(21)ゾルグとの戦闘……か?
魔素の嵐が収まったとき、そこに現れたのは、漆黒の宙に胎児のように丸まって眠るゾルグの姿だった。黒いローブを纏い、三本の曲がった角が闇に溶け込んでいる。蝙蝠のような翼は静かに折り畳まれ、その端麗な顔には一切の表情がない。以前エルに受けた傷も、完全に癒えているようだった。
ゾルグの赤い瞳が、ゆっくりと開く。そこに、自我や感情の光はなかった。
四肢を伸ばし、立ち上がる。
「……認識。排除」
低く響いたその言葉を合図に、周囲の魔素が凝縮され、彼の周囲に禍々しい闇の刃が出現する。ゾルグは機械のような正確さで、ただちに攻撃を開始した。
「来るぞ!」
俺が叫ぶと同時に、闇の刃が嵐のように襲いかかってきた。
『まったく……この程度でうろたえるな』
エクス=ルミナの声が、意識に響く。
聖剣を構え、迫る闇の刃を両断する。闇と闇が衝突し、空間が歪む。
ロイドは俺の隣でアーク=ルミナを構え、ゾルグの刃を受け止める。その顔には、解放された俺の力への一瞬の戸惑いが浮かんでいたが、すぐにそれは信頼の色へと変わった。
「アイザワ殿、決着をつけましょう」
ロイドの言葉は、迷いを振り切り、俺と共に戦うと決めた意志の証だった。
「わたしも、全力でやります!」
カルラが巨斧を振るい、ゾルグの生み出した闇の眷属をなぎ倒す。その顔には、力を解放した俺と肩を並べて戦えることへの喜びが満ちていた。
「あたしも、やります!」
リセルもまた、表情こそ冷静だが、その瞳には確かな高揚が宿っていた。素早い動きでゾルグの側面へと回り込み、レイピアで魔力の流れを乱す。
俺は、ゾルグの攻撃を捌きながら、闇魔法の構築に集中する。広範囲魔法で牽制し、続けざまにゾルグ本体へと魔力の奔流を放った。ゾルグは無表情のまま、それを両腕で受け止める。その防御力は、尋常なものではなかった。
だが、リミッターを外した俺と、聖剣エクス=ルミナの力は、すでにゾルグを上回っていた。
『いつもながら、魔王に振るわれるのはなれんわ』
エクス=ルミナは罵倒しながらも、俺の魔力に呼応し、その刃に神聖な光を宿す。放たれた光が、ゾルグの闇を――わずかずつ――侵食していく。
ロイドがゾルグの注意を引きつけ、その隙をカルラが突く。カルラの一撃がゾルグのローブを裂いたが、その下の肌は黒曜石のように硬く、深くは届かない。その一瞬の隙を、リセルは逃さなかった。彼女のレイピアがゾルグの首筋を掠め、微細ながらも確かな傷を刻む。
俺はその好機を逃さず、ゾルグに肉薄した。聖剣を構え、一閃。ゾルグの右腕が、肘から先で切り飛ばす。黒い血が飛び散り、空中で霧のように消えた。
ゾルグは、切断された腕の根元から、蠢く細かな触手を伸ばした。まるで、その体の内部が、別の存在と繋がっているかのように。そこから滲み出る魔素には、複数の魔物の気配が混ざり合っていた。
「……キメラですね」
リセルが、低く呟く。やはり、この魔王は作られた存在。幾多の魔物の魂と力を、無理やり一つの肉体に押し込めたものなのだろう。
違和感はそれだけではなかった。ゾルグから発せられる魔素の中に、微かだが確かに存在する――「聖」の魔力。魔王でありながら、聖なる魔力を宿している……。その身に宿る魔力の波動は、明らかに乱れ始めていた。
一撃を受け止め、返す刃で浅い傷をつける。ゾルグの反撃をロイドが受け止めてくれる。
作られた存在……。
ゾルグもまた、教団に操られていただけの、悲しき駒なのではないか。自我がなく、ただ命じられた行動を機械的に繰り返すだけ。意志を持たぬまま、殺されるまで戦い続ける――それが、ゾルグに背負わされた悲劇だ。
『感傷に浸っている場合か! 勇者であれば、目の前の邪悪を滅ぼすのみ!』
エクス=ルミナの叱咤が、意識に響く。――そうだ。いまは感傷に囚われている暇などない。この脅威を排除しなければ、状況を打開することはできない。
エクス=ルミナの一閃が、ゾルグの額に傷をつけた。
ゾルグの異様な咆哮が、広間に木霊した。
切断された腕の根元から、さらに多くの触手が伸び、蠢く。その魔力の波動は制御を失い、機械的な動きから、ランダムな動きに変わっている。
――明らかに、暴走の兆しを見せ始めていた。
俺は聖剣を両手で構え、ゾルグの左腕を狙う。エクス=ルミナの刃が光を放ち、左腕もまた、肘から先を断たれる。ゾルグの巨体が大きくのけぞり、暴走の気配が一層強まる。その全身が、今や魔力の嵐に包まれつつあった。
あと一歩――そう思った、まさにそのときだった。
はじける力を感じた。
広間の奥から、一陣の風。
――エルが姿を現していた。
彼女は、倒れかけたゾルグを庇うように、俺たちの前に立ちはだかる。――無言のまま、剣をこちらへと突きつけてきた。
赤い軽鎧を纏い、聖剣・長剣アルバ=ルミナと円環の剣ベルダ=ルミナを構え、感情の無い顔で、俺を見る。
「……こんなタイミングで……」
公国から討伐依頼が出たのか、それともゾルグを討とうとする俺たちを排除するために?
少なくとも、彼女は俺たちと刃を交えるつもりのようだ。
俺は、聖剣を強く握りしめた。
広間に張り詰めた空気が、針のように肌を刺す。ゾルグの禍々しい魔力と、エルの冷徹な聖なる力が混じり合い、嵐のような圧力を生み出していた。
「魔王を確認。殲滅する」
エルが、機械のような声でそう告げた。その言葉には、もはや人としての感情の揺らぎは感じられなかった。