(3)変わった魔力を感じる
廊下を歩く間も、頭の中では先ほどの実験結果と、必要な素材のことが駆け巡る。ゼルダが、備蓄にないと言った以上、外部からの調達は避けられないか。それを最もスムーズに、かつ安全に遂行できるのは、彼女しかいないだろう。
宰相の執務室の前に立つと、軽くノックをする。
「ベリシア、少しいいかな?」
「はい、陛下。どうぞお入りください」
中から、いつもの冷静で、しかし最近では少し柔らかさを帯びたベリシアの声が聞こえてきた。俺は扉を開け、中に足を踏み入れた。
彼女の執務室は、まさに「仕事場」といった趣きだった。無駄な装飾は一切なく、整然と並べられた書棚には、魔王国の歴史、外交記録、経済情勢に関する資料がぎっしりと収められている。中央には、大きな執務机が置かれ、その上には資料の山ができていたが、乱雑さはなく、項目ごとにきちんとまとめられているのが見て取れた。彼女の性格がそのまま表れている部屋だ。
ベリシアは、座っていた椅子から立ち上がり、俺の方へと視線を向けた。
「そろそろ休憩しようとしていたところです。よろしければ、ご一緒にいかがですか?」
彼女の銀色の髪は、いつも通り綺麗に編み込まれ、こちらを真っ直ぐに見つめる。細身でしなやかな体つきだが、宰相としての激務をよくこなしている。彼女の端整な顔立ちには、常に冷静な表情が張り付いているが、最近は、その表情が和らぐ事が増えた。ちょうど、今の様に。
彼女は、部屋の隅にある簡素な茶器のセットへと向かった。慣れた手つきで湯を沸かし、茶葉を急須に入れる。この世界の茶は、地球のそれとはまた違う独特の香りがするが、慣れるとこれがなかなか美味いのだ。彼女が淹れてくれる茶は、いつも絶妙な温度と濃さで、一日の疲れが癒される気がする。
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ」
俺は執務机の向かいにある来客用の椅子に腰掛けた。ベリシアは、静かにお茶を淹れ、俺の前に湯気の立つカップを置いてくれた。ふわりと、清々しい香りが立ち上る。
「それで、陛下。何かご相談がございましたか?」
茶を一口啜り、落ち着いたところで、俺は本題に入った。
「ああ、実は、ある実験に必要な素材の調達の件で、ベリシアに相談したくてね」
俺は、ゼルダとの研究内容について、簡潔に説明を始めた。高出力化を目指す上で、現在使っている素材では限界があり、高純度魔晶石と、高負荷に耐えうる耐魔力合金のサンプルが必要だということ。
ベリシアは、俺の話を遮ることなく、真剣な表情で耳を傾けていた。彼女の知的な美貌は、真剣な思考に没頭する時、一層際立つように思えた。
「なるほど……陛下の研究、興味深いですね。魔力のとらえ方が私たちと違います」
彼女はそう評すると、机の上の資料を素早く確認し始めた。恐らく、魔王国が所有する鉱物資源や、過去の交易記録などを参照しているのだろう。その手際の良さには、いつも感心させられる。彼女は、宰相として魔王軍の組織運営を完全に掌握し、膨大な事務処理を瞬時にこなすことができる。
「ご要望の魔晶石と合金ですが、高純度のものは確かに流通量が限られております。他国との交渉が必要となるでしょう。特に、質の良い魔晶石は、精霊が多く集まる地に偏在しておりますゆえ、本来はイグラン=エレオスとの交易が望ましいかと存じます」
やはり、エルフ領か。魔王国と『世界樹の回廊、イグラン=エレオス』に住むエルフ領の関係は、歴史的に見ても良いとは言えない。
先代ゼルヴァの更に先代の魔王が、世界樹に攻め込んでいる。先代ゼルヴァも国交の回復に腐心したが、成果は出なかった。
今でも魔族を敵視する者も多いだろう。交渉は一筋縄ではいかないだろうな。
「イグラン=エレオスか……それは、骨が折れるな」
じつは別件でもイグラン=エレオスとの国交回復を模索している。
