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(17) ミルザ様に、呼びかけてください

 リィゼルが、敬虔な面持ちで呟いた。翠のまなざしが、じっと祭壇を見つめる。

「それに……この祭壇は、内側から封印されています」

 その言葉に、眉をひそめる。内側から? 誰が、何のために? 妖精が自ら閉じこもる理由とは、一体……。

「リィゼル、解呪できるか?」

 尋ねる。この奥にミルザがいる可能性が高い。

「はい……試してみます」

 リィゼルは祭壇の前に進み出る。銀色の長髪を揺らしながら両手を胸の前で合わせ、静かに目を閉じた。清らかな巫女服が、空間の淡い光を受けて白く輝く。

 すると、彼女の体から、透き通る神聖な魔力が放たれ始めた。それは淀んだ空気を浄化するみたいに広がり、祭壇の透明な壁に触れると、微かな波紋が広がる。

 リィゼルは、刻まれた魔法文字に沿って指を滑らせ、古の言霊を、歌うかのような響きで紡ぎ始めた。その声は世界樹の内部に厳かに響き渡る。

 カルナスは無言で背後を護る。琥珀色のまなざしは鋭く、周囲の異変を逃さない。ミルティは神秘的な光景に目を奪われ、真しな表情で見守っていた。

 やがて、リィゼルは目を開けた。汗が額をつたう。

「中からの答えがありません。固く、閉ざされています」

 少し蒼ざめた貌は、それでも諦めは見えなかった。

 しかし、どうするのか。

 沈黙が、いくらか続いた後、ベリシアが一歩を踏み出した。

「リィゼル、わたくしは手伝えないでしょうか」

 ベリシアは、背負い袋から世界樹の苗を取り出し、それをリィゼルに見せた。

 リィゼルが優しい顔を取り戻し、うなづいた。

「わかりました。ベリシア。あなたの力を貸してください」

 世界樹の苗を祭壇の前に置くと、ベリシアはその前で腰を落とし両手を組んだ。リィゼルはベリシアの後ろに立ち、その両肩に手を置いた。

「ベリシア、魔力を同調させます。ミルザ様に、呼びかけてください」

 ベリシアは頷くと、魔力を集中し始めた。淡い紫色の魔力が彼女の周りに沸き立つ。リィゼルは詠唱をはじめると、彼女も紫色の魔力に包まれた。

 俺たちは固唾をのむしかなかった。

 呪文が続くにつれ、祭壇を覆っていた壁が揺らぎ始めた。

 水面に波紋が広がるように亀裂が走り、やがて、パリンと音を立てて砕け散る。

 ベリシアとリィゼルが詠唱を止め、目を開ける。

 破片は飛び散らず、光の粒子となって空間に溶けていった。

 封印が解かれたのだ。

 奥から冷たく澄んだ空気が流れ込む。

 そこは、まるで時が止まったかと思える静謐な空間だった。

 ふと、中央に、一人の少女が立っていた。

 華奢で小柄な体躯。プラチナブロンドに近い淡銀色の髪が背中の中ほどまで伸びている。淡い空色の光彩が、じっとこちらを見つめていた。自然素材の簡素な衣をまとったその姿は、精霊の力を宿しているためか、全体的に淡い光を帯びて見える。

 彼女が――妖精女王ミルザ。

 脳裏に、ベリシアが語った妖精の容姿が蘇る。幼いベリシアに「約束の種」を与えたその姿。そして、古エルフの伝説に語られる妖精女王の祖霊、ミルザ。

「……ミルザ様……?」

 リィゼルが畏敬の念を込めて問いかけた。

 少女はわずかに首を傾げる。その仕草は幼く、あどけない。

「……うん。わたし、ミルザ」

 声は幼く、たどたどしい。まさに子供の声だった。

 思わず戸惑いを覚える。妖精女王である可能性が浮上した時、もっと威厳ある、成人した姿を想像していた。数千年もの間イグラン=エレオスを支えてきた存在が、こんなに幼いとは。

