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(29)この夢が永遠の安らぎでありますように

語り手が変わります




 白い光に包まれていた。

 温かく、そして、どこか懐かしい光。

 私の意識は、深い海の底からゆっくりと浮上していくように、朧げな記憶の断片を拾い集め始めた。

 ――ああ、これは……。

 目の前に広がるのは、紛れもない聖火塔アウロラの聖所の一画。我々、天の御使いが住まう、天界への回廊。澄み切った青い空から降り注ぐ光が、白い大理石の床を照らし、空間を満たす清らかな空気に、心が洗われる。いつだって、ここは私にとっての安息の地だった。

 私は、いつものように席に座り、書物を開いていた。内容は確か、人間界の古き言い伝えに関するものだったはずだ。紙の擦れる音だけが、静寂の中に生まれる。この穏やかな時間が、私は何よりも好きだった。

「ラゼルアール」

 その声に、私は顔を上げた。

 立っていたのは、ゼルスエールだった。淡い金色の髪が、光を受けてきらきらと輝いている。整った顔立ちに、濃い青の瞳。いつ見ても完璧な、まさに天の御使いの模範のような姿だ。

「ゼルスエール様。何か御用でしょうか?」

 私は、書物を閉じ、席を立った。彼女は、いつも涼やかな表情を崩さない。

「ええ、少しばかり、お話ししたいことがありまして」

 彼女の口調は、いつものように穏やかで、諭すような色を含んでいた。私たちは、近くの庭園へと歩を進めた。色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りが漂う。ここでの会話は、いつも心地よいものだった。最初は、人間界の教団の導きについてだった。

「地上の民は、いまだ未熟な部分が多く、我ら天の御使いが正しく導いて差し上げねばなりません」

 ゼルスエールの言葉に、私は頷いた。確かに、人間は弱く、過ちを犯しやすい。だからこそ、導きが必要な時もあるだろう。

「はい。ですが、彼らもまた、自らの意志で考え、成長していくべきだと私は考えます。過ちを繰り返しながらも、いずれは真の光を見つけ出すでしょう」

 自分の考えを率直に述べた。光の神シフェリオンも、争いを悔い、天界へ身罷られた。だからこそ、私たちは争いを避け、共存の道を探るべきなのだ。

 しかしながら、ゼルスエールの瞳の色がわずかに変わったように感じた。濃い青の奥に、冷たい光が宿ったように見えた。

「その『成長』の過程で、彼らが間違った道に進むことがあってはなりません。我らが神シフェリオン様の教えこそが、唯一無二の真理なのですから」

 彼女の言葉に、私は違和感を覚えた。唯一無二の真理。それは、あまりにも傲慢ではないだろうか。

 会話は、本題へと移っていった。

「それで、ラゼルアール。あなたに、どうしても確認したいことがあります」

 ゼルスエールの声のトーンが、一段と低くなった。

「はい、何でしょうか」

「アウロラに、魔物の幼獣を持ち込み、育てている件についてです」

 その言葉に、心臓が跳ね上がった。まさか、知られているとは。

 私は、冷静を装いながら答えた。

「それは……誤解です、ゼルスエール様。私はただ、傷ついた幼い生き物を保護していただけで……」

「誤解? それが、ホーンラビットという魔物であると、私が知らないとでもお思いですか?」

 ゼルスエールの声は、もはや穏やかさを欠いていた。詰問するような、鋭い響きを含んでいる。私の全身に、冷たいものが走った。

「――なぜ、そのようなものを、この聖なるアウロラに持ち込んだのですか? 魔物は、闇の神ネレファスに属する穢れた存在。この地を汚すつもりですか?」

 彼女の言葉に、私は反論した。

「違います! クーエルは、私が優しく育てれば、決して人間を襲うことはありません。彼らもまた、感情を持ち、学ぶことができる生き物です。地上の人間や動物たちと同じ。いずれは分かり合えるはずです!」

 私の声は、熱を帯びていた。信じているからこそ、譲れない一線だった。

「愚かな。光と闇は、創成の時代から決して折り合わない。その事実を、あなたほどの御使いが理解できないとでもいうのですか?」

 ゼルスエールの瞳が、さらに冷たくなる。彼女の周囲の空気が、微かに歪み始めた。

「魔族や魔物――ネレファスに属する者は、すべて滅ぼさなければなりません。それが、シフェリオン様の御心であり、我々天の御使いの使命です」

 私は、彼女の言葉に愕然とした。滅ぼす、だと? それは、シフェリオン様の教えではないはずだ。シフェリオン様は、争いを望まない。だからこそ、私たちに、この世界を平和に導くことを望まれたはずだ。

