(26)届かぬ刃
聖王都の夜空は、黒煙と炎に覆われていた。
街が悲鳴を上げている。
ゾルグから分裂したのか、異形の魔物たちが破壊を行っていた。
瓦礫と化した建物、逃げ惑う人々、そして、そのすべてを睥睨する巨大な影――魔竜と化したゾルグが、そこにいた。
俺は、魔王としての姿でヤツと対峙していた。頭蓋から伸びた漆黒の角、全身から溢れる濃密な魔力、そして深紅に染まった瞳。魔封の指輪を外した俺の姿は、まさに人々が恐れる「魔王」そのものだ。
『また魔王対魔王か。――それでも全力で決着をつけるぞ、アイザワ!』
エクス=ルミナの声。その皮肉めいた言葉の奥に、確かな信頼が込められていることを感じ取りながら、俺は聖剣を構えた。
「行くぞ、相棒……!」
俺は咆哮し、背中から漆黒の翼を展開した。ゴォと風を切り、俺の体が宙に舞い上がる。
ゾルグの巨大な姿が、目前に迫る。黒いいびつな竜となったその全身を覆う黒い鱗は、まるで分厚い鎧のようだ。醜悪に変形した顔には、かつてのゾルグの面影は微塵もない。そこにいるのは、ただの破壊の権化だ。
「リセル……カルラ……エル……!」
ヤツの中に取り込まれた三人たち、思い浮かんだ顔が俺の心を突き動かした。
黒竜が、その巨大な口を開く。そこから放たれたのは、闇の魔力を凝縮した、禍々しい魔弾の嵐だった。
「ッ!」
俺はエクス=ルミナを振り抜き、迫りくる魔弾を薙ぎ払う。聖なる光が闇を切り裂き、激しい衝撃波が空気を震わせた。一撃、また一撃。ヤツの攻撃は、あまりにも重く、強烈だ。
「うおおおおおっ!」
俺は雄叫びを上げ、ヤツへと肉薄する。エクス=ルミナの刃が、硬い鱗に衝突する。甲高い金属音が響き渡り、火花が散った。だが、その一撃は奴の皮膚をわずかに掠める程度だった。
『甘い! その程度では、あの化け物には届かんぞ!』
エクス=ルミナが、苛立ち混じりに叫ぶ。分かっている。分かってはいるが、焦る気持ちが、俺の動きを鈍らせる。
ゾルグの体内に、仲間たちの魔力の残滓を感じるたび、俺の心は千々に乱れた。
黒竜が再び咆哮を上げる。その声は空間を歪ませ、街の建物がさらに崩れ落ちる。逃げ遅れた人々の悲鳴が、遠くから聞こえてきた。
「魔王だ! 魔王が、街を……!」
「勇者はどこだ! 聖女様は……!」
俺たちの姿を見て、人々が恐慌に陥る。聖王都の住民からすれば、俺の姿はまさしく破壊をもたらす「魔王」だ。ゾルグも、俺も、等しく敵と認識されている。その現実に、胸が締め付けられる。それでも、いまは構っていられない。
地上では、ロイドが奮戦していた。
「あちらへ! 急げ!」
魔物をアーク=ルミナで倒し、瓦礫の下敷きになりかけた人々を助け、安全な場所へと誘導している。その顔は、汗と土に塗れながらも、強い意志に満ちていた。彼の姿こそ、まさしく「勇者」だ。正しき行為を彼は完璧にこなしている。俺が魔王として戦場を切り開く間、彼は人々を守る盾となる。その信頼関係が、俺の心をわずかに軽くした。
俺は再び宙を舞い、側面へと回り込む。闇魔法を集中させ、ゾルグの翼を狙う。もし翼を潰せば、奴の機動力を削ぐことができるはずだ。
「グラヴィ・バインド!」
俺の放った闇魔法が、ヤツの翼に吸い込まれるように集中していく。空間が歪み、重力の渦が生成される。しかし、ヤツの翼はわずかに揺らぐだけで、その漆黒の鱗が闇の力を弾き返した。
続けて切りかかる。刃は、かぎ爪に止められた。
「……ッ!」
俺の視線とヤツの意思のない視線がぶつかる。
「リセル! カルラ!」
ゾルグの体内にいる仲間たちの魔力が、俺の呼びかけに呼応するように、微かに揺らめいた気がした。リセル、カルラ……彼女たちはまだ、ゾルグの中に――生きている!?