「その姿は……伝承と異なる様子ですが……」

 ミルティが、戸惑いを隠せない様子で言葉を発した。エルフの伝承では、妖精女王は成人した、より威厳ある姿で描かれているはずだ。

 ミルザは少し悲しげな表情を浮かべる。

「わたし、ずっとここにいたから。だから、こうなの」

 その言い方はまるで子供の説明だった。成長のないまま時を過ごしてきた。そんな響きだった。

 ベリシアが、静かに近づいていく。ミルザもまた、ゆっくりと歩み寄ってきた。どちらからともなく、ふたりは手を取り合った。声もなく、ただ互いの存在を確かめるように。

「……本当に、ミルザなのですね」

 その囁きが、震えていた。

 俺は、少しだけ距離をとって見守っていた。カルナスもリィゼルも、誰も言葉を挟まない。ただ、その光景に、自然と胸が締めつけられる。

 ふと、気がついた。

 ベリシアの頬を、ひとすじの雫が伝っていた。

 彼女は自分でも気づいていない様子で、ミルザを抱いたまま、何度もその小さな背に手を回していた。

 ベリシアの背には、あの世界樹の苗木がある。戦いのさなかも決して手放さなかった、大切な希望。だが今は、彼女はただ、ミルザのぬくもりにすがっている。

「……ベリシア」

 そう声をかけようとした時、ラズがそっと歩み寄った。――無粋な声を出さずに済んだ。ラズが微笑んでいた。

 ベリシアがようやく自分の涙に気づいた。

「……わたくし、どうして……」

 掠れる声に、ラズが微笑んで首を振った。

「気持ちは、身体が先に動くものです。涙だって、理由を待ってなんかくれない」

 ラズの言葉に、ベリシアは頷いた。

 泣いている彼女を慰めることも、言葉をかけることも、正直なところ、今の俺には難しかった。ただ、その姿があまりに痛々しく、そして――あまりに美しかった。

 少しだけ背を向け、そっと目を伏せる。これはきっと、彼女たちにとって、誰にも邪魔されたくない大切な時間なのだと思った。

 ミルザの小さな手が、ベリシアの涙をぬぐう仕草が見えた。

 その優しさが、長い年月を越えても変わっていないことに、胸が詰まる。

 ベリシアが改めてミルザと向き合った。紫紺のまなざしが、ミルザの空色の光彩をまっすぐに捉える。

「ミルザ……わたくしを、覚えていますか?」

 かすかに震える声。彼女にとってミルザは、幼い頃に「約束の種」をくれた特別な存在だ。

 ミルザはじっとベリシアを見つめ、答えた。

「……ベリシアね」

 確かな喜びを含んだ声。その顔に、無垢な笑顔が広がる。

 静かにその光景を見守る。この再会が、世界樹を救う一歩となることを願うばかりだった。

 ――しかし、幼い妖精女王の姿は、新たな疑問を投げかけてくる。なぜ、この姿なのか。なぜ、自ら封印されていたのか。

 聖剣エクス=ルミナが、意識に語りかけてくる。

『アイザワよ……この妖精の力は、確かに本物だ。だが、その精神は、あまりに幼すぎる。世界樹を救うには、これでは……』

 聖剣の言葉は懸念を裏付けていた。

 改めてミルザの姿を見つめる。華奢な体、小さな手足、あどけない顔立ち。その内側に、世界樹と共鳴する莫大な力が宿っているだろう。

 でも数千年を生きる妖精女王が、この精神状態では、まともな対話すら難しい。

 この少女こそが、最後の希望なのだ。

「ミルザ。俺はゼルヴァ。ベリシアといっしょに、世界樹を救うためにここに来たんだ」

 できるだけ穏やかに、しかし芯のある声で語りかける。警戒させず、けれど真摯な意志を伝えるために。

 ミルザは、大きく瞬きをした。その空色の光彩に、警戒はない。あるのは純粋な好奇心と、わずかな不安。それが交じり合って、こちらをじっと見つめていた。

 その時だった。

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