「ゼルスエール様、それは……行き過ぎた思想です。シフェリオン様は、すべての命を尊重することを説かれました。魔物とて、この世界に生まれた命。無闇に滅ぼすべきではありません」

「あなたは、誤った考えと感情を私に押し付けようとしているだけです、ラゼルアール。神の御心とは崇高なものであり、下等な者は我々が律さなければなりません」

 話は完全に平行線だった。私の言葉は、彼女には届かなかった。彼女の瞳の奥には、確固たる信念が宿っている。それは、私の主義とは相容れない、冷徹なまでの信念だった。

 そのうちに、彼女の顔が一瞬だけ歪んだ。それは、私には理解できない、深い憎しみのような感情が、一瞬だけ垣間見えたかのようだった。

「もはや、口で説いても無駄なようですね。あなたは、あまりにも愚かだ。それほど魔物が好きならば、自分も魔物になればいい」

 ゼルスエールの手が、ゆっくりと持ち上げられる。その掌に、まばゆい光が集束していく。神聖魔法。

「背信者め」

 その言葉と共に、光が放たれた。私は、その場から動くことができなかった。ゼルスエールの放った光の魔術によって、私の身体は雁字搦めに拘束されていく。それは、温かいはずの聖なる光とは真逆の、凍えるような冷たさだった。全身の自由を奪われ、私は地面に縫い付けられる。

「あなたの罪は、ただ罰するだけでは足りない。――私の計画に役立てるために使わせていただきます」

 ゼルスエールの声が、耳元で響く。その声には一切の感情がなく、凍るような冷たさだった。

「な、計画……!?」

 私は、絞り出すように問いかけた。

 ゼルスエールは、その問いには答えなかった。ただ、私を見下ろしている。

「あなたは、人造魔王として、地上に混乱をもたらす存在となります。人間たちあなたを恐れ憎み、我ら天の御使いの導きを、より強く求めるようになるでしょう。そして、光の神シフェリオンの教えが、世界の隅々まで広がるのです」

 彼女の言葉は、理解不能だった。人造魔王? 地上の混乱?

「そんなことは……シフェリオン様の御心に反します! 争いを生み出すなど……!」

 私の必死の声も、ゼルスエールには届かなかった。彼女の顔には、一切の迷いがない。まるで、それが当然の摂理であるかのように。

「あなたは、自らの闇の心が招いた結果を受け入れるべきです、ラゼルアール。魔物などに情けをかけたが故に、あなたは堕ちたのです」

 堕ちた……。

 私は、自分の身体が光に包まれ、浮き上がるのを感じた。アウロラの、清らかな空気が遠ざかっていく。白いケープが、闇に染まっていくような錯覚に襲われた。

 クーエルは、今頃どうしているだろう。私がいないアウロラで、一人で寂しがってはいないだろうか。

 自分の信念を貫いた結果が、これだというのか。私の信じてきた道は、間違っていたというのか。

 私は、天を見上げた。そこには、いつものように穏やかな光が満ちている。その光は、私を包み込むものではなかった。むしろ、私を拒絶するかのようだった。

 意識が遠のいていく。私の身体は、光の鎖に繋がれたまま、どこかへと引きずられていく。

 最後に見たのは、無表情に私を見下ろすゼルスエールの、冷たい瞳だった。


 ラゼルアールとしての記憶が、走馬灯のように駆け巡る。その最後に、私を堕天使へと変え、魔王へと貶めた、あの日の光景が鮮明に蘇る。

 ああ、私は……。

 あの時、私は何一つ、自分の信じる道を曲げなかった。生けるものを魔物をも愛し、すべての命を尊重する。それは、私にとって紛れもない真理だった。

 その真理が、私を地獄へと突き落とした。

 私は、ゾルグとなった。感情を持たず、ただ命令に従う、人形のような存在として。

 心の奥底に、あの博愛の精神は、確かに残っていたのだろうか。

 エルを守ろうとしたのは、私自身の意思だったのだろうか。それとも、あの時の私には、もはや意思などなかったのか。

 記憶は、そこで途切れた。

 だが、安堵の光は、私を包み続ける。まるで、今度こそ、本当に安らかな場所へと導いてくれるかのように。

 もう、争いは、いらない。

 もう、苦しみも、いらない。

 ただ、この光の中で、私は静かに眠りたい。

 ひとときの幻でもいい。

 この夢が、覚めることのない、永遠の安らぎでありますように。

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