(15)夢の中へ
ルーンハイトでの魔王出現の報せから数日後。王城の自室で書物を読んでいた私の意識に、かすかに馴染みのある魔力が触れた。昨日の夢の中で短く言葉を交わした、魔王ゼルヴァ様の臣下、ナクティスの気配だ。
そっと目を開けると、半透明の彼女が、うっすらと私の部屋の隅に立っていた。炎のように赤い髪が、風に揺れるようにふわりと揺れている。これは半分夢に落ちているのかもしれない。
「やあ、セレアちゃん」
気だるげでありながら、どこか親しみのこもった声が、そっと私の耳に届いた。
「ナクティスさん。よくお越しくださいました」
私はそう答えた。神聖な力で守られた私の部屋に、魔族である彼女が容易に侵入できるのは私自身も彼女に心を許しているからだろう。
「んー、へいかは楽しいんだけど、人使い荒いよねー」
ナクティスは、あくび混じりの声でそう言った。彼女が人間のために動くなど、かつては考えられなかったことだろう。アイザワの考えは、多くの魔族の心にも影響を与えているのかもしれない。
「それで、何か進展はありましたか?」
私が尋ねると、ナクティスはわずかに真剣な表情になった。
「グラハム大司教っておじさんに『夢』で接触しようとしたんだけど、全然ダメ。何か強力な力で、がっちり守られてるみたい」
夢での接触すら妨げるほどの強固な聖なる結界。思うに過分な事が多いように思う。
「そうですか……それは、厄介ですね」
私がそう言うと、ナクティスは顎に手を当て、考え込むような仕草を見せた。
「それから、『勇者エル』ってのは、いつ頃から教会にいるの?」
「私たちが彼女を知ったのはつい最近ですが、神聖教会に姿を現したのは、およそ一年前だと聞いております」
私が答えると、ナクティスは目を細めた。
「一年か……結構最近だ。そのころは聖地エルムに聖剣も有るのにね」
そう。エルムの聖剣を無視しているか、聖剣の勇者に勝つ自信があったのか。私も気になっている。
「まあ、少なくとも1年以上前から彼女は秘密で居たんだ。もしおじさんの密命で誰かが動いてるとしたら、部下でも知ってる人間は限られるだろうね」
「ええ。恐らく、教団の中でもごく一部の人間しか知らなかったでしょう」
「ふーん。そいつらの『夢』をちょっと覗いてみれば、何か分かるかもしれないね」
ナクティスの提案に、私は小さくうなずいた。彼女の夢を操る力は、今の私たちにとって貴重な手がかりとなるだろう。
―-次の日
ナクティスが再び、夢の中に現れた。彼女の表情は、やや険しい。
「そのおじさんの部下たちの夢、少し見てみたんだけどさ」
彼女は切り出した。
「ルミナス国内の……そう、『ミルトン』って小さな村から、連れてこられたみたいだよ」
「ミルトン村、ですか……」
私は、意識の中で地図を辿った。王都から北東に位置する、比較的小さな村だ。
「ありがとう、ナクティス。それは重要な情報です。私の方で、少し調べてみます」
「了解。何か分かったら、また教えてよ」
ナクティスの半透明の姿は、ゆっくりと霧のように消えていった。
また翌日。
私は朝から密かに王城を抜け出し、ミルトン村へと向かった。神聖な存在である私の外出は、通常ならば多くの護衛が必要だが、今は平民の装いをして、ひとり馬で村を訪れた。
城を抜け出すのはたまにあることだけれども、今日はロイドが横に居ないので少し心細い。
ミルトン村は、穏やかで静かな田舎の村だった。空気は澄み、小鳥のさえずりが心地よい。私は村人に声をかけ、エルシア=フレイアスという少女について尋ねて回った。
「エルシアちゃんかい? ああ、おったよ。赤い髪の、元気な子じゃった」
一人の老婆が、懐かしむようにそう教えてくれた。
「小さい頃に両親を亡くしてね、村の皆で少しずつ育てたんじゃ。去年、ちょうど一年ほど前に、王都の教会に仕えるって言って、出て行ったよ。寂しくなったもんじゃ」
別の村人も、こう言った。
「きれいでええ子じゃったよ。教会に行くって聞いた時は、世界のためになるならって、皆で送り出したんじゃが……」
赤い髪。教会に仕えるために王都へ行った。元気な子だった――
村人たちの言葉は、昨日ナクティスから聞いた情報と一致する。エルシア=フレイアスという名の少女が、「勇者エル」である可能性は、極めて高い。
王都に戻った私は、すぐに図書室で書物を探した。
先代の勇者、エリシア=フェルブレイズ、その記載。少女エルシアとエリシアの近似する点。
そして、魂の循環について。
アイザワが魔王ゼルヴァとしてこの世界に来たことを、「転生」と言っていた。
先代の魔王ゼルヴァは「魂」について研究し、死しても魂が残り、新たに生を得ることができると信じていたのだろう。それは失敗したとしても、アイザワが異世界から「転生」したことは、それがあり得るということ……。
もしかすると、人間も。
死した魂は循環し、また新たな生を得ている。
人生を全うした魂は天界へと至る――教会の教えとは反する循環も存在する……。
エルシア=フレイアス。先代の勇者に酷似したミルトン村の赤い髪の少女。一年前に王都の教会へ。ちょうどその頃から、「勇者エル」が教会に姿を現した――
すべての点が、ひとつの線で結びつき始めた。
勇者エルは、先代勇者の転生者……?
でも普通の少女が、あのようになるものだろうか。
少なくとも伝え聞く勇者エリシア=フェルブレイズとは違う。彼女は炎のように熱く、太陽のように優しい人だったと聞く。
そして、夜。
私は、ナクティスと接触した。
「ナクティス。分かりました。勇者エルの出生は、ミルトン村の娘、エルシア=フレイアスという少女です」
私の言葉に、ナクティスは低く唸った。
「先代の勇者と似ているよね」
「たしかなことは言えませんが、転生者ではないかと思います」
「あのおじさん、グラハムさんだっけ? そこまでの事ができる?」
首をかしげるナクティスの疑問は、私にも最大の疑問だ。
その答えを考えると、私の信仰は揺らぎ始める。
「――教会より上位の存在が、動いているのでしょう」
血を吐くように、でもその表現が限界だった。
「……なるほどね」
ナクティスは納得したように頷いた。
「――それで、そのエルって娘は、今どこにいるんだ?」
「ロイドと共に、ルーンハイトへ向かいました」
私の言葉に、ナクティスの紫の瞳が鋭さを帯びた。
「ルーンハイトに……陛下のいる場所に」
彼女の声には、明らかな不安の色が滲んでいた。
「ええ。恐らく、グラハム大司教の真の目的は、ルーンハイトで何かを起こすことなのでしょう」
「んー、ますます面倒くさくなってきたね」
ナクティスは、赤い髪を指先で弄びながらそう言った。
「まあ、あっちはへいかが上手くやるか。ともかく私はセレアちゃんのためだ。もう少し、付き合ってあげるよ」
私たちは、世界を覆う不穏の真相を探るために、協力していくことを決めた。
神聖教団――いえ、天の回廊――『聖火塔アウロラ』の隠された意図。勇者エル。ルーンハイトで密かに蠢く、新たな魔王の影。
私たちの世界は、なお明かぬ霧の中に包まれている。
私は聖王女として、今できることをすべて尽くさなければならない。