その事実に、俺は希望を見出した。
目前の巨大な顎が開いた。今度は、より濃密な魔力が収束していく。――危険だ。あれは、ただの魔弾ではない。
「グアァァァァァァァァァァァァァァァ!」
ゾルグの咆哮と共に、圧縮された闇のブレスが放たれる。その力は、街の区画を丸ごと消し去るほどの威力を秘めていた。
「くそっ!」
俺は全身の魔力を集中させ、強固なマナ・ウォールを展開する。漆黒の結界がヤツのブレスを受け止め、激しい衝突音が夜空を突き破った。闇と闇がぶつかり合い、あたり一帯が閃光に包まれる。
結界が軋みを上げる。ゾルグのブレスは、俺の想像をはるかに超える破壊力だった。このままでは、結界が持たない。
「うおおおおおおおおおおっ!」
俺は歯を食いしばり、結界にさらに魔力を注ぎ込む。額に冷たい汗が流れ落ちる。指先の痺れを感じながら、結界を維持する。
数秒後、ようやくヤツのブレスが途切れた。結界は辛うじて持ちこたえたが、俺の魔力はほとんど枯渇寸前だった。
「ゾルグ……一体何が狙いだ……!」
叫んだ。だが、ヤツに返答はない。奴はただ、無機質な赤い瞳で俺を見つめるだけだ。
俺は、一瞬の隙を突いて急接近する。聖剣を構え、奴の腹部へと渾身の一撃を叩き込んだ。エクス=ルミナが、その漆黒の鱗をわずかに削り取る。
その体表から、瞬く間に黒い粘液が溢れ出し、傷を塞いでいく。再生能力まで向上しているのか。
「ちぃっ!」
ヤツの巨大な尻尾が、まるで鞭のように俺へと襲いかかる。俺は素早く翼を羽ばたかせ、辛うじてそれをかわす。風が俺の頬を撫で、ヤツの尻尾が街の建物に衝突し、大きな音を立てて崩れ落ちた。
「アイザワ! 無事か!」
地上から、ロイドの声が聞こえる。あいつの顔には、疲労と焦りの色が浮かんでいた。ヤツの攻撃は無差別だ。ロイドも、地上で人々を守りながら、常に危険に晒されている。
俺は、攻撃をかわし続ける。指先がしびれ始めている――魔力を使いすぎた。今は猛攻をしのぐので精一杯だ。このままじゃ、いずれ捕まる。
「どうすれば……!」
焦燥感が胸を蝕む。ゾルグに取り込まれた仲間たちを救い出す方法は、まだ見つからない。この戦いを終わらせなければ、あいつらは……。
聖王都の夜空に、咆哮が響き渡る。その絶望的な声が、俺の心をさらに深く沈ませた。
赤い瞳が、俺一点に集中している。それまでの無差別な破壊から一転し、奴の攻撃はすべて俺を狙って放たれてくる。巨大な口から放たれる闇の魔弾は、まさに雨あられのように降り注いでいた。
「ぐっ……!」
俺は回避と防御に徹する。マナ・ウォールで魔弾の軌道を逸らし、グラヴィ・バインドで動きを一時的に鈍らせようと試みるが、その効果は限定的だ。その巨体は、俺の重力魔法をものともしない。
猛攻はさらに苛烈さを増し、俺の漆黒の翼を掠めるたび、熱い痛みが走った。羽ばたきが鈍り、空中での機動力が落ちていく。
「ちくしょう……!」
俺は歯を食いしばり、最後の力を振り絞ってフレア・ドミナンスの詠唱を開始した。上空に魔力の火球を生成し、集中爆撃を仕掛ける。火球がヤツの頭上から降り注ぎ、凄まじい爆炎が巻き起こった。
しかし、爆炎の中から現れたゾルグは、ほとんど無傷だった。その漆黒の鱗は、炎の攻撃を完璧に弾き返している。再生能力と防御力は、俺の想像をはるかに超えていた。
巨大な手が、俺を叩き潰そうと迫る。俺は辛うじてその攻撃をかわし、さらに高度を上げた。もはや俺を完全に敵と認識し、他のすべてを無視して俺に狙いを定めている。
その身体に取り込まれた仲間たちの魔力が、弱々しく光っているのが感じられた。あいつらはまだ、中にいる。だが、このままじゃ、俺が先に倒れてしまう。
「頼む、エクス=ルミナ……何か、何か手はないのか……!」
俺は心の中で叫んだ。エクス=ルミナは、沈黙したままだ。この状況で、奴を倒すための有効な手が見つからない。俺の聖剣による剣技も、高位魔法も、すべてゾルグの圧倒的な防御力と再生能力の前では無力だった。
俺を距離を取り、ブレスを溜め始める。今度のブレスは、先ほどよりもさらに強力だ。その圧倒的な魔力の波動が、俺の皮膚を刺す。このままじゃ、ロイドが守っている地上にまで被害が及ぶ。
俺は、満身創痍となりながらも、聖剣を固く握りしめた。この戦いを、終わらせなければならない。聖王都を、人々を、何よりも仲間たちを救うために。