ルミナスでの一件で、今後、改めて天の回廊との衝突は避けられないと考えている。むろん、平和にできれば言うことは無いが、神話と彼らが許してはくれないだろう。
魔王国とイグラン=エレオスが友好であれば、天の回廊も強硬な手段に出られなくなるだろう。が、それも難しい話だ。……歴代の魔王様が恨めしい。
俺がため息混じりに呟くと、ベリシアは僅かに表情を緩めた。その表情は、扉際に控えるゼルダが見て驚いているだろう。
「――別ルートも含めて、入手は可能だと存じます」
「それはありがたい。頼むよ」
俺は茶を一口啜りながら、ふと視線を窓際へと向けた。小さな棚があり、その上に小さな鉢植えが置かれている。二枚の、幼い双葉が慎ましく顔を出していた。彼女の実務優先の、無機質な部屋に、その鉢植えは大事にされている。実務優先の彼女の部屋には珍しいが、なぜか、それが彼女らしくて良いな、と俺は素直にそう思った。
立ち上がり自然と鉢植えに近づいた。その双葉から、微かだが、今まで感じたことのない不思議な魔力を感じたのだ。闇の魔力でも、光の魔力でもない。もっと純粋で、生命そのもののような、温かい魔力だった。
「珍しいものかな? 変わった魔力を感じる」
思わず、そんな言葉が口からこぼれた。ベリシアは、俺が鉢植えに興味を示したことに少し驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの冷静な口調に戻った。
「ええ、これは……わたくしが子供の頃から育てているものです」
彼女はそう言うと、わずかに視線を鉢植えへと向けた。普段は見せない柔らかな表情に感じた。
「子供の頃から、か。ずいぶんのんびりした植物みたいだね」
俺は鉢植えを覗き込みながら尋ねた。凛とした双葉だ。
ベリシアは、少しの間、何かを迷う素振りを見せた後、ゆっくりと話し始めた。
「これは……わたくしが幼少の頃、父と共に世界樹の回廊イグラン=エレオスを訪れた際に、妖精からもらった種です」
「子供のころに、イグラン=エレオスで?」
「父が外務官を務めておりました関係で、家族ごとあちらを訪れる機会がございました。その折……森の奥で、小さな妖精に出会ったのです」
先代ゼルヴァの初期だったかな。外交官を何回か送っている。そうか、その時の外交官が彼女の父親か。
ベリシアの口から語られる、幼い日の思い出。当時の彼女の様子を想像すると、普段の彼女からはかけ離れていて、どこか微笑ましい。彼女の顔には、微かな笑みが浮かんで見えた。
「その妖精が、これを『大事に育ててね』と、わたくしに手渡してくれたのです。父には内緒で持ち帰りました。それから、ずっと……何年も、何十年も、枯らさぬよう大切に育ててきましたが、本当に、やっと……最近になって、ようやく双葉がついたばかりでございます」
彼女の声は、普段とは異なり、どこか懐かしさと、微かな喜びを含んでいた。何十年も、か。彼女が魔族であることを考えれば、その「何十年」という歳月は、人間にとってのそれよりもはるかに長い時間だろう。それでも、諦めずに育て続けていたという事実に、俺は驚きを隠せない。彼女の、魔王軍の宰相としての顔からは想像できない、純粋で、ひたむきな一面を垣間見た気がした。
「そうか……のんびり屋なんだろうけど、芽吹いてよかったな」
彼女の意外な一面を知ることができ、おれはなぜか気分が良くなった。
「おっと、邪魔しすぎだな。――素材の調達の件、ベリシアに任せる。何か進展があったら、また報告してくれ」
「承知いたしました、陛下。ご期待に沿えるよう尽力いたします」
ベリシアは、深々と頭を下げた。その姿は、忠実な臣下そのものであった。
俺は、彼女に礼を言い、執務室を後にした。廊下を歩きながら、俺は再び、あの双葉から感じた温かい魔力のことを考えていた。それは、俺の電子工学的な魔法理論ではまだ解明できない、この世界の奥深さを示しているようにも思えた。




