈着な表情で、周囲の魔力の流れや根の構造を丹念に分析していく。
「この先、恐らく『黒環サーヴァ』へと続く主要な通路に違いありません。この魔力の流れの変化からして、大規模な禁術が展開されている可能性があります」
丁寧な口調で語る彼女の瞳は薄明かりの中でも鋭く、魔力の痕跡を逃さず見極めていた。
『ふむ……。アイザワよ、この瘴気、並の人間ならば数分と保たぬぞ』
エクス=ルミナが意識に直接語りかけてくる。確かに、この精霊の瘴気は通常の魔物どころか魔族にすら有害だ。エルフであるリィゼルやカルナス、ミルティナスにとっては、より一層過酷な環境だろう。
リィゼルは神聖魔法で結界を張り、仲間を守っていた。その翠の瞳には疲労の色が見え始めていたが、前に進むしかない。
「わたくしも交代で結界を張ってますゆえ、問題ありません」
ベリシアが静かに応じる。
その時、不穏な気配が瘴気の奥から急速に近づいてきた。明らかに殺意と破壊衝動を伴っている。
「来るぞ……!」
カルナスが叫び、琥珀色の視線を鋭く光らせる。紋様が発光し、彼の引き締まった体が戦闘態勢を取る。




