(30)どうか、私の願いが届きますように
また語り手が変わります
意識が、遠く、深く沈んでいく。身体のあちこちが痛み、まるで燃えているかのようだ。でも、もう、そんな痛みなんて、どうでもよかった。
目の前で、魔王ゼルヴァが塵となって消え去っていく。漆黒の魔装が崩れ落ち、白銀の長髪が風に舞い、はかなく何もかもが、闇に溶けるように消えていった。
──終わった。
そう、長い戦いが、今、本当に終わったんだ。
燃えさかる城の熱気が私の頬を撫でる。あたりには、ただ静寂が広がっていた。激しい戦いの音も、悲鳴も、怒号も、すべてが消え失せていた。
私は、その場に崩れ落ちた。もう、身体を支える力なんて、どこにも残っていない。まるで、全身の骨が溶けてしまったかのようだ。流れた血と一緒に、すべての力が無くなっていく。
手から滑り落ちた聖剣エクス=ルミナが、カラン、と音を立てて玉座の間に転がる。
『……エリシア』
聖剣の声が、直接、私の心にささやいた。疲労困憊の意識の奥底に、その声がじんわりと染み渡る。
「エクス……」
掠れた声しか出なかった。でも、伝えたかった。
「ありがとう……」
その刃は、微かに青白い光を放っているように見えた。
『我は……我は、お前をこんな過酷な運命に引きずり込んでしまった……』
エクス=ルミナの声は、いつもよりずっと弱々しく、そして、後悔の念に満ちているようだった。
『お前は、普通の少女として生きるはずだったのだ……。笑い、泣き、愛する者を見つけ、穏やかな日々を送るはずだった……。それなのに、我がお前を選んでしまったが故に……』
私は、ごく普通の少女だった。冒険者になりたいと夢見て、森で薬草を摘んだり、小さな魔物を追いかけたりしていた。けど、ある日、この聖剣に選ばれた。勇者として、魔王を討つ運命を背負った。
仲間たちと出会い、共に笑い、共に泣いた。でも、その仲間たちも、この魔王との戦いで、一人、また一人と、私のもとを去っていった。
最後に残ったのは、私だけ。
それでも、私はこの城に辿り着き、魔王と対峙し、……討ち果たした。
エクス=ルミナの言う通り、普通の少女としての人生は、私にはもうない。失ったものは、あまりにも多い。
「……いいの、エクス」
私は、ゆっくりと、震える手でエクス=ルミナの柄に触れた。ひんやりとした感触が、なぜか心地よかった。
「あなたは、私に、勇者としての使命を与えてくれた。最後まで、私を支えてくれたじゃない」
私の言葉に、エクス=ルミナは沈黙した。
「それに……もし、私がこの戦いから逃げていたら、きっと、後悔していただろうから」
そう。困っている人を放っておけない性格。自分にしかできないなら、全力でやる。それが、私の信条だった。だからこそ、勇者として選ばれた時も、迷いはあったけれど、最終的には受け入れた。
「それに、見て、エクス……」
私は、焼け落ちた窓の外を見た。遠く、夜の闇に包まれ始めた空に、微かに星が瞬いているのが見えた。
「きっと、これから、この世界には平和が訪れる。私たちが戦ったから、たくさんの人が、笑顔で暮らせるようになる。そうでしょう?」
魔王がいなくなった世界。恐怖は消え去り、人々は安心して暮らせるようになる。それは、私がずっと望んでいたことだ。
「つかの間でも、もし、本当に平和な世界になってくれるのなら……それなら、私の生きた意味があったってことじゃない」
私の命は、もう長くはないだろう。全身の魔力は枯渇し、傷ついた身体は、限界を迎えていた。それでも、私は、後悔なんてしていなかった。
『……しかし、お前は、まだ十六の幼さ。誰にでもできることではない。並の勇者ならば、途中で挫け、あるいは道を誤っただろう』
エクス=ルミナの声に、親のような心が滲んでいる。私は、くすりと笑った。
「そうかな? 私だって、何度も諦めそうになったわよ。でも……あなたが、いつも隣にいてくれたから」
聖剣の存在は、常に私の支えだった。時には厳しく、時には優しく、私を導いてくれた。その頑固で、でも、どこか不器用な優しさに、私は何度も救われてきた。
「それに、あの魔王ゼルヴァだって、最後に私の力を認めてくれたもの。『見事だ』って……」
魔王が、最後に遺した言葉。冷酷な支配者の仮面を被っていた彼が、一瞬だけ見せた、義に厚い男の顔。彼は、確かに私の力を認めてくれたのだ。
おかしいな。それだけで、私の戦いは報われたような気がした。
『……お前は、本当に強い子だ……。その強さが、我には眩しすぎる……』
エクス=ルミナの声が、震えているように感じた。
「でもね、エクス……」
私は、ゆっくりと目を閉じた。遠のく意識の中で、未来への小さな願いが、ふわりと浮かび上がった。
「もし、次に生まれ変われるのなら……」
その願いは、あまりにもささやかで、そして、私の本心だった。
「勇者なんて、もう、いいかな。普通の女の子として、生きてみたい」
戦いも、使命も、重い責任も、もうすべて置いていきたい。
「美味しいものをたくさん食べて、くだらないことで笑って、大好きな人を見つけて……恋をしてみたいなぁ」
そんな、ありふれた、普通の幸せ。これまでの私の人生には、決して許されなかった、ささやかな夢。
「きっと、次の人生では、もっと、もっと、幸せになれるはずよ……」
私の意識は、薄れていく。身体の感覚も、声も、思考も、すべてが闇の中に溶け込んでいく。
エクス=ルミナの光が、遠く、ぼんやりと見えた。その光が、私を優しく包み込み、暗闇へと誘っていく。
どうか、私の願いが、届きますように。
ただ、ひたすらに、安らかな眠りの中で、私はそう願っていた。
やがて、すべてが闇に包まれた。




