(24)本物の勇者
ルーンハイトを出てから、夜通し馬を走らせた。疲労はとっくに限界を超えていたが、俺は馬が倒れるまで鞭を振るい続けた。脳裏には、ゾルグに取り込まれたカルラとリセル、そしてエルの姿が焼き付いて離れない。同時に、ルミナス王国にゾルグが向かったという兵士の言葉が、俺たちを駆り立てていた。
真夜中。ようやく俺たちは、ルミナス王国の聖王都が見えてきた。
そこに広がっていたのは、安堵とは程遠い光景だった。
遠目にも明らかな炎と黒煙。街の至る所から立ち上る煙が、夜の空に不吉な輪郭を描き出している。人々の悲鳴と、魔物の咆哮が風に乗って聞こえてきた。
空には黒い影が宙を舞っている。火を吐きながら街へと降下するその姿は、まさしく悪夢そのものだった。
三本の曲がった角、蝙蝠のような翼、全身を覆う漆黒の鱗。その影は、黒竜と化したゾルグだった。ルーンハイトで遭遇したあの化け物が、すでにこの地にまで到達していたのだ。
「そんな……まさか」
ロイドが呟く。彼の顔には、絶望と怒りが交錯していた。俺もまた、胸の奥を鷲掴みにされるような焦燥に襲われた。ゾルグはこれほどの速度で移動していたというのか。
混乱は見る間に広がっていく。炎は激しさを増し、煙は空を覆い尽くし、崩れ落ちた建物の瓦礫の間を、人々が逃げ惑っていた。
俺は馬を降り、身体を引きずるようにして街の入り口へと歩みを進める。
ここで立ち止まるわけにはいかない。カルラたちを救い出す。この街を、人々を、守らねばならない。
その決意の裏で、ひとつの葛藤が胸をよぎった。
ゾルグと対峙するには、魔王としての力を解放するしかない。魔封の指輪を外し、本来の姿に戻る必要がある。俺がその姿で現れたとき、聖王都の兵士たちは、俺を魔王として認識し、敵と見なすだろう。その後、どうなるのか。
考えている余裕などない。
ナクティスとセレアリスは、この街にいる。彼女らは、今も無事なのだろうか。その不安が、俺の背中を強く押した。
俺は、目を閉じて深く呼吸し、心を定めた。
――魔王として戦う。人間にどう見られようと構わない。
それが、今の俺が選ぶ唯一の選択肢だ。
俺は、ロイドに向き直った。彼の表情には、不安と覚悟が入り混じっていた。
「ロイド」
俺の声は、いつもの軽い口調ではなく、かすれを帯びていた。
「これから、俺は本来の姿で戦う」
ロイドの目がわずかに見開かれた。
「俺が魔王の姿になれば、人々は間違いなく敵と見なす。だが、それでも――」
俺の漆黒の髪が風に揺れ、深紅の瞳が宵闇に煌めく。身体から溢れ出す魔力が空気を震わせる。
「……それでも、一緒に戦ってくれるか?」
短い沈黙が流れる。耳に届くのは、街で巻き起こる混乱の音のみ。ロイドの表情には葛藤が浮かんでいた。彼の信条は、「強き者は弱き者を守る」。魔族と人間を明確に分けて考える彼にとって、魔王と共に戦うことは、信念に反するかもしれない。
――ロイドは顔を上げた。青い瞳が、真っ直ぐに俺を見据えている。その瞳には、一切の迷いがなかった。
「当たり前だ、勇者」
その言葉が、俺の胸に強く響いた。
「勇者」。俺の姿が変わろうと、彼にとって俺は、変わらず共に戦う仲間なのだ。
その言葉に、全身が熱を帯びていく。張り詰めた身体に力が漲るのを感じた。
「……ありがとう、ロイド」
感謝の言葉を絞り出す。ロイドはアーク=ルミナを構え、夜風にその髪を揺らした。
「弱き者を守るのが、私の務め。ゾルグを倒す。それが、今の私たちの戦いだ」
俺は、力強く頷いた。聖王都の上空で、ゾルグが咆哮を上げる。その咆哮は、闇を震わせ、さらなる混乱を呼び起こしていた。
封魔の指輪を外し、エクス=ルミナを抜いた。刀身の放つ光が、黒煙の中でひときわ輝く。
溢れる魔力が、風を宿す。
『ふん。ようやく覚悟を決めたか、愚かな魔王よ。我の誇りを汚す真似だけはするなよ』
剣から響く声が、俺の脳内を貫く。その皮肉めいた言葉の奥に、確かな信頼が込められていることを、俺は感じ取っていた。
俺たちは足を踏み出した。炎と煙の渦巻く聖王都の奥へと。
この戦いは、魔王として、勇者として、俺自身が選び取るべき運命だ。そしてその隣には、何にも代えがたい仲間がいる。
闇夜の中、俺の瞳が深紅の光を宿した。




